二条斉通

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二条斉通
時代 江戸時代中期
生誕 天明元年5月9日1781年5月31日
死没 寛政10年5月21日1798年7月4日
別名 号:恭徳院
官位 従二位内大臣
主君 光格天皇
氏族 二条家
父母 父:二条治孝、母:徳川翰子(徳川宗翰の次女)
兄弟 斉通九条輔嗣西園寺寛季斉信九条尚忠、近子、松殿隆温、胤麿、増護、道永、信観、隆子、利子、親子、保子、嬉子、軌子、福子、多喜子、武子、広子、育子、柔子、近子、純姫、遂子、最子、常子
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二条 斉通(にじょう なりみち)は、江戸時代中期の公卿左大臣二条治孝の長男。官位従二位内大臣二条家24代当主。号は恭徳院。

経歴[編集]

天明元年(1781年)に二条治孝の子として京に誕生。11代将軍・徳川家斉から偏諱を受ける。

寛政3年(1791年2月22日、叙従三位。寛政9年3月27日(1797年4月23日)左近衛大将・内大臣となる。

寛政10年1月26日(1798年3月13日)左近衛大将を辞す。同年5月21日、薨去。実弟・斉信が跡を継いだ。