ロビンソン・カノ
ニューヨーク・ヤンキース #24 | |
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基本情報 | |
国籍 | ドミニカ共和国 |
出身地 | サンペドロ・デ・マコリス州サンペドロ・デ・マコリス |
生年月日 | 1982年10月22日(41歳) |
身長 体重 |
6' 0" =約182.9 cm 210 lb =約95.3 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 二塁手 |
プロ入り | 2001年 |
初出場 | 2005年5月3日 |
年俸 | $6,000,000(2009年)[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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国際大会 | |
代表チーム | ドミニカ共和国 |
WBC | 2009年 |
この表について
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ロビンソン・ホセ・カノ(Robinson José Cano, 1982年10月22日 - )は、ドミニカ共和国出身のアメリカMLBニューヨーク・ヤンキース所属の内野手(二塁手)。名前のロビンソンはジャッキー・ロビンソンにちなんでいる。
経歴
アマチュア時代
父ホセ・カノもヤンキースから1980年にドラフト指名されており、1989年にはヒューストン・アストロズで6試合に登板した元投手である[2]。ロビンソン自身はドミニカ共和国で育ち、サンペドロ・デ・マコリス市サンペドロ・アポストル高校で野球とバスケットボールの選手として活躍した。2001年に同校卒業後、父と同じヤンキースとプロ契約を結んだ。
ニューヨーク・ヤンキース時代
2005年、AAA級チームで打率.333の好成績を残し、5月3日にメジャー初昇格を果たす。同年、3年連続盗塁王に輝いた事もあるトニー・ウォマックから二塁手のポジション奪取に成功し、打率.297、14本塁打、62打点を記録。特に、チームの快進撃ともなった9月攻勢で大活躍を果たし、週間MVPや9月の月間新人MVPを受賞した。同シーズンのアメリカンリーグ新人王投票では2位に入った。打撃は好成績を残したが、連係プレーに課題が残るなど守備は上手いとは言えなかった。また、ジョー・トーリ監督は新人だったカノを往年の名打者ロッド・カルーと比較した事が各方面で話題になった(実際には監督はカノの体格や打席での存在感、スイングがカルーに似ていると評しただけであり、カノに過度な期待を与えすぎるのは本人の成長のためにも良くないと後日述べている)。
2006年、オールスター投票では二塁手部門でトップを走り続けていたものの、膝の違和感から故障者リストに載ってしまい、結局出場は果たせなかった。しかし、怪我から復帰した8月8日以降の成績では打率、二塁打数、打点でリーグトップであった。欠場の影響で欠けていた規定打席数にも9月末に到達し、首位打者争いに絡む活躍を見せた。また、9月の月間MVPにも輝く。最終的に残した打率.342は同僚デレク・ジーターに1厘差に迫るリーグ3位の数字で、二塁打数もリーグ2位であった。同年のMVP投票では総合22位に入り、シルバースラッガー賞を受賞。課題であった守備についてはかなりの向上を見せた。
2007年、ロジャー・クレメンスがヤンキースに復帰する可能性を作るため、背番号を(クレメンスが去った後カノが付けていた)22番から24番に変更した。また、体重もメジャーデビュー時は80kgも無かったが、92kgに増やした。同年シーズンは前半こそ不調に陥ったが、最終的に打率3割を残し、本塁打・打点で自己最多を記録した。
2008年2月7日、球団と調停を回避し4年総額3000万ドル(約32億円)で延長契約を果たした。長期契約を結んで臨んだ2008年だったが、開幕から打率が低迷。5月13日の時点で39試合に出場し、打率は.183という有様だった。それ以降の試合では120試合で打率.299、10本塁打、61打点と復調した。メジャーデビュー以来、毎年.290以上の打率を残していたが、この年は.271に終わった。
2009年、自己最多かつリーグ最多タイの161試合に出場し、打率は2年ぶりの3割を記録した。また、自身初となる200安打と25本塁打を記録した。シーズン終了後のMVP投票では7位に入った。
2010年は、2年連続となる200本安打を達成し、自身4度目の打率3割以上、自己最高の29本塁打、自身初の100打点以上を記録した。四球が自己最多を記録したことで、出塁率も自己最高を残した。また、自身2度目となるオールスター出場を果たした。シーズン終了後には、自身2度目のシルバースラッガー賞と自身初となるゴールドグラブ賞を受賞した。
