五円紙幣

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五円紙幣(ごえんしへい)とは、日本銀行券(日本銀行兌換銀券、日本銀行兌換券を含む)の1つ。旧五円券、改造五円券、甲号券、乙号券、丙号券、丁号券、い号券、ろ号券、A号券の九種類が存在し、このうち現在法律上有効なのは新円として発行されたA号券のみである。紙幣券面の表記は『五圓』。

旧五円券[編集]

1885年(明治18年)12月24日の大蔵省告示第166号「明治十七年五月第拾八號布告兌換銀行券ノ内今般五圓券製造出來候ニ付右見本各府縣ヘ下ヶ渡置候條紙質漉キ込ミ等豫テ注意ヲ要シ置候樣致スヘシ」[1]により紙幣の様式が公表されている。

  • 日本銀行兌換銀券
  • 額面 五圓(5円)
  • 表面 彩紋
  • 裏面 大黒
  • 印章 〈表面〉日本銀行総裁之章、文書局長(割印) 〈裏面〉金庫局長
  • 銘板 大日本帝國政府大藏省印刷局製造
  • 記番号仕様
    • 記番号色 黒色
    • 記番号構成 〈記号〉「第」+組番号:漢数字1 - 2桁+「號」 〈番号〉通し番号:「第」+漢数字5桁+「番」
  • 寸法 縦87mm、横152mm
  • 製造実績
    • 印刷局から日本銀行への引渡期間 1885年明治18年)11月 - 1888年(明治21年)下期[2]
    • 記号(組番号)範囲 「第壹號」 - 「第叄〇號」(1記号当たり80,000枚製造)[2]
    • 製造枚数 2,340,000枚[3]
  • 発行開始日 1886年(明治19年)1月4日
  • 通用停止日 1939年昭和14年)3月31日[4]
  • 発行終了
  • 失効券

大黒天が描かれていることから「大黒札」と呼ばれている。旧券中唯一大黒が裏面に描かれている。そのことから、「裏大黒」「裏大黒5円」とも呼ばれる。裏面には小槌を手にした大黒天がの上に腰かけている様子が描かれており、米俵の側には3匹のがあしらわれているほか、周囲に桜花が配置されている。図案製作者はイタリア人のエドアルド・キヨッソーネである。表面の地模様には、表面中央に日輪とそこから放射状に延びる光線状の模様が描かれている。表面は全体的に発行当時の写真複製技術では再現困難な薄い青色で印刷されている。

記番号は漢数字となっており、通し番号は5桁で、通し番号の前後には「第」、「番」の文字がある。1組につき8万枚(最大通し番号は「第八〇〇〇〇番」)製造されている(ただし最終組「第叄〇號」は「第貳〇〇〇〇番」までの製造)。

透かしは「日本銀行券」の文字と宝珠小槌の図柄である。

1927年(昭和2年)2月に制定された兌換銀行券整理法により1939年(昭和14年)3月31日限りで通用停止となった。

改造五円券[編集]

1888年(明治21年)11月14日の大蔵省告示第140号「明治十七年五月第十八號公布兌換銀行券ノ内今般五圓券改造侯ニ付該見本各地方廳ヘ下ケ渡置侯條現品熟覽ヲ要シ置侯樣致ス可シ」[5]により紙幣の様式が公表されている。

  • 日本銀行兌換銀券
  • 額面 五圓(5円)
  • 表面 菅原道真(紙幣面の人名表記は「菅原道真公」)と分銅
  • 裏面 彩紋
  • 印章 〈表面〉総裁之印 〈裏面〉文書局長、金庫局長
  • 銘板 大日本帝國政府大藏省印刷局製造
  • 記番号仕様
    • 記番号色 赤色
    • 記番号構成 (製造時期により2種類あり)
      • 〈記号〉「第」+組番号:漢数字1 - 2桁+「號」 〈番号〉通し番号:漢数字5桁
      • 〈記号〉「第」+組番号:漢数字2 - 3桁+「號」 〈番号〉通し番号:漢数字6桁
  • 寸法 縦95mm、横159mm
  • 製造実績
    • 印刷局から日本銀行への引渡期間 1888年(明治21年)10月 - 1898年(明治31年)下期[2]
    • 記号(組番号)範囲 [2]
      • 「第壹號」 - 「第九叄號」(1記号当たり90,000枚製造)
      • 「第九四號」 - 「第壹〇貳號」(1記号当たり900,000枚製造)
    • 製造枚数 15,800,000枚[3]
  • 発行開始日 1888年(明治21年)12月3日
  • 通用停止日 1939年(昭和14年)3月31日[4]
  • 発行終了
  • 失効券

