岡本吉起

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岡本 吉起(おかもと よしき、1961年6月10日[1] - )は、ゲームプロデューサー。株式会社ゲームリパブリック代表取締役社長、株式会社オカキチ代表取締役社長、公益財団法人日本ゲーム文化振興財団[2]理事長。元カプコン専務取締役。

愛媛県南宇和郡愛南町(旧・一本松町)出身。創造社デザイン専門学校卒業。

来歴[編集]

コナミ時代[編集]

1981年[1]コナミイラストレーターとして入社[3]したが、デザインではなく企画の部署に回される。出世作となるアーケードゲーム『タイムパイロット』は本人の談によれば、当時の上司が企画した作品(本人曰く教習所をモチーフにしたドライブゲームとの事)を開発するフリをしながら完全に独断で作り上げたものだという[4]。後戻りできない段階でようやく事後報告として上司に披露[4]報連相無しのこの行動は当然大いに怒りを買ったが[4]、そのまま発売したところ記録的な大人気となり、上司の態度を一変させた。他に『ジャイラス』等を開発。

1983年にコナミを退職するが、本人によれば「元々10月頃発売予定だったゲームを最後にコナミを退社する予定だった」ものの、8月に夏休みを取っている間に当時同僚だった有馬俊夫[5](後に『魔界村』等を開発)が社長に「岡本も連れて辞める」と見得を切ったため、その煽りを食って懲戒免職になりかけた[6]。最終的に自主退職の形にはなったものの、会社においてあった私物(書籍約300冊など)は返還されなかったという[6]

カプコン時代[編集]

その後同年に[1]、有馬[5]藤原得郎らと共に創業間もないカプコンに入社。辻本憲三社長と直談判の結果、初任給約35万円からのスタートであった(直前のコナミ所属時の初任給は額面上13万円+皆勤手当5千円で翌年の昇給は5510円[7])。なお、一緒に辞めた有馬[5]はともかく、藤原らについては結果としてコナミから引き抜く格好になったため、コナミからは出禁を言い渡された[6]

当時、東京都新宿区歌舞伎町の松宝ビルに入居していた東京開発室(現在のカプコン東京支社とは異なる)の責任者として、人材採用から開発までを一手に担う。この時期に採用した人材に、後に『ストリートファイター』等のキャラクターデザインで有名になるあきまんがいる。

その後、東京開発室の閉鎖とともにカプコン大阪本社に引き戻され、第三開発室の責任者となる。『ソンソン』や『エグゼドエグゼス』『ガンスモーク』『サイドアーム』『麻雀学園(マージャンアカデミー)卒業編』などのディレクションを担当するが、『ロストワールド』を最後に開発の現場からは退き、その後はプロデューサーや広報担当として『ストII』シリーズ等の多数のカプコンのヒットタイトルの輩出に貢献しその手腕を発揮した。

1996年、同社取締役開発本部長に就任[1]1997年にはゲームシナリオの開発会社であるフラグシップを設立、代表取締役社長を兼任する。2001年にはカプコンの専務取締役に就任[1]

ゲームリパブリック設立後[編集]

2003年にカプコンを退社し、ゲームリパブリックを設立[3]PlayStation 2用ソフト『GENJI』とXbox 360用ソフト『エブリパーティ』などを製作した。『GENJI』発売日には、記念イベントを新宿と秋葉原のゲームショップにおいて開催。秋葉原に集まったファンは15人程度であった。また、『エブリパーティ』はXbox 360のローンチタイトルとしては最低となる初週売り上げ641本であった。

その後PlayStation 3の同時発売ソフトとして、『GENJI』の続編である『GENJI -神威奏乱-』や、宮部みゆきの同名小説『ブレイブストーリー』をベースとしたPSP向けRPG『ブレイブストーリー新たなる旅人』を製作。

これらゲーム開発のほかに、「総合学園ヒューマンアカデミー ゲームカレッジ」の学園長も兼務していたが、2007年にその座を降りる。

2010年、ゲームリパブリックは経営難になり、2011年には17億円の負債を抱え[3]実質的に活動停止[1]、岡本はゲーム業界から一旦姿を消す[3][8]

携帯ゲーム製作への転向[編集]

その後、コンシューマーゲーム業界からのリタイアを宣言し、携帯ゲーム制作に転向[9]

2013年、ミクシィよりリリースされたスマホゲーム『モンスターストライク』の開発に参加。予算も乏しく、開発メンバーも7人と少人数体制だったが[10]、リリースするや大ヒットを記録した。

