「ラーメンズ」の版間の差分

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'''ラーメンズ'''は、[[日本]]のお笑いコントユニット。


'''ラーメンズ'''は、[[小林賢太郎]]と[[片桐仁]]による[[コント]]グループ。[[多摩美術大学]]の同級生により在学中に結成され、「アート系」、「知的」、「演劇的」、「不条理」と形容されるコントで劇場を中心に活動した<ref name="qj20018"/><ref name="mizuno42"/>。2020年に小林賢太郎が芸能活動を引退し活動を終了した<ref>{{Cite web|和書|title=小林賢太郎が芸能活動引退 裏方へ 09年以来ラーメンズ本公演叶わず 事務所引き留めも「強い希望」|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2020/12/01/kiji/20201201s00041000244000c.html|website=Sponichi Annex|date=2020-12-01 |access-date=2024-01-28}}</ref>。
[[1996年]]結成。[[2009年]]を最後にユニットとしての活動が休止状態となり、[[2020年]]にメンバーの小林賢太郎の芸能界引退によりコンビでの活動を終了した。


== メンバー ==
== メンバー ==
* '''[[小林賢太郎|小林 賢太郎]]'''(こばやし けんたろう、[[1973年]][[4月17日]] - )({{年数|1973|4|17}}歳)
* '''[[小林賢太郎|小林 賢太郎]]'''(こばやし けんたろう、[[1973年]][[4月17日]] - )({{年数|1973|4|17}}歳)<ref name="kami29">[[#紙の笑い 1999|紙の笑い 1999]] 29頁</ref>
:身長182cm、体重70kg、血液型A型。劇作家、演出家。パフォーマーとしても活動していた。
:身長182cm、血液型A型。劇作家、演出家。パフォーマーとしても活動していた。趣味は手品、絵画。特技はパントマイム


* '''[[片桐仁|片桐 仁]]'''(かたぎり じん、[[1973年]][[11月27日]] - )({{年数|1973|11|27}}歳)
* '''[[片桐仁|片桐 仁]]'''(かたぎり じん、[[1973年]][[11月27日]] - )({{年数|1973|11|27}}歳)<ref name="kami29"/>
:身長176cm、体重62kg、血液型B型。俳優、彫刻家としても活動している。
:身長176cm、血液型B型。俳優、彫刻家としても活動している。趣味はプラモデル。特技は彫刻


== 歴 ==
== 歴 ==
=== 出会い ===
共に[[多摩美術大学]]版画科の同級生。二人とも同大学の絵画科を志していたが落ちてしまい、版画科へと進学した。在学中、以前存在していた[[落語]]研究部を復活させるかたちで「オチケン」を設立。学業そっちのけでお笑いに打ち込んだ。
二人は[[多摩美術大学]]の版画科の同級生であり、小林賢太郎は[[木版画]]専攻、片桐仁は[[リトグラフ]]を専攻していた<ref name="bijutu200011">{{Cite book2|df=ja|chapter=スメリーのパフォーマーズ・ファイル file11 脱構築されたお笑い構成主義!ラーメンズ|title=美術手帖|volume=2000年11月号|publisher=美術出版社|pages=178~179}}</ref>。