大黒旧券には紙幣の強度を高めるためにコンニャク粉が混ぜられ、そのためネズミに食害されることが多々あり、またインキが温泉地で黒変することもあったために「改造券」が発行された。通称は表面中央に分銅型の輪郭枠が描かれたことから「分銅5円」である。また、肖像の菅原道真に因み、梅鉢紋があしらわれている。

記番号は漢数字となっており、下表のように前期と後期とに分けられるが、具体的な切り替え時期は不明である。

タイプ 発行開始日 組番号範囲 通し番号
前期 1888年(明治21年)12月3日 「第壹號」 - 「第九叄號」 5桁、最大「九〇〇〇〇」
後期 不明 「第九四號」 - 「第壹〇貳號」[注 1] 6桁、最大「九〇〇〇〇〇」

透かしは「銀貨五圓」と「5YEN」の文字である。

1927年(昭和2年)2月に制定された兌換銀行券整理法により1939年(昭和14年)3月31日限りで通用停止となった。

甲号券[編集]

1899年(明治32年)3月18日の大蔵省告示第10号「明治十七年第十八號布告兌換銀行券條例ニ依リ日本銀行ヨリ發行スル兌換銀行券ノ内五圓券ヲ改造シ本年四月一日ヨリ發行ス」[6]で紙幣の様式が定められている。

  • 日本銀行兌換券
  • 額面 五圓(5円)
  • 表面 武内宿禰(紙幣面の人名表記は「武内大臣」)と宇倍神社全景(紙幣面の注記は「宇倍神社」)
  • 裏面 英語表記の兌換文言
  • 印章 〈表面〉総裁之印 〈裏面〉文書局長、発行局長
  • 銘板 大日本帝國政府印刷局製造
  • 記番号仕様
    • 記番号色 黒色
    • 記番号構成 (製造時期により2種類あり)
      • 〈記号〉変体仮名1文字+「號」 〈番号〉通し番号:漢数字6桁
      • 〈記号〉組番号:「<」+数字1 - 2桁+「>」 〈番号〉通し番号:漢数字6桁
  • 寸法 縦85mm、横146mm
  • 製造実績
    • 印刷局から日本銀行への引渡期間 1898年(明治31年)10月 - 1910年(明治43年)11月26日[2]
    • 記号(組番号)範囲 「い號」 - 「す號」/1 - 15(いずれも1記号当たり900,000枚製造)[2]
    • 製造枚数 [3]
      • 42,300,000枚[記号:変体仮名]
      • 10,850,000枚[記号:アラビア数字]
  • 発行開始日 1899年(明治32年)4月1日[6]
  • 通用停止日 1939年(昭和14年)3月31日[4]
  • 発行終了
  • 失効券

1897年(明治30年)10月の銀本位制から金本位制への移行に伴い、金兌換券として発行された。通称は表面中央に武内宿禰が描かれていることから「中央武内5円」である。また、左側には宇倍神社の鳥居と灯篭が、右側には木々の間からのぞき見える拝殿の屋根が描かれており、左右合わせて宇倍神社の境内を遠望した全景を描く構図となっている。また、裏面左端に製造年の記年号が和暦で記載されており、裏面右端には「日本銀行」の断切文字(割印のように券面内外に跨るように印字された文字)が配置されている。

