中村隼人

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中村 隼人
基本情報
国籍 日本
出身地 長崎県西彼杵郡多良見町(現・諫早市
生年月日 1975年8月22日(33歳)
身長
体重
183cm
90kg
選手情報
投球・打席 右投右打
守備位置 投手
プロ入り 2000年 ドラフト4位
初出場 NPB / 2001年6月2日
最終出場 CPBL / 2006年
経歴(括弧内は在籍年)

中村 隼人(なかむら はやと、1975年8月22日 - )は、元プロ野球選手投手)。2002年から2003年の登録名は「隼人」。

日本ハムファイターズなどに所属し、2001年にプロ野球史上27人目の初登板、初完封勝利を達成するなど、先発、中継ぎ投手として活躍した。

弟はプロサッカー選手の中村北斗

目次

[編集] 来歴・人物

1951年人名用漢字が告示されてから、子供の名前に「隼」の字を使用することは認められていなかったが、どうしてもこの字を名前に入れたい両親が裁判を起こし勝訴、人名漢字制限後では初の「隼人」となった。

長崎日大高校3年時の1993年に、春夏連続で甲子園に出場し注目される。創価大学本田技研を経て、2000年ドラフト4位指名を受けて日本ハムファイターズに入団。

2001年6月2日の対オリックス・ブルーウェーブ戦(神戸)ではプロ27人目、パ・リーグの新人では20年ぶりとなる初登板初完封勝利を記録。この年、3完封を含む6勝を挙げた。翌2002年には登録名が「隼人」に変わり、先発ローテーション投手として7勝11敗の成績を残しオールスター出場も果たすが、2003年は伸び悩み、わずか4試合の登板に終わる。

2004年もシーズン途中までファームでくすぶっていたが、6月に河本育之投手との交換トレード読売ジャイアンツ(巨人)へ移籍。移籍を機に、登録名をプロ入り時と同じ本名「中村隼人」に戻した(巨人ではファーストネームでの選手名登録を原則認めていないという事情もあった)。中継ぎとして前田幸長岡島秀樹ブライアン・シコースキーとともにセットアッパーとして38試合に登板、2勝1セーブ防御率3.79をマークする。

2005年、球団から戦力外通告を受け退団。トライアウトを2度受験するも獲得する球団がなかったため、一旦プロ復帰を断念し、経営コンサルタントを目指す[1]。その後2006年4月24日千葉熱血メイキングに入団し、野球界に復帰する。しかし都市対抗野球大会1次予選で登板するも思うような投球内容ができず途中降板が続く。

同年5月には台湾兄弟エレファンツに移籍。ここでも結果を残すことができず、7月に退団した。2006年には東北楽天ゴールデンイーグルスの秋季練習で入団テストを受験したが、不合格。野球界から引退し元木大介のマネージャーを務めた。

名前を隼人にしろとすすめたのは元日本ハムのディアスである[要出典]

[編集] 詳細情報

[編集] 通算投手成績

日本
88試合 15勝18敗1セーブ 防御率4.32
台湾
2試合 0勝0敗0セーブ 防御率10.80

[編集] 記録

[編集] 関連項目


  1. ^ 惜別球人『スポーツニッポン』2005年12月15日
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