小林は中学校の演劇大会で製作を担当し魅力にハマると、高校時代には演劇部に所属し芝居の前座でコントをしていた<ref name="neppu"/><ref name="takara20000726">{{Cite book2|df=ja|chapter=新世代お笑い芸人としてブレイクは必至! ラーメンズだ!!|title=宝島|volume=2000年7月26日号|publisher=宝島社|pages=17}}</ref>。大学でもお笑いがやりたかった小林はお笑いについて友人に積極的に話しかけ、録画したお笑い番組を見せていく中で笑いのツボが一致したのが片桐だった<ref name="neppu"/><ref name="takara20000726"/>。片桐は元々演じることに興味はあったが、高校時代には勇気が出ずに演劇部に所属することはなかった<ref name="tukuru30">[[#つくるひと 2002|つくるひと 2002]] 30頁</ref>。当初お笑いに興味はなかったが、大学デビューで目立ちたかった片桐に「お笑いをやればモテる」という小林の言葉が刺さり、誘われる内にのめり込んでいった<ref name="ongaku20009"/><ref name="qj20014"/><ref name="neppu"/>。また両者ともに、絵が上手い学生ばかりという美大の環境で挫折を味わい、お笑いを自分たちの新しい表現手段として考えるようになっていった<ref name="qj20014"/><ref name="ongaku20009"/>。
卒業間近の1996年、[[小林賢太郎]]が「絵を売りたいのならば名前を売ってからでも遅くない」と[[片桐仁]]を口説き、ラーメンズを結成した。結成当時は[[田辺エージェンシー]]所属だったものの、1998年に同社のお笑い部門の独立に伴い[[トゥインクル・コーポレーション]]に移籍。


片桐は大学デビューに必死で、小林の目から見ても周りで一番面白い人間に写っていた<ref name="qj20014"/><ref name="ongaku20009"/>。引け目からキャラが強くクラスの人気者である片桐を誘えずにいた小林だったが、別の相方を探している内に自分にないものを持っている片桐が適任だという思いが強くなり、大学3年時にコンビ結成となった<ref name="ongaku20009"/><ref name="qj20014"/><ref name="cut20024">{{Cite book2|df=ja|chapter=特集:笑いは戦う。 ラーメンズ|title=Cut|author=宮嵜広司|volume=2002年4月号|publisher=ロッキング・オン|pages=66~69}}</ref>。在学時の多摩美術大学にはお笑いサークルが存在せず、活動を停止していた落語研究会を復活させる形で落語をしない「オチケン」というサークルを自分たちで作っている<ref name="qj20014">{{Cite book2|df=ja|chapter=ラーメンズインタビュー「なに、その価値観?」|title=Quick Japan|author=森山裕之|volume=2001年4月号|publisher=太田出版|pages=82~89}}</ref>{{Efn|復活ということにすれば落語研究会の部活をそのまま使えるというメリットもあった<ref name="qj20014"/>。}}。
[[1999年]]、『[[爆笑オンエアバトル]]』([[NHK総合テレビジョン|NHK総合]])に第1回から参加し、知名度を上げる。


1990年中頃に[[田辺エージェンシー]]主催の大学対抗のお笑い選手権が開催されており、4年次の第2回大会に出場を希望したが既に参加が締め切られていた<ref name="saijo">[[#西条 2007|西条 2007]] 40頁</ref><ref name="yatsui93">[[#やつい 2019|やつい 2019]] 93頁</ref>。事務所の担当者に審査対象外としてネタを見てもらったところ、冗談リーグという若手ライブに出演することになった<ref name="bijutu200011"/><ref name="yatsui91">[[#やつい 2019|やつい 2019]] 91頁</ref><ref name="yatsui94">[[#やつい 2019|やつい 2019]] 94頁</ref>。その後事務所に所属することになり第3回大会に出場しているが、関東大会のベスト8で敗退している<ref name="yatsui200">[[#やつい 2019|やつい 2019]] 200頁</ref>{{Efn|ラーメンズは既に大学を卒業していたが、やついは事務所が箔を付けるため卒業生も参加できるコンビ対抗の形式に変更したと推測している<ref name="yatsui187">[[#やつい 2019|やつい 2019]] 187頁</ref>。}}。
前後して[[1998年]]に初の単独公演『箱式』を挙行。特に[[2000年]]から[[2002年]]初頭にかけては、全て新作で構成されるコント公演を約2年間で6作品(リメイクで構成された公演もさらに1作品)というハイペースで新作を発表。ツアー興行の規模や動員数も拡大してゆき、これらの「本公演」はラーメンズの代名詞となった。後に[[DVD]]や戯曲脚本集にまとめられ、[[YouTube]]でも全編が公開されている。