当初は記号がいろは順の変体仮名であったが、いろは47文字を全て使い切ったため、それ以降の発行分は記号がアラビア数字となった。通し番号は漢数字であるが、変体仮名記号とアラビア数字のもので書体が異なり、「2」に対応する漢数字は変体仮名記号のもので「貳」、アラビア数字記号のもので「弍」となっている。

甲五圓券の変遷の詳細を下表に示す。

発行開始日 日本銀行への引渡期間[2] 記号/組番号範囲 記号/組番号表記 通し番号表記 記年号[7][8]
1899年(明治32年)4月1日[6] 1898年(明治31年)10月 -
1907年(明治40年)上期
「い號」 - 「す號」 変体仮名 漢数字 明治32年 - 明治40年
不明[注 2] 1907年(明治40年)下期 -
1910年(明治43年)11月26日
1 - 15 アラビア数字 漢数字 明治40年 - 明治43年

透かしは「五圓」の文字と枝桐の図柄である。

1927年(昭和2年)2月に制定された兌換銀行券整理法により1939年(昭和14年)3月31日限りで通用停止となった。

乙号券[編集]

1910年(明治43年)8月11日の大蔵省告示第107号「明治十七年第十八號布告兌換銀行券條例ニ依リ日本銀行ヨリ發行スル兌換銀行券ノ内五圓券ヲ改造シ本年九月一日ヨリ發行ス」[10]で紙幣の様式が定められている。

  • 日本銀行兌換券
  • 額面 五圓(5円)
  • 表面 菅原道真
  • 裏面 北野天満宮拝殿と英語表記の兌換文言
  • 印章 〈表面〉総裁之印 〈裏面〉文書局長、発行局長
  • 銘板 大日本帝國政府印刷局製造
  • 記番号仕様
    • 記番号色 小豆色
    • 記番号構成 〈記号〉組番号:「{」+数字1 - 2桁+「}」 〈番号〉通し番号:数字6桁[注 3]
  • 寸法 縦78mm、横136mm
  • 製造実績
    • 印刷局から日本銀行への引渡期間 1910年(明治43年)4月28日 - 1916年大正5年)4月28日[2]
    • 記号(組番号)範囲 1 - 78(1記号当たり900,000枚製造)[2]
    • 製造枚数 71,490,000枚[3]
  • 発行開始日 1910年(明治43年)9月1日[10]
  • 通用停止日 1939年(昭和14年)3月31日[4]
  • 発行終了
  • 失効券

甲号券で写真技術を用いた精巧な偽造券が発見されたことにより改刷が行われ、偽造防止のための新技術が多数取り入れられたことが大きな特徴である。

旧号券では肖像は黒色で印刷されるのが一般的であったところ、偽造防止を目的として表面の菅原道真の肖像が緑色で印刷された。これまでの紙幣では一般的であった重厚な額縁状の輪郭も廃されており、開放的なイメージの券面となっている。また、現在では一般的になっているが、当時としては珍しく表面左側の透かしの位置には印刷がされておらず空白となっている[注 4]。透かしには日本で初めて人物画が用いられ、笑顔の大黒天の図柄がすき入れされたことから、通称は「透かし大黒5円」である。しかしながら、緑色で印刷された菅原道真の肖像画の表情と大黒天の透かしが不気味に思われたことから、「幽霊札」と呼ばれ不評だった。

裏面には、北野天満宮の拝殿の風景が描かれている。なお、これまでに発行された券種では券面に記載されていた発行根拠文言および偽造変造罰則文言は、この乙五圓券以降に発行された券種では省略されている。このほか、用紙に着色繊維を漉き込む試みが初めて採用されたが、以降の券種には引き継がれることはなかった。

1927年(昭和2年)2月に制定された兌換銀行券整理法により1939年(昭和14年)3月31日限りで通用停止となった。

丙号券[編集]

1916年(大正5年)12月1日の大蔵省告示第163号「明治十七年第十八號布告兌換銀行券條例ニ依リ日本銀行ヨリ發行スル兌換銀行券ノ内五圓券ヲ改造シ本年十二月十五日ヨリ發行ス」[11]で紙幣の様式が定められている。

