ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ

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ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ
Dietrich Fischer-Dieskau
基本情報
出生 1925年5月28日
ドイツの旗 ドイツ国 ベルリン
死没 2012年5月18日(満86歳没)
ドイツの旗 ドイツ バイエルン州
オーバーバイエルン行政管区
ベルク(ドイツ語版)
ジャンル オペラ
歌曲
職業 バリトン歌手
指揮者
音楽教育家
担当楽器 声楽
活動期間 1947年 - 1992年
共同作業者 ジェラルド・ムーアなど

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウDietrich Fischer-Dieskau, 1925年5月28日 - 2012年5月18日)は、ドイツバリトン歌手(のちに指揮活動も行った)。

フィッシャーは父方、ディースカウは母方の姓であり、ディースカウがバッハの『農民カンタータ』にちなんだ領主の名前だったことから、縁起をかついで両方の姓を名乗ったという。

若年期[編集]

フィッシャー=ディースカウはベルリンで学校長の父アルバートと教師の母ドーラの間に生まれた。幼年時代から歌唱をはじめ、16歳からは正式な声楽のレッスンを受けはじめた。しかし1943年、ベルリンの音楽院で2学年と1学期分をおさめた直後に、兵役に召集される。そして1945年にイタリア戦線で連合軍にとらえられ、2年間の捕虜生活を送った。

歌手としてのキャリア[編集]

1947年、ドイツに戻るとバーデンヴァイラーでプロ歌手としての経歴がはじまる。彼はヨハネス・ブラームスドイツ・レクイエムの演奏会で、直前に病気になった歌手の代役としてリハーサルなしで歌った。1947年秋に最初の歌曲リサイタルをライプツィヒで開いたのに続き、ベルリンのティタニア・パラスト(元映画館)で行った最初の演奏会でも成功をおさめた。

翌年秋、フィッシャー=ディースカウはベルリン・ドイツ・オペラ(当時はベルリン市立歌劇場)の第一リリックバリトン歌手として採用され、フェレンツ・フリッチャイ指揮のもとヴェルディドン・カルロのポーザ公爵を歌ってオペラ・デビューを飾った。続いて彼はウィーンミュンヘンの歌劇場にも客演する。1949年以降はイギリスオランダスイスフランス、イタリアなどに演奏旅行を行った。1951年にはザルツブルク音楽祭フルトヴェングラーとの共演でマーラーさすらう若者の歌を歌ってデビューを果たす。彼はまた、1954年から1961年にかけてバイロイト音楽祭に毎年出演し、ザルツブルク音楽祭でも1956年から1970年代にかけての常連出演者であった。

オペラ歌手として、彼は主にベルリン・ドイツオペラとミュンヘンバイエルン国立歌劇場で活動し、ウィーン国立歌劇場、ロンドンのコヴェント・ガーデン(ロイヤル・オペラハウス)、ハンブルク国立歌劇場や日本での公演、それにエディンバラの音楽祭で王立劇場への客演を行った。フィッシャー=ディースカウの初めての米国への演奏旅行は1955年に行われ、ニューヨークカーネギー・ホールで初めての歌曲リサイタルを1964年に開いた。

1951年、ロンドンのEMIスタジオにおいてジェラルド・ムーアの伴奏ピアノではじめての歌曲のレコードを録音した。以後ふたりは1967年のムーアの公演引退までしばしば演奏会や録音を行い、それらは高い評価が与えられた。特にシューベルトの歌曲については個人として多くの曲数を録音し、さらに主な重唱曲も合わせて収録しており、ドイツ・リート録音の名録音と言われる。他にロベルト・シューマンフランツ・リストヨハネス・ブラームスリヒャルト・シュトラウスなど主要なリート作曲家の歌曲全集をさまざまな伴奏者と共に録音している。ドイツの歌手には珍しく地方歌劇場での下積み期間がほとんどないこともあり、同年輩のプライやヴェヒターと違ってオペレッタはあまり歌わないが、それでも「こうもり」「ジプシー男爵」の録音を残している。

