預金封鎖

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預金封鎖(よきんふうさ)とは、銀行預金などの金融資産の引き出しを制限すること[1]

金融機関の預金封鎖[編集]

金融機関について経営危機説が流れた場合、多くの預金者が預金を引き出そうとして取り付け騒ぎになる場合があるため、経営健全と評価されるまで一時的に金融資産の引き出しを制限することがある。

政府による預金封鎖[編集]

政府において、財政が破綻寸前になった場合、銀行預金などの国民の資産を把握して、資産に対して税金を掛けて政府収入にあてることで、破綻から免れようとすることがある。また市場に出回った通貨の流通量を制限し、インフレーションを金融政策で押さえる方法として実施される場合がある。その際通貨切替をして旧通貨を無効にし、市場通貨を金融機関に回収させる方法がとられることがある。この場合にも預金封鎖が行われる。

主な事例[編集]

日本における預金封鎖[編集]

事例[編集]

日本では1944年日本国債の発行残高が国内総生産の2倍に達したために償還が不可能となり[3]、財産税の新設と共に実施された。

また1946年第二次世界大戦後のインフレーションの中、幣原内閣において新円切替が施行されると同時に実施された。この封鎖は封鎖預金と呼ばれ、第一封鎖預金と第二封鎖預金に分けられ、引き出しが完全にできなくなるのではなく、預金者による引き出し通貨量の制限や給与の一部が強制的に預金させられるなど、利用条件が設けられた。封鎖預金からの新円での引き出し可能な月額は、世帯主で300円、世帯員は1人各100円であった。1946年の国家公務員大卒初任給が540円であり、それを元に現在の貨幣価値に換算すると、世帯主が約12万〜15万、世帯員が1人各4万弱まで引き出せる。学校の授業料は旧円での支払いが認められていたが、生活費には新円を使うこととなった[4]。最終的に第二封鎖預金は切り捨てられる形となった。

これを踏まえて、2002年10月13日付『読売ウイークリー』では、新型決済性預金が預金封鎖の布石ではないかとの記事が掲載された[要ページ番号]。同じく2002年12月発売の『文藝春秋』にて、1997年に当時の大蔵省内部で預金封鎖の検討が行われた旨の記事が掲載された[要ページ番号]

2015年2月16日、NHKの報道番組「ニュースウオッチ9」にて「『預金封鎖』もうひとつのねらい」という特集が組まれ、預金封鎖が実施された当時の大蔵大臣である渋沢敬三による「国の負担を、国民に転嫁する意図」について報道された[1]

懸念[編集]

公平の名のもとに国民資産を把握し膨れ上がった国家の債務の解消[5]のために預金封鎖がなされうることを副島隆彦が著書[6]で指摘している。『文藝春秋』2002年12月号にて、1997年(平成9年)に当時の大蔵省内部で預金封鎖の検討が行われた旨の記事が掲載された。

アルゼンチンにおける預金封鎖[編集]

1998年秋にブラジルは自国通貨のレアルの切り下げを行ったが、アルゼンチンは自国通貨であるペソのレートを維持した[7]。その結果、ブラジルから大量の繊維製品が輸入されるようになり、アルゼンチンの国内産業に大きな打撃を与え、経済への不安からアルゼンチン国内では預金をドルへ替える動きが加速した[7]

その対策として2001年12月にアルゼンチン政府は預金口座から引き出し可能な金額を週250ドル、海外への送金を月1,000ドルに制限する預金封鎖に踏み切った[7]

脚注[編集]

  1. ^ a b 財政再建の妙薬は、増税ではなく「増収・インフレ税」 ダイヤモンド・オンライン「高橋洋一の俗論を撃つ!」2015年2月19日
  2. ^ キプロス、預金封鎖を開始 口座引き出し凍結:共同通信2013年3月16日
  3. ^ 2015年時点で2倍を超えている。http://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/condition/007.htm
  4. ^ 草野厚『歴代首相の経済政策・全データ』 角川書店 ISBN 978-4047041820[要ページ番号]
  5. ^ 木立順一 『黄金の国 悠久の心の文化の歴史から目指す未来像』 メディアポート ISBN 978-4865581096
  6. ^ 副島隆彦 『預金封鎖 「統制経済」へ向かう日本』 祥伝社、2003年ISBN 4-396-61194-3
  7. ^ a b c 須永茂雄 『じぶん年金デザイン術』、2007年、49頁。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]