  • 日本銀行兌換券
  • 額面 五圓(5円)
  • 表面 武内宿禰宇倍神社拝殿
  • 裏面 英語表記の兌換文言
  • 印章 〈表面〉総裁之印 〈裏面〉文書局長
  • 銘板 大日本帝國政府印刷局製造
  • 記番号仕様
    • 記番号色 黒色
    • 記番号構成 〈記号〉組番号:「{」+数字1 - 3桁+「}」 〈番号〉通し番号:数字6桁
  • 寸法 縦73mm、横130mm
  • 製造実績
    • 印刷局から日本銀行への引渡期間 1916年(大正5年)11月17日 - 1928年(昭和3年)2月11日[2]
    • 記号(組番号)範囲 1 - 191(1記号当たり900,000枚製造)[2]
    • 製造枚数 171,620,000枚[3]
  • 発行開始日 1916年(大正5年)12月15日[11]
  • 通用停止日 1939年(昭和14年)3月31日[4]
  • 発行終了
  • 失効券

当時としては斬新なデザインの乙号券が国民から受け入れられず「幽霊札」と呼ばれ不評であったことから、僅か6年後に改刷が行われ、額縁状の輪郭や、黒色の肖像、透かし位置への図柄の印刷など、伝統的なデザイン構成に回帰している。通称は「大正武内5円」「白ひげ5円」である。

表面の右側には武内宿禰、左側には宇倍神社の拝殿の風景が描かれている。裏面には彩紋模様と英語表記の兌換文言が記載されているが、当時ヨーロッパを中心に流行していたアール・ヌーヴォー調のデザインとなっており、裏面右端には「日本銀行」の断切文字が配置されている。

透かしは「日本銀行」の文字と網目模様である。

1927年(昭和2年)2月に制定された兌換銀行券整理法により1939年(昭和14年)3月31日限りで通用停止となった。

丁号券[編集]

1930年(昭和5年)2月18日の大蔵省告示第36号「明治十七年第十八號布告兌換銀行券條例ニ依リ日本銀行ヨリ發行スル兌換銀行券ノ内五圓券ヲ改造シ本年三月一日ヨリ發行ス」[12]で紙幣の様式が定められている。

  • 日本銀行兌換券
  • 額面 五圓(5円)
  • 表面 菅原道真北野天満宮拝殿
  • 裏面 彩紋
  • 印章 〈表面〉総裁之印 〈裏面〉文書局長
  • 銘板 大日本帝國政府内閣印刷局製造
  • 記番号仕様
    • 記番号色 黒色
    • 記番号構成 〈記号〉組番号:「{」+数字1 - 3桁+「}」 〈番号〉通し番号:数字6桁
  • 寸法 縦76mm、横132mm[12]
  • 製造実績
    • 印刷局から日本銀行への引渡期間 1929年(昭和4年)6月18日 - 1941年(昭和16年)1月17日[2]
    • 記号(組番号)範囲 1 - 341(1記号当たり900,000枚製造)[2]
    • 製造枚数 305,600,000枚[3]
  • 発行開始日 1930年(昭和5年)3月1日[12]
  • 通用停止日 1946年(昭和21年)3月2日[13]
  • 発行終了
  • 失効券

関東大震災で兌換券の整理が必要となったことから1927年(昭和2年)2月に兌換銀行券整理法が制定され、従来の兌換券を失効させて新しい兌換券に交換するため、丁五圓券・丙拾圓券乙百圓券が新たに発行された。

丁号券からろ号券までの5円券は、全て菅原道真が描かれており、通称では「1次」~「4次」と呼ばれているので、この丁号券は「1次5円」となる。改造券・乙号券も菅原道真が描かれているが「何次」とは呼ばれない。

日本銀行券では比較的珍しく、鮮やかな色調を複数用いた明るい印象の券面となっている。表面右側には菅原道真の肖像、左側には北野天満宮の拝殿が描かれている。地模様には手向山神社の「葱花輦」の古代織物文様と、梅花模様、および宝相華模様があしらわれている。裏面中央には菅原道真に因んだ梅花を5個組み合わせた形状の彩紋を、その周囲には北野天満宮の紋である梅花紋を12個配している。裏面右端には「日本銀行」の断切文字が配置されている。

