池谷友良
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| 名前 | ||||||
| カタカナ | イケヤ トモヨシ | |||||
| ラテン文字 | IKEYA Tomoyoshi | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 | ||||||
| 生年月日 | 1962年6月17日(50歳) | |||||
| 出身地 | 静岡県 | |||||
| 身長 | 163cm | |||||
| 体重 | 56kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | MF | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 1985-1992 | 日立製作所 | |||||
| 監督歴 | ||||||
| 2004 2005-2008 |
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| 1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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池谷 友良(いけや ともよし、1962年6月17日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手、サッカー指導者、ロッソ熊本初代監督。現在はJリーグ所属のロアッソ熊本を運営する株式会社アスリートクラブ熊本の代表取締役。
目次 |
来歴 [編集]
静岡県立浜名高校時代は全国大会の出場経験はないが、3年生の時に国体の静岡県選抜の一員として優勝。中央大学に進学し、卒業後日立製作所サッカー部(現在の柏レイソル)に入部。当時の日立製作所サッカー部は日本サッカーリーグの1部と2部の往復生活で、池谷自身それほど出場機会が多くないこともあり、選手としては全国区になれないまま29歳で引退した。
引退後は下部組織のコーチとして日立製作所→柏レイソルに残留。1995年のシーズン途中からトップチームのコーチに昇格し、1999年のナビスコカップ獲得、2000年のシーズン通算勝ち点1位(ただしステージ制覇はならなかったので年間成績は3位)に貢献した。その後チームは下降線を辿り始め、2002年に監督のスティーブ・ペリマンが解任された際には監督代行を務めた。マルコ・アウレリオの監督就任に伴って池谷はトップチームから身を引き(「ユースチーム・スクールマスター」の肩書きでチームには残った)、2003年にはU-15日本代表のコーチを務めた。
その後も柏は低迷が続き、抜本的なチーム改革が必要と感じたフロントは、日立製作所時代から20年近く所属してきた池谷を監督としてトップチームに呼び戻した。しかしリーグ戦開幕2連勝の後8試合連続勝ち無しで最下位に転落すると池谷は解任されてしまう。チーム状況が悪かったとはいえ、この年から「3カ年計画」を打ち出して池谷にある程度の長期政権を任せる意向だったフロントの安易な方針転換は長期ビジョンの無さを浮き彫りにした(その後、柏は早野宏史を監督に招いたがチームは池谷時代以上に悪化し、翌年にはついにJ2降格となった)。
解任という形で20年近く所属した柏を去った池谷だが、「3年でのJリーグ入り」を目標に誕生したロッソ熊本の初代監督として招聘され、再就職先は早く見つかった。ロッソ熊本は2004年まで九州サッカーリーグに所属していたアルエット熊本が母体だが、チーム名を変更するにあたって選手のほとんどを入れ替え、Jリーグ経験者も多く所属する陣容となった。池谷自身も「3年でJリーグに上げる」と公言しており、2005年は日本フットボールリーグ(JFL)昇格が至上命令となった。シーズン中盤以降にややもたついたものの九州サッカーリーグでは優勝。その後の全国地域リーグ決勝大会では3位に終わったが、愛媛FCが2006年からJ2に昇格することに伴い、めでたくJFL昇格となった。JFLの2006年シーズンは5位に終わりJ2参入はならなかったが、2007年シーズンも引き続きJFLでロッソ熊本を指揮。2位となり、J2参入を成し遂げた。
2008年シーズンも、ロアッソ熊本に名称を改めた同クラブを引き続き指揮。J2他クラブと比べて戦力的に劣る状況下で開幕から苦戦したものの、終盤には8試合負けなしを記録するなど、最終的には15クラブ中12位と、参入1年目のクラブとしてはそれなりの成果を挙げた。同年限りで監督を勇退し、2009年度からはGM職に専念している。
2012年3月、株式会社アスリートクラブ熊本の代表取締役に就任した[1]。
所属クラブ [編集]
個人成績 [編集]
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | JSL杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1985 | 日立 | JSL1部 | 0 | ||||||||
| 1986-87 | 0 | ||||||||||
| 1987-88 | JSL2部 | ||||||||||
| 1988-89 | |||||||||||
| 1989-90 | 17 | JSL1部 | 12 | 0 | 0 | 0 | |||||
| 1990-91 | JSL2部 | 25 | 0 | 1 | 0 | ||||||
| 1991-92 | JSL1部 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||||||
| 通算 | 日本 | JSL1部 | 16 | 0 | |||||||
| 日本 | JSL2部 | ||||||||||
| 総通算 | |||||||||||
その他の公式戦
- 1991年
- コニカカップ 2試合0得点
指導歴 [編集]
- 1992年 - 1995年7月 日立製作所/柏レイソル:サテライトコーチ
- 1995年8月 - 1996年 柏レイソル:ヘッドコーチ
- 1997年 - 2002年 柏レイソル:コーチ
- 2002年8月 柏レイソル:監督代行
- 2003年 柏レイソル:ユーススクールマスター
- 2004年 - 同7月 柏レイソル:監督
- 2005年 - 2008年 ロアッソ熊本:監督兼ゼネラルマネージャー
- 2009年 - 2011年 ロアッソ熊本:ゼネラルマネージャー
- 2012年 - 現在 ロアッソ熊本:社長兼ゼネラル・マネージャー
監督成績 [編集]
| 年度 | 所属 | クラブ | リーグ戦 | カップ戦 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 順位 | 試合 | 勝点 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | |||
| 2002 | J1 | 柏 | - | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | - | - |
| 2004 | J1 | 柏 | - | 15 | 12 | 3 | 3 | 9 | 予選リーグ | - |
| 2005 | 九州 | 熊本 | 優勝 | 18 | 47 | 15 | 0PK勝 2PK敗 | 1 | - | 1回戦 |
| 2006 | JFL | 熊本 | 5位 | 34 | 66 | 20 | 6 | 8 | - | 3回戦 |
| 2007 | JFL | 熊本 | 準優勝 | 34 | 69 | 21 | 6 | 7 | - | 1回戦 |
| 2008 | J2 | 熊本 | 12位 | 42 | 43 | 10 | 13 | 19 | - | 3回戦 |
脚注・出典 [編集]
- ^ 熊本 岡社長が赤字の責任取って退任、後任は池谷GM - スポーツニッポン 2012年3月9日
関連項目 [編集]
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