バトル級駆逐艦

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HMS アラマダ(1942年度型)
HMS アラマダ(1942年度型)
基本情報
種別 駆逐艦
命名基準 戦闘の名
運用者  イギリス海軍
 オーストラリア海軍
 パキスタン海軍
 イラン海軍
建造数 イギリスの旗 24隻
オーストラリアの旗 2隻
前級 ウェポン級駆逐艦
次級 デアリング級駆逐艦
要目
その他 詳細は#諸元表の項目を参照
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バトル級駆逐艦 (Battle class destroyer) は、イギリス海軍オーストラリア海軍が保有していた駆逐艦の艦級。最初に1942年度防衛予算で建造されたタイプの他に、1943年度と1944年度に2種類の改良派生型の建造を認められたが、1944年度の第3グループは第二次世界大戦の終結が間近に迫ったことで、ほとんどの建造がキャンセルされた。しかし、オーストラリア海軍が発注した第3グループのうちの2隻はキャンセルされず、完成後、オーストラリア海軍に引き渡された。

設計[編集]

第二次世界大戦が開戦した年のうちに、イギリス海軍は航空機の攻撃に対抗できる駆逐艦の能力を認めると共に、航空攻撃で多数の駆逐艦を失った。1941年の臨時審理で海軍の幕僚は、連装高角砲と射撃管制機器を搭載した艦隊型駆逐艦の必要性を訴えた。これを受けて、艦橋前を広くして主砲を前方に配置し、60口径40mm機関砲8門を艦橋背後の艦中央部に設置し、これを20mm機関砲で補うというバトル級駆逐艦の基礎が構築された。また、21インチ魚雷発射管を8門と爆雷投下軌条2基と投射機4基も搭載し、艦隊型駆逐艦の体裁を整えた。さらに駆逐艦で初の採用となるスタビライザーを搭載することで波の動揺を抑制させることもでき、これは対空砲の照準を安定させることができた。

これらの設計は1941年の秋に提出され、1942年には2個小艦隊(戦隊)分にあたる16隻の発注が決定した。標準的な艦隊型駆逐艦よりも大型で、大戦で数多く失ったトライバル級駆逐艦の代わりと見られた。トライバル級よりも全長が2フィート長い379フィートあり、全幅も3フィート広い40.25フィートあった。バトル級駆逐艦はそれまで艦級名の慣例から脱却して有名な陸戦や海戦名を艦名に付けることになったが、艦名の方にアルファベット順を引き継いでいる。1942年に建造が決定されたバトル級駆逐艦は1942年度型バトル級駆逐艦、または1942年型バトル級駆逐艦とも表記する。

1943年型[編集]

HMS マタパン (1943年型)

1943年型は、船体の全幅を3インチ広げるとともに、魚雷発射管の数も5連装×2基に増強。煙突のすぐ後ろに、4.5インチ砲の単装砲塔を追加。40mm機関砲は2連装砲架×3基、単装砲架×2基(合計8門)に削減。対潜装備はスキッド対潜迫撃砲を装備した。

戦争終結とともに多くの艦の建造がキャンセルされ、実際に就役したのは8隻にとどまる。

1944年型[編集]

HMAS トブルク (1944年型)

1944年型は、船体の全幅をさらに3インチ広げたほか、前部の2連装砲塔を新型のMk.6連装砲[脚注 1]に変更したほか、煙突直後の4.5インチ単装砲塔を撤去し、40mm機関砲は2連装×3基、単装×6基(計12門)に増強。

イギリスでは実際の建造に着手する前に終戦となったため全艦の建造がキャンセルされたが、オーストラリア海軍向けに「アンザック」と「トブルク」の2隻がオーストラリア国内で建造された。

A/D改修[編集]

1960年より、イギリス海軍が保有していた1943年型バトル級駆逐艦のうち、「エジンコート」「アイシン」「バローサ」「コラナ」の4隻が、A/D艦[脚注 2]への改修を受けた[1]

