十島村

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としまむら
十島村
中之島の御岳とトカラ馬
Toshima Kagoshima chapter.JPG
十島村紋章(昭和55年制定)
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 鹿児島県
鹿児島郡
団体コード 46304-3
法人番号 1000020463043
面積 101.14km2
総人口 766[編集]
推計人口、2018年10月1日)
人口密度 7.57人/km2
隣接自治体 三島村
村の木 ビロウ
村の花 マルバサツキ
村の鳥 アカヒゲ
十島村役場
村長 肥後正司
所在地 892-0823
鹿児島県鹿児島市泉町14番15号
北緯29度36分53秒東経129度37分18秒座標: 北緯29度36分53秒 東経129度37分18秒
Toshima Village Office 20180505.jpg
外部リンク 公式ウェブサイト
薩南諸島位置図

十島村位置図

― 市 / ― 町・村

特記事項

面積は、
・口之島13.3km2・中之島34.5km2・諏訪之瀬島27.8km2
・悪石島7.5km2・平島2.1km2・小宝島1km2
・宝島7.1km2・臥蛇島4.1km2・小臥蛇島0.5km2

・小島0.36km2・上之根島0.54km2・横当島2.76km2
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十島村(としまむら)は、鹿児島県東シナ海上の喇(トカラ)列島各島を行政区域とするである。

村役場は1956年から鹿児島市に置かれている。これは、国や県に対応する業務が多く、役場が島内にあると交通費などがかさむためである[1]

中心となる島は中之島で、その他には口之島平島諏訪之瀬島悪石島小宝島宝島が有人島である。

2015年の国勢調査で人口増が全国5位など、近年移住者が増加している。

なお、明治時代から1952年昭和27年)まで、現在の十島村と三島村を合わせた領域で構成されていた「十島村(じっとうそん)」は、領域と名称を変更して現在の三島村になった自治体で、現在ある十島村(としまむら)は十島村(じっとうそん)とは別に新たに設けられた自治体である(詳しい経緯は後述)。

地理[編集]

十島村は最北の口之島から最南の横当島までの距離は直線で約160kmで、“日本一長い村”としても知られる[2]。各島には平家の落人伝説が語り継がれている。豊かな自然と独自の文化、天然の温泉は人々を魅了し年間を通してダイバーや釣り人、観光客が絶えない。

口之島 13.3km2(125人)
十島村で最も北に位置し、十島村の玄関口である。人口は中之島に次いで多い。日本最古の野生化牛(純血種・口之島牛)が野山に群れをなしており、島民と共存している。なお純血種は口之島を含めて全国で2箇所しか生息しておらず、かつ野生は口之島のみである。島民にとって牛は友であり、かけがえのない財産であると言われている。
周囲20km、燃岳(もえだけ)を中心とした火山島であり、最高点は前岳の628m。島の北部を日本国内の陸地では唯一北緯30度線が通過しており、それを示すモニュメントもある。
中之島 34.5km2(155人)
十島村で最も人口が多く、かつては村役場の所在地であった。村役場の移転後も唯一村役場支所や駐在所、民俗資料館や天文台が置かれ実質村の中心地である。
周囲32km、最高点は御岳(トカラ富士)の979m。
諏訪之瀬島 27.8km2(63人)
日本でも指折りの活火山を有する火山島である。現在も活動中で、最高峰の御岳山頂付近では噴煙が見られる事がある。
周囲27km、最高点は御岳の799m。
悪石島 7.5km2(77人)
学童疎開船対馬丸の撃沈地点に最も近い島。島内には慰霊碑が設けられている。
周囲13km、最高点は御岳の584m。
平島 2.1km2(78人)
平家落人伝説が伝えられており、島名の由来にもなっている。
周囲7km、最高点は御岳の243m。
小宝島 1km2(49人)
周囲5km、最高点は竹の山の103m。
宝島 7.1km2(128人)
十島村で最も南に位置する有人島。イギリス海賊キャプテン・キッドが財宝を隠したという伝説が伝えられており、島名の由来との説もある(他にもトカラが訛った、平家が金・銀・銅を求めてやってきた(実際銅山があった)など種々の説がある)。このため、幕末期から明治にかけて欧米のトレジャーハンターによる略奪が頻繁に起こったほどである。
周囲14km、最高点はイマキラ岳の292m。
臥蛇島 4.1km2(0人)
かつては有人島であったが、1970年7月28日に最後の4世帯15人が島外へ移住したことで、無人島となった。島の周囲が好漁場であること、またダイビングスポットになっていること等から、島の周囲に寄りつく船は多いが、船着き場から集落跡までの経路が相当危険な状態にまで荒廃しているため、島への上陸は公には認められていない。
周囲9km、最高点は御岳の497m。
小臥蛇島 0.5km2(0人)
小島 0.36km2(0人)
上之根島 0.54km2(0人)
横当島 2.76km2(0人)
十島村で最も南に位置する。2つの火山島が狭い洲で接続して、1つの島になっている。島の周囲が好漁場であるため、島の周囲に寄りつく船は多い。島への上陸は可能だが港や船着き場が無いため、艀やボートで上陸する事になる。
周囲10km、最高点は東峰の495m。