=== コンビ名 ===
二人とも既婚であり、小林は大学時代の同級生と2000年に、片桐は元モデルの村山ゆきと2003年に[[結婚]]している。
コンビ名は大学対抗戦に出場するためにとりあえずつけたもので、ある日小林がラーメン屋から電話をかけてきて「ラーメンズはどう?」と提案したことで決定した<ref name="bijutu200011"/><ref name="bunshun20150917"/>。由来は後付けの適当なものであり、ファンからドイツ語の[[ラーメン (骨組)|ラーメン]]から来ているのではという質問に嘘で肯定したり、ラーメンの仕事が来るかもしれないという安易な理由もあった<ref name="bunshun20150917"/>。コンビとしての活動が定まるまでは頻繁にコンビ名を変えていて、一番最初に付けたコンビ名は大学の同級生である[[ニイルセン]]に便乗した「ニイルセンズ」というものであった<ref>{{Cite web2|df=ja|title=「関弁連がゆく」 ラーメンズ 片桐 仁さん |url=https://www.kanto-ba.org/series/143/|publisher=関東弁護士連合会|date=2014-12-18|accessdate=2024-01-17}}</ref>。


=== 活動初期 ===
ラーメンズとしての舞台の本公演は[[2009年]]の『TOWER』が最後となった。それ以降は単独活動が増え、片桐は役者として舞台や[[映画]]、[[テレビドラマ]]で活躍。[[バラエティ番組]]に出演することもある。同じ[[芸能事務所|事務所]]で[[大学]]時代からの友人である[[エレキコミック]]とのユニット「[[エレ片]]」としても[[ラジオ番組]]や[[コント]][[公演|ライブ]]で活動。小林は[[小島淳二]]とともに映像製作ユニット「[[NAMIKIBASHI]]」を組むほか、ソロライブ「[[POTSUNEN]]」、コント公演「[[カジャラ]]」なども行う。過去には升野英知([[バカリズム]])とともにユニット「[[大喜利猿]]」を組んでいた。
活動初期は片桐がボケで小林がツッコミを担当する漫才スタイルで、差別ネタや下ネタも扱っていた<ref name="ongaku20009">{{Cite book2|df=ja|chapter=人と音楽 ラーメンズ|title=音楽と人|author=本間夕子|volume=2000年9月号|publisher=株式会社 音楽と人|pages=142~143}}</ref><ref name="bunshun20150917">{{Cite book2|df=ja|chapter=家の履歴書 片桐仁|title=週刊文春|author=田口元義|volume=2015年9月17日号|publisher=文藝春秋|pages=100~103}}</ref>。
売れない時期はライブでもウケず、コンビ仲が悪い期間もあった<ref name="bunshun20150917"/>。1997年末のバナナマンとの出会いを通して、裏をかくような笑い場所や演技の巧みさに刺激を受けて、ラーメンズをもう少し頑張ってみようという気持ちになった<ref name="bunshun20150917"/>。


[[オークラ]]によると、漫才もやっていたスタイルが確立される前のラーメンズは印象が薄かったが、1998年3月のライブでスタイルを見つけたラーメンズの変貌ぶりにオークラは驚いており、「[[できるかな]]」のパロディコントをバナナマンを初めて見た時の衝撃と同等に語っている<ref name="okura147">[[#オークラ 2021|オークラ 2021]] 147頁</ref><ref name="okura148">[[#オークラ 2021|オークラ 2021]] 148頁</ref><ref name="okura150">[[#オークラ 2021|オークラ 2021]] 150頁</ref>。スタイルがコントになると「日本語学校」のネタなどでオーディションにも受かるようになっていき、ライブシーンで[[シュール (曖昧さ回避)|シュール]]なお笑いが流行すると[[赤坂お笑いD・O・J・O]]で頭角を現し、毎月の事務所ライブでも目当ての観客で満員になっていった<ref name="bunshun20150917"/><ref name="yatsui220">[[#やつい 2019|やつい 2019]] 220頁</ref><ref name="yatsui266">[[#やつい 2019|やつい 2019]] 266頁</ref>。
[[2016年]]6月26日放送の、小林による年1回のコント番組『[[小林賢太郎テレビ]]』([[NHK BSプレミアム]])に片桐が初出演し、7年ぶりに2人が共演。2016年7月27日から行われた小林が作・演出を手がける新作コント公演『カジャラ#1「大人たるもの」』にも片桐が出演し、舞台でも共演した。これが小林と片桐が同じ舞台を踏んだ最後の機会となった。


