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|名前 = 岩根忍|棋士番号 = 32 |
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|プロ年度 = 2004年4月1日(23歳) |
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|作成日時=2012年7月27日 |
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将棋指しという勝負師である一方で、自分のことを「しぃ」と呼ぶあどけなさ、おっとりした[[関西弁]]、柔和な笑顔が特徴である。愛称は'''しーちゃん'''。特技は、[[フィギュアスケート]]と[[けん玉]]で、それぞれ「[[将棋世界]]」誌の連載企画「岩根忍の将棋って楽しい」(岩根が毎月地方の将棋道場を訪れ、地元の子供たちに指導対局する企画。1年間連載)で本人の実演シーンの写真が掲載された。 |
将棋指しという勝負師である一方で、自分のことを「しぃ」と呼ぶあどけなさ、おっとりした[[関西弁]]、柔和な笑顔が特徴である。愛称は'''しーちゃん'''。特技は、[[フィギュアスケート]]と[[けん玉]]で、それぞれ「[[将棋世界]]」誌の連載企画「岩根忍の将棋って楽しい」(岩根が毎月地方の将棋道場を訪れ、地元の子供たちに指導対局する企画。1年間連載)で本人の実演シーンの写真が掲載された。 |
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1994年の女流アマ名人戦優勝を経て、1995年、[[新進棋士奨励会|奨励会]]に入会。関西奨励会で1級まで上がる。この[[将棋の段級|段級位]]は、優遇措置が適用されて初段まで上がった[[蛸島彰子]]と、先に女流棋士としてタイトル通算6期の実績から1級への編入試験受験を認められて合格した[[里見香奈]]のケースを除けば、女性の奨励会員としては[[甲斐智美]]、[[伊藤沙恵]]、[[加藤桃子]]と並び史上最高位の記録である<ref>タイトル |
1994年の女流アマ名人戦優勝を経て、1995年、[[新進棋士奨励会|奨励会]]に入会。関西奨励会で1級まで上がる。この[[将棋の段級|段級位]]は、優遇措置が適用されて初段まで上がった[[蛸島彰子]]と、先に女流棋士としてタイトル通算6期の実績から1級への編入試験受験を認められて合格した[[里見香奈]]のケースを除けば、女性の奨励会員としては[[甲斐智美]]、[[伊藤沙恵]]、[[加藤桃子]]と並び史上最高位の記録である<ref>タイトル経験者の[[矢内理絵子]]、[[千葉涼子]]の奨励会(関東奨励会)での最高位は2級である。</ref>。なお、奨励会時代の2002年に、第60期[[名人戦 (将棋)|名人戦]]七番勝負第1局([[NHK衛星第2テレビジョン|NHK衛星第2]]で生放送)の記録係を、女性として史上初めて単独で行っている。 |
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2004年4月1日に女流1級としてデビュー。その後順調に勝ち星を挙げ、1年後の2005年4月1日に女流初段となる。 |
2004年4月1日に女流1級としてデビュー。その後順調に勝ち星を挙げ、1年後の2005年4月1日に女流初段となる。 |
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[[2004年]][[4月]]から[[9月]]まで[[日本放送協会|NHK]][[将棋講座 (NHK)|将棋講座]]「[[阿部隆]]の良い手悪い手普通の手」([[NHK教育テレビジョン|NHK教育テレビ]])のアシスタントを務めた。このとき、アナウンサーの[[泉浩司]]と出会う。これをきっかけに[[2006年]][[1月23日]]に結婚。その年の秋に第1子(男児)を出産し、ママさん棋士となる。女流棋士としての姓は「岩根」のままで活動している。 |
[[2004年]][[4月]]から[[9月]]まで[[日本放送協会|NHK]][[将棋講座 (NHK)|将棋講座]]「[[阿部隆]]の良い手悪い手普通の手」([[NHK教育テレビジョン|NHK教育テレビ]])のアシスタントを務めた。このとき、アナウンサーの[[泉浩司]]と出会う。これをきっかけに[[2006年]][[1月23日]]に結婚。その年の秋に第1子(男児)を出産し、ママさん棋士となる。女流棋士としての姓は「岩根」のままで活動している。 |
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[[2009年]][[3月9日]] 第2期[[マイナビ女子オープン]]で、タイトル在位者・経験者の蛸島彰子、[[石橋幸緒]]、[[斎田晴子]]、[[清水市代]]らを破って6連勝し、挑戦権を得る。当時、岩根は第2子の出産を控える妊娠8か月であったが、インタビュアーに対し「(子供を)授かったことが(逆に)支えになりました」と語った。出産予定日がタイトル戦期間中となるため、五番勝負第2局以降の日程を白紙とし挑戦者の出産後、労働基準法で定められている8週間以上の休養期間をもって再度調整をする旨が、各主催者から2009年4月上旬に発表された<ref>[http://www.shogi.or.jp/topics/ |
