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(え、: prajñā, mati)は、仏教用語で下記の2つの意味がある[1]

  1. 心所(心のはたらき)の一つであり、事物や道理を識知・弁別・判断する精神作用[1]上座部大寺派では慧根(えこん、paññindriya)と呼ばれる。本記事で詳述。
  2. 禅定三昧によって静められた心によって、真実の道理をありのままに見ぬくはたらき[1]。prajñā を音写して般若という[1]とともに三学の一つ[1][注釈 1]般若を参照。

心所としての慧[編集]

慧は善・不善・無記の三性(さんしょう)に通じ、善慧は正見や正慧とも称する[1]。悪慧(不善と不覆無記)のうち、特にはたらきの激しいものを悪見と称し、五見とする[1]

宗派ごとの扱い[編集]

心所としての慧の位置づけについて、宗派ごとに説がある[1]

倶舎宗[編集]

唯識宗[編集]

天台宗[編集]

般若と音写される慧[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 五根の一つには慧根があり、五力の一つには慧力がある[1]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i 総合仏教大辞典編集委員会(編)『総合仏教大辞典』 上巻、法蔵館、1988年1月、99-100頁。 

関連項目[編集]