産業ロック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
産業ロック(さんぎょうロック)とは、商業的な成功を目的としたロックを批判する目的で使われている言葉(蔑称)。近年では商業ロック(しょうぎょうロック)という言葉がこれに置き換わりつつある。
目次 |
[編集] 概要
この言葉を発案したのはロック評論家の渋谷陽一である。1970年代後半、自身がDJをつとめるラジオ番組(ヤングジョッキー)で初めて使用した。かれは当時のイギリスのニュー・ウェイヴ・ロック・ブームを日本にも招来すべく、当時アメリカや日本で人気を博していた比較的保守的なバンドであるジャーニー、エイジア、フォリナー、スティクス、REOスピードワゴン、スターシップ、ボストン、TOTOなどに対してこの言葉を使って貶め、意図的に論争を仕掛けた。
渋谷は、これらのバンドは「商業的な成功のために大衆に媚びるばかりで、ロック本来の姿(あるいは理想の姿)である「大人社会への異議申し立て」、そして「アートとしての先鋭化」をおろそかにしているとして批判した。後にこの言葉は、渋谷の意図をはなれて一人歩きし、ビジュアル系J-POPバンドなどに対しても使われるようになっていった。
また、産業ロックという言葉は、音楽性の如何にかかわらず、商業面で成功を収めたロック系アーティストを誹謗する意味で使われることもある。「大衆に媚びる(売れ線を狙う)」という姿勢と「ポップで親しみやすい」という音楽性はしばしば結びつくため、ポップ寄りのロックを誤解・曲解し産業ロックと呼ぶ場合がある。音楽番組などの映像メディアへの露出機会が多いロック系アーティストや、前述のビジュアル系J-POPバンドのように外見に趣向を凝らしているロック系アーティストも偏見で産業ロックと呼ぶ場合がある。
渋谷が「産業」という語をどのような意味で使っていたかは明確ではない。そのため、「産業ロック」を「商業ロック」という言葉と比較した場合、その名称が指し示す意味および音楽が何であるかが直感的に分かりにくいものになっている。渋谷は第二次産業である製造業を念頭におきながら産業ロックという名称を考案した可能性がある。この考えでは、産業ロックとは、工場で大量生産されるレコードやCD、自動車などのように、あたかも設計図や鋳型(大衆受けする音楽のパターン・法則)に基づいて作曲・制作されているかのようなロックを指す。
産業ロックは基本的に特定の価値観から見たある種のロックを指す名称であるため、そう称されるアーティストまたはバンドは、意欲的に大衆に媚びようとしているとは限らない。また、産業ロックと呼ばれる一連のアーティストは音楽面で似通っていない場合が多い。
本項で挙げる産業ロックのアーティストは、あくまでも渋谷の発言を基にした便宜的な選択であり、絶対的なものではない。
[編集] 時代背景
『メジャーレーベルと契約して商業作品を制作・発売する』ということが、決してミュージシャンが『自由に自分の音楽を発表できる権利を得た』ことではない。利潤を生み出すためにミュージシャンはしばしばレコード会社、プロモーター、マネジメントサイドなど様々なしがらみの中で、ある程度自分の意思を犠牲にしなければならない。否定的な意味での『産業ロック』という評価はミュージシャンの責任とばかりは言えず、音楽産業全体に対する批判というシニカルな意味合いが強い。 特に1980年代はデジタル機材の進歩、MTVの登場に加えレコード会社のミュージシャンに対する圧力、過大干渉が非常に強まった時代でもあった。比較的実績のあるバンドであってもレーベルサイドの要求に応じなければ作品発表の場が奪われたり、プロモートなどのバックアップが得られないなどの憂き目に遭い、仕方なく自らの音楽性を抑え妥協を余儀なくされるケースがあった。 これを評し世間的には『売れ線に走ったバンド=産業ロック』などとよばれていた。
- レーベルの要求で外部ソングライティングチームの曲を受け入れざるを得なかったグループの例
- レコード会社の方針と合わずリリース見送りになり、ノンプロモート状態でのリリース、もしくは会社との契約トラブルにまでこじれ裁判状態となり活動停止に追い込まれたミュージシャンの例
このように多くのミュージシャンに多くの禍根を残した受難の背景がある。
[編集] 産業ロックと表現される音楽グループの事情
- ボストン - 1976年にデビュー。アメリカン・プログレ・ハード・ロックの先駆をなし、ポップセンスとアコースティック・サウンド、ハードロックの融合を試みた音楽性、実質的にワンマンバンドでありバンドとしてのスタジオ録音を拒みひとり多重録音を続けた姿勢などを批判された。
