東俣町 (鹿児島市)

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東俣町
東俣郵便局
東俣郵便局
東俣町の位置(鹿児島県内)
東俣町
東俣町
北緯31度41分11.5秒 東経130度30分12.3秒 / 北緯31.686528度 東経130.503417度 / 31.686528; 130.503417
Flag of Japan.svg 日本
都道府県 鹿児島県
市町村 鹿児島市
地域 郡山地域
人口
2010年(平成22年)2月末現在)
 • 合計 1,230人
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
891-1102

東俣町(ひがしまたちょう Higashimata-Chō)は、鹿児島県鹿児島市町名。旧日置郡郡山郷東俣村、日置郡郡山村大字東俣、日置郡郡山町東俣郵便番号は891-1102。人口は1,230人、世帯数は523世帯(2010年2月末現在)[1]

地理[編集]

鹿児島市北西部に位置し、川田川中流域に所在する。川田川流域に水田が多くあり、その東西の山麓や山間に集落が点在している[2]

町域を南北に鹿児島県道211号小山田川田蒲生線が通り、東西に鹿児島県道40号伊集院蒲生溝辺線が通っている。北方には花尾町、南方に川田町、東方に皆与志町本名町、西方に油須木町小山田町が接している。

また、町域の中央部に東俣幼稚園、南部に東俣郵便局、一之宮神社、スパランド裸・楽・良がある。

河川[編集]

  • 甲突川水系川田川

歴史[編集]

成立から町村制施行まで[編集]

東俣という地名は南北朝期より見え、薩摩国満家院のうちであった[3]。古くは厚地(現在の花尾町)も東俣のうちに含まれていた[4]

江戸期には薩摩国日置郡郡山郷(外城)のうちであり、村高は「天保郷帳」では2,121石余、「郡山郷土史」によると明治初年には1,184石余であった[3]

町村制施行以後[編集]

1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、江戸期の郡山郷の区域を以て郡山村が成立し、江戸期の東俣村は郡山村の大字「東俣」となった[3]

1919年大正8年)に南方校(現在の鹿児島市立南方小学校)の児童数が増加したことから、花尾小(現在の鹿児島市立花尾小学校)を分立設置する計画が浮上した際に、東俣の分立反対派住民は反対運動を起こし、もし二校分立が実施された場合には東俣の区域は郡山村より分離して当時隣接していた伊敷村に編入するべく、東俣と伊敷村の区域を結ぶ道路(現在の鹿児島県道211号小山田川田蒲生線の一部)を建設するなどし、鹿児島県に対して分村の申請を行うが認められず[5]、翌年1920年大正9年)には南方校より花尾尋常高等小学校が分立した[6]

1956年(昭和31年)には郡山村が町制施行し郡山町の大字となった[3]。その後2004年(平成16年)に郡山町が鹿児島市に編入され、鹿児島市の町名「東俣町」となった[7]

施設[編集]

公共
  • スパランド裸・楽・良
  • 総合運動場多目的競技場
教育
  • 東俣幼稚園
郵便局
  • 東俣郵便局
寺社
  • 一之宮神社

小・中学校の学区[編集]

市立小・中学校の学区(校区)は以下の通りである[8]

町丁 番・番地 小学校 中学校
東俣町 1613-1681 鹿児島市立郡山小学校 鹿児島市立郡山中学校
東俣町 2606-2657 鹿児島市立花尾小学校
東俣町 1527-1612
1682-1720
未設定区域
東俣町 上記を除く全域 鹿児島市立南方小学校

交通[編集]

道路[編集]

県道

脚注[編集]

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  1. ^ 統計情報 Archived 2010年6月9日, at the Wayback Machine. - 鹿児島市ホームページ。
  2. ^ 角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.1060
  3. ^ a b c d 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.537-538
  4. ^ 郡山郷土史 p.11
  5. ^ 郡山郷土史 p.690
  6. ^ 郡山郷土史 p.693
  7. ^ 郡山郷土史 p.436-437
  8. ^ 小・中学校の校区表”. 鹿児島市役所. 2010年7月29日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2010年8月29日閲覧。

参考文献[編集]

  • 郡山郷土史編纂委員会『郡山郷土史』鹿児島市教育委員会、2006年。

関連項目[編集]

座標: 北緯31度41分11.5秒 東経130度30分12.3秒