バトル級駆逐艦

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バトル級駆逐艦
「アラマダ」(1942年度型)
「アラマダ」(1942年度型)
基本情報
種別 駆逐艦
命名基準 戦闘の名
運用者  イギリス海軍
 オーストラリア海軍
 パキスタン海軍
 イラン海軍
建造数 イギリスの旗 24隻
オーストラリアの旗 2隻
前級 Cr級
次級 ウェポン級
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バトル級駆逐艦英語: Battle class destroyer)は、イギリス海軍が運用していた駆逐艦の艦級。1942年度計画による前期型と1943年度計画による後期型にわけられる。ただし当初予定されていた大量建造は、第二次世界大戦の終結により実現しなかった。またオーストラリア海軍も準同型艦2隻を建造した[1][2][3]

来歴[編集]

戦間期のイギリス海軍は、駆逐艦の艦砲を対空・対水上の両用砲とした場合、砲塔機構が複雑化して機力補助が必須となり、また重心上昇から復原性低下にもつながることを懸念しており、爆撃機は駆逐艦よりも戦艦などの高価値目標に集中するものと想定していたこともあって、駆逐艦への両用砲の搭載には消極的であった。しかし第二次世界大戦劈頭のノルウェーおよびダンケルク撤退作戦での戦訓から、この想定の誤りが明らかになり、両用砲の搭載が模索されることとなった[1]

1940年、この要請に対して、海軍装備部長はまず既存の艦砲の最大仰角を55度に増すことで対応し、第5次戦時急造艦隊(S級)より装備化された。しかしこれはあくまで彌縫策に過ぎず、急降下爆撃機に対抗するには少なくとも更に20度の仰角増大が必要であった。陸軍の高射砲は最大仰角85度に対応していたことから、この砲架も試験されたものの、動揺する艦上での操砲困難が指摘され、断念された[1]

1940年10月21日、戦術・幕僚業務課長(Director of Tactical and Staff Duties Division, DTSD)は、今後駆逐艦に搭載する長射程砲は全て両用砲とすべきである、と表明した。DTSDの構想では、この種の大仰角砲2基とともに、40mm機銃2基および20mm機銃4基が予定されていた。1942年度計画駆逐艦の検討にあたり、1941年4月9日に第三海軍卿補(Deputy Controller)が主宰した会議において、この問題が議論されることとなった[1]

6月22日には3つの設計案が作成された。このうち造艦局長(DNC)が作成した連装砲3基搭載の案が採択されたが、DNCは4.5インチ連装砲3基として試算していたのに対し、検討の過程で4.7インチ連装砲2基に変更され、10月9日には幕僚要求事項が認可された。しかしその後も検討が重ねられており、まず実戦部隊からの要望によって、前方火力強化のため艦砲が艦首側に集中配備されることとなった。また1942年2月の決定により、同年度以降の艦では4.5インチ砲を搭載することとされたことから、本級の搭載砲も4.5インチ連装砲に変更された。ただし搭載数は2基のままとされた。これに基いて建造されたのが本級であり、まず1942年度計画で16隻が建造された。また1943年度計画での建造艦についても抜本的な検討が重ねられたが、結局本級を元に装備を改正した後期型となり、24隻の建造を予定したが、第二次世界大戦の終結によって8隻のみが竣工した[1]

ただし本級はあまりに大きく高価であり、艦隊駆逐艦を全て本級とすることは不可能だった。このため、海軍はハイ・ロー・ミックス運用を採択し、1942年度計画では、本級とともにCh・Co・Cr級が、また1943年度計画では、戦時急造駆逐艦と同規模の中間的駆逐艦としてウェポン級が建造された[1]

設計[編集]

戦時急造駆逐艦は、特にQ級以降は基本設計をほとんど変更せず、基準排水量1,700トン級、全長110メートル級という基本諸元も連綿と踏襲されてきていた。これに対し本級は、大重量の両用砲を搭載する必要から、一気に基準排水量2,300トン級、全長115メートルと大型化した。また上記の経緯より、実戦部隊からの要望を受けて、前方火力強化のため艦砲を艦首側に集中配備するため、船首楼を延長して艦橋構造物を後方に移動し、印象的な艦容となった[3]。当初計画では、対空射撃の安定性の観点からフィンスタビライザーの装備が予定されていたが、艦内容積の有効活用のため、「カンパーダウン」「フィニステル」の2隻以外では省かれることとなった[1]

