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宮田村

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みやだむら ウィキデータを編集
宮田村
日本の旗 日本
地方 中部地方甲信越地方
都道府県 長野県
上伊那郡
市町村コード 20388-2
法人番号 5000020203882 ウィキデータを編集
面積 54.50km2
(境界未定部分あり)
総人口 8,381[編集]
推計人口、2024年5月1日)
人口密度 154人/km2
隣接自治体 伊那市駒ヶ根市上松町木曽町
村の花 梅の花
村の特別シンボル コマウスユキソウ
宮田村役場
村長 小田切康彦
所在地 399-4301
長野県上伊那郡宮田村98番地
宮田村役場
宮田村役場
外部リンク 宮田村公式ページ

宮田村位置図

― 市 / ― 町 / ― 村

ウィキプロジェクト
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宮田村(みやだむら)は、長野県上伊那郡。村の西端には中央アルプスの最高峰である木曽駒ヶ岳がそびえ、東端に天竜川、南端に太田切川が流れており、東のなだらかな平野部と、西の駒ヶ岳まで至る深い山地からなっている。宮田式農業で知られる。紫輝彩丼が新名物。

歴史

「中越式」で知られる中越遺跡に代表される多くの遺跡が物語るように、この地では、古くから人々が生活を営んできた。村名は平安時代の律令に関する資料である「延喜式」や、百科事典的な資料「倭名類聚抄」の中に出てくる「宮田」による。この時代は東山道の宮田駅が置かれ、この地方の中心地であった。江戸時代高遠藩に属して三州街道の宮田宿が置かれ、交通の要衝として信濃十五宿にも数えられて、伝馬中馬の中継地点として、また近代以降は木曽駒ケ岳の登山基地として賑わった。

自治体の変遷

  • 1875年1月23日 - 宮田村、中越村が合併して宮田村となる。
  • 1889年4月1日 - 市町村制施行で宮田村が単独で発足。
  • 1954年1月1日 - 単独町制施行、宮田町となる。
  • 1954年7月1日 - 赤穂町、伊那村、中沢村と合併し駒ヶ根市となる。
    この合併は駒ヶ根市の人口要件を満たすためのものであり、合併後の分離を条件としていた。
  • 1956年9月30日 - 合併後の駒ヶ根市議会で多少の悶着はあったが、再び分立し、現在の宮田村となった。

行政

人口

宮田村(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 6,767人
1975年(昭和50年) 7,169人
1980年(昭和55年) 7,582人
1985年(昭和60年) 7,898人
1990年(平成2年) 7,894人
1995年(平成7年) 8,103人
2000年(平成12年) 8,692人
2005年(平成17年) 8,968人
2010年(平成22年) 8,974人
2015年(平成27年) 8,821人
2020年(令和2年) 8,569人
総務省統計局 国勢調査より


地域

駒ヶ岳ロープウェイ
しらび平駅
伊那峡を流れる天竜川
川を境に左が宮田村、右が駒ヶ根市である。

交通機関

名所

教育

  • 宮田村立中央保育所
  • 宮田村立東保育所
  • 宮田村立西保育所
  • 宮田村立宮田小学校
  • 宮田村立宮田中学校

主要企業

行事

出身者

友好都市など

関連項目

外部リンク