1998年6月末に第1回の単独公演「箱式」が行われた<ref name="ishida">[[#石田 2001|石田 2001]] 2~15頁</ref>。[[シアターD]]の支配人であった矢野Jr.より片桐へ単独公演の打診があり、小林も前向きな姿勢を見せていたため開催はすぐに決まった<ref name="ishida"/>。小林は既に出来上がった10本のネタでライブに臨もうとしていたが、「単独公演用の新ネタを作るべき」という[[設楽統]]のアドバイスから全て新ネタで構成された<ref name="okura151">[[#オークラ 2021|オークラ 2021]] 151頁</ref>。1998年11月末に行われた第2回公演の「箱式第二集」では、第1回公演でウケが悪かったブラックな笑いの方向性を変え、客演の参加やSEを用いたコントもあった<ref name="ishida"/>。
[[2017年]][[1月1日]]、各地の復興支援として、映像ソフト化されている自身のコント映像100本をYouTubeに公開した。この動画で得る[[広告収入]]は[[日本赤十字社]]を通じ寄付される<ref>{{Cite news|title = ラーメンズ、コント映像100本をYouTubeで公開 広告収入で復興支援 |url = https://www.oricon.co.jp/news/2084035/full/|date = 2017-1-1|accessdate = 2017-1-3|publisher = [[オリコン|ORICON STYLE]]}}</ref>。自主規制により一部シーンがカットされているコントもある。


第3回公演の「箱よさらば」の頃には衣装替えなし、セットなしのスタイルの礎が固まっていき、他の芸人には見られないラーメンズ独特の世界観が確立されていった<ref name="ishida"/><ref name="okura152">[[#オークラ 2021|オークラ 2021]] 152頁</ref>。公演タイトルの箱はシアターDのことであり、当初から3回で終わりにする予定だったので「さらば」と冠して行われた<ref name="ishida"/>。しかし、公演を終えると物足りない感情があり、第4回公演でモヤモヤを解消するため「完全立方体」という公演名が付けられた<ref name="ishida"/>。第4回公演は2時間で計12本のコントを演じるオムニバスのような展開で、シアターDでの公演に満足した小林は翌日から新しいネタの執筆に取り掛かっている<ref name="ishida"/>。
[[2017年]][[10月17日]]に小林賢太郎が著作物及びマネジメントを行う個人事務所「スタジオコンテナ」を設立してトゥインクルから独立。互いに所属事務所が異なるコンビとなった。これに従いラーメンズの公式サイトは閉鎖され、小林の個人サイトに吸収されている。その後も小林の個人サイトでラーメンズは紹介されており、プロフィール上はコンビが存続していることになっていた。