フィッシャー=ディースカウはブリテンバーバーヘンツェクレネクルトスワスキジークフリート・マットゥスドイツ語版ヴィンフリート・ツィリヒフォン・アイネムライマンら20世紀音楽の数多くの作品を歌っている。

フィッシャー=ディースカウの主要なレパートリーには他に宗教曲、特にバッハがあげられる。彼のユニークな歌唱はこの分野でも際立った存在であることを示しており、EMIに残したカール・フォルスターの指揮での録音やアルヒーフに残したカール・リヒターの指揮でのさまざまなアリアは古楽器が流行した現在でも色あせることがない。世界におよんだ彼の足跡の中で、1963年と66年に、ベルリンオペラと共に来日したことは、日本の音楽愛好家にとっては特記すべきことである。

彼は1992年に歌手としての演奏会活動の第一線から身を引いた。1970年代より指揮者としてオーケストラ・ピットおよび録音スタジオでの活動を開始していたが、指揮活動にはあまり情熱を持てないとしてまもなく停止。その後は、絵画活動や詩の朗読活動に重点を置いた。

晩年はベルリン芸術大学でリートのマスター・クラスを持ち、彼のもとからアンドレアス・シュミットドイツ語版ディートリヒ・ヘンシェルドイツ語版マティアス・ゲルネドイツ語版など現在のリート界を代表する歌手が数多く育っている。

私生活[編集]

フィッシャー・ディースカウは1949年、チェロ奏者のイルムガルト・ポッペンと結婚した。ふたりの間には3人の息子:マティアス(舞台デザイナー)、マルティン(指揮者)、マヌエル(チェロ奏者)がいる。イルムガルトは1963年に出産後の合併症でなくなった。以後彼は女優のルート・ロイヴェリク(1965年~67年)、クリスティーナ・プーゲル・シューレ(1968年~1975年)と再婚し、1977年以降はハンガリー人(ルーマニア生まれ)のソプラノ歌手ユリア・ヴァラディと結婚生活を送った。

2012年5月18日、バイエルン州オーバーバイエルン行政管区ベルク(ドイツ語版)の自宅で死去[1]。86歳没。

著書[編集]

  • 『シューマンの歌曲をたどって』Robert Schumann Wort und Musik原田茂生、吉田文子訳、白水社、ISBN 4560037302
  • 『ワーグナーとニーチェ』Wagner und Nietzsche、荒井秀直訳、白水社、ISBN 4560024340
  • 『シューベルトの歌曲をたどって』"Auf den Spuren der Schubert‐Lieder"、原田茂生訳、白水社、ISBN 4560037310
  • The Fischer-Dieskau Book of Lieder: The Original Texts of over 750 Songs. Trans. Richard Stokes and George Bird. Random House, 1977. (ISBN 0394494350)
  • Reverberations: The Memoirs of Dietrich Fischer-Dieskau. Trans. Ruth Hein. Fromm International, 1989. (ISBN 0880641371)
  • Schubert's Songs: A Biographical Study. Alfred A. Knopf, 1977. (ISBN 0394480481)

フィッシャー・ディースカウについての書籍[編集]

  • 『自伝 フィッシャー=ディースカウ―追憶』実吉晴夫・五十嵐蕗子・田中栄一訳、メタモル出版、ISBN 4895951898
  • 『ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ―偉大なる声楽家の多面的肖像』Dietrich Fischer-Dieskau、ハンス・A. ノインツィヒ、小場瀬純子訳、音楽之友社、ISBN 4276217768
  • 『フィッシャー=ディースカウ』Dietrich Fischer-Dieskau: Mastersinger ケネス・S・ホイットン、小林利之訳、東京創元社、ISBN 4488002196

出典[編集]

  1. ^ Trauer um Dietrich Fischer-Dieskau Bayerische Staatsoper 2012年5月18日閲覧

外部リンク[編集]