ア・トゥート・アンド・ア・スノア・イン・'74
『ア・トゥート・アンド・ア・スノア・イン・'74』 | |
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ジョン・レノン&ポール・マッカートニー の 海賊盤 / スタジオ・アルバム | |
リリース | |
録音 |
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ジャンル | ロック |
時間 | |
レーベル | Mistral Music |
『ア・トゥート・アンド・ア・スノア・イン・'74』(A Toot and a Snore in '74)は、1992年に発売されたジョン・レノンとポール・マッカートニーの海賊盤である。1974年3月28日にレノンとマッカートニーが行なったビートルズ解散後では唯一となるセッションの模様を収録した作品[1]。セッションにはジェシ・エド・デイヴィス、ハリー・ニルソン、スティーヴィー・ワンダー、ボビー・キーズらも参加している。
背景・レコーディング
1974年3月28日、マッカートニーと妻のリンダは、バーバンク・スタジオでハリー・ニルソンのアルバム『プシー・キャッツ』のプロデュースを行なっているレノンのもとを訪れた[1]。当時のレノンは、妻であるオノ・ヨーコと別居中で、アルコールや薬物に溺れていた[1][注釈 1]。レノンの秘書で当時のガールフレンドであったメイ・パンは、「ポールが来るなんてまったく知らなかった。振り向いたらそこにいたのよ」と回想している[1]。
スタジオにはレノンとニルソンのほかに、ジェシ・エド・デイヴィス、ボビー・キーズらがいて[1]、酒を飲んだ後ジャム・セッションが開始された[3]。セッションについて、パンは「ジョンとハリーがジャム・セッションをやりたがって、ポールもそれに賛成したの。リンダはハモンドオルガンのところに向かって、ジェシ・エドはギター、ポールはドラムを演奏することになって、私とマルはタンバリンを手に取った」と回想している[4]。なお、レノンとマッカートニーがセッションを行なうのは、『アビイ・ロード』のレコーディング・セッション以来で[3]、ビートルズ解散後では初となる[1]。
セッションには、近くでレコーディングを行なっていた[4]スティーヴィー・ワンダーも参加しており、エレクトリックピアノを演奏した[3]。ワンダーは、2011年5月25日付の『ハフポスト』で「僕らは一緒に『スタンド・バイ・ミー』をやったと思う。クレイジーで、おもしろかったよ」と回想している[5]。この楽曲の他には、「ルシール」、「キューピッド」、「テイク・ディス・ハンマー」も演奏された[1][3]。
2012年にマッカートニーは、当時について「あの場において酔ってない人間はいなかったと思う。どういうわけだったか、僕はドラムを叩くことにしたんだ。それはちょうどパーティーのようなものだった。控えめに言って、「無秩序」というところか。僕は秩序を取り戻すために「みんな、曲を考えよう。いいアイデアじゃないかな」と呼びかけたかもしれないけど、実際にそうしたのかは思い出せない」と回想している[6]。
その後
パンによると、マッカートニーの訪問で元気を取り戻したレノンは、その年の後半に開始されたウイングスの『ヴィーナス・アンド・マース』のレコーディング・セッションに友人とともに参加することを計画していたとのこと[1]。しかし、オノがレノンに「禁煙法を教えるから、ニューヨークに戻ってきて」[4]と連絡をしてきていたことから、レノンはニューヨークに戻ってオノと再会し、レコーディング・セッションへの参加を取りやめた[1]。パンは推測だと断ったうえで「ヨーコは、ジョンがポールとまたいっしょになったら、自分のもとには二度と戻ってこないと恐れていた」と語っている[4]。
パンは、1989年にワールド・ツアーに向けたプライベート・リハーサルを行なっているマッカートニーとリンダのもとを訪れ、「ジョンはあなたのことを本当に愛していたことを知ってもらいたかった。ジョンはあなたとまた曲を書きたいと本当に思っていたの」と伝えた。それに対し、マッカートニーは「素晴らしかっただろうな」と返している[4]。
1992年、1972年3月28日のセッションの様子を収録した『ア・トゥート・アンド・ア・スノア・イン・'74』と題された海賊盤が発売された。なお、タイトルにある「toot」はコカインの俗称で、「snore」は「ひと眠り」という意を持つ[1][3][4]。
収録曲
# | タイトル | 作詞・作曲 | 時間 |
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1. | 「A Toot and a Snore」 | ||
2. | 「Bluesy Jam Session」 | ||
3. | 「Studio Talk」 | ||
4. | 「Lucille」 | Penniman-Collins | |
5. | 「Nightmares」 | ||
6. | 「Stand By Me」 | King-Leiber-Stoller | |
7. | 「Stand By Me」 | King-Leiber-Stoller | |
8. | 「Stand By Me」 | King-Leiber-Stoller | |
9. | 「Cupid / Take This Hammer」 | S. Wonder / Traditional | |
合計時間: |
クレジット
- ジョン・レノン - リード・ボーカル、ギター
- ポール・マッカートニー - ハーモニー・ボーカル、ドラム
- ジェシ・エド・デイヴィス - ギター
- エド・フリーマン - ベース[注釈 2]
- ハリー・ニルソン - ハーモニー・ボーカル[8]
- スティーヴィー・ワンダー - エレクトリックピアノ
- ボビー・キーズ - サクソフォーン
- マル・エヴァンズ - タンバリン[4][注釈 3]
- リンダ・マッカートニー - ハモンドオルガン[注釈 2]
- メイ・パン - タンバリン[注釈 4]
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i j Womack 2014, p. 920.
- ^ White, Dave. "Interview: May Pang‐Lennon's "Lost Weekend" Lover" (Interview). About.com, Classic Rock. 2012年2月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年1月21日閲覧。
- ^ a b c d e f Doyle 2014, p. 140.
- ^ a b c d e f g 桑原亘之介 (2021年5月15日). “【スピリチュアル・ビートルズ】70年代半ば、急接近していたジョンとポール メイ・パンが語る「失われた週末」”. www.kyodo.co.jp. 共同通信社. 2022年1月21日閲覧。
- ^ “Stevie Wonder Remembers John Lennon, Paul McCartney Jam Session In VMan Magazine”. HuffPost. HuffPost Entertainment (2011年5月25日). 2022年1月21日閲覧。
- ^ Hiatt, Brian (2012年2月15日). “Paul McCartney: The Beatles Considered Reuniting”. Rolling Stone (Penske Media Corporation) 2022年1月25日閲覧。
- ^ Jackson, Andrew Grant (2012). Still the Greatest: The Essential Songs of the Beatles' Solo Careers. Scarecrow Press. p. 114. ISBN 0810882221
- ^ DeRiso, Nick (2016年3月28日). “Why John Lennon and Paul McCartney's Final Session Was a Bust”. Ultimate Classic Rock. Townsquare Media. 2022年1月21日閲覧。
参考文献
- Doyle, Tom (2014) [2013]. Man on the Run: Paul McCartney in the 1970s. U.S.: Random House Publishing Group. ISBN 0-8041-7915-8
- Womack, Kenneth (2014). The Beatles Encyclopedia: Everything Fab Four. Santa Barbara, California: ABC-CLIO. ISBN 0-3133-9171-8