ラーメンズにとって1999年の[[爆笑オンエアバトル]]への参加が転機となった<ref name="bunshun20150917"/>。ポイント上位の5組が放送されるオンエアバトルにおいて、7週の内6週で勝ち抜き毎月のようにテレビで露出すると、他事務所ライブや学園祭に呼ばれるようになり公演のチケットが売れるようになった<ref name="dacapo"/><ref name="bunshun20150917"/>。第1回公演、第2回公演は知り合いへの手売りをしていなかったため、収容人数が100人のシアターDで3回公演合わせて200人程の動員だった<ref name="hihyo20039katagiri">{{Cite book2|df=ja|chapter=やってる自分が面白い インタビュー 片桐仁|title=広告批評|author=島森路子|volume=2003年9月号|publisher=マドラ出版|pages=118~129}}</ref>。オンエアバトル出演後の第3回公演は、チケットを求める客が行列になり立ち見客がでるほどになっていた<ref name="hihyo20039katagiri"/>。
[[2020年]][[12月1日]]、同年[[11月16日]]に小林が表舞台からの引退を表明したことを受け、小林・片桐両者および所属事務所のトゥインクルコーポレーションがコメントを同時に発表<ref>{{Cite press release|和書|url=https://kentarokobayashi.net/message/2020/12/01/3776/|title=肩書きから「パフォーマー」をはずしました。|publisher=小林賢太郎|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201202101859/https://kentarokobayashi.net/message/2020/12/01/3776/ |archivedate=2020-12-2 |deadlinkdate=2021年4月 |accessdate=2021-4-29}}</ref><ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.twinkle-co.co.jp/info/katagirijin.html|title=小林賢太郎引退を受けて|publisher=片桐仁|accessdate=2021-4-29 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210124155156/http://www.twinkle-co.co.jp/info/katagirijin.html |archivedate=2021-1-24 |deadlinkdate=2021年4月}}</ref><ref name="twincle20201201">{{Cite press release|和書|url=http://www.twinkle-co.co.jp/info/kobayashikentarou.html|deadlinkdate=2021年4月 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210124163224/http://www.twinkle-co.co.jp/info/kobayashikentarou.html |archivedate=2021-1-24 |title=小林賢太郎 芸能活動からの引退及び退所のお知らせ|publisher=[[トゥインクル・コーポレーション]]|date=2020-12-01|accessdate=2021-4-29}}</ref><ref>{{Cite news |和書 |url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2020/12/01/kiji/20201201s00041000244000c.html |title=小林賢太郎が芸能活動引退 裏方へ 09年以来ラーメンズ本公演叶わず 事務所引き留めも「強い希望」 |newspaper=スポニチスクエア |publisher=[[スポーツニッポン]] |date=2020-12-01 |accessdate=2020-12-01}}</ref>。その理由の一つとして、足を悪くしてしまったことを挙げている。スタジオコンテナの閉鎖、小林の退社も併せて発表されたことで、正式にコンビとしての活動を終了することになったため、事実上の解散状態となっている。ただし、本人たちの口から「解散」と明言されたメディアは一つも無く、そのため報道では相方の不在による「事実上の解散」と取り扱われているという。それ以降、解散後、小林は芸能界引退後も執筆活動などの裏方として活動し、片桐は引き続きピン芸人、俳優として芸能活動を続ける。

=== 2000年 ===
ラーメンズの第2期である2000年には、舞台にこだわり3ヶ月に1回というハイペースで単独公演を敢行している<ref name="repu20009">{{Cite book2|df=ja|chapter=ラーメンズ、初の全国ツアー敢行!|title=レプリーク|author=長野辰次|volume=2000年9月号|publisher=阪急コミュニケーションズ|pages=43}}</ref><ref name="ishida"/>{{Efn|小林が細かく分類すると第3回公演~第4回公演が第2期なので、第3期という見方もできる<ref name="ishida"/>。}}。

第5回公演の「home」では300人規模の会場が埋まるか心配もあったが、 初めてチケットが即完売する売れ行きで全体で1500人の動員となった<ref name="ishida"/>。また、劇場が大きくなったことで、小さい表情の演技の修正や声の出し方の工夫がとられた<ref name="ishida"/>。

2000年5月の第6回公演「FLAT」でもチケットはプレミアで即日完売し、追加公演も行われた<ref name="takara20000726"/><ref name="dacapo">{{Cite book2|df=ja|chapter=大ブレーク中の異能芸人 いっこく堂とラーメンズ|title=ダカーポ|volume=2000年3月15日号|publisher=マガジンハウス|pages=19}}</ref>。小林が「重くて硬いものだった」と表現する「home」とは違い、肩の力を抜いてテーマを設定せず、パントマイムを多用するなど手数の多さを披露している<ref name="flat"/><ref name="ishida"/>。また、ラーメンズにとって初めてビデオ化された公演となった<ref name="ishida"/>。

