下荒田
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| 下荒田 | |
|---|---|
| — 町丁 — | |
| 荒田八幡宮 | |
| 座標: 北緯31度34分23.2秒 東経130度33分18.4秒 / 北緯31.573111度 東経130.555111度 | |
| 国 | |
| 都道府県 | 鹿児島県 |
| 市町村 | 鹿児島市 |
| 地域 | 中央地域 |
| 地区 | 鴨池地区 |
| 人口 (2010年(平成22年)2月末現在) | |
| - 計 | 11,348人 |
| 等時帯 | JST (UTC+9) |
| 郵便番号 | 890-0056 |
下荒田(しもあらた Shimoarata)は、鹿児島県鹿児島市の町名。旧鹿児島郡鹿児島近在下荒田町、鹿児島市下荒田町、鹿児島市荒田町、鹿児島市下荒田町。下荒田一丁目から下荒田四丁目まであり、全域で住居表示を実施している。郵便番号は890-0056。人口は11,348人、世帯数は6,492世帯(2010年2月末現在)[1]。
地理[編集]
鹿児島市の中央部、甲突川中流域に位置する。町域の北方に新屋敷町、甲突町、南方に鴨池及び与次郎、東部に天保山町、西部に荒田、高麗町がそれぞれ接している。
町域の北方には甲突川が流れている。
歴史[編集]
1879年(明治12年)、鹿児島近在の荒田村から下荒田町として分立した。1889年(明治22年)に市制が施行され鹿児島城下及び鹿児島近在のうち47町3村の区域より鹿児島市が成立し、鹿児島近在の下荒田町は鹿児島市の町名「下荒田町」となった。その後1899年(明治32年)に下荒田町は荒田町に改称し、1911年(明治44年)に再び下荒田町に改称している。
1972年(昭和47年)に下荒田町の一部が荒田一丁目及び荒田二丁目に分割され、1973年(昭和48年)には下荒田町の全域及び鴨池町(現在の鴨池)、天保山町の各一部より分割され、下荒田一丁目から下荒田四丁目が成立した[2]。
町域の変遷[編集]
| 統合・分割実施後 | 統合・分割実施年 | 統合・分割実施前 |
|---|---|---|
| 荒田一丁目、荒田二丁目の一部 | 1972年(昭和47年) | 下荒田町の一部 |
| 下荒田一丁目から下荒田四丁目 | 1973年(昭和48年) | 下荒田町の全域 |
| 鴨池町、天保山町の各一部 |
施設[編集]
- 教育
- 郵便局
-
- 鹿児島下荒田一郵便局
- 寺社
-
- 荒田八幡宮
- 高野山清光院
- 大東寺
- 病院
-
- 鹿児島徳洲会病院
- 商業
-
- タイヨー下荒田店
- タイヨー騎射場店
- ミドリ薬品下荒田店
- 城山ストアー本部
世帯数・人口[編集]
| 世帯数 | 人口 | |
|---|---|---|
| 下荒田一丁目 | 1,632 | 2,706 |
| 下荒田二丁目 | 1,290 | 2,396 |
| 下荒田三丁目 | 1,694 | 3,080 |
| 下荒田四丁目 | 1,876 | 3,166 |
| 計 | 6,492 | 11,348 |
- ^ 鹿児島市ホームページ 統計情報 2010年11月2日閲覧
小・中学校の学区[編集]
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[3]。
| 町丁 | 番・番地 | 小学校 | 中学校 |
|---|---|---|---|
| 下荒田一丁目 | 全域 | 鹿児島市立八幡小学校 | 鹿児島市立天保山中学校 |
| 下荒田二丁目 | 全域 | ||
| 下荒田三丁目 | 全域 | ||
| 下荒田四丁目 | 全域 |
交通[編集]
道路[編集]
- 国道
下荒田出身の著名な人物[編集]
一覧には下荒田町が設置される1879年(明治12年)以前の荒田村出身の者のうち現在の下荒田の区域を出身とするものを含む。
- 松方正義 - 第4・6代内閣総理大臣(誕生当時は荒田村の一部、生誕地は現在の松方公園[4])
- 税所篤 - 薩摩藩士、枢密顧問官。
- 園田実徳 - 実業家、政治家(誕生当時は荒田村の一部)
- 横山正治 - 大日本帝国海軍軍人(真珠湾攻撃における九軍神の一人)
脚注[編集]
- 『角川日本地名大辞典46鹿児島県』角川書店
関連項目[編集]
座標: 北緯31度34分23.2秒 東経130度33分18.4秒
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