なお、7つの有人島と臥蛇島の合計8つは、大字として用いられている。

隣接する自治体[編集]

  • 鹿児島郡三島村
    • かつては同一の村であったが、1952年2月10日に施行された「大島郡十島村の境界」(昭和27年鹿児島県告示第74号)により、現在の三島村の区域は北緯30度以北(口之島を除く)に変更されており、北緯30度以南(口之島を含む)に設置された現在の十島村と行政区画上は北緯30度線及び口之島の北端を挟んで隣接している。

気候[編集]

鹿児島県奄美地方として、南日本気候である。暖流である黒潮の本流から少し離れているため、冬場はまれに氷点下になることがある。

日照時間が短く、日本で最も日照時間が短い地域の一つである。

歴史[編集]

前史[編集]

元々薩摩国川辺郡に属したトカラ列島の7島(口之島・中之島・平島・諏訪之瀬島・悪石島・宝島(小宝島は宝島の属島とされた)・臥蛇島。総称で下七島とも)と上三島竹島硫黄島黒島およびそれらの属島)は合わせて「川辺郡十島(川辺十島)」と呼ばれていた(1897年薩摩国川辺郡から大隅国大島郡に移管)。

1908年4月1日島嶼町村制制度施行に伴い、それまで町村制が敷かれていなかった川辺十島の区域に大島郡十島村(じっとうそん)が発足、村役場は中之島に置かれた。

しかし太平洋戦争の敗戦により、連合国最高司令官によって出された覚書「若干の外かく地域を政治上行政上日本から分離することに関する覚書」(SCAPIN677)によって、1946年2月2日以降、北緯30度線以南の南西諸島(島内に北緯30度線が通る口之島を含む)がアメリカの占領下に置かれることとなった。これにより十島村(じっとうそん)は、役場のある中之島を含む下七島はアメリカ占領下に、上三島は日本側にそれぞれ分断されたため、事実上上三島のみの領域に限られることとなった日本側の十島村(じっとうそん)は仮の役場を鹿児島市に設置した。

アメリカ統治下の十島村は、大日本帝国政府及び鹿児島県の行政権を継承した大島支庁、同年10月からは臨時北部南西諸島政庁、1950年8月からは奄美群島政府に属した。

本土復帰と村の設置[編集]

1951年昭和26年)12月5日に連合国最高司令官によって出された覚書若干の外かく地域の日本からの政治上及び行政上の分離に関する件」(SCAPIN677/1)により、北緯29度以北のトカラ列島(下七島)の区域について日本の政治上・行政上の権利が回復されることが決まった。

