ジャンカルロ・アルバラード
横浜DeNAベイスターズ時代(2012年3月13日) | |
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | プエルトリコ自治連邦区サンフアン |
生年月日 | 1978年1月24日(46歳) |
身長 体重 |
6' 4" =約193 cm 210 lb =約95.3 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1995年 アマチュアFA |
初出場 |
CPBL / 2004年6月30日 NPB / 2010年3月27日 |
最終出場 |
CPBL / 2008年10月7日 NPB / 2012年6月27日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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国際大会 | |
代表チーム | プエルトリコ |
WBC | 2009年、2013年 |
この表について
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ジャンカルロ・カルロス・アルバラード・マルティネス(Giancarlo Carlos Alvarado Martinez, 1978年1月24日 - )は、プエルトリコ出身のプロ野球選手(投手)。
日本での登録名は「ジオ・アルバラード」[1]。
経歴
来日前
1995年にアマチュアフリーエージェント選手としてピッツバーグ・パイレーツに入団し、同年にガルフ・コーストリーグでデビューした。2001年までパイレーツ傘下の球団で投げたが、2002年はミルウォーキー・ブルワーズの傘下及び独立リーグのサンアンジェロ・コルツに、さらに2003年にはデトロイト・タイガーズ傘下に移籍した。
2004年と2005年途中まではマイナーリーグには所属せず、独立リーグ、台湾球界、メキシカンリーグを渡り歩いた。2005年にシンシナティ・レッズに獲得されマイナーに復帰した。
2007年は、再びメキシカンリーグでプレーし、2008年にはロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム傘下のソルトレイク・ビーズでアメリカ国内の3Aでの初登板を果たした。
2008年、台湾プロ野球・統一セブンイレブン・ライオンズの一員としてアジアシリーズに出場し、埼玉西武ライオンズとの決勝戦で先発した。
2009年、2009 ワールド・ベースボール・クラシックにプエルトリコ代表として出場。シーズン中はAAA級アルバカーキ・アイソトープスで、13勝10敗、防御率3.49の成績を収めた[2]。その後フリーエージェントとなり、12月1日、日本の広島東洋カープと契約を結んだ[3]。背番号は91。
NPB時代
2010年は開幕ローテーション入りしたものの、調子が上がらず4月11日に二軍落ち。一軍復帰後の6月13日、対埼玉西武ライオンズ戦で日本での初勝利を挙げると徐々に調子を上げ、夏場からは前田健太に次ぐ先発ローテの中心的存在になった。7月20日の対阪神タイガース戦では4回まで無安打に抑えるも、5回に四球を与えたところで肩に違和感を訴え降板。直後に代わった岸本秀樹が本塁打を打たれ、先発投手としては珍しい「無安打での敗戦投手」となった。9月4日の対阪神タイガース戦では、初回に初球から2球連続でマット・マートン、平野恵一に死球を与え、さらに城島健司にも死球を与えた。1イニング3与死球は1979年の西本聖以来、セ・リーグ史上2人目の最多タイ記録となった[4]。ただし、2回裏には日本での初打点となる同点打を放ち、6回2/3を3失点に抑えて勝利投手となっている。最終的には8勝8敗、防御率4.07とまずまずの成績を残した。
2011年は防御率は2.72を記録したものの、故障の影響もあり3勝7敗に終わった。同年の11月24日に広島を退団した。
2012年1月6日、横浜DeNAベイスターズに入団した。背番号は61。先発が手薄なチーム事情もあり、開幕後は先発ローテーションを任されたが、1勝6敗と負け越した。防御率は3.92だった。10月10日にボビー・クレイマー、ブランドン・マン、オスカー・サラサー、ランディ・ルイーズらとともに戦力外通告を受け[5]、10月16日、自由契約公示された[6]。
DeNA退団後
2013年は第3回WBCプエルトリコ代表に選ばれた[7]。WBC終了後にコロラド・ロッキーズとマイナー契約を結んだが[8]、開幕前に解雇となりメキシカンリーグのサルティーヨ・サラペメーカーズでプレー。6月6日にニューヨーク・メッツとマイナー契約を結び、AAA級ラスベガス・フィフティワンズでプレー。オフの11月には、アジアシリーズ2013に出場するイタリアンベースボールリーグのフォルティチュード・ボローニャと契約[9]。統一セブンイレブン・ライオンズ戦に先発したが1回と3分の1を4失点で敗戦投手となった。
2014年もメッツとマイナー契約を結び、ラスベガスでプレー。
2015年5月9日にメキシカンリーグのアグアスカリエンテス・レイルロードメンと契約するが、26日に解雇となる。その後、7月15日にベースボール・チャレンジ・リーグの信濃グランセローズと契約し[10]、3年ぶりに日本球界に復帰した。
プレースタイル・人物
左足を三塁側に極端にクロスステップする投げ方で、190cmを超える長身や球離れの遅さも相まって、右打者にとっては打ちづらい投手と評価されている。持ち球は不規則に動く平均球速約139km/h[11]の速球、チェンジアップ、カット・ファスト・ボール、シンカーである[2][12]。さらに2011年は落ちる球種の取得を目指し、春季キャンプで臨時コーチを務めた野茂英雄からフォークについて直接指導を受けた[13]。
プエルトリコ本国では200人の生徒を抱えるモデル養成学校を運営している。妻が元モデルだったことが学校創設のきっかけとなったという[14][15]。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2004 | 誠泰 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 48 | 11.0 | 8 | 1 | 8 | 0 | 1 | 5 | 1 | 1 | 6 | 6 | 4.91 | 1.45 |
