この記事は半保護されています。(半保護の方針による半保護)

高槻中学校・高等学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search

高槻中学校・高等学校
正門前
過去の名称 (旧制)高槻中学校
国公私立の別 私立学校
設置者 学校法人大阪医科薬科大学
校訓 真面目に 強く 上品に
設立年月日 1940年10月16日
創立記念日 10月16日
創立者 藤堂献三
共学・別学

男女共学

※平成28年度以前に入学した在校生は男子のみ
中高一貫教育 完全一貫制
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 3学期制
所在地 569-8505
大阪府高槻市沢良木町2-5
外部リンク 高槻中学校・高槻高等学校
Portal.svg ウィキポータル 教育
Project.svg ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

高槻中学校・高等学校(たかつきちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、大阪府高槻市沢良木町2番5号に所在し、中高一貫教育を提供する私立中学校高等学校。高等学校においては、生徒を募集しない完全中高一貫校である[1]

概要

1940年昭和15年)の創立以来、男子校として貫いてきたが、平成29年度入学生より男女共学となった(後述)。

創立に至る経緯から、大阪医科大学と交流があり、本校の歴代の理事長は同大学の学長・理事長経験者が就いている。また、2011年度(平成23年度)からは同大学での体験授業ならびに実習が本校生徒向けに行われている。こうした経緯から伝統的に医学部への進学者が多く、在籍者にも医師の子弟が多いという特徴がある。

高等学校からの募集は2004年(平成16年)以降停止されており、完全中高一貫教育が実施されている。

2014年(平成27年)にスーパーサイエンスハイスクール (SSH) 指定校[2]、2015年(平成28年)にSGHアソシエイト[3]に選定された。

沿革

島上郡の中心である高槻は、江戸期には高槻藩3万6千石の城下町が置かれ、藩校「菁莪堂」も設けられていた。しかし、明治以降、三島郡への統合以前から島下郡の茨木にその中心性が移り、同郡西部の吹田や豊能郡の豊中・池田に市制施行で先を越され、大阪府立第十六中学校(現・大阪府立池田高等学校)の誘致合戦では池田市に軍配が上がり、いまだ旧制中学校がない状況が続いていた。

1940年10月に大阪高等医学専門学校(現・大阪医科大学)の理事長を務めていた藤堂献三は、島上地域の父母の強い教育要望に応え、京阪電気鉄道や地元の名士など多数の有志の協力を得て、三島郡高槻町大字西天川(現在地)に高槻中学校を創設した。

1948年学制改革後は、高槻高等学校と高槻中学校を併設して、大学進学を目指した中高一貫の教育を忠実に実践し、教育効果の向上を図ってきた。

1980年高校校舎、1982年管理校舎、1984年藤堂記念体育館・武道館、1985年クラブ室を増改築、1992年第二体育館(卓球場)新築、1993年全教室に冷暖房設備を施し、2000年中学新校舎が完成、さらに2002年に図書館を増改築して図書・総合教育センターを新設するなど、教育環境の整備に努めてきた。旧制中学校時代からの進学校の良さと個性重視の教育を伝統として受け継ぎ今日に至る。

校風

「真面目に、強く、上品に」を校訓として旧制高等学校のような学校を目指しており、学校を挙げて組織的に勉強に力を入れるようになった昨今においても自由な校風を維持している。

現在においても厳格な校則を有さず、文化祭・体育祭は生徒による選挙によって選任される委員会によって企画・運営がなされ、教師は一切介入しない。クラブの運営予算も、文化系・体育系問わずクラブの代表者が一堂に会しての合議によって配分額が決定される。また一時期制服(後述)を廃止するかどうかが議論となったが、全校生徒による投票が行われた結果存続が決定して現在に至っている。