艦型の拡大に対応して、50,000馬力の出力が求められたことから、機関部はL級の発展型とされた[1]。蒸気温度は700 °F (371 °C)、圧力は400 psi (28 kgf/cm²)と、一躍高温高圧化が図られている。ただしボイラーはアドミラルティ式3胴型水管ボイラー、タービンはパーソンズ式オール・ギヤード・タービンという基本構成は踏襲され、ボイラー2缶の方針も堅持された[4]

なお後期型では、缶室と機械室のシフト配置化も検討されていた。これは1941年にアメリカ海軍キアニー」が被雷した際に優れた生残性を示したことに触発されたものであったが、設計を大規模に変更することによる不確定要素を避けるために見送られ、同年度のウェポン級以降の採用となった[1]

装備[編集]

センサー[編集]

レーダーは戦時急造駆逐艦と同様、早期警戒用の291型と目標捕捉用の293型の組み合わせが原則とされた。ただし293型のみでも十分な対空捜索能力を備えていた上に、ドイツ軍のレーダーが291型と同じ周波数を使っており、逆探知される恐れが指摘されたことから、1945年1月、293型を搭載している艦には291型を搭載しないよう勧告がなされた[1]

本級では、Ch級以降の戦時急造駆逐艦と同様に、レーダーを含む目標情報を集中処理する区画としてのAIO(Action Information Organisation)、293型など目標捕捉レーダーの情報を射撃指揮に直接活用するためのTIU-2(Target Indication Unit)の専用区画であるTIR、通信・通信傍受情報を処理するQD区画と、これら全ての情報システムを実装している[1]

武器システム[編集]

「マタパン」 (1943年型)
「トブルク」(豪海軍仕様)

艦砲としては、前期型では45口径11.4cm砲(QF 4.5インチ砲Mk.III)を連装のRP.10 Mk.IV砲架と組み合わせて搭載した。これは最大仰角80度と、イギリス駆逐艦の搭載砲としては初の完全な両用砲であった。また後期型では砲架をRP.10 Mk.IV*に改正した。これらはいずれも遠隔機力操縦remote power control, RPC)の導入が図られており、方位盤からの砲架の遠隔操縦に対応した[5]。また軽量なMk.VI砲架の完成に伴い、1943年度艦の後期建造分ではこちらに換装する予定であったが、これらの艦は建造自体が中止されたため、実現しなかった。ただしオーストラリア海軍向けの建造分ではこちらが採用されている[1]

方位盤としては、前期型ではCr級で装備化されたMk.VI両用方位盤(275型レーダー装備)が搭載された。ただし本級では、新型のフライプレーン照準算定機が搭載されている。また後期型では、従来からイギリス側が熱望していたアメリカ製のMk.37方位盤が搭載されている[1]

これらの両用砲に加えて、前期型では夜戦時の星弾用として、煙突後方に高角・平射両用の40口径10.2cm単装砲(QF 4インチ砲Mk.XIX)を搭載することとされていたが、実際には「アルマダ」「バーフルーア」「カンパーダウン」「ホーグ」「トラファルガー」の5隻でのみ搭載されており、後に56口径40mm単装機銃2基に換装された。また後期型ではこれを45口径11.4cm砲(QF 4.5インチ砲Mk.IV)と単装平射砲であるRP.50 Mk.V*砲架の組み合わせに変更し、対水上火力の強化を図った[1][5]

近距離用の対空兵器としては、S級以降標準となったヘイズメイヤー式のFCS連動56口径40mm連装機銃が採用された。ただし従来の駆逐艦では船体軸線上に1基のみの搭載であったのに対し、本級前期型では、艦砲を船首楼側に集中配置し、中部・後部甲板に広大なスペースが確保されたことから、ここに4基という多数を搭載した。また後期型では、新開発のSTAAG(Stabilized Tachymetric Anti-Aircraft Gun)式56口径40mm連装機銃3基に変更されたが、生産遅延のため、当初はSTAAG 2基とMk.V 1基の構成となっていた。この他、これらを補完して、70口径20mm連装機銃と同単装機銃2基ずつが搭載されていたが、近接防空火力強化の要請から、後に39口径40mm単装機銃(2ポンド・ポンポン砲)に換装した[1]