しかし、歌詞などにはリーダー、トム・ショルツの秀れた観察眼、独特の哲学がうかがえ、しかも下積み時代に様々なレコード会社に売込みをする際"興味がない"と批判されながら改良された音楽性であったこと、マネジメント・サイドの良曲量産主義の押付けを拒み解雇される事件を起こしていること、すぐれたライブ・バンドであったことなど、一般言われるほど商業主義的とはいえない事件も起こしている。
- KISS - ビートルズ的ポップセンス、轟音のギターサウンド、ライヴ・パフォーマンスなどハードロックのエンターテインメント性をとことん追求した姿勢で知られる。音楽性と同等あるいはそれ以上にこうしたバンドの姿勢そのものがファンの共感を呼び成功した。1970年代末あたりから迷走し、ディスコサウンドを取り入れたり、メンバー二人が辞め、メイクも止めて素顔で演奏するなど試行錯誤の時期もあったが、1990年代半ばにはオリジナル・メンバーに戻りメイクも復活した。現在はメイクをしているものの、再度メンバー交代によりオリジナルメンバーは2名である。
- ピーター・フランプトン - アイドルロックバンドなどに在籍したため、ルックスの良さが逆に音楽性の正当な評価の妨げとなった好例として知られる。ソロ転向後、独自のポップセンスを持った音楽性が再評価され、1976年のライブLP『ピーター・フランプトン・カムズ・アライヴ!』が異例の大ヒットセールスを記録。この現象を産業ロックと批判する意見にはライブでの盛況の様子をレコードで出せばリスナーも盛り上がるだろうというマネジメントサイドの企みが成功したなどとする意見が多い。但し、1980年代に入る頃には既にスターダムからは退いており産業ロックにカテゴライズされるかは意見の分かれるところである。
- ジャーニー - 1975年、空中分解状況となった元サンタナ在籍メンバー2人を含むサンフランシスコの腕利きミュージシャンたちで結成され、バンドとしてデビュー。当初はプログレッシブ・ロック的で商業的成功とは遠い音楽を打ち出していたが、同じレーベル所属で後発のボストンの成功を受け、マネジメント・サイドは、売れるシンガーをバンドに加入させるよう圧力をかける。 結果参加したスティーヴ・ペリーの歌唱力、さらに類まれなポップセンスを持つソングライターであるキーボーディストジョナサン・ケインの加入、クイーンなどのプロデュースで名をはせたロイ・トーマス・ベイカーのプロデューサー起用。さらにはMTVの開局によって音楽性はポップに変化。キャリアのあるベテランを配し曲をポップにすれば売れるのは当然。という意見や、スピリットを持たないという意見により産業ロックの代表格とされる。なお、彼らはMTVの恩恵を受けたにも関わらずアンチMTVの姿勢を見せ"Raised On Radio"というアルバムを発表し、プロモビデオも作らないなど妥協のない行動を取ったが、MTV全盛時にはそれは自殺的行為でセールスは彼らが目論んでいたほどには伸びずサードシングルからは苦肉の策としてライヴステージを「これはビデオクリップではない」と弁明しつつプロモビデオとして配布した。このことなどが結果的にはバンドの人気に陰りをもたらした。
- スターシップ - 1960年代のサイケデリックシーンから出て来たバンドであるが1980年代に入るとレコード会社の圧力により売れ線への路線変更を強いられ、"We Built This City" "Sara" "Nothing Gonna Stop Us Now" の3曲の全米NO.1ヒットを産み出すも、メンバー間の対立を生み出しついには裁判沙汰にまでなり、結局は空中分解した。
- TOTO - ボズ・スキャッグスのアルバム制作などに関わっていたベテランのセッション・ミュージシャンたちがロサンゼルスで結成したバンド。正確なプレイでハードロックを演奏できる唯一のバンドなどと言われた。バラード基調の音楽性やシンガーを次々とクビにしていった経緯などが批判される。
- シカゴ - 1960年代終盤のブラス・ロック、アート・ロックの波に乗り台頭しその後ずっと第一線で活躍して来たが1978年にギタリストのテリー・キャスがロシアン・ルーレットの賭けに敗れ不慮の事故死を遂げる辺りから人気に陰りが差しはじめる。1982年にビル・チャンプリンを加えピーター・セテラの楽曲によるAORバラード路線で復活するも、かつてのブラス・ロックの復権を期する他のメンバーと対立し脱退、ソロ転向。新たなメンバーを加えホーン・セクションを再び前面に押し出そうとするも失敗。その後も結局、大ヒットしたのはかつてのピーター・セテラばりのバラード曲ばかりであった。2000年代になり本格的な活動再開を果たすと、ブラス・ロック、バラード両面からのアプローチに加え、若いメンバーを前面に押し出したハードロックなど、幅広い音楽性をアピールしている。