透かしは「五圓」の文字と肖像の菅原道真に因んだ梅花紋の図柄である。

新円切替のため1946年(昭和21年)3月2日限りで通用停止となった。

い号券[編集]

1942年(昭和17年)1月4日の大蔵省告示第1号「明治十七年第十八號布告兌換銀行券條例ニ依リ日本銀行ヨリ發行スル兌換銀行券ノ内五圓券及貳百圓券ヲ改造シ本年一月六日ヨリ發行ス」[14]で紙幣の様式が定められている。

  • 日本銀行兌換券
  • 額面 五圓(5円)
  • 表面 菅原道真北野天満宮拝殿
  • 裏面 彩紋
  • 印章 〈表面〉総裁之印 〈裏面〉文書局長、発行局長
  • 銘板 内閣印刷局製造
  • 記番号仕様
    • 記番号色 黒色
    • 記番号構成 〈記号〉組番号:「{」+数字1 - 2桁+「}」 〈番号〉通し番号:数字6桁
  • 寸法 縦76mm、横132mm[14]
  • 製造実績
    • 印刷局から日本銀行への引渡期間 1941年(昭和16年)4月11日 - 1943年(昭和18年)8月2日[2]
    • 記号(組番号)範囲 1 - 96(1記号当たり900,000枚製造)[2]
    • 製造枚数 86,150,000枚[3]
  • 発行開始日 1942年(昭和17年)1月6日[14]
  • 通用停止日 1946年(昭和21年)3月2日[13]
  • 発行終了
  • 失効券

丁号券が製造に手間のかかるものであったため、製造効率向上のために改刷されたものがい号券である。通称は「2次5円」である。

表面には右側に菅原道真の肖像が、左側には北野天満宮の拝殿が描かれており、地模様は、と宝相華の図柄があしらわれている。裏面は丁号券よりも簡素な彩紋模様であり、裏面右端には「日本銀行」の断切文字が配置されている。第二次世界大戦中という時代背景の影響もあり、丁号券と比べるとかなり簡素化されたデザインとなっている。意匠は不換紙幣であるろ号券に流用されている。印章は表面に「総裁之印」、裏面に「文書局長」・「発行局長」が印刷されている。

「日本銀行兌換券」と表記され、その文字が直列しているのが特徴だが、発行当時、紙幣による金貨への兌換は既に停止されていたため、事実上の不換紙幣となっていた。なお、1931年(昭和6年)12月に金兌換が停止されていたにも関わらず兌換文言が記載された兌換券が発行された理由は、日本銀行券の発行根拠であった兌換銀行券条例が未改正であったためである。

透かしは古代模様である。

新円切替のため1946年(昭和21年)3月2日限りで通用停止となった。

ろ号券[編集]

1943年(昭和18年)12月14日の大蔵省告示第558号「昭和十八年十二月十五日ヨリ發行スベキ日本銀行券拾圓券、同五圓券及同壹圓券ノ樣式略圖ハ左ノ通トス」[15]で紙幣の様式が定められている。

  • 日本銀行券
  • 額面 五圓(5円)
  • 表面 菅原道真北野天満宮拝殿
  • 裏面 彩紋
  • 印章 〈表面〉総裁之印、発券局長 〈裏面〉なし
  • 銘板 内閣印刷局製造
  • 記番号仕様
    • 記番号色 黒色[通し番号あり]/赤色[通し番号なし(組番号のみ)](製造時期により2種類あり)
    • 記番号構成 (製造時期により2種類あり)
      • 〈記号〉組番号:「{」+数字1 - 2桁+「}」 〈番号〉通し番号:数字6桁
      • 〈記号〉組番号:「{」+数字2桁+「}」 〈番号〉通し番号なし
  • 寸法 縦76mm、横132mm[15]
  • 製造実績
    • 印刷局から日本銀行への引渡期間 1943年(昭和18年)8月8日 - 1946年(昭和21年)3月4日[2]
    • 記号(組番号)範囲 [2]
      • 1 - 94(1記号当たり900,000枚製造)
      • 95 - 98(1記号当たり5,000,000枚製造)
    • 製造枚数 [3]
    • 84,600,000枚[通し番号あり]
    • 16,387,000枚[通し番号なし(組番号のみ)]
  • 発行開始日 1943年(昭和18年)12月15日[15]
  • 通用停止日 1946年(昭和21年)3月2日[13]
  • 発行終了
  • 失効券

