佐々木陸海

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佐々木 陸海(ささき りくかい、本名:ささき むつみ、1944年1月29日 - 2019年12月19日)は、日本政治家。元衆議院議員(2期)。日本共産党書記局次長、同幹部会委員、同中央委員会事務室責任者。

来歴

長野県飯田市出身。「陸海」の名は、戦時中の1944年(昭和19年)に生まれたため、父親が「将来は陸士(陸軍士官学校)海兵(海軍兵学校)へ進むように」と願って付けられたとされる[1]信州大学文理学部を卒業後、赤旗外信部記者などを経て、1993年第40回衆議院議員総選挙旧東京10区から立候補し初当選。1996年第41回衆議院議員総選挙では比例区東京ブロック)単独で立候補し再選。3選を目指した2000年第42回衆議院議員総選挙東京13区から立候補するも落選。

2019年12月19日11時35分、肺腺がんのため、栃木県那須塩原市の病院で死去[2][3]。75歳没。

主著

関連項目

脚注

  1. ^ 佐々淳行後藤田正晴と十二人の総理たち―もう鳴らない“ゴット・フォン”」、文藝春秋、2006年。[要ページ番号]
  2. ^ しんぶん赤旗 2019年12月22日
  3. ^ 元共産党衆院議員の佐々木陸海氏死去 - 時事ドットコム 2019年12月24日
  4. ^ 橋本敦「「拉致調査妨害」など事実無根」 - しんぶん赤旗(2002年11月17日)

参考文献