犬童一心
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| いぬどう いっしん 犬童 一心 |
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| 生年月日 | 1960年6月24日(49歳) | ||||||
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| 出生地 | |||||||
| ジャンル | 映画監督、脚本家 | ||||||
| 主な作品 | |||||||
| 映画 |
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犬童 一心(いぬどう いっしん、男性、1960年6月24日 - )は、日本の映画監督・CMディレクター。東京都生まれ。東京造形大学造形学部卒業。
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[編集] 来歴
法政大学第一高等学校(現:法政大学高等学校)在学中より自主制作映画の監督、製作をスタートする。1979年『気分を変えて?』の脚本・監督をつとめ、ぴあフィルムフェスティバル入選。入選後、黒沢清、手塚眞らと知り合い、交友を深める。
自主制作時代、池袋文芸坐(現・新文芸坐)主催のMWC(マインド・ウェーブ・シネマ)に参加、1982年『赤すいか黄すいか』(16mmフィルム)、1983年『夏がいっぱい物語』(8mmフィルム)などのフィルムによる作品を手がけた。
大学卒業後は朝日プロモーション(現ADKアーツ)入社。CMディレクターとして数多くのTVCMの企画・演出を手掛け、ACC賞、IBA、ニューヨークフィルムフェスティバルなど受賞多数。
CM演出のかたわら、1993年『何もかも百回も言われたこと』監督・製作。 同年、実写とアニメーションを組み合わせた短編『金魚の一生』監督・製作で「キリンコンテンポラリーアワード」1993年度最優秀作品賞を受賞した。翌年『二人が喋ってる。』で長編デビュー。サンダンスフィルムフェスティバル in東京でグランプリ、日本映画監督協会新人賞受賞。 同作をきっかけに1998年、市川準監督より『大阪物語』の脚本執筆を依頼された。脚本家としては他に、塩田明彦監督『黄泉がえり』も担当した。
2003年、(第54回)芸術選奨映画部門において、監督作品『ジョゼと虎と魚たち』が大林宣彦、佐藤忠男、羽田澄子、山田洋次、高野悦子、市川準等の審査員によって「文部科学大臣新人賞」に選出された。
自主製作時代、大林宣彦監督の『ねらわれた学園』(1981年)に生徒会長『高見沢みちる』の超能力で懲らしめられる不良学生役で出演している。(同作品には『有川正彦』役の手塚眞をはじめ、当時の自主映画関係者が多数エキストラ参加している)。
大島弓子のファンで、現時点で自主映画時代を含め3本の長編作品を映画化している。2000年の『金髪の草原』と2008年の『グーグーだって猫である』では監督・脚本を兼務している。
また70年代のホラー映画のコアなファンでもあり、『金髪の草原』『ジョゼと虎と魚たち』等も「ホラー映画の『館もの』の雰囲気で演出した」と語り、また「今後、純粋なホラー映画を是非撮りたい」とも発言している[1]。
[編集] フィルモグラフィー
- 『気分を変えて?』1979年(監督/脚本)※8mm映画
- 『ミッドナイト・ドライブイン・シアター (ポッキー・ホラーショー)』1982年(監督)※8mm映画
- 『赤すいか黄すいか』1982年(監督/脚本)※16mm映画(モノクロ)
- 『夏がいっぱい物語』1983年(監督/脚本)※8mm映画
- 『金魚の一生』1993年(監督/脚本)
- 『何もかも百回もいわれたこと』1993年(監督)
- 『二人が喋ってる。』1995年(監督/脚本)
- 『大阪物語』1999年(脚本)
- 『ドリームメーカー』1999年(脚本)
- 『金髪の草原』2000年(監督/脚本/編集)
- 『黄泉がえり』2002年(脚本)
- 『ジョゼと虎と魚たち』2003年(監督)
- 『死に花』2004年(監督)
- 『いぬのえいが』2005年(監督)
- 『オールラウンドAV物語 たのし荘の人々』2005年(監督)※NECプロモーション・ネットムービー/全7話
- 『タッチ』2005年(監督)
- 『メゾン・ド・ヒミコ』2005年(監督)
- 『黄色い涙』2006年(監督)
- 『眉山-びざん-』2007年(監督)
- 『グーグーだって猫である』2008年(監督/脚本)
- 『ゼロの焦点』2009年(監督)
[編集] 受賞TV-CM
- 『そふとシンコー』= ACC地域奨励賞 1991年
- 『VISAインターナショナル』= ACC秀作賞、IBAファイナリスト、NYフェスティバルファイナリスト1995年
- 『アウディA6』= IBAファイナリスト1997年
- 『小岩井乳業』= 岩手県広告大賞、ACC奨励賞 1999年
- 『オリコJUクレジット』= ACC銀賞 2001年
- 『カプコン』= ACC賞 2001年