2011年8月25日、オークランド・アスレチックス戦で記録された、MLB史上初の1試合1チーム3満塁本塁打の一員となった[3]。カノは5回裏に1本目の満塁本塁打を放った。カノに続いて、6回裏にラッセル・マーティン、8回裏にカーティス・グランダーソンが満塁本塁打を放ち、記録が樹立された。
選手としての特徴
現在のヤンキース生え抜き野手の中ではデレク・ジーターに次ぐキャリアを持ち、今後のヤンキースの中核を担う選手だと目されている。
広角に打ち分けるシュアな打撃が魅力。守備は凡ミスが多かったが、年々改善しており、送球技術に関してはメジャー屈指の実力の持ち主である。マイナー時代には、キャッチャー・サード・ショートとしてもプレーした経験がある。
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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2005 | NYY | 132 | 551 | 522 | 78 | 155 | 34 | 4 | 14 | 239 | 62 | 1 | 3 | 7 | 3 | 16 | 1 | 3 | 68 | 16 | .297 | .320 | .458 | .778 |
2006 | 122 | 508 | 482 | 62 | 165 | 41 | 1 | 15 | 253 | 78 | 5 | 2 | 1 | 5 | 18 | 3 | 2 | 54 | 19 | .342 | .365 | .525 | .890 | |
2007 | 160 | 669 | 617 | 93 | 189 | 41 | 7 | 19 | 301 | 97 | 4 | 5 | 1 | 4 | 39 | 5 | 8 | 85 | 19 | .306 | .353 | .488 | .841 | |
2008 | 159 | 634 | 597 | 70 | 162 | 35 | 3 | 14 | 245 | 72 | 2 | 4 | 1 | 5 | 26 | 3 | 5 | 65 | 18 | .271 | .305 | .410 | .715 | |
2009 | 161 | 674 | 637 | 103 | 204 | 48 | 2 | 25 | 331 | 85 | 5 | 7 | 0 | 4 | 30 | 2 | 3 | 63 | 22 | .320 | .352 | .520 | .871 | |
2010 | 160 | 696 | 626 | 103 | 200 | 41 | 3 | 29 | 334 | 109 | 3 | 2 | 0 | 5 | 57 | 14 | 8 | 77 | 19 | .319 | .381 | .534 | .915 | |
2011 | 159 | 681 | 623 | 104 | 188 | 46 | 7 | 28 | 332 | 118 | 8 | 2 | 0 | 8 | 38 | 11 | 12 | 96 | 18 | .302 | .349 | .533 | .882 | |
通算:7年 | 1053 | 4413 | 4104 | 613 | 1263 | 286 | 27 | 144 | 2035 | 621 | 28 | 25 | 10 | 34 | 224 | 39 | 41 | 506 | 131 | .308 | .347 | .496 | .843 |
- 2011年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
獲得タイトル
- シルバースラッガー賞 2回:2006年、2010年
- 週間MVP 3回:2005年9月、2007年7月、8月
- 月間新人MVP 1回:2005年9月
- MLBオールスターゲーム選出 3回:2006年、2010年、2011年
- ゴールドグラブ賞 1回:2010年
脚注
- ^ “New York Yankees Salaries Salaries Player Salaries and Team Payroll - MLB Baseball” (英語). ESPN.com. 2009年12月19日閲覧。
- ^ “Right Name, Wrong Genes: The Top 50 Less Talented Relatives of Superstars”. bleacherreport.com (2010年9月7日). 2012年3月25日閲覧。
- ^ ヤンキース 1試合3満塁弾のメジャー記録樹立 Sponichi Annex 野球 2011年8月26日閲覧。