[[2009年]][[3月9日]] 第2期[[マイナビ女子オープン]]で、タイトル在位者・経験者の蛸島彰子、[[石橋幸緒]]、[[斎田晴子]]、[[清水市代]]らを破って6連勝し、挑戦権を得る。当時、岩根は第2子の出産を控える妊娠8か月であったが、インタビュアーに対し「(子供を)授かったことが(逆に)支えになりました」と語った。出産予定日がタイトル戦期間中となるため、五番勝負第2局以降の日程を白紙とし挑戦者の出産後、労働基準法で定められている8週間以上の休養期間をもって再度調整をする旨が、各主催者から2009年4月上旬に発表された<ref>[http://www.shogi.or.jp/topics/2009/04/post-175.html 日本将棋連盟 2009年4月3日 『第2期マイナビ女子オープン五番勝負日程について』]</ref>。 |
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2009年[[4月21日]]午後、第2子(男児)を出産。 |
2009年[[4月21日]]午後、第2子(男児)を出産。 |
2012年7月27日 (金) 04:59時点における版
岩根忍 女流二段 | |
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名前 | 岩根忍 |
生年月日 | 1981年3月16日(43歳) |
プロ入り年月日 | 2004年4月1日(23歳) |
棋士番号 | 32 |
出身地 | 大阪府大阪市 |
師匠 | 小林健二九段 |
段位 | 女流二段 |
棋士DB | 岩根忍 |
2012年7月27日現在 |
岩根 忍(いわね しのぶ、本名:泉 忍(旧姓岩根)、1981年3月16日 - )は、日本将棋連盟所属の女流棋士。大阪府大阪市出身。小林健二九段門下。女流棋士番号は32。
人物
女流棋士の一般的な登竜門である女流育成会出身ではなく、奨励会より、直接、女流棋士に転身した初めてのケースである(奨励会1級から女流1級になった)[1]。
将棋指しという勝負師である一方で、自分のことを「しぃ」と呼ぶあどけなさ、おっとりした関西弁、柔和な笑顔が特徴である。愛称はしーちゃん。特技は、フィギュアスケートとけん玉で、それぞれ「将棋世界」誌の連載企画「岩根忍の将棋って楽しい」(岩根が毎月地方の将棋道場を訪れ、地元の子供たちに指導対局する企画。1年間連載)で本人の実演シーンの写真が掲載された。
1994年の女流アマ名人戦優勝を経て、1995年、奨励会に入会。関西奨励会で1級まで上がる。この段級位は、優遇措置が適用されて初段まで上がった蛸島彰子と、先に女流棋士としてタイトル通算6期の実績から1級への編入試験受験を認められて合格した里見香奈のケースを除けば、女性の奨励会員としては甲斐智美、伊藤沙恵、加藤桃子と並び史上最高位の記録である[2]。なお、奨励会時代の2002年に、第60期名人戦七番勝負第1局(NHK衛星第2で生放送)の記録係を、女性として史上初めて単独で行っている。
2004年4月1日に女流1級としてデビュー。その後順調に勝ち星を挙げ、1年後の2005年4月1日に女流初段となる。
デビュー直後の2004年から2年あまり、村田智穂とのコンビで、関西将棋会館サイト内のコンテンツ「お気楽日記」を執筆。以後「お気楽コンビ」と呼ばれるようになり、セットでの将棋普及活動も行う。 また、日本経済新聞のサイトであるNIKKEI NET 将棋王国において高橋和の後を引き継いで、コラム執筆を行う。
2004年4月から9月までNHK将棋講座「阿部隆の良い手悪い手普通の手」(NHK教育テレビ)のアシスタントを務めた。このとき、アナウンサーの泉浩司と出会う。これをきっかけに2006年1月23日に結婚。その年の秋に第1子(男児)を出産し、ママさん棋士となる。女流棋士としての姓は「岩根」のままで活動している。
2009年3月9日 第2期マイナビ女子オープンで、タイトル在位者・経験者の蛸島彰子、石橋幸緒、斎田晴子、清水市代らを破って6連勝し、挑戦権を得る。当時、岩根は第2子の出産を控える妊娠8か月であったが、インタビュアーに対し「(子供を)授かったことが(逆に)支えになりました」と語った。出産予定日がタイトル戦期間中となるため、五番勝負第2局以降の日程を白紙とし挑戦者の出産後、労働基準法で定められている8週間以上の休養期間をもって再度調整をする旨が、各主催者から2009年4月上旬に発表された[3]。
2009年4月21日午後、第2子(男児)を出産。
2009年7月8日、棋士(男性棋士)との初の公式戦で初勝利を挙げる(第3回朝日杯将棋オープン戦一次予選)。相手は普段から仲の良い神吉宏充であった。
2010年 倉敷藤花戦挑戦者として、里見香奈倉敷藤花に挑戦。初戦に勝利し王手をかけるも2連敗でタイトル奪取ならず。尚初戦(10月21日)と2戦(11月2日)の間に里見は女流王将を奪取しており(10月28日)、女流三冠を防衛した。
略歴
昇段規定は将棋の段級 を参照。
- 1994年 第26回女流アマ名人戦優勝
- 1995年 奨励会に6級で入会
- 2003年 奨励会を1級で退会
- 2004年4月1日 女流1級で女流プロに編入
- 2005年4月1日 女流初段昇段(年度指し分け・7勝以上)
- 2006年2月5日 第1回きしろ杯争奪関西女流メイショウ戦優勝
- 2009年1月25日 第4回きしろ杯争奪関西女流メイショウ戦優勝
- 2009年3月9日 女流二段昇段(タイトル挑戦 = マイナビ女子オープン)
- 2009年6月~7月 第2期マイナビ女子オープン五番勝負でタイトル初挑戦。矢内理絵子女王に挑むも、0-3で敗退。
- 2010年10月~11月 第18期倉敷藤花戦三番勝負で里見香奈倉敷藤花(女流三冠)に挑むも、1-2で敗退。
将棋大賞
- 第37回(2009年度)- 女流最多対局賞
関連項目
脚注
関連項目
- 大阪府出身の人物一覧
- 里見香奈・井道千尋・室田伊緒 - 「キラリっ娘」と称され、「お気楽コンビ」の活動を引き継いで活動していた女流棋士。