国際連合人権理事会

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国際連合人権理事会
概要 補助機関
略称 UNHRC
状況 活動中
活動開始 2006年6月
公式サイト 国際連合人権理事会
国際連合の旗 Portal:国際連合
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国際連合人権理事会(こくさいれんごうじんけんりじかい、英語: United Nations Human Rights Council)は、国際連合総会の補助機関(国連機関)の一つ。国際連合加盟国人権の状況を定期的、系統的な見直しや国際社会の人権状況を改善するため、深刻かつ組織的な人権侵害などに対処する常設理事会。

国連人権高等弁務官事務所 (OHCHR) がその事務局機能を担っている。

国際連合経済社会理事会の機能委員会の一つであった国際連合人権委員会英語: United Nations Commission on Human Rights、UNCHR)を改組、発展させて、2006年6月に新たに設立された。

沿革

2006年3月15日、総会は、賛成170、反対4(アメリカ合衆国マーシャル諸島パラオイスラエル)、棄権3(ベラルーシイランベネズエラ)の圧倒的多数を以て、人権理事会創設決議案を可決した。アメリカは、同決議案に規定されたものよりも強力な組織とすることを主張したが容れられず、決議案可決後、他の加盟国と協力して理事会の強化にあたることを表明した。

2006年5月9日、総会において、全191加盟国による無記名投票で、人権理事会の47の理事国が選出された(#理事国を参照)。

人権委員会は、2006年6月16日までにその活動を総括して解消し、人権理事会へその機能は引き継がれた。

2006年6月19日スイスジュネーヴにある国際連合欧州本部で、初回会合が開かれた。

組織体制

従来設置されていた人権委員会は、毎年1回6週間だけ、スイスのジュネーブで開かれる非常置の機関であった。これに対して、人権理事会は、年3回(合計10週間以上)の定例会合の他、理事国の3分の1の要請による緊急会(特別会期)も開かれる常設理事会である。また、人権委員会が経済社会理事会の下部に位置する独立の機能委員会であったのに対し、人権理事会は総会の直接の下部機関(補助機関)へと昇格した。

人権委員会は53ヶ国の委員から成っているが、人権理事会は47の理事国から成る。人権理事会の理事は、地域ごとに員数が配分され、アフリカに13、アジアに13、東ヨーロッパに6、ラテンアメリカカリブ海に8、西ヨーロッパとその他のグループに7の計47になる。理事国は、総会の秘密投票で、全加盟国の絶対過半数(96票以上)の得票を得、かつ、上位(議席数内)の得票を得た国が選出される。任期は3年で、連続3選は不可。

人権委員会は、委員となる国の資格を特に定めていなかった。そのため、ダルフール紛争の渦中で劣悪な人権状況にあると指摘されるスーダンが議長国となるなど、問題が多かった。人権理事会では、まずその点を改め、理事となる国には「最高水準」(英語: the highest standards)の人権状況が求められるようにした。理事国に深刻かつ組織的な人権侵害があった場合には、総会で投票国の3分の2以上の賛成により理事国資格が停止される。

理事国

2006年5月9日、総会において、全191加盟国による無記名投票で、人権理事会の47の理事国が選出された。理事国は5つの地域グループごとに、総会の絶対過半数(96ヶ国)の得票で選出される。任期は3年で、毎年3分の1が改選される。初回である2006年選挙では、任期1年の国と任期2年の国を各々3分の1ずつ籤で決めた(なお、日本は任期2年)。理事国に選出された国と得票数は次の通り。

国内の人権状況に問題があるとして、国際社会から厳しく見られている中国やサウジアラビアなども理事国となったことについては注目されている。なお、安全保障理事会常任理事国(P5)の中では、唯一、アメリカ合衆国のみ、人権理事会設置決議に反対して理事国に立候補しなかった(しかし理事会への協力は表明している)。

議長

活動内容

  • 2006年6月19日、人権理事会の初回会合が、ジュネーブにある国際連合欧州本部で開幕した。コフィー・アナン事務総長は、演説で、「人権分野における国際連合の活動に新しい時代が開かれた」と宣言した。また、事務総長は、「設立から5年間の見直し期間中に、主要機関へ格上げされるだけの働きを見せてほしい」と演説した。
  • 同月29日、人権理事会は、「強制失踪からのすべての者の保護に関する国際条約」(強制失踪防止条約)案を全会一致で採択した。総会に対し、2006年のうちに採択を勧告する。
    この条約案は、アルゼンチンチリなど南米軍事政権による、国内の反体制者の逮捕監禁を防止することを主たる目的として、20年以上前から起案作業が進められた。しかし、関係各国の利害対立により、採択されるに至らなかった。その後、北朝鮮による日本人拉致問題などを念頭に、日本が「国境を越えた拉致」も条約案に盛り込むよう働きかけて採択のために積極的に活動した。2003年から本格的に議論が開始されて採択に至った。
    この条約案は、条約加盟国に対しての強制失踪を重大な犯罪として法的に禁じるとともに刑罰を設けるよう定める。司法による手続きに基づかない逮捕、監禁、拉致の理由に、内戦などを挙げることを認めず、秘密情報員国家の承認を受けたグループによる拉致を「人道に対する罪」と断定している。被害者やその遺族には、失踪の真相に対して知る権利を付与している。当該国家に対しては、拉致被害者の解放と補償を求めている。また、強制失踪問題を監視する委員会を創設して必要があれば同委員会が現地調査も行う。
  • 2008年5月14日には、日本の人権状況に関する報告書の中で、慰安婦(日本軍性奴隷制)問題に関する完全な解決を日本政府に対し要求した。
  • 2011年6月17日の第17回会合では、性的指向と性自認に関する宣言とウィーン宣言及び行動計画の実現のため、国際連合人権高等弁務官に、2011年12月までに全世界の性的指向性自認に関連した人権蹂躙の調査を求め、その問題を理事会第19回会合にて議論するという内容の決議を採択した[1](賛成:23 反対:19 棄権:3)
  • 2011年12月2日、シリアのアサド政権による反政府デモ弾圧に関する特別会合を開き、非難決議を賛成37、反対4、棄権6で採択した。ピレイ国連人権高等弁務官は殺害された市民が子ども307人を含む計4000人以上になったと述べ、国際連合安全保障理事会への勧告を求めたが採決案から外された。シリアの人権状況を継続的に監視する「特別報告者」の設置も決めた。本特別会合は8月に続き今年に入って3回目である。[2][3]

出典

  1. ^ Human Rights Council Resolution, Seventeenth session
  2. ^ シリア:デモ弾圧、非難決議を採択--国連人権理事会 毎日新聞 2011年12月3日
  3. ^ シリア非難決議採択 安保理に言及せず 国連人権理事会 朝日新聞 2011年12月3日

関連項目

外部リンク

日本語

英語