鳥井信治郎
とりい しんじろう 鳥井 信治郎 | |
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| 生誕 |
1879年1月30日 |
| 死没 |
1962年2月20日(83歳没) |
| 国籍 |
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| 出身校 | 大阪商業学校中退 |
| 職業 | 実業家 |
| 著名な実績 | 日本における洋酒産業発展への寄与 |
| 親 | 鳥井忠兵衞 |
鳥井 信治郎(とりい しんじろう、1879年〈明治12年〉1月30日 - 1962年〈昭和37年〉2月20日)は、日本の実業家。
寿屋(後のサントリー)を創業し、日本における洋酒産業、とりわけウイスキー製造の基礎を築いた人物として知られる[1]。
大阪市東区(現在の大阪市中央区)に生まれた鳥井は、若くして洋酒商に奉公し、西洋酒の調合や販売に関する知識を身につけた。1899年に独立して鳥井商店を創業し、日本人の嗜好に合う洋酒の開発を志向した。その成果として1907年に発売した赤玉ポートワインは大きな成功を収め、事業拡大の基盤となった。[2]
1921年には寿屋を設立し、1923年には京都府大山崎町に山崎蒸溜所を建設した。国産ウイスキーの本格的製造に挑戦した鳥井の事業は、日本の酒類産業の近代化に大きな影響を与えた。彼の掲げた「やってみなはれ」の精神は、後年に至るまでサントリーの企業理念として受け継がれている。[3]
評価・影響
[編集]鳥井信治郎は、国産洋酒産業の先駆者として評価される。甘味を加えた「赤玉ポートワイン」の成功により、輸入洋酒中心であった市場に国内製品を確立した点が特筆される。[4] また、1923年には寿屋が山崎蒸溜所を建設し、本格的な国産ウイスキーの製造に乗り出したことは、日本の酒類産業の近代化に大きな影響を与えたとされる[要出典]。これらの取り組みは、後のウイスキー文化の発展や、多様な酒類市場の形成にも寄与したと評価されている。
生涯・経歴
[編集]1879年、大阪市東区(現在の大阪市中央区)に生まれた鳥井信治郎は、13歳で薬種商に奉公し、そこで洋酒に触れたことをきっかけに酒類販売の知識を身につけた。1899年に独立して鳥井商店を創業し、当初は輸入ワインを中心に扱ったが、日本人の嗜好に合う酒類の必要性を強く意識するようになった。[1] 1907年に発売した赤玉ポートワインは、日本人向けに味を調整した洋酒として成功を収め、鳥井の事業基盤を確立する契機となった。第一次世界大戦後の国内需要拡大を背景に事業は成長し、1921年には寿屋を設立して法人化を行った。[5]
1923年、鳥井は京都府大山崎町に山崎蒸溜所を建設し、国産ウイスキーの本格的製造に乗り出した。これは輸入酒の販売にとどまらず、国内で原酒を製造するという試みであり、日本の酒類産業における新たな段階を画すものとなった。戦前・戦後を通じて寿屋は事業を拡大し、ウイスキーをはじめとする多様な酒類の製造・販売を行った。
鳥井は晩年まで経営に関与し、1962年に死去した。その後、寿屋は社名をサントリーへと改め、鳥井の築いた事業基盤を継承・発展させていくこととなった。
「やってみなはれ」
[編集]「やってみなはれ」は、鳥井信治郎の姿勢を象徴する言葉として後年に広く知られるようになった表現である。この言葉は、必ずしも鳥井自身の発言として同時代史料に頻出するものではないが、未知の分野にも積極的に挑戦するという経営姿勢を表す標語として、サントリーの企業文化の中で語り継がれてきた。[6]
輸入洋酒の販売にとどまらず、国産ウイスキー製造という当時としてはリスクの高い事業に踏み出した鳥井の判断は、この精神を体現するものとされる。一方で、この表現が現在の形で定着したのは戦後以降であり、後世の企業広報や回顧的言説によって整理・象徴化された側面がある点には留意が必要である。[5]
