野村万蔵 (7世)

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のむら まん
野村 萬
本名 野村 太良(のむら たろう)
別名義 四世 野村 万之丞
(よんせい のむら まんのじょう)
七世 野村 万蔵
(しちせい のむら まんぞう)
生年月日 (1930-01-10) 1930年1月10日(94歳)
出生地 日本の旗 東京府東京市
国籍 日本の旗 日本
民族 大和民族
職業 能楽師
ジャンル 能楽
著名な家族 初世野村萬斎祖父
六世野村万蔵
七世三宅庄市叔父
二世野村万作
野村四郎(弟)
野村万之介(弟)
和泉元秀従弟
三宅右近(従弟)
八世野村万蔵長男
九世野村万蔵二男
二世野村萬斎
野村万禄(甥)
十世三宅藤九郎従姪
和泉元彌従甥
公式サイト 萬狂言
主な作品

テレビドラマ

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野村 萬(のむら まん、1930年昭和5年)1月10日 - )は、日本狂言和泉流能楽師公益社団法人日本芸能実演家団体協議会会長、公益社団法人能楽協会理事長日本芸術院会員本名野村 太良(のむら たろう)。旧名に四世 野村 万之丞(よんせい のむら まんのじょう)、七世 野村 万蔵(しちせい のむら まんぞう)。

来歴

狂言方能楽師として

六世野村万蔵長男として東京府に生まれる。太平洋戦争後、である二世野村万作とともに狂言のみならず現代演劇前衛演劇に出演するほか、『おしん』や『翔ぶが如く』などテレビドラマにも出演した。その一方で、小学校ホールでの公演も重ね、狂言の一般的普及に大きく貢献した。現在も多くの舞台で活躍し、後進の育成にも力を注いでいる。

1950年以来、長らく四世野村万之丞を名乗っていたが、1993年に七世野村万蔵を襲名した[1]2000年に初世野村萬を襲名する[1]2012年皇太子徳仁親王秋篠宮文仁親王黒田清子らの企画美智子皇后喜寿を祝う夕食会が催された際には、東宮御所にて皇族らの前で『蝸牛』を披露した[2]

その他の公的活動

日本のさまざまな芸能実演家団体を束ねる日本芸能実演家団体協議会にて会長を務めており[1][3]、在任中に公益社団法人への移行を果たした。また、日本の能楽師が加盟する能楽協会理事長も務めており[4]、こちらも同様に公益社団法人化を果たした。

顕彰

1997年重要無形文化財の各個認定(いわゆる人間国宝)を受ける[1]。また、日本芸術院会員に選出されており[5]文化功労者の栄誉が贈られている。そのほか、東京都名誉都民称号を贈られている。

家族・親族

子に八世野村万蔵(五世野村万之丞)、九世野村万蔵(二世野村与十郎)。弟に野村万作野村四郎野村万之介。縁戚関係にある著名人は多数いるが、ここでは民法上の親族に該当する者のみ列挙する。

略歴

出演

テレビドラマ

脚注

註釈

  1. ^ 狂言能楽師ではなく、シテ方能楽師である。
  2. ^ a b 日本能楽会会員ではなく総合認定の対象ではないため、重要無形文化財能楽」の技能保持者(狂言能楽師)ではない。

出典

  1. ^ a b c d 「野村萬(のむらまん)」『一門紹介 | 野万蔵家 | 萬狂言』萬狂言。
  2. ^ 「皇后さま喜寿祝う夕食会――40人出席」『朝日新聞デジタル:皇后さま喜寿祝う夕食会 40人出席 - 社会朝日新聞社2012年9月23日
  3. ^ 役員2012年5月
  4. ^ 「理事」『公益社団法人 能楽協会 | 役員及び顧問名簿能楽協会
  5. ^ 「会員数一覧」『日本藝術院日本芸術院2011年1月19日
  6. ^ 『朝日新聞』1987年3月28日(東京本社発行)朝刊、26頁。

関連項目

外部リンク