本土復帰にあたって、日本国政府が公布したポツダム命令である「昭和二十六年十二月五日附連合国最高司令官覚書「若干の外かく地域の日本からの政治上及び行政上の分離に関する件」に伴う鹿兒島県大島郡十島村に関する暫定措置に関する政令」(昭和26年政令第380号、のちに「鹿児島県大島郡十島村の区域に適用されるべき法令の暫定措置に関する政令」へ改題)が1951年12月21日に即日施行された。
同政令の第1項の規定により、当分の間政令で特別の定めをするものを除き、従前十島村の区域に適用されていた法令のみを適用するものと定められ、これらの法令の実施上、従前琉球諸島民政府又はその下位機関に属していた権限については、政令で定めるもの及び国会、裁判所の権限にあるものを除き、鹿児島県知事が行うものと定められた。また、同政令の規定により暫定措置として公職選挙法学校教育法等の法令が同政令を根拠として公布される政令の規定により、段階的に適用されることとなった。

1952年2月4日に下七島が日本へ復帰。下七島がアメリカ統治下にあった間に成立していた地方自治法は、「鹿兒島県大島郡十島村に関する地方自治法の適用及びこれに伴う経過措置に関する政令」が施行された2月10日より下七島にも適用されることとなった。ただし上三島としての十島村(じっとうそん)は行政機構として既に完成されつつあり、元々上三島と下七島との間にかなりの距離がある事もあって、上三島と下七島で事実上の分村の措置をとる事となった[3]
既に地方自治法下の村に移行していた十島村(じっとうそん)は、「鹿児島県告示第74号(大島郡十島村の境界)」により2月10日から村域を上三島のみに変更し、同日施行の「鹿児島県告示第75号(大島郡十島村を三島村に変更する条例の許可)」によって村名を三島村に改称した[4]。 一方下七島の区域には十島村(としまむら)が新設された。十島村の設置根拠となる同政令第1項の条文が以下のとおりである。

鹿兒島県大島郡十島村の区域で北緯二十九度から北緯三十度までの間にあるもの(口之島を含む。)に地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)及びこれに基く命令を適用する。この場合において、この政令施行の際現にその区域に適用されている法令の規定によりその区域に置かれている村は、その区域をもつて、地方自治法の規定による鹿兒島県大島郡十島村となるものとする。

— Wikisource-logo.svg 鹿兒島県大島郡十島村に関する地方自治法の適用及びこれに伴う経過措置に関する政令第1項

1952年(昭和27年)4月1日には、「昭和二十六年十二月五日附連合国最高司令官覚書「若干の外かく地域の日本からの政治上及び行政上の分離に関する件」に伴う鹿兒島県大島郡十島村に関する暫定措置に関する政令」によって当分の間政令で特別の定めをするものを除き、従前の法令を適用すると定められていたが、鹿児島県大島郡十島村の区域に関する法令の適用に関する政令の施行により、一部の法令を除き全ての法令が適用されることとなった。

年表[編集]

臥蛇島と小臥蛇島

遷移表[編集]

明治22年4月1日 明治22年 - 明治45年 大正1年 - 昭和19年 昭和20年 - 昭和27年 昭和27年 - 昭和40年 昭和40年 - 現在 現在
川辺郡十島
(町村制未施行)
明治30年4月1日
大島郡
明治41年4月1日
(島嶼町村制施行)
大島郡十島村
大正9年
(島嶼指定解除)
大島郡十島村
(上三島)
大島郡十島村
昭和22年5月3日
(地方自治法施行)
大島郡十島村
昭和27年2月10日
(境界変更・改称)
大島郡三島村
昭和48年4月1日
鹿児島郡三島村
鹿児島郡三島村
昭和21年2月2日
(アメリカ合衆国アメリカ合衆国の旗統治下)
十島村
昭和27年2月4日
(本土復帰・町村制)
大島郡十島村
昭和27年2月10日
(地方自治法適用)
大島郡十島村
昭和48年4月1日
鹿児島郡十島村
鹿児島郡十島村

行政[編集]

十島村役場は行政運営の効率向上や全島の平等性等を理由に、1956年4月1日に中之島から鹿児島市へ正式に移転された。だが三島村と同様、役場職員の多くが村内に住所を持たないため村長選や村議会選の選挙権が無く、また税が村に入らないなどの問題がありかつ近年貨客フェリーが能力を向上させたことから再び役場を行政区内(中之島に限らず)に移転させる話が浮上し、どの島が良いかアンケート調査も行われたが、その後進展していない。

