小選挙区制

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小選挙区制(しょうせんきょくせい)とは、1選挙区に付き1名を選出する選挙の制度である。

概要

議会などの2人以上の人員を要する機関を構成するとき、定員と同数の選挙区を区分けし、1選挙区毎に1人の当選者を選ぶ選挙制度の総称である。現代の日本では、選挙方法に単記非移譲式投票を用いた単純小選挙区制を指すことが多い。この他にも、Approval voting, Range voting, Borda count, Minimax, Schulze, Ranked Pairs など、定数一人の制度ならば何でも小選挙区制を利用出来る。

採用している国

単純小選挙区制は、アメリカ合衆国イギリスインドカナダマレーシアナイジェリアパキスタンバングラデシュベラルーシアゼルバイジャンケニアエチオピアコートジボワールタンザニアトリニダード・トバゴウガンダガーナジャマイカザンビアボツワナバハママラウイモンゴルバルバドスブータンアンティグア・バーブーダリベリアソロモン諸島で採用されている。オーストラリアパプアニューギニアフィジーでは、優先順位記述投票を用いた小選挙区制(Instant-runoff voting)を、フランスでは過半数(50%超)の得票を得た候補がいない場合に12.5%以上の得票を得た候補による決選投票を行う二回投票制Two-round system)を採用している。また、日本メキシコ韓国タイエジプトフィリピンハンガリーブルガリアリトアニアネパールグルジアアルメニアのように、小選挙区と比例代表との折衷方式(小選挙区比例代表並立制)を導入している国もある。

性質

各選挙区では1人しか当選できないため、区割りとの相関が低い意見の対立は、議会に持ち込まれにくく、多数代表の性質が強くなる。一方、各選挙区は別々に分かれて選挙を行うため、区割りとの相関が高い意見対立は再現されやすく、少数代表の性質が強い。

区割りとの相関が低い問題については、議員の間に根深い対立がないので、審議は速やかに完了し、満場一致で議決が下る場合もある。また、同じく多数代表の選挙方法で選ばれる政府と同調しやすく、政府と議会の対立で国政が麻痺する可能性が低い。

区割りとの相関が高い問題については、議員の間に根深い対立が生まれ、審議は平行線に陥りやすく、多数決で決着をつけざるを得ない場合が多い。

有権者は選挙区間の移動が容易ではないので、単純な戦略投票に晒されても、比例代表の性質を持ちにくい。このため、ゲリマンダーが行われるなど選挙区の区割りが適切でないと、議会での勢力比と有権者での勢力比が一致せず、直接選挙大統領制首相公選制など)で選ばれた政府と対立する可能性が高くなる(ねじれ現象)。

単純小選挙区制特有の性質

単純小選挙区制では、選挙方法に単記非移譲式を用いているため、デュヴェルジェの法則が働く。このため、有権者は二大(と、有権者自身が予想する)候補者以外の選択肢を表明しにくくなる。

単純小選挙区制において政党の議席数は、政党の得票数に対して三次関数の議席数になることが知られ、これは「三乗法則」と呼ばれる。

利点と欠点

<利点>

  • 政治家にさせたくない候補がいれば対立候補に投票すれば落選させやすいこと、
  • 妥協が生まれる余地がないので政策の結果をはっきりと評価でき責任の所在が明確なこと
  • 政権を選択して強力で安定した政権をつくれること
  • デュヴェルジェの法則の効果により二大政党制を作りやすいので、不満であれば選挙民は最大野党に投票して政権交代を起こしやすくなるので、与党は真剣にならざるを得ないこと

ただし、二大政党以外の選択肢を求める結果、小党や第三党が発生することがあるので、二大政党がどちらも過半数を取れない場合は、連立与党のうちの小党にキャスティング・ボートを握られ、政権が不安定になりうる。更にデュヴェルジェの法則はそもそも全国レベルの二大政党化を保証しておらず、特定選挙区に勢力が集中する小政党は成立しうる。また、Approval votingやSchulzeなどの制度は、コンドルセ勝者などの特定の条件を満たす候補ならば最大政党の候補からすら当選枠を奪い、政党規模がほとんど考慮されないので、二大政党に有権者を集約する効果がない。このように、一概に「小選挙区」=政権安定、「比例代表」=小党乱立、政権不安定、とはならない。小党が進出する場合にも、地域エゴではなく、その地域独特の課題や意見を国政に伝える貴重な議席になる場合もある。

