中村北斗

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中村 北斗
名前
愛称 ホクト
カタカナ ナカムラ ホクト
ラテン文字 NAKAMURA Hokuto
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1985-07-10) 1985年7月10日(38歳)
出身地 長崎県諫早市
身長 167cm
体重 69kg
選手情報
在籍チーム FC東京
ポジション DFMF
背番号 14
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2004-2008
2009-
アビスパ福岡
FC東京
105 (11)
62 (02)
1. 国内リーグ戦に限る。2012年1月28日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

中村 北斗(なかむら ほくと、1985年7月10日 - )は、日本サッカー選手FC東京所属、ポジションはディフェンダー(右サイドバック)、ミッドフィールダー(右ウイングバック、ボランチ)。

来歴

長崎県諫早市多良見町出身。喜々津中学時代はFWとして活躍し、高校サッカー界の名門、長崎県立国見高等学校へ進学。1年時からレギュラーを獲得する。当時のポジションはおもにボランチで、対戦相手の「エースキラー」として活躍した[1]。高校時代の3年間で、全国大会優勝4回、準優勝2回を数えた。高校時代の同期に平山相太兵藤慎剛、1期後輩に城後寿がいた。全国高校サッカー選手権では、決勝の舞台で3年連続で先発フル出場しており、この記録を持つのは戦後の高校選手権史上、中村ただ一人である。

高校卒業後の2004年、当時Jリーグ2部に属するアビスパ福岡に入団。1年目は出場機会を得られなかったが、翌2005年3月5日、J2開幕戦(鳥栖戦)で初出場・初先発。初得点は同年3月12日の水戸戦(2得点)。

2005年6月にはワールドユース・オランダ大会に右ウィングバックのレギュラーとして出場。しかし、オランダ[2]クインシー・オウス=アベイエに圧倒されるなど、チームは1勝もできずにベスト16で敗退した。

福岡でのリーグ戦中盤、足の故障で離脱。その後、10月23日の鳥栖戦で復帰、終盤にはボランチとして出場を重ね、攻守にわたり貢献。福岡の5年ぶりのJ1昇格にも貢献した。2006年にはJリーグ優秀新人賞を受賞している。

2008年の北京オリンピック出場を目指すU-21日本代表に招集されていたが、2006年11月21日の親善試合対U-21韓国代表戦 (国立競技場)で相手選手との接触により右膝前十字靭帯を痛め、全治半年の重傷を負ってしまった。その後、長いリハビリを経て2007年7月7日湘南戦(平塚競技場)にて公式戦復帰出場を果たしたものの、約1週間後の7月15日仙台戦(博多の森球技場)にて復帰後初のスターティングメンバーで出場した際、試合開始早々に右膝内側半月板を負傷し、再び全治2ヶ月の重傷で戦線離脱となるなど、怪我に泣いた。

2009年よりFC東京に完全移籍。当初は守備的なユーティリティープレイヤーとしての起用が目されていたが[3]、10月に右サイドMFの石川直宏が負傷離脱したシーズン終盤はサイドアタッカーとしても起用された。直接FKのキッカーも担当し、地元・長崎で行なわれた天皇杯では無回転のブレ球による直接ゴールを決め勝利に貢献した。

2010年、7月にレギュラーSBの長友佑都がイタリア・セリエAに移籍すると、城福浩監督・9月から就任した大熊清両監督から左SBとして先発起用されるようになった[4]。また、右SBの徳永悠平をCBなどへスライドさせる形で右SBに配されることもあった[5]

所属クラブ

ユース経歴

プロ経歴

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯天皇杯 期間通算
2001 国見高 22 - - - 2 0 2 0
2002 8 - - 3 0 3 0
2003 - - 2 0 2 0
2004 福岡 29 J2 0 0 - 0 0 0 0
2005 22 34 4 - 0 0 34 4
2006 J1 30 4 2 0 1 0 33 4
2007 J2 3 0 - 0 0 3 0
2008 14 38 3 - 1 0 39 3
2009 FC東京 J1 10 2 2 0 2 1 14 3
2010 28 0 8 0 2 0 38 0
2011 J2 24 0 - 4 0 28 0
2012 J1
通算 日本 J1 68 6 12 0 5 1 85 7
日本 J2 99 7 - 5 0 104 7
日本 - - 7 0 7 0
総通算 167 13 12 0 17 1 196 14
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2012 FC東京 14
通算 AFC

その他の国際公式戦

経歴

タイトル

長崎県立国見高等学校
U-18日本代表
FC東京

代表歴

備考

  • 「北斗」の名付け親は、10歳上の実兄で元プロ野球選手中村隼人(長男)である。由来は当時流行っていた『北斗の拳』。
  • 三人兄弟で北斗は末っ子。次兄も野球をしていたが、一番野球の才能があったのは北斗と言われていた。北斗は丸坊主になりたくない為に早々に野球からサッカーに鞍替えしたが、国見高校サッカー部員は丸坊主にしなくてはならず、結局北斗も高校時代は坊主だった。
  • TBS系『スーパーサッカー』では「ジャニーズ系Jリーガー」と紹介されたことがある。
  • 元日本代表監督のイビチャ・オシムは「欧州移籍を勧めたい選手」の一人として中村の名を名前を挙げたり、新聞取材での「代表では内田篤人ら若い選手が出てきているが?」という問いに対し、オシムは「他にも例えば中村北斗や~(以下2人ほど名を上げた)」と答えるなど、中村のプレーを高く評価していた[6]
  • 2010年2月22日に高校の後輩と入籍したことを、本人が告白した。

脚注

関連項目

外部リンク