栄光の架橋
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「栄光の架橋」 | |||||||||||||||||||
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ゆず の シングル | |||||||||||||||||||
リリース | |||||||||||||||||||
ジャンル | J-POP | ||||||||||||||||||
時間 | |||||||||||||||||||
レーベル | セーニャ・アンド・カンパニー | ||||||||||||||||||
プロデュース | 寺岡呼人&ゆず | ||||||||||||||||||
ゴールドディスク | |||||||||||||||||||
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チャート最高順位 | |||||||||||||||||||
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ゆず シングル 年表 | |||||||||||||||||||
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「栄光の架橋」(えいこうのかけはし)は、ゆずの21枚目のシングル。2004年7月22日にセーニャ・アンド・カンパニーから発売された。
解説
後述するタイアップなどの影響によりゆずにとって大きなヒットとなったシングルで、代表曲のひとつである。
チャート成績
- オリコン週間チャートでは2004年8月2日付で2位で初登場した。初動売上は前作「桜木町/シュミのハバ/夢の地図」を下回り、決して芳しいものではなかった。しかし、アテネ五輪の日本代表選手の大活躍などで本作の注目度も大きく上がり、自身最長タイの3週連続を2回記録するなど自身最多の通算7週に渡って週間トップ10に入るロングヒットになった。累計売上は11作ぶりに30万枚突破を果たし、自身のシングルでは「飛べない鳥」「嗚呼、青春の日々」「いつか」に次ぐ売り上げを記録している。チャートイン75週は自身のシングルでは最多である。
- その結果、2004年のオリコン年間シングルランキングでは26位に入った。本作以外のゆずのシングルは全て年間50位以下である。
- 今作の大きな特徴は2011〜12年にかけて人気が再燃した点である。カラオケランキングでは、北川、岩沢が立て続けに結婚を発表した2011年の秋頃に急浮上。オリコンチャートでも同時期に再びチャートインした。さらに、オリコン週間カラオケチャートで2012年のロンドンオリンピック期間中に1位になった。
- 2011年には多くの音楽番組で披露されたため、配信チャートでもヒット。iTunes、レコチョクともに初めて年間ランキングでトップ100に入った(iTunesではこの年からゆずの楽曲の配信が開始された)。2012年のロンドンオリンピック開催期間中には、配信ランキングではオリンピック関連の楽曲が上位に多く入っており本作も、「with you」、「夏色」(オリンピック関連ではないが季節の定番曲)とともに上位に浮上した[2]。その結果同年はiTunes、レコチョクともに年間トップ20に入った。発売から8年が経過した楽曲では異例のことである。レコチョクでは2013年以降も常にデイリー、週間で100位前後に入り続け、年間トップ100にも入っている。
- 2013年2月に発表された「レコチョク着うたフル(R)・シングル歴代ダウンロード数ランキング」で45位に入った。中でも、レコチョクの着うたフル配信サービス開始(2004年11月)以前の楽曲としては、コブクロの「永遠にともに」に次ぎ2番目の高順位である。また、今作は日本レコード協会の有料音楽配信認定は受けていないが、このランキングで順位が近い曲の多くが「着うたフル」でトリプル・プラチナの認定を受けており、この曲もそれに近いダウンロード数を記録している可能性が高い[3]。
収録曲
- 栄光の架橋 (5:26)
- 作詞・作曲: 北川悠仁
- NHK『アテネオリンピック中継』公式テーマソング[4]。
- 体操男子団体が金メダルを獲得した時のNHKの中継で、同局アナウンサーの刈屋富士雄が冨田洋之の見事な鉄棒の演技とこの曲の題名を重ねて実況した「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ!」という言葉が流行語大賞にノミネートされ、曲の知名度が大きく上昇するきっかけになった[5]。その影響からアテネオリンピック以降も、NHK・民放問わずワイドショーなどでオリンピックの話題を取り上げる際にこの曲が流されるなどオリンピック開催時期の定番曲になっている。
- その後はNHKのみならず民放各局のバラエティ番組[6]でも使用されているほか、プロ野球でも千葉ロッテマリーンズのサブロー、東北楽天ゴールデンイーグルス所属時代の渡辺直人(現:埼玉西武ライオンズ)が本拠地の試合で打席に入る際や、横浜ベイスターズ時代の工藤公康の登板の際に使用していた。