対艦兵器は、1927年度のA級以降のイギリス駆逐艦では21インチ4連装魚雷発射管2基が基本とされてきた。1935年度のI級から37年度のK級で一時期5連装2基に増備されたものの、戦時急造駆逐艦では再び4連装2基に差し戻されており、前期バトル級でも踏襲された。しかしツェルベルス作戦においてドイツ海軍の戦艦「シャルンホルスト」のドーバー海峡突破を許したことへの反省や、太平洋戦域での戦訓から雷装強化が要請されるようになった。大日本帝国海軍の駆逐艦「島風」が5連装発射管を搭載していたことも踏まえて、後期バトル級では5連装発射管2基に増備されることとなった。当初は発射管の機力稼働化も検討されたものの、重量マージンの問題から実現しなかった[1]

A/D改修[編集]

1960年より、イギリス海軍が保有していた1943年型バトル級駆逐艦のうち、「エジンコート」「アイシン」「バローサ」「コラナ」の4隻が、A/D艦[脚注 1]への改修を受けた[6]

A/D艦への改修を受けた艦は、船体中央部のマストを大型化したうえで、その頂部に長距離対空捜索用に965型レーダーのAEK-2型アンテナを搭載したほか、高角測定用のレーダーも追加装備した。その代償として艦首の2連装4.5インチ砲塔×2基と艦尾のスキッド対潜迫撃砲を除く兵装を全て撤去し、空いたスペースにはレーダーを運用するための発電機やレーダーオペレーター室が追加されたほか、新たに2連装のエリコン20mm機関砲×2基と、GWS-22 シーキャットミサイルの4連装発射機×1基が追加された[6]

経過[編集]

前期型は1943年後半から1945年中頃にかけて起工されたが、当時のイギリスで建造された駆逐艦と同様に武装の供給遅延に悩まされ、戦争の終結までに少数しか進水できず、全隻は必要ないことが判明した。その結果、海軍本部は1945年9月に16隻の発注をキャンセルし、すでに建造中の「モンス」「オムダルマン」「ソンム」「リバー・プレート」「セント・ルシア」「サン・ドミンゴ」「ウォータールー」は解体された。それに加えて、「アルベエラ」「ジャトランド」「ナミュール」「オーデナーデ」「イープル」「ヴィミエラ」の6隻は後日の建造に備え、保管された[脚注 2]

バトル級駆逐艦の場合は1950年に考慮する機会があったものの、「イープル」と「ヴィミエラ」がデアリング級駆逐艦に改設計されたうえで、それぞれ「ディスダイン」と「ダナエー」に改名され建造が再開されたが、それ以外の4隻は1957年から1961年にかけて廃棄された。また「ダナエー」は進水前に建造中止となり解体され、「ディスダイン」のみが「デライト英語版」に改名[脚注 3]したうえで就役した。

諸元表[編集]