クラブ活動は盛んであり、中学校ではほぼ全員、高等学校でも8割に上る生徒が何らかのクラブに所属している。特筆すべき実績を上げているクラブとしては、運動部ではアメリカンフットボール部・陸上部・野球部、文化部では将棋部・鉄道研究部吹奏楽部・囲碁部などが挙げられる。

学習指導においては伝統的に読書指導、ディベート、読書感想文など、大学受験とは直接関係のない教育にも力を入れており、受験勉強に偏らない学力の養成を重視する一方、高等学校第2学年までに中学校・高等学校の全範囲を学習し終えて高等学校第3学年の一年間は大学受験のための演習に費やす他、OBによる講演会や「大学出張講義」といった進路指導イベントを各種開催するなど、受験指導・自らの進路に対する意識付けにも力を注いでいる。

コース制

「『知・徳・体』の調和のとれた全人教育」という教育理念のもと、それぞれの教育分野に特化した3つのコース制が採られている。大半のカリキュラムは全コースで共通としており、希望する進路によってコースを選択する[4]

GL (Global Leader) コース

中学入学時点で全員が所属する。中学3年に進級する際に、GSコース、GAコースのいずれかに移動するか、そのままGLコースに留まるかを選択する。高校2年に進級する際、さらに理系クラスと文系クラスに細分化される。難関国公立・私立大学に進学できる学力を養う。

GS (Global Science) コース

理数科目の学習に重点を置いたコース。中学3年に進級する際に選択できる。本コースでは、文部科学省が指定するSSHの基準に合わせたカリキュラムが設定され、科学に特化した独自の設定科目である「SS課題研究」「SS科学英語」等の内容を履修する。さらに国内や海外の大学・企業と連携し、多様なプログラムを実践することによって、「先端学力知とグローバルマインドセットを備えた生命科学系リーダー育成」の実現に向けたカリキュラムを編成している。コースの特性上、中学3年時より理系クラスのみの編成となる。難関大学の医学部・理系学部に進学できる学力を養う。

GA(Global Advanced)コース

本コースは、グローバルな課題への取り組みを通じ、国際社会で活躍できる次世代リーダーの育成を目指すコースである。GSコースと同じく、中学3年への進級時に選択できる。「医科大学と一体化したアジア圏の人々の健康を支えるグローバルリーダーの育成」を構想として掲げ、本コースが中心となって、大阪医科大学大阪薬科大学京都大学グローバルヘルス学際融合ユニット等と連携し、SGH事業を実践する。文部科学省SGHの内容に準拠し、GLコース同様、高校2年への進級時に理系クラスと文系クラスに分かれる。難関国公立・私立大学に加え、海外の大学への進学も視野に入れたコースとなっている。

象徴

  • 校歌 - 作詞:有馬朗人 作曲:服部克久
    • 校歌は創立以来70年間設定されていなかったが、2010年(平成22年)に創立70周年を記念して制定され、「創立70周年記念式典」で披露された[1]。なお、創立以来校歌に準ずるものとて歌われてきた「生徒歌」も別に存続する。
  • 校章 - 桜井駅跡に因む山桜紋に菊水紋を重ねた意匠で、中学校は「高中」、高等学校は「高」の文字をあしらう。中学校舎の上に掲げられている。平成29年度より、英語表記を採用した新たな校章が設定され、従来のものと併用される形で使われている。
  • スクールカラー - 濃い目のブルー。提携先の大阪医科大学のスクールカラーと同じ。あずき色に近い茶色は公式なスクールカラーとしては制定されていなかった。
  • 制服 - いわゆる海軍士官型(ネイビーブルー詰襟、前合わせ(ホック留めである)・襟・袖が黒の蛇腹リボン装飾で縁どられた上着が特徴)である。平成29年度入学生より、制服のデザインが刷新されると共に、新たに女子用の制服も設定された。