  • 村長:肥後正司

村の行政機関[編集]

  • 本庁舎:鹿児島市泉町14番地15号

十島村役場の項も参照のこと。

  • 十島開発総合センター:中之島145番地
  • 中之島出張所:中之島17番地 ※2008年3月31日までは「中之島支所」
  • 口之島出張所:口之島19番地
  • 平島出張所:平島293番地
  • 諏訪之瀬島出張所:諏訪之瀬島279番地
  • 悪石島出張所:悪石島108番地
  • 小宝島出張所:小宝島4番地19
  • 宝島出張所:宝島923番地

消防[編集]

  • 十島村消防団(事務所管は十島村役場総務課)
    • 口之島消防分団
    • 中之島消防分団
    • 平島消防分団
    • 諏訪之瀬島消防分団
    • 悪石島消防分団
    • 小宝島消防分団
    • 宝島消防分団

県の行政機関[編集]

対象は全島に及び、全国で最も管轄範囲駐在所とされる。

地域[編集]

人口[編集]

Demography46304.svg
十島村と全国の年齢別人口分布(2005年) 十島村の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 十島村
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
十島村(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より

歴史的には臥蛇島のように集団移住を余儀なくされた島・地区があった一方で、2015年国勢調査では人口増加率が全国の地方自治体で第5位(15.07%増)となった。元々の母数が少ないとはいえ、村としては全国1位であった。
公共交通機関が未発達で観光需要も多く見込めず、ほぼ地場産業等の1次産業に生活手段を見出すしかない中で、移住・定着先として選ばれている事が注目されたが、これは移住時や出産などに充実した支援を行う村の定住策[6]の成果や、移住時に島民として一定の役割を担ってもらうといった社会のスキーム作りを行い島民・新住民がお互いに慎重に迎え入れたこと、インターネットによる通信販売の普及によってかつてよりは地域格差が薄れた点もあると推測されている。また通信インフラが未発達だった時代にはほとんど存在すら知られていなかった十島村が、主に新島民によってその魅力が積極的に発信され、隠れた秘境として注目を集めるようになった結果として他の全国過疎市町村より多く[7]の移住・定着者に選ばれているとも考えられている[8][9]

教育[編集]

すべて村立の小・中学校。詳細は各校の項を参照。

村内に高等学校は無いため、特例として県内全ての県立高校が受験可能(山海留学生は除く)。大半の生徒が学区である鹿児島学区へ進学する。

廃校
  • 中之島小中学校臥蛇島分校
  • 中之島小中学校朝日分校
  • 中之島小中学校日之出分校

文化施設[編集]

  • 十島村歴史民俗資料館 - 中之島
  • 中之島天文台 - 中之島

商業施設[編集]

宿泊施設は、各島に数件ずつ民宿があるが、受け入れられる人数に限りがあるため、あらかじめ予約が必要。

商店や販売所は一部の島にあるものの、必要な物資を全て賄える程ではないため、生活協同組合やインターネット等を利用した通信販売が多く利用されている。

医療機関[編集]

  • 口之島診療所:口之島146番地
  • 中之島診療所:中之島27番地
  • 平島診療所:平島97番地
  • 諏訪之瀬島診療所:諏訪之瀬島90番地
  • 悪石島診療所:悪石島17番地
  • 小宝島診療所:小宝島4番地
  • 宝島診療所:宝島1番地

金融機関[編集]

指定金融機関鹿児島みらい農業協同組合だが、村内に拠点はなく、鹿児島市村役場出納派出所を設置しているのみ。

他の金融機関も村内にはなく、郵便局及び簡易郵便局の貯金窓口のみとなっている。

交通[編集]

村外および島同士のアクセス[編集]

フェリー[編集]