A/D艦への改修を受けた艦は、船体中央部のマストを大型化したうえで、その頂部に長距離対空捜索用に965型レーダーのAEK-2型アンテナを搭載したほか、高角測定用のレーダーも追加装備した。その代償として艦首の2連装4.5インチ砲塔×2基と艦尾のスキッド対潜迫撃砲を除く兵装を全て撤去し、空いたスペースにはレーダーを運用するための発電機やレーダーオペレーター室が追加されたほか、新たに2連装のエリコン20mm機関砲×2基と、GWS-22 シーキャットミサイルの4連装発射機×1基が追加された[1]

経過[編集]

前期型は1943年後半から1945年中頃にかけて起工されたが、当時のイギリスで建造された駆逐艦と同様に武装の供給遅延に悩まされ、戦争の終結までに少数しか進水できず、全隻は必要ないことが判明した。その結果、海軍本部は1945年9月に16隻の発注をキャンセルし、すでに建造中の「モンス」「オムダルマン」「ソンム」「リバー・プレート」「セント・ルシア」「サン・ドミンゴ」「ウォータールー」は解体された。それに加えて、「アルベエラ」「ジャトランド」「ナミュール」「オーデナーデ」「イープル」「ヴィミエラ」の6隻は後日の建造に備え、保管された[脚注 3]

バトル級駆逐艦の場合は1950年に考慮する機会があったものの、「イープル」と「ヴィミエラ」がデアリング級駆逐艦に改設計されたうえで、それぞれ「ディスダイン」と「ダナエー」に改名され建造が再開されたが、それ以外の4隻は1957年から1961年にかけて廃棄された。また「ダナエー」は進水前に建造中止となり解体され、「ディスダイン」のみが「デライト英語版」に改名[脚注 4]したうえで就役した。

諸元表[編集]

 イギリス海軍  オーストラリア海軍
※1944年型[2][3]
1942年型 1943年型
就役当初 A/D改修艦[1]
基準排水量 2,315トン 2,480トン 不明 2,436トン
満載排水量 3,290トン 3,430トン 3,450トン
全長 379 フィート (116 m)
全幅 40.25 フィート (12.27 m) 40.50 フィート (12.34 m) 41.00 フィート (12.50 m)
喫水 常備時:12.75 フィート (3.89 m)
満載時:15.3 フィート (4.7 m)
ボイラー アドミラルティ型三胴式水管ボイラー×2基
(400 psi (28 kgf/cm²), 370℃)
主機関 パーソンズ・ギヤード蒸気タービン×2基
出力 50,000 shp
(37 MW)
推進器 スクリュープロペラ×2軸
最大速力 34.00 ノット (62.97 km/h) 35.75 ノット (66.21 km/h) 35 ノット (65 km/h)
乗組員 平時:247名
戦時:308名
平時:232名
戦時:268名
268名 アンザック:320名[脚注 5]
トブルク:290名
兵装 QF 4.5インチ (11.43 cm) Mk.III 艦砲×4門
BD Mk.IV 2連装砲塔×2基
QF 4.5インチ Mk.V 艦砲×4門
UD Mk.VI 2連装砲塔×2基
QF 4インチ Mk.V 単装高角砲×1門[脚注 6] QF 4.5インチ Mk.V 艦砲×1門
単装砲塔×1基
GWS-22 シーキャットPDMS 4連装発射機×1基
ボフォース 40 mm 連装機関砲
Hazemeyer Mk.IV砲座×4基
ボフォース 40 mm 連装機関砲
STAAG Mk.II砲座×2基
ボフォース 40 mm 連装機関砲
STAAG Mk.II砲座×3基
ボフォース 40 mm 連装機関砲
utility Mk.V砲座×1基
ボフォース 40 mm 単装機関砲
Mk.VII砲座×4-6基
ボフォース 40 mm 単装機関砲
Mk.VII砲座×2基
エリコン 20mm 連装機関砲×1基 ボフォース 40 mm 単装機関砲
Mk.VII砲座×6基
21 インチ (530 mm) 4連装魚雷発射管×2基 21 インチ (530 mm) 5連装魚雷発射管×2基 無し 21 インチ (530 mm) 5連装魚雷発射管×2基
爆雷投下軌条×2基
爆雷投射機×4基
スキッド対潜迫撃砲×1基に後日換装
スキッド対潜迫撃砲×1基
レーダー 不明 293型 対水上捜索/低空警戒 不明
965型 対空捜索
AEK-2型アンテナ
287型/978型 高角測定用
ソナー 174型/177型 中距離捜索
170型 攻撃用