 イギリス海軍  オーストラリア海軍[7][8]
1942年型 1943年型
就役当初 A/D改修艦[6]
基準排水量 2,315トン 2,480トン 不明 2,436トン
満載排水量 3,290トン 3,430トン 3,450トン
全長 379 フィート (116 m)
全幅 40.25 フィート (12.27 m) 40.50 フィート (12.34 m) 41.00 フィート (12.50 m)
喫水 常備時:12.75 フィート (3.89 m)
満載時:15.3 フィート (4.7 m)
ボイラー アドミラルティ型三胴式水管ボイラー×2基
(400 psi (28 kgf/cm²), 370℃)
主機関 パーソンズ・ギヤード蒸気タービン×2基
出力 50,000 shp
(37 MW)
推進器 スクリュープロペラ×2軸
最大速力 34.00 ノット (62.97 km/h) 35.75 ノット (66.21 km/h) 35 ノット (65 km/h)
乗組員 平時:247名
戦時:308名
平時:232名
戦時:268名
268名 アンザック:320名[脚注 4]
トブルク:290名
兵装 45口径11.4cm砲(QF 4.5インチ砲Mk.III)×4門
連装砲塔Mk.IV×2基
45口径11.4cm砲
(QF 4.5インチ砲Mk.V)×4門
連装砲塔Mk.VI×2基
40口径10.2cm単装高角砲
QF 4インチ砲Mk.XIX)×1基[脚注 5]
45口径11.4cm単装砲(QF 4.5インチ砲Mk.V)×1基 GWS-22 シーキャットPDMS
4連装発射機×1基
56口径40mm連装機銃
ヘイズメイヤーMk.IV砲座×4基
56口径40mm連装機銃
STAAG Mk.II砲座×2基
56口径40mm連装機銃
STAAG Mk.II砲座×3基
56口径40mm連装機銃
utility Mk.V砲座×1基
56口径40mm単装機銃
Mk.VII砲座×4-6基
56口径40mm単装機銃
Mk.VII砲座×2基
70口径20mm連装機銃×1基 56口径40mm単装機銃
Mk.VII砲座×6基
533mm 4連装魚雷発射管×2基 533mm 5連装魚雷発射管×2基 無し 533mm 5連装魚雷発射管×2基
爆雷投下軌条×2基
爆雷投射機×4基
スキッド対潜迫撃砲×1基に後日換装
スキッド対潜迫撃砲×1基
レーダー 291型 早期警戒用 965型 早期警戒用
(AEK-2型アンテナ)
n/a
293型 目標捕捉用
287型/978型 高角測定用
ソナー 144型 捜索用 174型/177型 捜索用
147型 攻撃用 170型 攻撃用

同型艦[編集]