2018年5月、突如マレーシアジョホールバルへの移住を発表[11]。現在は同地に存在する株式会社でらゲーのマレーシア支社に勤めている。

2020年4月、YouTuberデビューし『世界の岡本吉起Ch』を滞在中のマレーシアより配信開始。2021年12月に『岡本吉起ゲームCh』と名称を変更し、自身のゲーム業界での経験談や自身の人脈を活かしてゲーム業界などからゲストを呼んでのコラボトークも行っている。同時に自身のビジネス経験をテーマにした『岡本吉起塾』、マレーシアの日常を中心とした『岡本吉起サブCh』、英語チャンネル『Yoshiki Okamoto』とジャンル別にチャンネルを分割した。

人物[編集]

  • 前述の通り、もともとはイラストレーター志望であり、アーケード版『エグゼドエグゼス』のポスターイラストも自身が描いたものである(ファミコン版のパッケージイラストとは別物)。
  • 好きなものは、ボードゲームとTVアニメ、『新世紀エヴァンゲリオン』。またゲーム会社の社長であり、ゲーム専門学校の学園長をしていた事があるにもかかわらず、「TVゲーム自体は好きではない」「(コンピューター関係の)ゲームの開発を楽しんでやったことは一度もない」と公言している。ただし別のインタビューでは「『ディグダグ』や『ゼビウス』が好きなナムコファンだったが、入れてくれなかった」とも発言している。
  • カプコンを2003年まで退社せず、業界を去らなかった理由として「仕事が楽しかった」こと以上に「当時カプコンの社長であった辻本憲三相手に個人で借金をしていたため辞めるに辞められなかった」からと『ファミ通WaveDVD Vol.30』(アーミンのお部屋Vol.27)で発言をしている。
  • 海老アレルギー。元々海老が好物で、出張時に海老ばかり食べていたことが原因であると『ゲーメスト』に連載していたコラムで語っている。柴田亜美と当時柴田が居住していた南青山の中華料理店で食わず嫌いをした際[12]に食べた結果蕁麻疹が出てしまい、柴田の漫画『ドキばぐ』の単行本でエビを蕁麻疹が出るまで食わせるわと恨みを書いたコメントを投稿していた[13]

主な開発作品[編集]

ストリートファイターⅡ

主な広報担当作品[編集]

その他[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e f 大ヒット「モンスト」生みの親、借金2ケタ億円でゲーム業界から消えていた過去とドン底人生”. ビジネスジャーナル. p. 3 (2016年4月2日). 2016年4月3日閲覧。
  2. ^ 公益財団法人日本ゲーム文化振興財団
  3. ^ a b c d 大ヒット「モンスト」生みの親、借金2ケタ億円でゲーム業界から消えていた過去とドン底人生”. ビジネスジャーナル. p. 1 (2016年4月2日). 2016年4月3日閲覧。
  4. ^ a b c 大ヒットタイトルを数多く生み出した、岡本吉起インタビュー 借金十数億円のゲームリパブリック時代”. AUTOMATION JP (2018年3月30日). 2020年4月14日閲覧。
  5. ^ a b c Twitter /有馬俊夫
  6. ^ a b c 【酷すぎる】コナミを懲戒解雇され出禁になったという噂について - 世界の岡本吉起ch・2021年1月5日
  7. ^ 世界の岡本吉起Ch 【ゲーム業界】何が不満だった?新卒で入社したコナミ工業を2年目で辞めた理由
  8. ^ 世界の岡本吉起Ch 【借金17億円‼】従業員数320人のゲーム会社が崩壊したワケ【ゲームリパブリック】
  9. ^ Game Republic's Yoshiki Okamoto says he's 'retired' from making console games 2012年9月19日閲覧
  10. ^ 金なし、開発たった7人…期待ゼロだった「モンスト」、なぜ驚異的ヒット? | ビジネスジャーナル
  11. ^ さるきち1号さんの2018年5月13日のツイート
  12. ^ ジャングル少年ジャン番外編ドッキンばぐばぐアニマル2巻
  13. ^ ジャングル少年ジャン番外編 ドッキンばぐばぐアニマル. 柴田亜美. エンターブレイン. (2000.8). ISBN 4-7577-0133-0. OCLC 674792903. https://www.worldcat.org/oclc/674792903 

外部リンク[編集]