同型艦[編集]

艦名 # 艦名の由来 起工 進水 就役 退役 その後
前期型(1942年発注)
アラマダ
(HMS Armada)
D14 アルマダの海戦 1942年12月29日 1943年12月9日 1945年7月2日 1960年 1965年、スクラップとして解体
バーフラー
(HMS Barfleur)
D80 バルフルール岬の海戦 1942年10月28日 1943年9月14日 1944年9月14日 1958年 1966年、スクラップとして解体
カディス
(HMS Cadiz)
D79 カディスの戦い英語版 1943年5月10日 1944年9月16日 1946年4月12日 1953年 1956年、パキスタン海軍へ譲渡されカイバル(PNS Khaibar)と改名。第三次印パ戦争中の1971年12月4日、インド海軍ミサイル艇に撃沈される。
キャンパーダウン
(HMS Camperdown)
D32 キャンパーダウンの海戦 1942年10月30日 1944年2月8日 1945年6月18日 1970年、スクラップとして解体
フィニステル
(HMS Finisterre)
D55 フィニステレ岬の海戦 n/a 1944年6月22日 1945年9月11日 1965年 1967年、スクラップとして解体
ギャバード
(HMS Gabbard)
D47 ギャバード沖の海戦英語版 1944年2月2日 1945年3月16日 1946年12月10日 1953年 1957年、パキスタン海軍に譲渡されバドル(PNS Badr)に改名。1971年の第三次印パ戦争において大破、後に退役。
グラヴェリンズ
(HMS Gravelines)
D24 グラヴリンヌ沖海戦 1943年8月10日 1944年11月20日 1946年6月14日 1961年、スクラップとして解体
ホーグ
(HMS Hogue)
D74 ラ・オーグの海戦 1943年1月6日 1944年4月21日 1945年7月24日 1959年、インド海軍軽巡洋艦「マイソール」と衝突事故を起こす。重大な損傷を負いシンガポールに係留。1962年にスクラップとして解体。
ラゴス
(HMS Lagos)
D44 ラゴスの海戦 1943年8月8日 1944年8月4日 1945年11月2日 1960年 1967年、スクラップとして解体
セントジェームズ
(HMS St. James)
D65 聖ジェームズの日の海戦英語版 1943年5月20日 1945年6月7日 1946年7月12日 1961年、スクラップとして解体
セントキッツ
(HMS St. Kitts)
D18 セントキッツの海戦英語版 1943年9月8日 1944年10月4日 1946年1月21日 1957年 1962年2月19日、スクラップとして売却。
セインツ
(HMS Saintes)
D84 セインツの海戦 1943年6月8日 1944年7月19日 1946年9月27日 1962年5月 1972年、スクラップとして解体
スルイス
(HMS Sluys)
D60 スロイスの海戦 1943年11月24日 1945年2月28日 1946年9月30日 1953年 1967年1月26日、イラン海軍に譲渡されアルテミス(Artemiz)に改名。1990年より非稼働状態と言われる。
ソルベイ
(HMS Solebay)
D70 ソールベイの海戦 1943年2月3日 1944年2月22日 1945年9月25日 1962年4月 1967年、スクラップとして売却
トラファルガー
(HMS Trafalgar)
D77 トラファルガーの海戦 1943年 1944年1月12日 1945年7月23日 1963年 1971年、スクラップとして解体
ヴィゴ
(HMS Vigo)
D31 ビーゴ湾の海戦 1943年9月11日 1945年9月27日 1946年11月9日 1959年10月1日 1964年、スクラップとして解体
後期型(1943年発注:完成艦のみ)
エジンコート
(HMS Agincourt)
D86 アジャンクールの戦い 1943年12月12日 1945年1月29日 1947年6月25日 1972年 1974年、スクラップとして解体
アイシン
(HMS Aisne)
D22 アイシンの戦い英語版 1943年8月26日 1945年5月12日 1947年3月20日 1968年 1970年、スクラップとして解体
アラメイン
(HMS Alamein)
D17 エル・アラメインの戦い 1944年3月1日 1945年5月12日 1947年3月20日 1959年 1964年、スクラップとして解体
バローサ
(HMS Barrosa)
D68 バロッサの戦い英語版 1943年12月28日 1945年1月17日 1947年2月14日 1968年 1978年、スクラップとして解体。
コラナ
(HMS Corunna)
D97 コルーニャの戦い英語版 1944年4月12日 1945年5月29日 1947年6月6日 1967年 1975年、スクラップとして解体
ダンカーク
(HMS Dunkirk)
D09 ダンケルクの戦い
(ダイナモ作戦)
1944年7月19日 1945年8月27日 1946年11月27日 1963年 1965年、スクラップとして解体
ジャトランド
(HMS Jutland)
[脚注 7]
D62 ユトランド沖海戦
[脚注 8]
1945年 1946年2月20日 1947年7月30日 1965年、スクラップとして解体
マタパン
(HMS Matapan)
D43 マタパン岬沖海戦 1943年3月11日 1945年4月30日 1947年9月5日 1977年 1979年、スクラップとして解体
オーストラリア海軍向け(1944年発注:完成艦のみ)
アンザック
(HMAS Anzac)
D59 オーストラリア・ニュージーランド軍団 1946年9月23日 1948年8月20日 1951年3月14日 1974年10月4日 1966年12月から1967年3月にかけて、練習艦に改装。
1975年11月24日、スクラップとして売却[2]
トブルク
(HMAS Tobruk)
D37 トブルク包囲戦 1946年8月5日 1947年12月20日 1950年5月8日 1960年10月20日 1972年、スクラップとして売却[3]

