山下和彦

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山下 和彦
横浜DeNAベイスターズ コーチ #85
20140202 Kazuhiko Yamashita, coach of the Yokohama DeNA BayStars, at Yokohama DeNA BayStars Baseball Integrated training field.JPG
2014年2月2日 横浜DeNAベイスターズ総合練習場にて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大分県宇佐市
生年月日 (1962-11-29) 1962年11月29日(54歳)
身長
体重
183 cm
92 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1984年 ドラフト4位
初出場 1986年4月4日
最終出場 1998年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

山下 和彦(やました かずひこ、1962年11月29日 - )は、大分県宇佐市出身の元プロ野球選手捕手)・コーチ。現在は横浜DeNAベイスターズ二軍バッテリーコーチ。

経歴[編集]

柳ヶ浦高校では、捕手として1980年大分大会で決勝に進むが大分商業に敗れ、準優勝。甲子園出場を逸する。

高校卒業後は、社会人野球新日本製鐵大分に入社。1984年都市対抗に控え捕手として出場。1回戦の日本通運との対戦では、代打で適時打を放つなど活躍。準々決勝に進出するが、この大会に優勝した日産自動車に惜敗[1]。チームメートに福良淳一大分鉄道管理局から補強)がいた。

1984年プロ野球ドラフト会議にて近鉄バファローズから4巡目指名を受け入団。一年目は一軍昇格なしに終わったが、正捕手の梨田昌孝に衰えに加え故障もあり、2年目に一軍昇格を果たし70試合に出場。翌年から出場機会が大幅に増えて、1989年には優勝とともにベストナインに選ばれる。

1988年、近鉄の優勝のかかった10月19日の川崎球場での対ロッテオリオンズ戦ダブルヘッダー(10.19も参照)第2試合では、阿波野秀幸高沢秀昭にシンカーを投げ、同点ホームランを打たれたが、山下はストレートを要求したという。また、1990年には野茂英雄のプロ初勝利、17三振(当時の日本記録)記録の際にマスクを被った。内角をつくインサイドワークが特徴であった。

しかし、それ以降は打撃力の長ける光山英和の台頭で出場試合も減り、古久保健二とともに2番手捕手を争う形になった。1994年シーズンオフに日本ハムへ移籍。主に若手投手やキップ・グロスが先発時のスタメンや8回以降のリリーフ捕手として出場し、1998年シーズンに現役を引退

引退後は1999年から2000年まで横浜ベイスターズのは一軍バッテリーコーチ、2001年古巣・近鉄の一軍バッテリーコーチに就任し同年のリーグ優勝に貢献。2004年の近鉄とオリックス・ブルーウェーブの合併に伴って退任し、翌05年より東北楽天ゴールデンイーグルスのバッテリーコーチ(05年一軍、06年二軍)を務めた。

2007年09年はNPBを離れ、九州総合スポーツカレッジコーチ[2]を務めた。

2010年シーズンから横浜のバッテリーコーチとしてNPBに復帰。11年まで二軍(湘南シーレックス = 当時)、親会社がDeNAとなった12~13年は一軍、14年以降再び二軍で指導者を務めている。

人物・エピソード[編集]

遠縁に實松一成がおり、山下の日本ハム時代の背番号40は引退翌年に實松に引き継がれた。

そのしつこいリードから「マムシ」という愛称が定着していたが、そう呼ばれるようになった発端は巡業中に川原で休憩していたところに現れた野生のマムシを石でやっつけてしまい、それをその場で火で焼いて食べたことからである(ただし、あまりの不味さに数口で食べるのをやめたという)。

近鉄コーチ時代に指導した藤井彰人は「僕にとっての師匠は山下和彦さんです。キャッチングの基礎をたたき込んでもらいました。低めのボールを受ける時にミットが落ちる悪い癖を直すことができたのもアドバイスの賜物です。ワンバウンドを止める練習も緩いボールできっちりと形を作るところから始めました。捕球が安定することで正確なスローイングにつながることを自覚させてもらいましたね。何よりも印象的だったのは試合中のイニング間に配球や気づいた点をボールペンで左手で甲に記していく姿でした。今思えば野球ノートを理論整然と残すための下書きだったんです。清書のメモを見せてもらったこともありますがめちゃくちゃきれいで読みやすかった」と述べている[3]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1986 近鉄 70 150 129 8 23 4 0 4 39 12 1 1 11 1 9 0 0 46 5 .178 .230 .302 .532
1987 116 324 286 31 62 8 0 6 88 24 0 3 17 0 18 0 3 79 4 .217 .270 .308 .578
1988 117 327 297 29 67 7 1 8 100 29 2 2 15 0 13 1 2 63 7 .226 .263 .337 .600
1989 113 339 282 39 74 20 1 6 114 35 1 2 21 2 29 2 5 73 5 .262 .340 .404 .744
1990 87 228 199 27 47 11 0 4 70 22 0 1 17 1 8 1 3 49 4 .236 .275 .352 .627
1991 71 107 85 3 11 1 0 0 12 4 0 1 9 1 12 0 0 24 3 .129 .235 .141 .376
1992 54 93 82 3 17 1 0 0 18 4 0 0 3 0 5 0 3 22 2 .207 .278 .220 .498
1993 33 69 64 3 14 2 1 1 21 11 0 0 4 1 0 0 0 15 2 .219 .215 .328 .543
1994 15 18 16 1 3 0 0 0 3 0 0 0 1 0 1 0 0 4 1 .188 .235 .188 .423
1995 日本ハム 72 103 88 6 18 0 0 0 18 6 1 0 3 0 11 0 1 13 2 .205 .300 .205 .505
1996 72 99 91 5 17 1 1 0 20 5 0 0 3 1 4 0 0 17 3 .187 .219 .220 .439
1997 81 143 125 9 27 2 0 1 32 7 0 0 7 0 9 0 2 20 3 .216 .279 .256 .535
1998 9 3 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
通算:13年 910 2003 1747 164 380 57 4 30 535 159 5 10 111 7 119 4 19 425 41 .218 .274 .306 .580

年度別守備成績[編集]

年度 試合 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率
1986 70 41 26 15 .366
1987 116 103 72 31 .301
1988 116 66 50 16 .242
1989 112 81 57 24 .296
1990 83 59 45 14 .237
1991 69 48 39 9 .188
1992 52 20 18 2 .100
1993 29 14 10 4 .286
1994 15 9 8 1 .111
1995 71 45 36 9 .200
1996 70 40 31 9 .225
1997 80 55 43 12 .218
1998 9 3 2 1 .333
通算 892 584 437 147 .252

表彰[編集]

記録[編集]

背番号[編集]

  • 40 (1985年 - 1988年、1995年 - 1998年)
  • 10 (1989年 - 1994年)
  • 84 (1999年 - 2006年)
  • 85 (2010年 - )

脚注[編集]

  1. ^ 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年
  2. ^ チーム情報 2007年 登録・変更情報 日本野球連盟(JABA)”. 2011年10月8日閲覧。
  3. ^ 週刊ベースボール2013年5月20日号 P28

関連項目[編集]