- エレクトリック・ライト・オーケストラ - シカゴはホーン・セクションを持ち込んだがこちらはロックに弦楽隊を導入しシアトリカルなステージングが定評であった。しかし、1970年代後期に入り『Discovery』発表前にストリングスセクションの3名が解雇され、打ち込みが中心となりジェフ・リンのワンマンバンドの様相を見せ分裂した。ジェフ・リンはソロへ、弦楽隊を含むかつての編成を志向するメンバー達は1990年代にエレクトリック・ライト・オーケストラIIを結成したが、失敗に終わっている。またELO名義では2001年にアルバム『ZOOM』が発表されたがチャート上では大したアクションもなく、消えてしまっている。
- フォリナー - 元スプーキー・トゥースのメンバーなど米英出身ミュージシャンによる混成編成で1976年に結成された。当初はハード・ロック路線だったが1980年代に入ると、バラードが大ヒットするようになり、本来の姿勢を忘れたとの批判が集まる。なお"I Wanna Know What Love Is"は全米NO'1ヒットに輝き、他にも"Waiting For A Girl Like You"は10週連続全米2位を記録している。
- スティクス - アメリカン・プログレ・ハード・ロックとして絶大な評価を得ていたが"Mr. Roboto"がシングル・カットされるあたりから雲行きが怪しくなる。二人のフロントマン、デニス・デ・ヤングとトミー・ショウの軋轢から一時は空中分解となる。
- イエス - プログレッシブロックの代表的グループであるが、ギタリストにトレヴァー・ラビンを迎えて1983年暮れにリリースされたシングル"Owner Of A Lonely Heart"がMTVから火が付き、ポップな音楽性を持ったグループになる。しかしその後ヒットに恵まれなかったため、元のプログレッシブロックに戻っていく。ジョン・アンダーソンはその前後からマイク・オールドフィールド、ヴァンゲリスなどと活発なコラボレーション活動をしておりその下地はあった。
- エイジア - プログレッシブ・ロックの衰退により、かつての高い音楽的素養を持ったミュージシャンが低迷していたことを理由に、それらのミュージシャンを中心に1981年に結成された(デビューは翌年)。
元キング・クリムゾンのジョン・ウェットン、元イエスのスティーヴ・ハウ、同じく元イエスでその前にはバグルズで活躍していたジェフ・ダウンズ、元エマーソン・レイク&パーマーのカール・パーマーと、プログレのスーパースター達が結集し、プログレファンを多いに涌かせたが、プログレの要素を注ぎこんだ3分半弱のポップソングはプログレッシブ・ロックのファンの期待には添いきれなかった。しかしその一方で彼らの音楽は幅広い層からの支持を受け、デビューアルバムにして全米ナンバー1(ビルボード誌のシングルチャート)に9週連続ランクインするなど、驚異的な成功を誇った。
- ヴァン・ヘイレン - 1984年に「ジャンプ」といった大ヒットを連発し絶頂期に達するがデイヴ・リー・ロスが他メンバーとの不和により脱退。サミー・ヘイガーを迎えるが彼も90年代には脱退。その後もベストアルバム制作時のみデイヴを呼び出し、再度、放り出すなどヴォーカリストの居着かないグループである。ちなみにデイヴとサミーはその後、ジョイントツアーも行っている。
[編集] 日本国外での評価
前述の通り、"産業ロック"という言葉自体は渋谷陽一の弁だが、英語圏の評論家の間でも"Corporate Rock"(コーポレート・ロック)という同種の語が同種のバンドを指す批判的な言葉として使われているがあまり一般的ではない。まれに直訳である"Industrial Rock"が英訳語として用いられることがあるが、これは一般的にはインダストリアルの派生したまったく別の音楽のジャンルをさすので、誤訳である。コーポレート・ロックもやはりMTVの登場などを背景にして拡大し、かつてカウンターカルチャーであり、社会への主義主張の場であったロックが商品価値を高めたことへの批判として用いられる。より一般的な呼称としてはアリーナ・ロックやアンセム・ロックと呼ばれるジャンルに属すバンドが多い。現在では特にそれらの語のほうが使われる。

