織田信憑

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織田 信憑(おだ のぶより、寛保元年(1741年) - 天保2年12月10日1832年1月12日))は、丹波柏原藩第4代藩主。高長系織田家7代。

正室はなし。子は織田信守(長男)、織田信存(次男、織田信味養子)、小堀正徳(三男、京都代官小堀邦明の養子)、織田長衆(四男、長恵とも名乗る)、次女悌(吉川経忠正室)、四女律(富田知常正室)ら5男4女。養子に織田信応(織田信旧の三男)。初名は信富。通称は万五郎、大学。官位は従四位出雲守。

生涯[編集]

寛保元年(1741年)、高家旗本織田信栄の次男として江戸において誕生する。宝暦8年(1758年3月26日、柏原藩主織田信旧の長男元丸、次男勇千代が早世したため、その養子となる。なお、同年養父・信旧に三男信応が生まれた。そのため、寛政元年(1789年)12月、信憑は義弟信応を養嗣子に迎えた。宝暦10年7月1日、将軍徳川家治御目見する。

天明3年(1783年7月2日、家督を相続する。同年12月18日、従五位下出雲守に叙任する。天明4年4月25日、藩主として初めてお国入りする許可を得る。

文化12年(1815年12月23日、老年に至るまで参勤交代といった大名としての責務を怠らず勤めたとして、従五位下から従四位下に昇進する。それにともなって、柳の間詰から大広間詰となる。文政10年(1827年10月10日に隠居し、長男信守に家督を譲る。なお、養嗣子信応は享和元年(1801年)に死去している。天保2年(1831年)12月10日江戸において死去、享年91。広徳寺に葬られる。