ツェルベルス作戦

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ツェルベルス作戦の航跡図

ツェルベルス作戦ドイツ語:Unternehmen Cerberus)とは、第二次世界大戦中の1942年2月にフランスブレスト港にいたドイツ巡洋戦艦シャルンホルストグナイゼナウ重巡洋艦プリンツ・オイゲンなどが、フランスの基地にいるドイツ空軍の航空支援を受けドーバー海峡を通ってドイツ本国への帰還に成功した作戦を指す。ツェルベルスとはドイツ語でギリシャ神話における地獄の番犬ケルベロスを意味する。イギリス海峡 (English Channel) をダッシュしたことから英語チャンネルダッシュ (Channel Dash) とも呼ばれる。

概要[編集]

計画[編集]

ブレスト軍港でイギリス空軍の空襲を受ける「シャルンホルスト」と「グナイゼナウ」)(1941年
ブレスト軍港で入渠中の「グナイゼナウ」)(1941年)

ドイツ占領下のフランスのブレストには通商破壊作戦(ベルリン作戦)を終えたシャルンホルスト、グナイゼナウとライン演習作戦戦艦ビスマルクと共に出撃したプリンツ・オイゲンが在泊していた。しかし、ブレストはイギリス軍の空襲を繰り返し受けていたことから、ヒトラーはこれらの艦のノルウェーへの配置を命じた。

しかし、ブレストからノルウェーへの最短航路であるドーバー海峡を通過して帰還することは、最も狭い箇所で約40キロという狭い幅、つまりイギリス本土の真横を通過することになり、艦船や航空機による攻撃ばかりか、地上からの砲撃すら受ける可能性が高かった。さらに座礁や触雷(イギリス軍の機雷のみならず、かつて自軍がばらまいた機雷によるもの)の危険も高かった。

これに対して、イギリス本土を迂回して大西洋を通過して戻ることは航空機による護衛を受けることができないばかりか、イギリス海軍のみならずアメリカ海軍による攻撃を受ける可能性が危険を伴うだけでなく、ドーバー海峡を通過する数倍の距離があった。

これに対して、かつて敵国が通過したことがなかったドーバー海峡をドイツ軍の艦艇が通過することでイギリスの鼻をあかすことを目的に、ヒトラーはイギリス海峡を突破して本国へ帰還することを指示し、ここにツェルベルス作戦が実行されることになった。

実行[編集]

1942年2月11日夜、オットー・チリアクス中将が率いるシャルンホルスト、グナイゼナウ、プリンツ・オイゲンおよび駆逐艦6隻は約20機のドイツ空軍戦闘機の護衛を受けつつブレストを出港した。イギリス海軍の偵察機がこれを間もなく察知したものの、無線不使用の通達を守ったために、基地に帰還するまで約2時間このことを伝えることができないまま時間を無駄にすることになった。

12日10時42分、偵察機の報告を受けて基地を飛び立ったイギリス空軍のスピットファイアがようやく艦隊を発見し、さらに高速魚雷艇5隻が攻撃を試みるも失敗した。12時45分、ソードフィッシュ6機が攻撃を行ったが、護衛の戦闘機と艦船による対空砲火で全滅し艦隊に損害を与えることはできなかった。

14時31分、海峡を通過したところでシャルンホルストがイギリス海軍の敷設した機雷に触雷した。シャルンホルストは応急修理の後30分後に航行を再開した。ドイツ艦隊の海峡通過後からイギリス空軍の爆撃機が攻撃を開始したが、損害は与えられなかった。その後19時55分にグナイゼナウが触雷、21時34分にはシャルンホルストが再度触雷するも3隻とも無事にドイツ本国にたどり着くことができた。

英仏海峡を白昼堂々突破されたことで、ヒトラーの思惑通りにイギリス海軍には轟々たる非難の声が殺到し、海軍は真相隠蔽に狂奔、数少ない攻撃隊の数少ない生存者に勲章をばらまいてお茶を濁した。しかし、突破しノルウェーを経由してキールに到着したドイツ艦隊は狭い水域に封じ込められた事になり、スカパフローのイギリス海軍本国艦隊に動きを遮断され、連合軍の制海権を脅かすものではなかった[1]。結局、ドイツ海軍は戦術的にかろうじて成功したが、戦略的には完敗した。

その後[編集]

その後、この3艦はブレストがキールに変わっただけで相変わらず空襲を受け続け、まずグナイゼナウが1942年2月26日に空襲を受けて大破、結局廃艦となった。シャルンホルストはキールからさらにノルウェーに避退したが、1943年12月26日北岬沖海戦で撃沈された。プリンツ・オイゲンは同じくノルウェーに避退したが潜水艦雷撃されて中破。本国回航と修理に成功し以後バルト海にて対地支援に従事する。終戦を迎え、連合国軍に引き渡された後にビキニ原爆実験の標的艦となり、実験後曳航中に沈没した。

文献[編集]

  • John Deane Potter (Non-fictions): 『高速戦艦脱出せよ』、内藤 一郎訳、早川書房、1990年、ISBN 4-15-050002-9

脚注[編集]

  1. ^ 「Engineers of Victory」Paul Kennedy p42