艦名 # 艦名の由来 起工 進水 就役 退役 その後
前期型(1942年発注)
アラマダ
(HMS Armada)
D14 アルマダの海戦 1942年12月29日 1943年12月9日 1945年7月2日 1960年 1965年、スクラップとして解体
バーフラー
(HMS Barfleur)
D80 バルフルール岬の海戦 1942年10月28日 1943年9月14日 1944年9月14日 1958年 1966年、スクラップとして解体
カディス
(HMS Cadiz)
D79 カディスの戦い英語版 1943年5月10日 1944年9月16日 1946年4月12日 1953年 1956年、パキスタン海軍へ譲渡されカイバル(PNS Khaibar)と改名。第三次印パ戦争中の1971年12月4日、インド海軍ミサイル艇に撃沈される。
キャンパーダウン
(HMS Camperdown)
D32 キャンパーダウンの海戦 1942年10月30日 1944年2月8日 1945年6月18日 1970年、スクラップとして解体
フィニステル
(HMS Finisterre)
D55 フィニステレ岬の海戦 n/a 1944年6月22日 1945年9月11日 1965年 1967年、スクラップとして解体
ギャバード
(HMS Gabbard)
D47 ギャバード沖の海戦英語版 1944年2月2日 1945年3月16日 1946年12月10日 1953年 1957年、パキスタン海軍に譲渡されバドル(PNS Badr)に改名。1971年の第三次印パ戦争において大破、後に退役。
グラヴェリンズ
(HMS Gravelines)
D24 グラヴリンヌ沖海戦 1943年8月10日 1944年11月20日 1946年6月14日 1961年、スクラップとして解体
ホーグ
(HMS Hogue)
D74 ラ・オーグの海戦 1943年1月6日 1944年4月21日 1945年7月24日 1959年、インド海軍軽巡洋艦「マイソール」と衝突事故を起こす。重大な損傷を負いシンガポールに係留。1962年にスクラップとして解体。
ラゴス
(HMS Lagos)
D44 ラゴスの海戦 1943年8月8日 1944年8月4日 1945年11月2日 1960年 1967年、スクラップとして解体
セントジェームズ
(HMS St. James)
D65 聖ジェームズの日の海戦英語版 1943年5月20日 1945年6月7日 1946年7月12日 1961年、スクラップとして解体
セントキッツ
(HMS St. Kitts)
D18 セントキッツの海戦英語版 1943年9月8日 1944年10月4日 1946年1月21日 1957年 1962年2月19日、スクラップとして売却。
セインツ
(HMS Saintes)
D84 セインツの海戦 1943年6月8日 1944年7月19日 1946年9月27日 1962年5月 1972年、スクラップとして解体
スルイス
(HMS Sluys)
D60 スロイスの海戦 1943年11月24日 1945年2月28日 1946年9月30日 1953年 1967年1月26日、イラン海軍に譲渡されアルテミス(Artemiz)に改名。1990年より非稼働状態と言われる。
ソルベイ
(HMS Solebay)
D70 ソールベイの海戦 1943年2月3日 1944年2月22日 1945年9月25日 1962年4月 1967年、スクラップとして売却
トラファルガー
(HMS Trafalgar)
D77 トラファルガーの海戦 1943年 1944年1月12日 1945年7月23日 1963年 1971年、スクラップとして解体
ヴィゴ
(HMS Vigo)
D31 ビーゴ湾の海戦 1943年9月11日 1945年9月27日 1946年11月9日 1959年10月1日 1964年、スクラップとして解体
後期型(1943年発注:完成艦のみ)
エジンコート
(HMS Agincourt)
D86 アジャンクールの戦い 1943年12月12日 1945年1月29日 1947年6月25日 1972年 1974年、スクラップとして解体
アイシン
(HMS Aisne)
D22 アイシンの戦い英語版 1943年8月26日 1945年5月12日 1947年3月20日 1968年 1970年、スクラップとして解体
アラメイン
(HMS Alamein)
D17 エル・アラメインの戦い 1944年3月1日 1945年5月12日 1947年3月20日 1959年 1964年、スクラップとして解体
バローサ
(HMS Barrosa)
D68 バロッサの戦い英語版 1943年12月28日 1945年1月17日 1947年2月14日 1968年 1978年、スクラップとして解体。
コラナ
(HMS Corunna)
D97 コルーニャの戦い英語版 1944年4月12日 1945年5月29日 1947年6月6日 1967年 1975年、スクラップとして解体
ダンカーク
(HMS Dunkirk)
D09 ダンケルクの戦い
(ダイナモ作戦)
1944年7月19日 1945年8月27日 1946年11月27日 1963年 1965年、スクラップとして解体
ジャトランド
(HMS Jutland)
[脚注 6]
D62 ユトランド沖海戦
[脚注 7]
1945年 1946年2月20日 1947年7月30日 1965年、スクラップとして解体
マタパン
(HMS Matapan)
D43 マタパン岬沖海戦 1943年3月11日 1945年4月30日 1947年9月5日 1977年 1979年、スクラップとして解体
オーストラリア海軍向け(1944年発注:完成艦のみ)
アンザック
(HMAS Anzac)
D59 オーストラリア・ニュージーランド軍団 1946年9月23日 1948年8月20日 1951年3月14日 1974年10月4日 1966年12月から1967年3月にかけて、練習艦に改装。
1975年11月24日、スクラップとして売却[7]
トブルク
(HMAS Tobruk)
D37 トブルク包囲戦 1946年8月5日 1947年12月20日 1950年5月8日 1960年10月20日 1972年、スクラップとして売却[8]

脚注[編集]

  1. ^ 航空管制(Aircraft Detection)の略称。英海軍におけるレーダーピケット艦の呼称。
  2. ^ この方針は巡洋艦や航空母艦などにも採用され、戦後14年経ってから完成した艦もあった。
  3. ^ 「ダナエー」と同様に建造中止とされたデアリング級駆逐艦の艦名を襲名した。
  4. ^ ※練習艦に改修後は、乗員169名 + 訓練生109名
  5. ^ ※最初の5隻のみ装備。後日撤去
  6. ^ 建造当初の艦名はマルプラケット(HMS Malplaquet)
  7. ^ 建造当初の艦名は、マルプラケの戦いに由来

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p Friedman 2012
  2. ^ Gardiner 1980, pp. 42-43
  3. ^ a b 中川 1994, pp. 112-115
  4. ^ 阿部 1994
  5. ^ a b Campbell 1986, pp. 52-55
  6. ^ a b c Sandy McClearn (2003年). “BATTLE Class radar picket destroyer” (英語). 2017年2月16日閲覧。
  7. ^ a b Royal Australian Navy - HMAS Anzac (II)
  8. ^ a b Royal Australian Navy - HMAS Tobruk (I)

参考文献[編集]

外部リンク[編集]