2008 | 統一 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 46 | 13.0 | 7 | 0 | 1 | 0 | 0 | 15 | 0 | 0 | 2 | 2 | 1.38 | 0.62 |
2010 | 広島 | 20 | 20 | 1 | 0 | 0 | 8 | 8 | 0 | 0 | .500 | 501 | 119.1 | 110 | 14 | 37 | 0 | 7 | 97 | 4 | 5 | 60 | 54 | 4.07 | 1.23 |
2011 | 18 | 17 | 0 | 0 | 0 | 3 | 7 | 0 | 0 | .300 | 417 | 99.1 | 82 | 5 | 34 | 2 | 7 | 88 | 3 | 7 | 33 | 30 | 2.72 | 1.17 | |
2012 | DeNA | 8 | 8 | 0 | 0 | 0 | 1 | 6 | 0 | 0 | .143 | 179 | 39.0 | 46 | 2 | 18 | 0 | 2 | 42 | 0 | 0 | 18 | 17 | 3.92 | 1.64 |
CPBL:2年 | 5 | 5 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | .500 | 94 | 24.0 | 15 | 1 | 9 | 0 | 1 | 20 | 1 | 1 | 8 | 8 | 3.00 | 1.00 | |
NPB:3年 | 46 | 45 | 1 | 0 | 0 | 12 | 21 | 0 | 0 | .314 | 1097 | 257.2 | 238 | 21 | 89 | 2 | 16 | 227 | 7 | 12 | 111 | 101 | 3.53 | 1.27 |
- 各年度の太字はリーグ最高
記録
- NPB投手記録
- 初登板・初先発:2010年3月27日、対中日ドラゴンズ2回戦(ナゴヤドーム)、6回4失点で敗戦投手
- 初奪三振:同上、3回裏にチェンから空振り三振
- 初勝利・初先発勝利:2010年6月13日、対埼玉西武ライオンズ4回戦(西武ドーム)、6回1失点
- 初完投:2010年6月26日、対中日ドラゴンズ11回戦(ナゴヤドーム)、8回1失点で敗戦投手
- NPB打撃記録
- 初安打:2010年8月7日、対読売ジャイアンツ16回戦(東京ドーム)、2回表に福田聡志から中前安打
- 初打点:2010年9月4日、対阪神タイガース19回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、2回裏に鶴直人から左中間へ同点2点適時二塁打
- その他
独立リーグでの成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
完 投 |
勝 率 |
投 球 回 |
打 者 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
奪 三 振 |
与 四 球 |
与 死 球 |
失 点 |
自 責 点 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 策 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2015 | 信濃 | 16 | 0 | 0 | 2 | 0 | ---- | 16.1 | 67 | 9 | 0 | 19 | 6 | 3 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0.00 | 0.93 |
通算:1年 | 16 | 0 | 0 | 2 | 0 | ---- | 16.1 | 67 | 9 | 0 | 19 | 6 | 3 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0.00 | 0.93 |
背番号
- 36 (2004年)
- 35 (2008年)
- 91 (2010年 - 2011年)
- 61 (2012年)
- 80 (2015年)
脚注
- ^ 個人年度別成績 ジオ
- ^ a b “広島が3A変則フォーム右腕助っ人獲り”. nikkansports.com. (2009年11月25日) 2009年12月1日閲覧。
- ^ ジャンカルロ・アルバラード選手 契約成立! 広島東洋カープ公式サイト
- ^ “ジオ 超ノーコン初回凌いで7勝目!”. スポニチアネックス. (2010年9月5日)
- ^ “来季の選手契約について”. 横浜DeNAベイスターズ (2012年10月10日). 2012年10月16日閲覧。
- ^ “2012年度 自由契約選手”. 日本野球機構 (2012年10月16日). 2012年10月16日閲覧。
- ^ PUERTO RICO ROSTER
- ^ Rockies sign Giancarlo Alvarado to minor-league deal
- ^ Carlo Alvarado sul mound unipol fortitudo
- ^ 選手契約のお知らせ
- ^ 『2012プロ野球オール写真選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2012年、178頁頁。ISBN 978-4-905411-04-8。
- ^ “広島の右殺しアルバ、007ビビらせた”. nikkansports.com. (2010年2月9日) 2010年2月11日閲覧。
- ^ “ジオに野茂フォーク!外国人枠生き残る”. デイリースポーツonline. (2011年2月17日) 2011年2月21日閲覧。
- ^ 妻はモデル!広島・アルバラードら入団会見SANSPO.COM
- ^ 広島新外国人フィオは卓球打法でV宣言 nikkansports.com
- ^ 週刊ベースボール2014年7月21日号97ページ
関連項目
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、CPBL