エディ・ジョーダン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。220.210.140.103 (会話) による 2016年2月14日 (日) 07:53個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎経歴)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

エディ・ジョーダン、1996年

エドムンド・パトリック・"エディ"・ジョーダンEdmund Patrick "Eddie" Jordan1948年3月30日 - )は、ジョーダン・グランプリの創立者およびオーナー。元レーシングドライバー。現在はテレビ解説者。愛称は「EJ」。

2012年3月、 名誉大英勲章第4位OBEを受勲[1]

経歴

レーシングドライバー

1948年にアイルランドダブリンで生まれる。彼は歯科医になるつもりで学んだが、学校を卒業した後アイルランド銀行に就職した。ダブリンでストライキが行われている時にジャージー島を訪れ、そこで初めてカートレースを目撃しその虜となる。ダブリンへ戻るとカートを購入し、レースに参加し始める。最初のレースはジャージー島のボーレイ湾で1970年に行われたものであった。1971年のアイルランド・カート選手権に参加し優勝した。

1974年にはフォーミュラ・フォードにステップアップ。同クラスに2年間参加したが、事故で両脚を骨折し、1976年シーズンへの参加を断念する。傷が癒えるとフォーミュラ・アトランティックに参戦、1977年に3勝し、1978年にはアイルランド選手権を獲得する。ステファン・ヨハンソン1979年イギリスF3で戦い、彼らは自身を「チーム・アイルランド」と呼んだ。同年にはF2の1戦に参加し、マクラーレンのテストドライブも行った。

チームオーナー

1979年の終わりにジョーダンは最初のチーム、エディ・ジョーダン・レーシング(EJR)を設立。ドライバーはデヴィッド・レズリーデヴィッド・シアーズで、1981年イギリス近辺の複数のレースに参加した。1982年にはジェームズ・ウィーバーをエースドライバーとしたが、1983年にウィーバーがヨーロッパF3に参加したため、マーティン・ブランドルを採用した。ブランドルはイギリスF3でアイルトン・セナと選手権を争い、2位に終わった。チームは1987年ジョニー・ハーバートを採用し、イギリスF3を制覇した。

EJRはハーバート、マーティン・ドネリーとともに国際F3000へ参戦し、1988年に初勝利を挙げ、1989年にはジャン・アレジを擁してチャンピオンを獲得した。

ジョーダンは1991年ジョーダン・グランプリを設立してF1に参戦。交渉手腕を活かしてワークス(型落ち)のフォードHBエンジンを獲得し、初年度からコンストラクターズ5位を獲得した。その後ヤマハハートプジョー無限ホンダとエンジンメーカーを乗り換えながらチーム力を拡充し、1998年にF1初優勝を達成した。1999年にはコンストラクターズ3位を獲得するが、これを頂点に成績は下降線をたどり、チーム組織も弱体化した。

2004年末の資金難で、ジョーダンはロシア系カナダ人ビジネスマン、アレックス・シュナイダーにチームを売却、チームは2006年MF1レーシングと改名した。

解説者

オーナー業から退いた後は『F1 Racing』誌にコラムを寄稿するなど、マスメディア側に転向する。2009年よりイギリスBBCのF1中継番組のコメンテーター陣に加わり、マーティン・ブランドル、デビッド・クルサードらと共に軽妙な解説を行っている。慈善活動とモータースポーツへの貢献を認められ、2012年にOBE勲位が授与された[2]。2016年にはBBCの自動車番組『トップ・ギア』の司会者陣に加わっている[3]

エピソード

BBCのピットリポートを行うジョーダンとデビッド・クルサード(2009年)
  • F1に携わっていた時は、策士として数々の商才を発揮していた。代表例として、1991年はジョーダンでたった1戦しか在籍しなかったミハエル・シューマッハに対し、数年後シューマッハ側から違約金が支払われた。1995年には、エディ・アーバインと契約をまとめた後に、後日金銭トレードでフェラーリに移籍させてフェラーリ側から違約金を貰っている。
  • 新人ドライバーの発掘能力にも長けており、ミハエル・シューマッハ、ルーベンス・バリチェロ、エディ・アーバイン、ラルフ・シューマッハなど数々の逸材をF1に抜擢した。
  • ジョーダンはチームの所有権を2004年まで保持していたが、幾度も噂された買収アプローチ(最も顕著な物はプジョーとホンダからによる物であった)に対する拒絶が、チームの価値を高めることに成功した。彼の巧みなスポンサーとドライバー契約、移籍の交渉術がなければ、ジョーダン・グランプリはプロスト・グランプリアロウズと同様の末路を辿っていたと思われる。
  • 趣味はロックンロール競馬であり、しばしばドラムを演奏する。
  • カツラを着用しているという話が枕言葉的に出るが、真相は定かではない。村山文夫原作の『グランプリ天国』ではカツラネタが非常に多かった。また、2013年に表彰台でのインタビューをした際、キミ・ライコネンルイス・ハミルトンに向かってカツラを取るようにジェスチャーした幕もあった。

脚注

  1. ^ Formula 1 analyst Eddie Jordan made honorary OBE by Queen
  2. ^ エディ・ジョーダンが叙勲…チャリティ活動とモーターレーシング貢献に - レスポンス(2012年3月29日)
  3. ^ Meet your new Top Gear presenters! - TopGear.com・2016年2月11日

関連項目