事実上有名無実化していた金本位制1942年(昭和17年)5月に正式に廃止され、管理通貨制度に移行したことに伴い不換紙幣として発行された。また、時代は第二次世界大戦に突入し、あらゆるものが戦争に駆り出され紙幣もコスト削減や製造効率向上を目的に仕様が簡素化されている。

表面は兌換紙幣であるい号券の流用で、違いは題号が「日本銀行券」と書かれていること、兌換文言がないこと、印章の位置と数の違い(い号券では表面1個・裏面2個だったのに対し、ろ号券の印章は印刷工程の簡略化のため、表面のみに「総裁之印」・「発券局長」の2個が印刷されている)、肖像の表情に若干の違いがあることである。また、地模様の刷色も変更されている。裏面は彩紋模様であるが、い号券よりも更に簡略化された別デザインに改められている。

透かしはい号券同様に古代模様である。

当初は記番号が黒色で印刷されていたが(3次5円)、1944年(昭和19年)に記号(組番号)の色が赤色に変更され通し番号が省略された(4次5円)。3次5円の通し番号については、基本的に900000までであったが、補刷券といって、不良券との差し替え用に900001以降の通し番号が印刷されたものが存在する。4次5円については現存数が少ない分古銭的価値が高くなっている。

ろ五圓券の変遷の詳細および組番号の範囲を下表に示す。下記の2タイプに分かれる。

通称 発行開始日 日本銀行への引渡期間[2] 組番号範囲 記番号仕様 透かし
3次5円 1943年(昭和18年)12月15日[15] 1943年(昭和18年)8月8日 -
1944年(昭和19年)上期
1 - 94 黒色・通し番号あり 古代鳥模様(白黒透かし・定位置)
4次5円 1944年(昭和19年)11月20日[16] 1944年(昭和19年)10月7日 -
1946年(昭和21年)3月4日
95 - 98[注 5] 赤色・通し番号なし 古代鳥模様(白黒透かし・定位置)

新円切替のため1946年(昭和21年)3月2日限りで通用停止となった。

A号券[編集]

Series A 5 Yen Bank of Japan note - front.jpg
Series A 5 Yen Bank of Japan note - back.jpg

1946年(昭和21年)3月5日の大蔵省告示第97号「昭和二十一年三月五日ヨリ發行スベキ日本銀行券五圓券ノ樣式ヲ左ノ略圖ノ通定ム」[17]で紙幣の様式が定められている。

  • 日本銀行券
  • 額面 五圓(5円)
  • 表面 彩紋
  • 裏面 彩紋
  • 印章 〈表面〉総裁之印、発券局長 〈裏面〉なし
  • 銘板 記載なし
  • 記番号仕様
    • 記番号色 赤色[通し番号なし(組番号のみ)]
    • 記番号構成 〈記号〉「1」+組番号:数字1 - 2桁+製造工場:数字2桁 〈番号〉通し番号なし
  • 寸法 縦68mm、横132mm[17]
  • 製造実績
    • 印刷局から日本銀行への引渡期間 1946年(昭和21年)3月7日 - 1946年(昭和21年)12月19日[2]
    • 記号(組番号)範囲 1 - 92[注 6](1記号当たり5,000,000枚製造)[2]
    • 製造枚数 460,000,000枚[3]
  • 発行開始日 1946年(昭和21年)3月8日[18](告示上:同年3月5日[注 7]
  • 支払停止日 1955年(昭和30年)4月1日
  • 発行終了
  • 有効券