<欠点>

  • 二大政党の間で妥協や相乗りが生まれれば事実上の一党制に極めて近い状況も生まれ、二大政党以外の第三勢力が台頭しにくい傾向がある。
  • また候補者の票数が接近している場合や、当選できない複数の候補者の票が多数を占めているような場合に、最高得票者だけが当選するので死票が多くなる。
    • イギリス - 2005年5月の下院総選挙では、与党労働党と野党第一党・保守党の総得票率の差は3%しかなかったのに、獲得議席数では150以上もの差がついた。
    • カナダ - 1993年の下院総選挙では、与党・カナダ進歩保守党が改選前の169議席のうち167議席を失うという壊滅的な敗北を喫した。
    • アメリカ - テキサス州議会では選ばれた上下院議員全員が民主党の時期があった。

日本における小選挙区制

概要

参議院選挙1人区の選挙区(半数改選のため全体としては定数2人)も小選挙区とも表現されることがある。

国政の他、都道府県議会選挙においては、定数1の選挙区、すなわち事実上の小選挙区制選挙で議員を選出する地域が多い。これは、同選挙の区割りが単位を基準に定められるが、その都道府県内での有権者数の比重が小さく、総定数の中から1人しか割り当てられない地域が多いためである。

歴史

日本の衆議院においては、まず1890年の衆院選から1898年の衆院選において小選挙区制が採用された(一部完全連記制の2人区があるが、特定政党の議席独占が起こりやすいため単記式の中選挙区制とは異なる)。1902年の衆院選から1917年の衆院選まで、大選挙区制が導入されていたが、原敬内閣による選挙法改正で再度導入され、1920年の衆院選1924年の衆院選は小選挙区制が実施された。1928年の衆院選から1993年の衆院選までは中選挙区制が導入されていた。

ただし、第二次世界大戦後の1953年にアメリカ合衆国から日本へ施政権が返還された鹿児島県奄美群島では、歴史的経緯から奄美群島選挙区が1人区として設置され、事実上の小選挙区として存在した。この奄美群島選挙区は将来鹿児島県第3区へ統合するまでの暫定措置とされたが、1954年補欠選挙で初めて議員を選出し、一票の格差を解消するための定数是正措置により1992年に消滅(鹿児島県第1区へ統合)するまで存続した(1990年の衆院選が最後の選挙)。

この間、1956年に第3次鳩山内閣が単純小選挙区制を、1973年に第2次田中角栄内閣が小選挙区比例代表並立制をそれぞれ衆議院に導入しようという計画を立てたが、大政党に有利である、選挙区の区割りがいびつであり恣意的である、などと批判された。特に区割りに関しては、1810年代のアメリカにおける事例、マサチューセッツ州知事エルブリッジ・ゲリーがサラマンダーの形をした自党に有利な選挙区をつくりゲリマンダーと呼ばれた故事をもじって、ハトマンダー(第3次鳩山内閣)・カクマンダー(第2次田中角栄内閣)と揶揄された。このような批判と、政権自体の求心力の低下により、両内閣とも導入を断念した。

また、日本の小選挙区制のモデルケースと目された奄美群島区で選挙がしばしば過熱し、選挙違反者の大量発生が続いた事も、小選挙区反対論の根拠となった(いわゆる保徳戦争)。

1980年代後半、中選挙区制の欠陥が指摘されると再び小選挙区制導入の論議がなされた。リクルート事件後の1991年、海部俊樹内閣および自民党執行部は小選挙区300、比例代表171の小選挙区比例代表並立制導入を企図するが、小泉純一郎らが反対を表明し推進派の責任者だった羽田孜に猛反発するなど党内調整が難航し、導入は見送られ、内閣は総辞職した(海部おろし)。

その後1994年、衆議院選挙で小選挙区比例代表並立制(小選挙区300、比例代表200)が導入され、1996年の衆院選から実施された。

制度への批判

日本共産党社会民主党公明党などは、二大政党制に埋没して小選挙区で当選できなくなったこともあり、小選挙区制への問題点を指摘している[1][2][3][4]

東京都知事石原慎太郎は都知事の定例会見の場で「小選挙区を採用したことが絶対に間違いですよ。健全な民主主義や健全な政治家は生まれてこない。どんどん政治家が小­さくなっちゃった。今はみんなロボットみたいでどれもこれも顔は違うけど言っていることは同じだわ。寂しい国になっちゃったね。」と小選挙区制度を批判し制度自体を否定した。また1994年の小選挙区制導入の際に総務会で、小選挙区に最初から最後まで反対したのは私と野中広務だけだったと述べた。[5]

