鳥井信治郎

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鳥井 信治郎(とりい しんじろう、1879年1月30日 - 1962年2月20日)は、日本実業家サントリー(現サントリーホールディングス株式会社)の創業者である。

経歴[編集]

  • 1895年(明治28年) 16歳で博労町の絵具・染料を扱う小西勘之助商店へ移る。
  • 1899年(明治32年) 20歳で大阪市西区で鳥井商店を起こした。
  • 1906年(明治39年) 27歳で「寿屋洋酒店」に改名。スペイン人兄弟が大阪で経営していたセレース商会を買収し、スペイン産の葡萄酒を販売するが売れなかったため、日本人の口にあう「赤玉ポートワイン」を製造し販売した。
  • 1921年(大正10年) 42歳で株式会社寿屋を設立。大正後期には「赤玉ポートワイン」が国内ワイン市場の60%を占めるまでに成長した。
  • 1923年(大正12年) 44歳で本格的なウイスキー生産を志し、ウイスキーの本場スコットランドキャンベルタウンでウイスキー留学の経験のある竹鶴政孝を招き大阪府島本村山崎にウイスキー蒸留所(山崎蒸溜所)を建設。国産ウイスキーの製造を開始。
  • 1929年(昭和4年) 50歳で初の国産ウイスキーの「サントリーウイスキー白札」(現在の「サントリーホワイト」)と「サントリーウイスキー赤札」(現在のサントリーレッド)を発売。売れ行きは芳しくなく、経営不振の為にスモカ歯磨の製造販売権や買収したビール事業を手放すこととなった。
  • 1937年(昭和12年) 58歳で「サントリーウイスキー12年」(現在の「サントリー角瓶」)を発売。この製品の成功により、サントリーのウイスキー事業が軌道に乗ることになる。
  • 1940年(昭和15年)サントリーオールド誕生。戦時下により発売ならず、10年後に世に出る。
  • 1940年(昭和15年)9月 長男の鳥井吉太郎が死去。
  • 1960年(昭和35年)サントリーローヤル発売。
  • 1961年(昭和36年) 寿屋の会長に就任。経営の第一線から退く。
  • 1962年(昭和37年)2月20日 急性肺炎で死去。享年83。

「やってみなはれ」[編集]

失敗を恐れず挑戦することを重んじる信治郎の「やってみなはれ」を、サントリーは21世紀においても創業精神として掲げている[1]新浪剛史サントリーホールディングス社長によると、社内の研修組織「サントリー大学」において、買収した米ビーム社員らを含めて「Yatte Minahare」とそのまま教えているという[2]

系譜[編集]

鳥井信治郎が登場する作品[編集]

脚注[編集]

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参考文献[編集]


先代:
(初代)
壽屋(のちのサントリー)社長
初代:1899年 - 1961年
次代:
佐治敬三