終戦直後の新円切替のため、民間企業の凸版印刷によってデザインされたA号券の一つで、このA五円券には肖像や風景が一切なく、彩紋模様のみの無難な図柄ということで当初の案がそのままGHQによって認可され採用された。表裏両面とも肖像や風景などの図柄がない日本銀行券は、昭和金融恐慌時に緊急的に発行された乙貳百圓券とA五円券のみである。改造券からA号券までに発行された日本銀行券では菊花紋章が表面中央上部に配置されていたが、A五円券においては右上に配置されている点で特異である。なお、透かしは入っていない。印刷方式は両面とも平版印刷である。

記番号については、通し番号はなく記号のみの表記となっている。記号の下2桁が製造工場を表しており、下表の通り製造された5箇所の印刷所別に分類できる。このように民間企業でも印刷されたが、そのことが偽造が多発する原因の一つとなった。

製造工場 記号下2桁
大蔵省印刷局滝野川工場 12
大蔵省印刷局酒匂工場 22
共同印刷小石川工場 15
東京証券印刷小田原工場 26
帝国印刷芝工場 17

A五円券が製造されたのは1946年(昭和21年)限りで、その2年後の1948年(昭和23年)には五円硬貨(穴ナシ五円黄銅貨)が登場した。

現在法律上有効な唯一の五円紙幣である。仮に損傷紙幣としてこのA五円券を日本銀行に持ち込み、その面積が半額交換相当(元の2/5以上2/3未満)であった場合は、1円未満の端数は切り捨てられるため、2円として引き換えられる。

使用色数は、表面3色(内訳は主模様1色、地模様1色、印章・記番号1色)、裏面1色となっている。

未発行紙幣[編集]

B五円券
肖像は福沢諭吉1946年(昭和21年)にGHQ(連合国軍総司令部)による発行承認を得ていたものの、インフレーションの進行によりB号券は高額券から優先して発行することとなり、更に1948年(昭和23年)には五円黄銅貨が発行されたため、B五円券の発行は取りやめとなった[19]

参考文献[編集]

  • 植村峻『紙幣肖像の近現代史』吉川弘文館、2015年6月。ISBN 978-4-64-203845-4
  • 植村峻『日本紙幣の肖像やデザインの謎』日本貨幣商協同組合、2019年1月。ISBN 978-4-93-081024-3
  • 利光三津夫、 植村峻、田宮健三『カラー版 日本通貨図鑑』日本専門図書出版、2004年6月。ISBN 978-4-93-150707-4
  • 大蔵省印刷局『日本のお金 近代通貨ハンドブック』大蔵省印刷局、1994年6月。ISBN 978-4-17-312160-1
  • 大蔵省印刷局『日本銀行券製造100年・歴史と技術』大蔵省印刷局、1984年11月。

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 記録上。実物が確認されているのは「第壹〇壹號」まで。
  2. ^ 1907年(明治40年)頃に発行開始されたとされる[9]官報公示を行わないまま発行開始されているため正確な発行開始日は不詳。
  3. ^ 本券種では左上・右下に組番号、右上・左下に通し番号が配置されており、組番号と通し番号の両方が印字されている他の券種とは逆配置となっている。
  4. ^ 当時は一般的ではなかったため、印刷漏れを疑われる原因となった。改めて透かし部分の印刷が空白の紙幣が登場するのは、C五千円券以降である。
  5. ^ 4次5円の98組は特に存在が少なく、組自体が補刷券として刷られたものではないかと推測する説もある(『日本紙幣収集手引書第四集・日本銀行券「A号シリーズ」編』南部紙幣研究所、1991年)。
  6. ^ 記号の頭1桁と下2桁を除いた残り1 - 2桁
  7. ^ 1946年(昭和21年)3月5日付け大蔵省告示第97号「昭和二十一年三月五日ヨリ發行スベキ日本銀行券五圓券ノ樣式ヲ左ノ略圖ノ通定ム」では同年3月5日と予告されていた。

出典[編集]