2000年8月に行われた初の全国ツアー公演である第7回公演「news」では、札幌、福岡、埼玉、大阪、東京の5都市を訪れた<ref name="repu20009"/><ref name="news">{{Cite book2|df=ja|chapter=ラーメンズ第7回公演 news|title=演劇ぶっく|author=石本真樹|volume=2000年12月号|publisher=演劇ぶっく社|pages=28~30}}</ref>。地方で初めて観劇する人向けに、序盤に知名度のある「読書対決」のネタを採用している<ref name="news"/>。公演名は全国ツアーで東西南北を回ることから、それぞれの英単語の頭文字を取ったものである<ref name="ishida"/>。また、ポスターデザインの公演名に鳥が止まっていること、イメージカラーが青ということから、青い鳥になって幸せを各地に運ぼうという裏テーマがあった<ref name="ishida"/>。売れる前のラーメンズは三軒茶屋のシアタートラムでいつかやろうと意気込んでいたが、「news」の頃には立ち見不可のため入れない客もいるほどの人気になっていた<ref name="hihyo20039katagiri"/>。

=== 2001年 ===
前年の三作がアルファベット4文字だったので、2001年の三部作の公演タイトルは初期の「箱式」のような日本語に戻してみようと思い、インパクトのある漢字一文字で統一され、2音目に濁音が入ることが共通している<ref name="tubaki">{{Cite book2|df=ja|chapter=ラーメンズ第8回公演 椿|title=演劇ぶっく|author=石本真樹|volume=2001年4月号|publisher=演劇ぶっく社|pages=17~18}}</ref><ref name="kujira">{{Cite book2|df=ja|chapter=ラーメンズ第9回単独公演 鯨|title=演劇ぶっく|author=石本真樹|volume=2001年10月号|publisher=演劇ぶっく社|pages=32~33}}</ref>。また、椿、鯨、雀の共通点として日本的ということもあり、幕間の音楽に和風の音源を使用した<ref name="suzume">{{Cite book2|df=ja|chapter=ラーメンズ第10回単独公演 雀|title=演劇ぶっく|author=石本真樹|volume=2002年4月号|publisher=演劇ぶっく社|pages=26~27}}</ref>。

第8回公演「椿」のテーマは潔さで、椿の花が落ちる儚さから感じるエロスも表現しようとしており、第9回公演「鯨」では一見強そうに見えるがどこか守りたくなる鯨の二面性を裏テーマにした<ref name="tubaki"/><ref name="kujira"/>。ライターの石田伸也は「鯨」について評価が分かれる公演になったのは、会場が500人規模になり観客に伝わりづらくなったからではないかと理由を指摘している<ref name="ishida"/>。いつものラーメンズとは違ったとアンケートに書いた観客もいたが、[[森山裕之]]は公演時点で最高傑作だと表した<ref name="qj20018">{{Cite book2|df=ja|chapter=ラーメンズ最新単独公演「鯨」 一番深いところ 緊急レポート|title=Quick Japan|author=森山裕之|volume=2001年8月号|publisher=太田出版|pages=170~173}}</ref>。