フェリーとしま

※運航ダイヤについては十島村役場公式サイト等を参照のこと。

鹿児島港 - 口之島 - 中之島 - 諏訪之瀬島 - 平島 - 悪石島 - 小宝島 - 宝島 - 名瀬港奄美大島

週2往復。往路復路ともに村内全ての有人島に寄港し、復路は往路のちょうど逆の順に寄港する。多客期や村内事業がある際に水曜日出港の便が追加され、週3回になる事もあるが、逆に天候等の理由で運休となる場合もある。ドックダイヤ時は三島村営船「みしま」が代船となる。

2013年(平成25年)6月までは、週1便は鹿児島〜名瀬往復、もう1便は鹿児島〜宝島折り返しという運航方法であった。同年7月1日から、村民の要望を受けて全便が名瀬往復となり、奄美市等での買い物や病院受診などの機会がこれまで以上に増え、また奄美空港の航空便との乗り継ぎがし易くなった。

現在は各島の港湾設備が整備され比較的安易に接岸することができるようになったが、かつては(はしけ)を使って人や荷物を受け渡ししていた為、時化の時などは立ち寄れない事が度々あった。なお、臥蛇島が集団移転を余儀なくされた理由の1つに、この艀作業従事者の不足(移住前は僅か3名)による生活困窮もあった。

その他の村有船舶

航空[編集]

諏訪之瀬島に、場外離着陸場諏訪之瀬島飛行場がある。

1983年頃まで日本内外航空によって鹿児島空港とのあいだに、ブリテン・ノーマン アイランダーによる不定期便が1日1便運航していた[10]が、現在は航空路線はない。

枕崎飛行場が運用されていた当時は東和航空セスナ機による不定期運航が行われていたが枕崎飛行場の廃港に伴い東和航空も解散したため現在は無い。

但し予約すれば、鹿児島空港から新日本航空の小型機によるチャーター運航も可能である。

各島内[編集]

島内にはバスやタクシーなどの公共交通機関が無い為、村民は専ら自前で移動手段を整えている。

  • 道路:アスファルトプラントが無い為、コンクリート舗装が主となっている。これは十島村だけでなく、県内の小規模離島のいずれでも共通している。
  • 燃料:村内にはガソリンスタンドが無い為、村民は個人で県本土からドラム缶等により購入している。
  • 車検:村内には自動車整備工場が無い為、車検の際は村外の整備工場に委託をするか自ら鹿児島市の鹿児島運輸支局に持って行き検査を受けなければならない。その為、かつては車検の場合に限りフェリーの車両航送運賃を通常の半額にする助成措置を行っていたが後に廃止されている。
  • 運転免許:更新については、年に1回、各島を巡回する出張更新が行われているが、その日以外に更新を行う場合は鹿児島市の交通安全教育センターに出向く必要がある(優良免許所持者は県内いずれの警察署幹部派出所でも更新出来る為、この限りではない)。取得については、原付免許に限り年に1回出張試験が行われているが、それ以外の免許については村外で取得しなければならない。

電力・通信など[編集]

郵便[編集]

郵便番号は村内全域が「891-5xxx」(鹿児島中央郵便局)である。

郵便局については以下の各局があるが、いずれもゆうちょ銀行ATMは設置されていない。なお、口之島、中之島、宝島各局は民営化前は集配局であったが、先立つ2007年3月12日以降は無集配局となり、集配局は鹿児島中央郵便局(鹿児島市)に変更された。

  • 口之島郵便局
  • 中之島郵便局
  • 宝島郵便局

2017年まで、口之島、中之島、宝島以外の島には郵便局が無く、それらの島民は預金の出し入れに不便を強いられてきたが、2017年から2018年の2年間にかけて村の事業で簡易郵便局を整備する事になり、全島に郵便局が設置される見通しとなった。

  • 悪石島簡易郵便局(2017年7月1日開局)
  • 平島簡易郵便局(2017年9月2日開局)
  • 諏訪之瀬島簡易郵便局(2018年4月25日開局)
  • 小宝島簡易郵便局(2018年5月9日開局)

電話[編集]

市外局番は村内全域が「09912」である。上記の市外局番相互間の通話は単位料金区域(中之島MA)であり市内通話扱いとなるほか、各島から鹿児島市および県内離島への通話(099(市内局番が200・800番台及び300番台の一部)、0997及び09913、09969)は、特例により隣接区域扱いとなる。収容局は、中之島局・悪石島局・宝島局である。

