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ネルソン・バプティスタ・ジュニオール

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ネルシーニョ・バプティスタ
名前
本名 ネルソン・バプティスタ・ジュニオール
愛称 ネルシーニョ・バプティスタ
ラテン文字 Nelsinho Baptista
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1950-07-22) 1950年7月22日(73歳)
出身地 サンパウロ州カンピーナス
選手情報
ポジション DF (RSB)
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ネルシーニョ・バプティスタ(Nelsinho Baptista)こと、ネルソン・バプティスタ・ジュニオール(Nélson Baptista Júnior、1950年7月22日 - )は、ブラジルサンパウロ州カンピナス出身のサッカー指導者。日本ではネルシーニョ(Nelsinho)として知られる。

来歴

選手時代

1967年ポンチ・プレッタでプロ生活を開始。現役時代のポジションは右サイドバック。1971年から所属したサンパウロFCでは262試合に出場し6ゴールを決め、1975年サンパウロ州選手権で優勝した。その後、サントスFCでプレーした後、CAジュベントスで現役生活を終えた。

指導者として

現役引退後は指導者に転身し、古巣のポンチ・プレッタサンパウロFCをはじめ、CRフラメンゴクルゼイロECSEパルメイラスコリンチャンスなどの名門クラブを率いた。コリンチャンスでは1990年ブラジル全国選手権優勝、1997年サンパウロ州選手権優勝を成し遂げ、サンパウロFCでも1998年にサンパウロ州選手権優勝を果たすなど、輝かしいキャリアを誇る。

これまでに何度か日本のクラブを率いた経験があり、ヴェルディ川崎時代の1995年にはNICOSシリーズで優勝した。この実績が評価され、1995年11月には次期日本代表監督就任が内定していたが、長沼健JFA会長の鶴の一声により加茂周監督(当時)の続投が決定。これに怒ったネルシーニョは、協会を「腐ったミカン」と痛烈に批判した[1]

その後はブラジルに帰国し複数のクラブの指揮を執るが、2003年に再来日し名古屋グランパスの監督に就任。若手だった本田圭佑の才能を見出す一方で、チームの成績は伸びず、成績不振により2005年9月に解任された。

2009年7月から柏レイソルの監督に就任[2]。2010年にはJ2で優勝すると、翌2011年には柏レイソルをJ1優勝に導いた[3][4]。昇格1年目の優勝はJ史上初となる快挙であった。

所属クラブ

指導歴

タイトル

指導者時代

アトレチコ・パラナエンセ
コリンチャンス
ヴェルディ川崎
クルゼイロ
サンパウロ
ゴイアス
スポルチ
柏レイソル

脚注

関連項目