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2012年12月24日 (月) 14:36時点における版
カテゴリ | グランドツアラー |
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国・地域 | 国際 |
開始年 | 1997年 |
最終 ドライバーズ チャンピオン |
GT1: ミハエル・バーテルズ、アンドレア・ベルトリーニ GT2: リチャード・ウェストブルック |
最終 チーム チャンピオン |
GT1: ビータフォン GT2: AFコルス |
最終 マニュファクチャラーズ チャンピオン | GT2: フェラーリ |
公式サイト | fiagt.com |
FIA GT選手権(エフアイエー ジーティーせんしゅけん、FIA GT Championship)は、国際自動車連盟(FIA)が管轄する、GTカーによるレースの名称。1997年から2009年まで開催されていた。
概要
1996年一杯で国際ツーリングカー選手権(ITC)が終了することにより、FIAはそれまでBPRと言う団体が主催して1994年に発足した「BPR GTグローバルシリーズ」(鈴鹿1000kmもシリーズの1戦に加わっていた)と言う国際耐久シリーズをFIA直轄とし、1997年より「FIA GT選手権」としてスタートさせた。FIA直轄としては、1992年のスポーツカー世界選手権(SWC)終了以来、5年ぶりの耐久レースの復活である。ITC終了で戦いの場を無くしていたAMG・メルセデスは、急遽GT1マシンを製作しこのシリーズにワークス参戦した。
初年度はメルセデスのほか、ポルシェ、BMW(マクラーレン)、パノス、ロータスがワークス参戦した。ワークスが主流のGT1クラスにはセミプロトタイプとも言えるメルセデスベンツ・CLK GTR、ポルシェ・911 GT1、マクラーレン・F1-GTR LMが参戦した。そのほかにもプライベーター仕様のマクラーレン・F1 GTRやパノス・エスペランテ GTR、ロータス・エリーゼ GT1も参戦し、GT2クラスではクライスラー・バイパー GTS-Rとポルシェ・911 GT2の白熱したバトルが展開したほか、マーコス、モーガン、サリーンも参戦し、開催国も欧州以外に日本、アメリカを含む事実上の世界選手権と呼べるシリーズとなった。
初年度はGT1,GT2マシンを含め常時35~52台のマシンが参戦していたが、翌1998年には、各メーカーの相次ぐ撤退により、1999年にはGT1クラスが廃止されGT2(GTと改称)主流のレースとなり(クライスラー・バイパーGTS-R、リスター・ストーム、フェラーリ・550マラネロなど)、翌2000年からはアジア・北米ラウンドがなくなり欧州ラウンドのみとなった。またこの年からフェラーリ・360やポルシェ・911 GT3などが参戦する下位カテゴリー、N-GTクラスが新設されている。
2009年は、GT1(旧GT)クラスではマセラティ・MC12、アストンマーチン・DBR9、シボレー・コルベットC5・C6R、ランボルギーニ・ムルシエラゴ R-GT、フォード・GT、GT2(旧N-GT)クラスではポルシェ・911 GT3-RSR(996型、997型)フェラーリ・F430、G2クラスでは、ギレ・ベルティゴと言ったマシンが活躍している。伝統のスパ・フランコルシャン24時間レースもシリーズの1戦に加わっているが、年々参戦台数が少なくなっているのが現状である。そのような中でニッサン・モータースポーツ・インターナショナル(NISMO)は、2009年にGT1クラスへ日産・GT-Rでの参戦を発表し、実戦での車両開発する目的で同年に賞典外ながらスポット参戦した。
2010年からGT1クラスには世界選手権、GT2クラスにはヨーロッパ選手権のタイトルが与えられることになった。2010年は、マセラティ・MC12、アストンマーチン・DBR9、シボレー・コルベットC6R、ランボルギーニ・ムルシエラゴ R-GT、フォード・GTと、前年スポット参戦した日産・GT-Rが本年より本格的に参戦を開始し、スイスの「Swiss Racing Team」とイギリスの「Sumo Power GT」からそれぞれ2台ずつ、計4台のGT-Rがエントリーしている。日産にとっては約20年ぶりのFIA世界選手権シリーズへの参加となる。しかしこのFIA-GT選手権はワークスでの参戦が認められていない。日産及びNISMOはあくまでも、プレイベーターへの技術支援というスタンスである。そして2010年第2戦のシルバーストン・サーキットではジェイミー・キャンベル・ウォルター選手 / ウォレン・ヒューズ選手組(Sumo Power GT)のドライブするGT-Rが優勝し、GT-R勢に初優勝をもたらした。 実際には決勝レースを3番手でフィニッシュした22号車 Sumo Power GTのジェイミー・キャンベル・ウォルター/ウォレン・ヒューズ組だったが、レース終了後の車検で、トップでゴールした7号車 ヤングドライバーAMRアストンマーチンDB9(ダレン・ターナー/トーマス・エンジ組)が技術規則違反のため失格、またHexis AMRのThomas Accary/Frederic Makowiecki組はドライブスルーペナルティを3ラップ以内に受けなかったため15秒のペナルティを課されたことにより、初優勝となった。
日本開催
1997年、1998年の2年間、鈴鹿1000kmがFIA GT選手権のシリーズの1戦として開催された。500kmが中心だった当時の選手権では異例の長距離レースであった。メルセデス、ポルシェ、BMWのワークスチームも来日し参戦している。1998年の優勝車メルセデスCLK-LMは、グループC時代と比べ遜色のないタイムで1000kmを走破している。この時期ル・マンに参戦していたトヨタ・日産は、それぞれトヨタ・GT-One TS020、日産・R390と言うGT1マシン(ル・マンのACO規定とFIA規定は若干異なる)を保有していたが、シリーズ参戦していないと言う理由などでこの母国ラウンドには参戦できなかった。この時期の国内メーカーのル・マン参戦マシンを日本のファンは直接見ることができなかったのである。1999年には鈴鹿1000kmはFIA GT選手権から外れた。
歴代チャンピオン
関連項目