- 2004年12月11日に行われた日本武道館公演「ゆず体育館ツアー 1〜ONE〜 FINAL at BUDOKAN」の最終日には、オーケストラを従えて披露された。翌年4月6日に発売されたライブDVD『ゆず LIVE FILMS 1〜ONE〜』の発売前情報では、ボーナス映像としてその模様が収録される予定とあったが、実際には収録されておらず、のちにファンクラブ会報に謝罪紙が同封されて届けられている。
- この曲で2004年の『第55回NHK紅白歌合戦』に2年連続で出場[7]。NHKが近代オリンピック中継実施時に自局テーマソングを設けるようになった1988年のソウルオリンピック以降、同テーマソングを担当した歌手がその年の紅白に出場したのはゆずが初めてだった[8]。また、2005年・第56回では、NHKが大々的に行った同年の紅白で聴きたい曲のリクエストを募集した「スキウタ〜紅白みんなでアンケート〜」では、白組対象の上位100曲に選ばれたが出演していない。
- 前作に収録の「桜木町」に引き続き編曲は松任谷正隆で、上記の第55回紅白ではピアノ演奏で特別出演した。松任谷由実が「大晦日は精神的な一日」とコメントし長年紅白出演を固辞していたように夫の正隆も過去に出演歴が一切なかったため、紅白初出演であった。なお、翌2005年の第56回には松任谷由実が「松任谷由実 with Friends Of Love The Earth」として出演したことが大きな話題となった。
- 上記で述べたオリンピックでの実況の影響もありよく「栄光への架橋」や「栄光の架け橋」と間違えられることがあるが、正しい曲名は「栄光の架橋」である。
- 本曲のPVは埼玉県熊谷市の熊谷スポーツ文化公園陸上競技場で撮影された。
- 風に吹かれた (3:09)
- 作詞・作曲: 岩沢厚治
収録作品
- 栄光の架橋
- 栄光の架橋 (アルバムバージョン)
- 栄光の架橋 [Shimphonic Orchestra Version]
- 風に吹かれた
- ※アルバム未収録
タイアップ
テレビ出演
- 夢・音楽館(2004年9月16日、NHK総合)
- 第55回NHK紅白歌合戦(2004年12月31日、NHK)
- 僕らの音楽2(2005年6月17日、フジテレビ)
- ミュージックステーション(2007年10月5日、テレビ朝日)
- 24時間テレビ 「愛は地球を救う」(2009年8月30日、日本テレビ)
- とくばん(2009年9月20日、TBS)
- Music Lovers(2009年10月18日、日本テレビ)
- 24時間テレビ 「愛は地球を救う」(2010年8月28日、日本テレビ)
上記以外にも多数の番組で披露されており、ゆずの楽曲では最もテレビで披露された回数が多い。
関連項目
- 2004年の音楽
- NHKオリンピック歴代テーマソング
- アテネオリンピック (2004年)
- マイライフ
- 荒野はるかに
- 風が吹いている - いきものがかりの楽曲で、NHKロンドンオリンピック放送テーマソング。PVの撮影はこの曲と同じく熊谷スポーツ文化公園陸上競技場で行われた。今シングルのカップリング曲「風に吹かれた」とは関係がない。
- 栄光の男 - サザンオールスターズが2013年に発表した楽曲。桑田佳祐はタイトルの元ネタがこの曲であることを公言している。
関連人物
脚注
- ^ 2011年に最もダウンロードされた作品は? 「iTunes Rewind 2011」発表、BARKS、2011年12月9日。
- ^ ゆず、五輪との“好相性”再び 内村&女子バレー活躍で問い合わせ殺到
- ^ [http://www.tv-asahi.co.jp/onegai/up_rank/130201/ 第6弾!お願い!ハンドレッド 「レコチョク着うたフル(R)・シングル歴代ダウンロード数ランキング」]
- ^ パラリンピック中継ではこの曲ではなく「Challenger」(木下航志)を採用した。その当時NHK全体で各種の不祥事が相次いだことで、(それと相まって)視聴者から「同じ曲を採用しないのはおかしい」などとの苦情が殺到したとされているが、真相は明らかになっていない。なお、2008年の北京オリンピック以降はパラリンピック中継でも同じ曲が使用されるようになっている。
- ^ 富田も後日この放送がきっかけで周りからこの曲=富田というイメージを持たれたことを語っている(2012年7月28日放送のNHK総合テレビジョン『オリンピック 感動は風にのって』より)。
- ^ 『めちゃ²イケてるッ!』『水10! ワンナイR&R』『脳内エステ IQサプリ』『行列のできる法律相談所』など。
- ^ 前年の第54回は横浜・伊勢佐木町からの中継であったため、NHKホールからの紅白出演は初めてであった。
- ^ ちなみに、それ以後冬季・夏季ともにオリンピック開催前後年において、同中継テーマソングを担当した歌手はその年の紅白に出場して同テーマ曲を歌唱するようになっている。なお、それ以前ではNHKオリンピック中継テーマソング担当者が同年の紅白への出場を辞退したとされる事例がある。