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古来より現在の西京区や右京区を含む地域には、渡来系の一族である[[秦氏]]が居住していた。この秦氏の氏寺的な存在が右京区の[[広隆寺]]で、祭祀が行われたのが[[松尾大社]]であると言われている。西京区の山田地区には秦河勝末孫の東家の墓が京都市街を見守るように立っている。秦氏は[[5世紀]]ごろに桂川の治水工事を行っていたとの説があるが、西京区の桂川沿岸では[[洪水]]がたびたび起こったという。 |
古来より現在の西京区や右京区を含む地域には、渡来系の一族である[[秦氏]]が居住していた。この秦氏の氏寺的な存在が右京区の[[広隆寺]]で、祭祀が行われたのが[[松尾大社]]であると言われている。西京区の山田地区には秦河勝末孫の東家の墓が京都市街を見守るように立っている。秦氏は[[5世紀]]ごろに桂川の治水工事を行っていたとの説があるが、西京区の桂川沿岸では[[洪水]]がたびたび起こったという<ref>{{Cite journal|last=片平|first=博文|date=2005|title=平安京を襲った北からの洪水|url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/hgeog/2005/0/2005_0_20/_article/-char/ja/|journal=人文地理学会大会 研究発表要旨|volume=2005|pages=20–20|doi=10.11518/hgeog.2005.0.20.0}}</ref>。 |
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この時代の行政区画としては桂村・川岡村・松尾村は[[葛野郡]]、大原野村・大枝村は[[乙訓郡]]と分かれて存在していた。 |
この時代の行政区画としては桂村・川岡村・松尾村は[[葛野郡]]、大原野村・大枝村は[[乙訓郡]]と分かれて存在していた。 |
2024年6月2日 (日) 09:20時点における版
にしきょうく 西京区 | |
---|---|
国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 京都府 |
市 | 京都市 |
市町村コード | 26111-4 |
面積 |
59.24km2 |
総人口 |
143,803人 [編集] (推計人口、2024年10月1日) |
人口密度 | 2,427人/km2 |
隣接自治体 隣接行政区 |
京都市(右京区、南区) 向日市、長岡京市、亀岡市 大阪府:高槻市、三島郡島本町 |
西京区役所 | |
所在地 |
〒615-8522 |
外部リンク | 京都市西京区役所 |
ウィキプロジェクト |
西京区(にしきょうく[注釈 1])は、京都市を構成する11区の1つ。山科区と同時に誕生した、京都市で最も新しい区の1つである。洛西ニュータウン・桂坂ニュータウンなどの住宅街が中部にある。
西京区桂川以西の地域と乙訓郡(向日市・長岡京市を含む)を合わせて、「西山」と称される。
地理
区を構成する町については京都市西京区の町名参照。
人口
西京区に相当する地域の人口の推移 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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総務省統計局 国勢調査より |
隣接自治体・行政区
歴史
- 古代
古来より現在の西京区や右京区を含む地域には、渡来系の一族である秦氏が居住していた。この秦氏の氏寺的な存在が右京区の広隆寺で、祭祀が行われたのが松尾大社であると言われている。西京区の山田地区には秦河勝末孫の東家の墓が京都市街を見守るように立っている。秦氏は5世紀ごろに桂川の治水工事を行っていたとの説があるが、西京区の桂川沿岸では洪水がたびたび起こったという[1]。
この時代の行政区画としては桂村・川岡村・松尾村は葛野郡、大原野村・大枝村は乙訓郡と分かれて存在していた。
- 中世
- 平安時代には桂女という女性の商人が洛中に行商を行った。
- 丹波との国境の大枝には酒呑童子の鬼が居たと言われ、源頼光によって討伐されたという伝説がある。このほか当区内の由緒ある寺社と言えば藤原氏の祀社・春日神社(大原野神社)、善峰寺、樫原廃寺跡、西芳寺などがある。
- 近世
京都に政権中枢があった室町時代には、将軍足利義満の時代に、将軍直属の軍勢として西ヶ岡土豪衆を中心に「奉公衆」が結成された。彼らは明徳の乱や応仁の乱など市街地が舞台となった合戦で活躍し、応仁の乱では細川勝元の指示で大内政弘を攻撃するなど、室町政界に参与した。
江戸時代には山陰街道が、現在の西京区域を横断するように敷かれ、沿道の桂、樫原、大枝は宿場町として栄えた。また山陰街道脇に八条宮(桂宮)初代の八条宮智仁親王が桂別業を造営した(後の桂離宮)。また、桂は保津川水運の発着所ともなった。