年表

  • 1940年昭和15年)10月16日 - 創立。
  • 1941年(昭和16年)4月 - 旧制高槻中学校開校。吉川昇初代校長に就任。
  • 1948年(昭和23年)4月 - 学制改革により高槻中学校、高槻高等学校となる。
  • 1961年(昭和36年)8月 - 校長吉川昇退職、教諭勝山康彦校長事務取扱に就任。
  • 1962年(昭和37年)7月 - 北村八郎校長に就任。
  • 1964年(昭和39年)8月 - 校長北村八郎退職、教諭松山凌三郎校長に就任。
  • 1980年(昭和55年)12月 - 高校校舎新築。
  • 1982年(昭和57年)2月 - 本館新築。
  • 1982年(昭和57年)3月 - 校長松山凌三郎退職。
  • 1982年(昭和57年)4月 - 教務部長中村幸市校長に就任。
  • 1984年(昭和59年)8月 - 藤堂記念体育館、武道館(一階生徒食堂)新築。
  • 1985年(昭和60年)8月 - 体育クラブ部室棟新築。
  • 1990年平成2年)10月 - 創立50周年記念式典挙行。
  • 1991年(平成3年)3月 - 校長中村幸市退職。
  • 1992年(平成4年)6月 - 菅沼常生校長に就任。
  • 2000年(平成12年)7月 - 中学校舎新築。
  • 2000年(平成12年)10月 - 創立60年記念式典挙行。
  • 2001年(平成13年)- 図書・総合教育センター新設。
  • 2004年(平成16年)- 高等学校での生徒募集停止、完全中高一貫校化。
  • 2007年(平成19年)- 運動場の拡張。(隣接する大阪医科大学さわらぎキャンパスの土地が一部譲渡されたことで実現した)
  • 2010年(平成22年)3月 - 菅沼常生校長退任。
  • 2010年(平成22年)4月 - 岩井一教頭が校長に就任。
  • 2010年(平成22年)10月 - 創立70周年記念式典、校歌の披露。
  • 2013年(平成25年) 7月 - 学校法人大阪医科大学2014年4月をもって合併することで合意し、契約を締結[5]
  • 2014年(平成26年)4月 - 学校法人大阪医科大学と学校法人高槻高等学校が法人合併し、法人名は「学校法人大阪医科大学」となった。
  • 2014年(平成26年)12月 - 平成29年度入学生から女子生徒を受け入れ、共学化することを発表[6]
  • 2016年(平成28年)4月 - 学校法人大阪医科大学と学校法人大阪薬科大学が法人合併し、法人名は「学校法人大阪医科薬科大学」となった。
  • 2017年(平成29年)4月 - 中学・第1学年が男女共学になる。

クラブ活動

※は平成29年度以降、男子のみ入部できるクラブ(2017年11月現在)

△は平成29年度以降、新入部員の募集を停止するクラブ(2017年11月現在)

体育クラブ(運動系)

文化クラブ(文化系)

大学進学実績

京都大学大阪大学神戸大学同志社大学立命館大学を中心に、毎年数多くの生徒が進学している。近年で最も進学実績が良かったのは2000年(平成12年)で、東京大学に6名、京都大学に51名、大阪大学に34名、国公立大学医学部医学科に29名の合格者を出した(卒業生数は毎年約260名)。さらに、2011年(平成23年)に5名が東京大学に合格して以降、7年連続で東京大学の合格者を輩出している。

ここ数年、進学実績が伸び悩んでいることから、これまで学習・進路指導の面に関心の低かった学校側も、生徒の自主性を重んじる校風は維持しつつ学習指導面での強化に乗り出している。2017年度(平成29年度)の合格者は東京大学4名、京都大学24名、大阪大学25名、神戸大学22名、国公立大学医学部医学科21名等である。

出身者

政官界

経済界

学界

芸術・芸能・文化

マスコミ

スポーツ・その他

教諭だった著名人

アクセス

関連文献

  • 高槻高等学校『高槻高等学校50年史』1990年

関連項目

脚注および参照

[ヘルプ]

外部リンク