携帯電話については、NTTドコモソフトバンクがサービスを提供している。(2016年3月現在)

インターネット[編集]

総務省の地域情報通信基盤整備推進交付金事業を活用し、村が通信事業者となって環境を整備。2010年12月1日から、無線アクセス方式による24時間定額インターネット接続サービスが開始された。一般家庭では概ね1Mbpsから3Mbpsでの通信が可能となっている。サービスの提供プロバイダは、鹿児島市に本社を置くSYNAPSEである。

地上波放送[編集]

鹿児島県を放送#放送対象地域とする県域放送のうち、テレビ放送は中之島中継局および名瀬中継局を受信することにより、全島で全チャンネルの視聴が可能であり、受信障害対策中継放送も行われている。また、ラジオ放送はエフエム鹿児島以外の聴取が可能である。

中之島中継局は南種子中継局からの電波を中継しており、村内への放送のほか奄美大島以南の地域へ電波を中継する役割も担っている。中之島中継局と名瀬中継局の距離は約170kmあり、地上波放送の中継距離としては全国的に見て比較的長距離である。

電力[編集]

村に初めて発電設備が導入されたのは中之島で、1952年の事である。当初は1日8時間のみの送電であったが、1956年の水力発電開始以降は24時間送電となった。1979年、小宝島が24時間送電となり全島の24時間送電が実現した。なお発電は全島を九州電力が受け持ち、基幹は火力発電内燃力発電)である。

観光[編集]

宿泊施設などのインフラが発達していないため、観光は大規模ではない。

ただ2009年7月22日の日食の際には、観測可能な数少ない場所にあたり、かつ最も長く観測できる場所が悪石島だった[11]ため、観光客が殺到した。十島村は、旅行会社に委託したツアー客以外の入島を制限していたが、ツアー以外の上陸者も後を絶たなかった[12]ため、これまでに例のない数の来訪者があった。だが、皆既日食当日の天候は暴風雨と大荒れになり日食の観測は出来なかったという[13]

脚注[編集]

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  1. ^ 羽原清雅「トカラ・十島村の「格差」と地域の政治 - どうなる 七つに分散する離島村の闘い (PDF) 」 帝京社会学第21 号(2008年3月)、p.32
  2. ^ かごしまの日本一 - 鹿児島県、2015年4月27日閲覧。
  3. ^ 鹿児島県市町村変遷史 p.110
  4. ^ 十島村略年表 - 十島村、2014年6月10日閲覧。
  5. ^ Wikisource-logo.svg 郡の区域変更(昭和47年自治省告示第298号、昭和47年11月29日付官報第13780号所収)
  6. ^ 観光・定住希望の方へ|十島村観光案内” (日本語). www.tokara.jp. 2019年1月19日閲覧。
  7. ^ 最新の全国的な人口動態と田園回帰の可能性”. 一般社団法人 持続可能な地域社会総合研究所. 2019年1月19日閲覧。
  8. ^ 【ランキング】人口増加率TOP20・平成27年国勢調査確定値【市区町村】”. 2019年1月19日閲覧。
  9. ^ なぜ、東京から20時間の「絶海の孤島」に移住者が殺到するのか?|人口増加率は全国2位!”. 2019年1月19日閲覧。
  10. ^ 国鉄監修 交通公社の時刻表』1982年6月号 545ページ航空時刻表
  11. ^ トカラ皆既日食情報[リンク切れ]
  12. ^ ツアー外、こっそり入島者 日食の十島村「出て行って」 - asahi.com(朝日新聞社)[リンク切れ]
  13. ^ 日食見上げる人また人、天体の神秘に各地で歓声 : 皆既日食2009(自然・環境 : 九州発) - YOMIURI ONLINE(読売新聞)[リンク切れ]

参考文献[編集]

  • 鹿児島県総務部参事室編『鹿児島県市町村変遷史』鹿児島県、1967年。

外部リンク[編集]