豊前国
豊前国(ぶぜんのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に位置する。別称は豊後国とあわせて、または単独で豊州(ほうしゅう)。また、両国をさす語として二豊(にほう)も用いられる。領域は現在の福岡県東部と大分県北部にあたる。『延喜式』での格は上国、遠国。
領域
領域は福岡県東部に属す北九州市の東側(小倉北区・小倉南区・門司区)、筑豊地方の東側(田川市・田川郡)、京築地方の全域を中心に、大分県北部(中津市・宇佐市)にまで跨っていた。
明治9年、豊前一国であった小倉県の大半(6郡)が福岡県に編入され、山国川以南の2郡は大分県に分割されたが、豊前国として共通の歴史を持つため、現在でも文化面、生活面での結び付きが強い。
- なお、豊前豊津出身の堺利彦はその自伝の中で、「筑前、筑後、豊前の三国が福岡県を成しているのだが、私は福岡県人と呼ばれることがあまり嬉しくなかった。何だか筑前の附属になったような気持のするのが少し厭だった。福岡県というものは、私に取って、故郷でない。故郷はただ豊前ばかりである。私はどこまでも、豊前人でありたい。ただし豊前の中でも、北部の六郡の元小倉領だけに親しみがある。」と記している。
沿革
7世紀末に、豊国(とよのくに、とよくに)を分割して、豊後国とともに設けられた。豊前は、平安時代まで和名で「とよくにのみちのくち」と読んだ。
1871年(明治4年)、豊前国内にあった3県が統一されて小倉県となった。1876年(明治9年)4月に小倉県は福岡県に編入され、同年8月、豊前国(延喜式8郡)のうち最南部の2郡(宇佐郡・下毛郡)は大分県に編入された。
国内の施設
国府
国府は、仲津郡(現 福岡県。1896年(明治29年)2月26日 京都郡に編入)にあった。仲津郡は、景行天皇による豊国地名伝承発祥の地(『風土記』)である。なお、現在の福岡県京都郡みやこ町(旧豊津町)の国作~総社地区で遺跡が発見され、豊前国府跡公園として整備されている。
国分寺
- 豊前国分寺
- 福岡県みやこ町(旧豊津町)
神社
- 宇佐郡 八幡大菩薩宇佐宮
- 宇佐郡 比売神社
- 宇佐郡 大帯姫廟神社
これらは宇佐神宮(大分県宇佐市)に関わる神社である。
- 総社 惣社八幡神社 (福岡県京都郡みやこ町国作字総社)
- 一宮 宇佐神宮
二宮以下は存在しない。
安国寺利生塔
- 興国寺 - 福岡県福智町上野。
- 安国寺 - 福岡県北九州市小倉北区竪町。
地域
郡
8郡(延喜式)
- 田河郡(たがわぐん)(福岡県田川市・田川郡全域・嘉麻市の一部)
- 企救郡(きくぐん)(福岡県北九州市小倉北区・小倉南区・門司区)
- 京都郡(みやこぐん)(福岡県行橋市・苅田町・みやこ町の一部)
- 仲津郡(なかつぐん)(福岡県行橋市、みやこ町の一部)
- 築城郡(ついきぐん)(福岡県築上町・豊前市の一部)
- 三毛郡(みけぐん)・・・延喜式までに上毛郡と下毛郡に分割。
- 上毛郡(かうげぐん)(福岡県豊前市・上毛町・吉富町)
- 下毛郡(しもげぐん)(大分県中津市)
- 宇佐郡(うさぐん)(大分県宇佐市・豊後高田市の一部)
江戸時代の藩
人物
国司
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- 宇努首男人、養老年間
- 中臣習宜阿曽麻呂
- 和気清麻呂、宝亀2年(771年)任官
- 多治比豊浜、宝亀5年(774年)任官
- 伴枝嗣、天長5年(828年)任官
- 平康盛、保元2年(1157年)任官
- 宇佐公通、治承4年(1180年)任官
守護
鎌倉幕府
- 1200年 - 1225年 - 武藤資頼
- 1230年 - ? - 少弐資能
- 1279年 - ? - 北条実政
- 1310年 - ? - 北条政顕
- 1317年 - ? - 糸田顕義?
- 1323年 - 1333年 - 糸田貞義
室町幕府
- ? - 1334年 - 少弐貞経
- 1334年 - 1357年 - 少弐頼尚
- 1351年 - 1352年 - 大友氏泰
- 1352年 - 1354年 - 大友氏時
- 1354年 - 宇都宮冬綱
- 1361年 - 1365年 - 少弐頼澄
- 1375年 - 1380年 - 今川貞世
- 1380年 - 1399年 - 大内義弘
- 1408年 - 1431年 - 大内盛見
- ? - 1441年 - 大内持世
- 1441年 - 1465年 - 大内教弘
- 1465年 - 1495年 - 大内政弘
- 1498年 - 1501年 - 大友親治
- 1501年 - ? 大友義親(義長)
- 1509年 - 1528年 - 大内義興
- 1528年 - 1551年 - 大内義隆