織田信真

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織田信真
時代 江戸時代後期 - 明治時代
生誕 天保13年(1842年
死没 不明
改名 豊満寿丸(幼名)→信真
別名 通称:織之助
幕府 江戸幕府旗本
主君 徳川家定家茂慶喜
氏族 織田氏(信高流高家)
父母 父:織田長裕
兄弟 信真、武田鐡之丞
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織田 信真(おだ のぶざね)は、江戸時代後期の旗本慶応3年の武鑑での石高2000石。

生涯[編集]

天保13年(1842年)、高家旗本・織田長裕の子として江戸にて誕生した。幼名は豊満寿丸(とよますまる)、のち織之助と称する。

安政2年(1855年)3月26日、長裕の隠居により家督を相続する。家督相続後も高家職に就任することなく、俗にいう表高家衆として過ごす。なお、表高家内の席次は第1位であった。文久3年(1863年)1月7日、14代将軍徳川家茂御目見をする。

慶応4年(1868年)7月9日、新政府より本領安堵される。明治元年(1868年)10月14日、太政官より「旧旗下織田織之助本領安堵ノ儀」を、大津県へ下達される。明治5年(1872年)10月には江戸の薬種問屋杉浦六三郎(後の杉浦六右衛門[1])の肖像写真を撮影している[2]

明治9年(1876年)9月、新橋門前町から上野池之端に移り、横山松三郎の通天楼を改築し、写真館を開く。秩禄処分後は写真師として生計を立てていたようである。

系譜[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 杉浦六右衛門はコニカの創業者である。
  2. ^ 東京都写真美術館 編『夜明けまえ 知られざる日本写真開拓史 1.関東編研究報告』2007年3月。 

参考資料[編集]

  • 熊井保; 大賀妙子 編『江戸幕臣人名事典』小西四郎監修、新人物往来社、1989年5月15日。 
  • 織田織之助本領安堵 (PDF) - 国立公文書館デジタルアーカイブ
  • 『旧旗下ノ者本領安堵 織田織之助』国立公文書館蔵
  • 『旧旗下織田織之助本領安堵ノ儀大津県へ達』国立公文書館蔵
  • 『表高家織田織之助信真 明細短冊』国立公文書館蔵
  • 『表高家織田織之助五節句月次御礼願糺之事覚』国立公文書館蔵

外部リンク[編集]