衆議院小選挙区の区割り方法

衆議院の小選挙区区割り法式は、まず衆議院議員選挙区画定審議会にて審議される[6]

選挙区割りは国民の一票の格差を決定し、政治家の当落を左右する重要な問題である。衆議院小選挙区については国勢調査の結果をもとに10年ごとに衆議院議員選挙区画定審議会が審議して内閣総理大臣に勧告し、総理大臣は問題がなければそれを採用して国会に提出し審議に付される。審議会の委員は国会同意人事であり両院の同意を得た国会議員以外の識者7人が総理大臣に任命される。

区割りするときは「一票の格差を2倍未満にする」「大都市を除き、を分割しない」「飛地をつくらない」などの方針のもとで地勢や交通を考慮して決定される。しかしながら第43回衆議院議員総選挙2003年)では9つの選挙区で一票の格差が2倍を超えた。また有権者数の調整のため、一部の市区では選挙区が分割されている(詳細は選挙区が分割されている市区町村を参照)。

1区は都道府県庁がある選挙区(政令指定都市の場合は都道府県庁がある区の選挙区)に割り当てられている。

市町村合併による境界の変更があっても選挙区割りが自動的に変更されることは無い。いわゆる平成の大合併の進展により2003年から2006年3月末にかけて各地で大規模な市町村合併が行われたが、2006年4月1日現在で唯一の例外を除いて区割りは2002年に改正された当時のままである。そのため2005年9月11日に行われた第44回衆議院議員総選挙では新潟市が4つの選挙区にまたがったのを筆頭に全国で35市町が本来分割されている市区に加えて複数の選挙区にまたがることとなった(現在分割されている選挙区は平成の大合併により選挙区が分割された市区町村を参照)(公職選挙法13条3項本文)。

ただし市町村合併によらない市区町村の境界変更の場合には新たに所属する市区町村の選挙区に変更となり、新たに所属する市区町村が属する選挙区が2以上ある場合には、総務大臣が属する選挙区を決定する(公職選挙法13条3項ただし書、4項、同法施行令2条1項)。

唯一の例外は2005年2月13日に長野県から岐阜県中津川市に編入された旧山口村の区域である。2005年6月29日に公布された「公職選挙法の一部を改正する法律」によってそれまで所属していた長野4区から岐阜5区に所属が変更され、同時に比例代表区北陸信越ブロック東海ブロックの境界線も新しい県境に合わせて変更された。

2009年の一票の格差をめぐる裁判における最高裁判所大法廷判決では、2.30倍の格差は「違憲状態」であり、都道府県にまず1議席を割り当てる「1人別枠方式」が「格差を生む主要な原因」になっているとして、速やかな廃止を求める内容が言い渡された。[7]

日本における党派別小選挙区議席獲得実績

自民 民主 公明 共産 社民 国民新 みんなの党 新党日本 新進 (旧)民主 自由 保守 さきがけ 自由連合 無の会 民改連 無所属 合計
41 1996年 169 2 4 96 17 2 1 9 300
42 2000年 177 80 7 0 4 4 7 1 5 15 300
43 2003年 168 105 9 0 1 4 1 1 11 300
44 2005年 219 52 8 0 1 2 0 18 300
45 2009年 64 221 0 0 3 3 2 1 6 300

注:-は立候補しなかった場合(政党等が存在しない場合も含む)、0は立候補したが当選者がいなかった場合をさす。

小選挙区の面積上位・下位20傑

1996年・2000年総選挙実施時

2003年総選挙実施時

2005年・2009年総選挙実施時

脚注

  1. ^ 比例定数80削減/小選挙区の害悪いっそう-2010年9月6日付しんぶん赤旗
  2. ^ 選挙制度についての考え方-1996年6月18日社会民主党ホームページ
  3. ^ 社会民主党宣言 (13)民意を反映する政治への改革-社会民主党ホームページ
  4. ^ テレビ番組で山口代表が強調-2010年7月8日付公明新聞
  5. ^ http://www.metro.tokyo.jp/GOVERNOR/KAIKEN/TEXT/2011/110304.htm
  6. ^ 1人別枠方式 早く検討を
  7. ^ 2・30倍の格差は「違憲状態」 09年衆院選で最高裁 47NEWS 2011年3月23日 2011年10月13日閲覧

関連項目