- 近現代
- 1931年(昭和6年)4月1日葛野郡の桂村、川岡村、松尾村が京都市に編入し、他の村と一緒に右京区が誕生。
- 1950年(昭和25年)12月1日 乙訓郡の大枝村が右京区に編入。
- 1959年(昭和34年)11月1日 乙訓郡の大原野村が右京区に編入。
- 1976年(昭和51年)10月1日 松尾、桂、川岡、大枝、大原野地区が右京区から分区し、西京区が誕生。当初は北区、南区同様、西区の予定であった。
行政
- 西京区役所
- 〒615-8522
- 京都府京都市西京区上桂森下町25番地の1
- 洛西支所
- 〒610-1143
- 京都府京都市西京区大原野東境谷町二丁目1番地の2
施設
防衛省
警察
- 警察署
- 庁舎
- 桂川庁舎
- 交番
- 大枝交番(西京区大枝北沓掛町六丁目)
- 大原野交番(西京区大原野灰方町)
- 桂交番(西京区桂市ノ前町)
- 桂西口交番(西京区川島有栖川町)
- 上桂交番(西京区上桂西居町)
- 川岡交番(西京区川島粟田町)
- 松尾交番(西京区嵐山宮ノ前町)
- 洛西交番(西京区大原野東境谷町二丁目)
消防
- 消防署
- 出張所
- 桂:西京区桂市ノ前町12
- 松尾:西京区松尾木ノ曽町59-6
- 洛西:西京区大枝東新林町2-4
医療
- 主な病院
郵便局
右京区から分区した名残で、西京区の担当集配郵便局は、洛西地区(洛西郵便局)を除いて右京区内にある右京郵便局または京都西郵便局の管轄となっている。
- 主な郵便局
図書館
経済・通信
主な商業施設として、TauT阪急洛西口、ミュー阪急桂、ラクセーヌ(核店舗は高島屋洛西店・ニトリ洛西ラクセーヌ店)がある。
ケーブルテレビ放送局としてZTV(かつてのRCV京都)がある。
教育・研究機関
大学・短大・専修学校
- 国立大学
- 公立大学
- 京都府立大学 大枝演習林
- 短大
私立京都経済短期大学
- 専修学校
そのほか、前述の総研大京都桂坂キャンパスでもある大学共同利用機関の人間文化研究機構国際日本文化研究センターが立地する。
高等学校
- 府立
- 私立
中学校
- 市立
小学校
- 市立
なお、大原野出灰町および大原野外畑町の児童は大阪府高槻市への委託により、両地区からの通学に便利な高槻市立樫田小学校および高槻市立第九中学校に通学する。
特別支援学校
交通
鉄道
京都市の行政区で唯一、市営地下鉄が通っていない。
阪急電鉄(阪急)
西日本旅客鉄道(JR西日本)
バス
- 営業所
- バスターミナル
路線バス
道路
高速道路
国道
府道
- 主要地方道
- 京都府道10号大山崎大枝線(丹波街道)
- 京都府道29号宇多野嵐山山田線(嵯峨街道)
- 京都府道67号西京高槻線(物集女街道)
- 京都市道186号嵐山祇園線(四条通)
- その他の府道
- 京都府道123号水垂上桂線
- 京都府道132号太秦上桂線
- 京都府道134号嵐山停車場線
- 京都府道139号桂停車場線
- 京都府道140号灰方中山線
- 京都府道141号小塩山大原野線
- 京都府道142号沓掛西大路五条線(山陰街道)
- 京都府道201号中山稲荷線
- 京都府道205号中山向日線
- 京都府道207号上久世石見上里線(西国街道)
- 京都府道208号向日善峰線(善峰道)
- 京都府道733号柚原向日線
- 京都府道801号京都八幡木津自転車道線
観光
名所・旧跡
- 主な城郭
- 主な寺院
- 西芳寺(苔寺)
- 華厳寺(鈴虫寺)
- 法輪寺
- 勝持寺(花の寺)
- 永光山地蔵院 (竹の寺)臨済宗系の単立寺院。1367年に室町幕府管領の細川頼之が衣笠山に建立する。
- 浄住寺
- 臨勝寺
- 善峯寺 - 西国三十三所第20番札所
- 正法寺
- 金蔵寺
- 樫原廃寺跡 - 国の史跡
- 桂地蔵寺 - 京都六地蔵の1つ
- 弥勒寺
- 主な神社
- 主な遺跡
- 宿場
観光スポット
- 温泉
出身関連著名人
- 風間八左衛門(桂村出身、貴族院多額納税者議員、衆議院議員)
- 小石元俊(江戸時代の蘭学者)
- 小杉竜一(漫才師・ブラックマヨネーズ)
- 斎藤道三(戦国大名)- 諸説あるが山城国乙訓郡西岡の出生とされる。
- 篠宮暁(漫才師・オジンオズボーン)
- 澤井道久(元野球選手・中日ドラゴンズ)
- 仁科克基(俳優)
- 仁科仁美(女優)
- 北川弘美(女優)
- HIDE(歌手・GReeeeN。ただし生まれは大阪府高槻市)
- 森谷昭仁(元野球選手・大阪近鉄バファローズ〜東北楽天ゴールデンイーグルス)
脚注
注釈
- ^ 当地域の行政区画名は、正しくは、にしきょうである。
参考文献
この節の加筆が望まれています。 |
関連項目
外部リンク
- 西京区役所 - 京都市情報館(公式サイト)
- ^ 片平, 博文 (2005). “平安京を襲った北からの洪水”. 人文地理学会大会 研究発表要旨 2005: 20–20. doi:10.11518/hgeog.2005.0.20.0 .