マーラ
この記事で示されている出典について、該当する記述が具体的にその文献の何ページあるいはどの章節にあるのか、特定が求められています。 |
仏教用語 マーラ | |
---|---|
スワート渓谷で発見された、マーラのレリーフ(断片)。ガンダーラ様式。 | |
パーリ語 | Māra |
サンスクリット語 | Māra |
ビルマ語 | မာရ်နတ် |
中国語 | 天魔,魔羅 |
日本語 |
魔羅 (ローマ字: マーラ) |
朝鮮語 | 마라 |
英語 | Mara |
タミル語 | Mara |
ベトナム語 | Thiên Ma; |
マーラ(Māra)は、釈迦が悟りを開く禅定に入った時に、瞑想を妨げるために現れたとされる悪魔[1]。愛の神カーマと結び付けられ、カーマの別名またはカーママーラとして一体で概念されることがある。仏教では、このマーラの誘惑に打ち勝ち、マーラを退治することを降魔という。
経緯
[編集]煩悩の化身であるマーラにとって、釈迦が悟りを開くことは自身の破滅につながる。そこで手始めに釈迦のもとに美しく技に長けた娘たち3人を送り込むが、釈迦は数々の誘惑に屈せず、続いてマーラは恐ろしい形相の怪物たちに釈迦を襲わせるが、なぜか釈迦に近づくことはできなかった。岩石やありとあらゆる武器を降らせ、周囲を暗闇に覆っても釈迦は動じず、最後はマーラが巨大な円盤を振りかざして向かっていくが、円盤は花輪となった。こうしてマーラは敗北を認め、釈迦は悟りを開いた。
魔王マーラ・パーピーヤス(Māra Pāpīyās、天魔波旬、魔羅、天魔、悪魔などの漢訳がある)のうち、マーラの語義は「殺すもの」であるとも「死」の人称形とも言われる。パーピーヤスは「より以上悪いもの」の意であるが、仏伝には天(deva、神)であるとの記述があり、天魔と呼ばれるのはここに由来する。そのため、インドにおける肌の黒い被支配者が崇拝した神々を起源とする説もある。
摩と書かれていたのを梁の武帝蕭衍が、魔に改めたとされる[2]。
日本においては、マーラが釈迦の修行の邪魔をした故事から、修行僧たちが煩悩の象徴として男根を“魔羅(まら)”と呼ぶようになったという。現在では一般社会でも同様に隠語として使用される。
五魔
[編集]五魔(pañca mārā; パンチャ・マーラ)は以下の通り[4]。
- 五蘊魔(khandha māra; カンダ・マーラ)
- 業魔(abhisaṅkhāra māra; アビサンカーラ・マーラ)
- 死魔(maccu māra; マッチュ・マーラ)
- 天魔(devaputta māra; デーワプッタ・マーラ) - 六欲天
- 煩悩魔(kilesa māra; キレーサ・マーラ)
仏典の記載
[編集]マーラは原始聖典の阿含経『相応部』の「悪魔相応」Māra samyuttaに書かれている[5][6][7]。
三人の娘
[編集]パーリ仏典相応部4-25の魔娘経では、マーラは渇愛(Taṇhā)、不喜(Arati)、貪(Rāga)の三人娘に姿を変えて釈迦の前に現れたと記載されている[7]。娘たちは様々な方法で釈迦を誘惑するが、徒労となっている[7]。
ギャラリー
[編集]脚注
[編集]- ^ 『魔羅』 - コトバンク
- ^ 『佛教大事典』
- ^ 『広説佛教語大辞典』
- ^ アルボムッレ・スマナサーラ『般若心経は間違い?』Evolving〈スマナサーラ長老クラシックス〉、2017年、Chapt.4 無我問答。ISBN 978-4796660327。
- ^ 『新佛教辞典』
- ^ 『仏教解題事典』
- ^ a b c 古川洋平「教導者釈尊と魔」『真宗文化』第27巻、真宗文化研究所年報、2018年、16-1頁、NAID 120006503473。
参考文献
[編集]- 『新釈尊伝』渡辺照宏(1965年) など