脚注[編集]

  1. ^ デアリング級駆逐艦やカウンティ級駆逐艦、ホイットビィ級/ロスシー級/リアンダー級フリゲート等と同型
  2. ^ 航空管制(Aircraft Detection)の略称。英海軍におけるレーダーピケット艦の呼称。
  3. ^ この方針は巡洋艦や航空母艦などにも採用され、戦後14年経ってから完成した艦もあった。
  4. ^ 「ダナエー」と同様に建造中止とされたデアリング級駆逐艦の艦名を襲名した。
  5. ^ ※練習艦に改修後は、乗員169名 + 訓練生109名
  6. ^ ※最初の6隻のみ装備。後日撤去
  7. ^ 建造当初の艦名はマルプラケット(HMS Malplaquet)
  8. ^ 建造当初の艦名は、マルプラケの戦いに由来

参考資料[編集]

  • D.K.Brown - Nelson to Vanguard 2000, Chatham Publishing
  • Conway's All The world's fighting ships 1947-1995
  • G.Moore, The 'Battle' Class destroyers in Warship 2002-2003 Conway's Maritime Press
  • M Critchley, British Warships Since 1945, Part 3, Destroyers
  • L Marriott, Royal Navy Destroyers Since 1945
  1. ^ a b c Sandy McClearn (2003年). “BATTLE Class radar picket destroyer” (英語). 2017年2月16日閲覧。
  2. ^ a b Royal Australian Navy - HMAS Anzac (II)
  3. ^ a b Royal Australian Navy - HMAS Tobruk (I)

外部リンク[編集]