竹鶴政孝との関係
[編集]鳥井信治郎は、寿屋がウイスキー製造に本格的に取り組む過程において、技術者として竹鶴政孝を招聘した。竹鶴はスコットランドでウイスキー製造を学んだ経験を有し、山崎蒸溜所における初期の製造体制の構築に関与したとされる。
一方で、鳥井と竹鶴の関係は、経営方針や製品の方向性をめぐる相違を内包していたとも指摘されている。最終的に竹鶴は寿屋を離れ、独立して別の事業を展開する(ニッカウヰスキー) に至ったが、両者の関係は日本におけるウイスキー製造草創期の一側面を示すものとして位置づけられている。[7]
著作
[編集]- 『一億一体天祐神助を祈れ』豊公会、1942年12月25日。 NCID BA86072687。全国書誌番号:44025054 NDLJP:1094537。
- 『生ける豊太閤 ―豊太閤と天守閣―』豊公会、1939年8月1日。 NCID BA30305714。全国書誌番号:44040551 NDLJP:1103208。
系譜
[編集]- 長男の鳥井吉太郎は31歳で死去[8]。妻は阪急阪神東宝グループ創始者の小林一三の娘、春子。
- 吉太郎の子が3代目サントリー社長の鳥井信一郎。
- 次男は2代目サントリー社長の佐治敬三。
- 敬三の子がサントリーホールディングス会長の佐治信忠。
- 三男はサントリー名誉会長の鳥井道夫。
- 道夫の子がサントリーホールディングス副会長、3代目マスターブレンダーの鳥井信吾。
鳥井信治郎が登場する作品
[編集]- 『マッサン』 - 2014年度下半期NHK連続テレビ小説で、竹鶴政孝夫妻をモデルとしたフィクション。主人公である亀山夫妻に大きな影響を与える「鴨居欣次郎(演:堤真一)」として登場する[9]。
- 山口瞳・開高健『やってみなはれみとくんなはれ』2003年
- 伊集院静『琥珀の夢 小説 鳥井信治郎』日本経済新聞朝刊連載小説、2017年
- 『日経ドラマスペシャル 琥珀の夢』上記伊集院静著の小説を原作とした2018年放送のテレビ東京制作のテレビドラマ。鳥井をモデルとした主人公・鳴江萬治郎を内野聖陽が演ずる。
脚注
[編集]- ^ a b “鳥井信治郎”. 国立国会図書館. 2025年12月23日閲覧。
- ^ “サントリーのものづくりと創業者”. サントリーホールディングス. 2025年12月23日閲覧。
- ^ “山崎蒸溜所の歴史”. サントリー. 2025年12月23日閲覧。
- ^ “鳥井信治郎とは”. コトバンク. 2025年12月23日閲覧。
- ^ a b “鳥井信治郎とは”. コトバンク. 2025年12月23日閲覧。
- ^ “サントリーのものづくりと創業者”. サントリー. 2025年12月23日閲覧。
- ^ “竹鶴政孝”. コトバンク. 2025年12月23日閲覧。
- ^ ジャパニーズウイスキー物語 水薫る
- ^ “NHK連続テレビ小説:外国人ヒロイン、視聴者の反応は 「マッサン」29日から”. 毎日新聞 (2014年9月18日). 2014年10月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月13日閲覧。
参考文献
[編集]- 『鳥井信治郎』 - コトバンク
- 『鳥井 信治郎』 - コトバンク
- 武田経済研究所 編「国立国会図書館デジタルコレクション 洋界の異彩・鳥井信治郎」『非常時財界の首脳』武田経済研究所、1938年。
関連文献
[編集]- 佐藤信『日本洋酒史 ― ウイスキーとワインの近代』中央公論新社、1999年。
- サントリー株式会社編『サントリー百年史』サントリー、1999年。
関連項目
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