  1. ^ 1885年(明治18年)12月24日大蔵省告示第166號「明治十七年五月第拾八號布告兌換銀行券ノ内今般五圓券製造出來候ニ付右見本各府縣ヘ下ヶ渡置候條紙質漉キ込ミ等豫テ注意ヲ要シ置候樣致スヘシ
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 大蔵省印刷局『日本銀行券製造100年・歴史と技術』大蔵省印刷局、1984年11月、312-313頁。
  3. ^ a b c d e f g h i 大蔵省印刷局『日本のお金 近代通貨ハンドブック』大蔵省印刷局、1994年6月、242-255頁。ISBN 9784173121601
  4. ^ a b c d e 1927年(昭和2年)4月1日法律第46號「兌換銀行券整理法
  5. ^ 1888年(明治21年)11月14日大蔵省告示第140號「明治十七年五月第十八號公布兌換銀行券ノ内今般五圓券改造侯ニ付該見本各地方廳ヘ下ケ渡置侯條現品熟覽ヲ要シ置侯樣致ス可シ
  6. ^ a b c 1899年(明治32年)3月18日大蔵省告示第10號「明治十七年第十八號布告兌換銀行券條例ニ依リ日本銀行ヨリ發行スル兌換銀行券ノ内五圓券ヲ改造シ本年四月一日ヨリ發行ス
  7. ^ ボナンザ編集部『日本近代紙幣総覧』ボナンザ、1984年8月、162頁。
  8. ^ 大橋義春『維新以降日本紙幣大系図鑑』大蔵省印刷局、1957年、72-76頁。
  9. ^ 明治以降の紙幣 - 日本銀行金融研究所 貨幣博物館
  10. ^ a b 1910年(明治43年)8月11日大蔵省告示第107號「明治十七年第十八號布告兌換銀行券條例ニ依リ日本銀行ヨリ發行スル兌換銀行券ノ内五圓券ヲ改造シ本年九月一日ヨリ發行ス
  11. ^ a b 1916年(大正5年)12月1日大蔵省告示第163號「明治十七年第十八號布告兌換銀行券條例ニ依リ日本銀行ヨリ發行スル兌換銀行券ノ内五圓券ヲ改造シ本年十二月十五日ヨリ發行ス
  12. ^ a b c 1930年(昭和5年)2月18日大蔵省告示第36號「明治十七年第十八號布告兌換銀行券條例ニ依リ日本銀行ヨリ發行スル兌換銀行券ノ内五圓券ヲ改造シ本年三月一日ヨリ發行ス
  13. ^ a b c 1946年(昭和21年)2月17日勅令第84號「日本銀行券預入令」、ならびに1946年(昭和21年)2月17日大蔵省令第13號「日本銀行券預入令施行規則
  14. ^ a b c 1942年(昭和17年)1月4日大蔵省告示第1號「明治十七年第十八號布告兌換銀行券條例ニ依リ日本銀行ヨリ發行スル兌換銀行券ノ内五圓券及貳百圓券ヲ改造シ本年一月六日ヨリ發行ス
  15. ^ a b c d 1943年(昭和18年)12月14日大蔵省告示第558號「昭和十八年十二月十五日ヨリ發行スベキ日本銀行券拾圓券、同五圓券及同壹圓券ノ樣式略圖ハ左ノ通トス
  16. ^ 1944年(昭和19年)11月17日大蔵省告示第525號「昭和十九年十一月二十日ヨリ發行スベキ日本銀行券拾圓券、同五圓券及同壹圓券ノ樣式ヲ左記略圖ノ通定メ從來ノ日本銀行券ト共ニ之ヲ併用ス
  17. ^ a b 1946年(昭和21年)3月5日大蔵省告示第97號「昭和二十一年三月五日ヨリ發行スベキ日本銀行券五圓券ノ樣式ヲ左ノ略圖ノ通定ム
  18. ^ 日本銀行金融研究所『日本貨幣年表』日本銀行金融研究所、1994年、P.91。ISBN 9784930909381
  19. ^ 日本銀行調査局『図録日本の貨幣 9 管理通貨制度下の貨幣』東洋経済新報社、1975年6月、210-214頁。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]