「鯨」では観客動員が7500人にまで増加し、公演はビデオ化するのが当たり前になり販売チャートでも上位にランクインしていた<ref>{{Cite book2|df=ja|chapter=表紙の人 ラーメンズ|title=演劇ぶっく|author=石本真樹|volume=2001年12月号|publisher=演劇ぶっく社|pages=48~49}}</ref><ref name="ishida"/>。2001年の7月には5年半続けていたバイトも退職し、ラーメンズの仕事だけで生活できるようになっている<ref name="hihyo20019">{{Cite book2|df=ja|chapter=特集 お笑い21世紀 「面白いことは向こうにある ラーメンズ」|title=広告批評|author=島森路子|volume=2001年9月号|publisher=マドラ出版|pages=50~65}}</ref>。一方この頃のラーメンズは連載の仕事が増え始め、単独公演や特別公演の合間にユニットコントに参加する多忙ぶりで、「椿」のチラシの挨拶では「心身共に疲れた状態でネタを書き始めた」と小林自ら明かしており、オークラにも顔色が悪かったと心配されていた<ref name="ishida"/><ref name="qj20014"/><ref name="okura192">[[#オークラ 2021|オークラ 2021]] 192頁</ref><ref name="okura193">[[#オークラ 2021|オークラ 2021]] 193頁</ref><ref name="okura194">[[#オークラ 2021|オークラ 2021]] 194頁</ref>。

2001年8月から9月にかけて行われた「零の箱式~ヨリヌキ初期作品集~」では、第1回から4回までのコント集の中から厳選した作品が演じられた<ref name="danyu2001">{{Cite book2|df=ja|chapter=ラーメンズ特別公演『零の箱式~ヨリヌキ初期作品集~』スペシャルレポート|title=キネ旬ムック 男優クラブ|author=石田伸也|volume=2001年9月号|publisher=キネマ旬報社|pages=78}}</ref>。開催にあたって初期の作品を映像化したいポニーキャニオンからの依頼があり、著作権的に問題がある作品を除いて「現代片桐概論」、「たかしと父さん」、出世作である「日本語学校」などが選出された<ref name="ishida"/><ref name="danyu2001"/>。

=== 2002年~2004年 ===
プロデュース公演などラーメンズとは別の活動を経て7ヶ月ぶりとなった第12回公演の「ATOM」は、改めてラーメンズと向き合ったものとなった<ref name="atom">{{Cite book2|df=ja|chapter=ラーメンズ第12回公演 ATOM|title=演劇ぶっく|author=石本真樹|volume=2003年4月号|publisher=演劇ぶっく社|pages=32~33}}</ref>。初めて300人規模で公演を行った[[シアターサンモール]]を劇場に選び、その時の公演がhomeとアルファベット4文字だったこと、初心に戻るのだからAから始まる単語を探し公演名はATOMに決まった<ref name="atom"/>。単語には「これ以上分割できない最小単位」という意味があり、小林の目指す無駄が削ぎ落とされた二人の会話劇に一致するところもあった<ref name="atom"/>。

第12回公演からわずか2ヶ月の間隔で行われた第13回公演「CLASSIC」は、観劇したライターがお祭り騒ぎのようなライブと評するものであった<ref name="cla">{{Cite book2|df=ja|chapter=ラーメンズ第13回公演 CLASSIC|title=演劇ぶっく|author=石本真樹|volume=2003年6月号|publisher=演劇ぶっく社|pages=30~31}}</ref>。小林が元々語感が好みだったCLASSICという単語を辞書で引くと、典型や定番といった意味があることを発見し、「脱典型を目指すラーメンズの典型を出す」という公演テーマが決定した<ref name="cla"/>。前公演の「ATOM」がメッセージ性が強かったため、中身が何も無いような作品作りを目指した<ref name="cla"/>。マジックとガンダムのオタクのコントはそれぞれの趣味が反映されており、ガンダム用語については片桐自身が用意した知識が用いられている<ref name="cla"/>。

「過去、最バカ」という製作メモがあった「CLASSIC」を経て、第14回公演「STUDY」では小林本人も不親切な作品だと認めるATOMのような思考するコントに再び挑戦している<ref name="cla"/><ref>{{Cite book2|df=ja|chapter=表紙の人 ラーメンズ|title=演劇ぶっく|author=石本真樹|volume=2004年2月号|publisher=演劇ぶっく社|pages=46~47}}</ref>。ラーメンズの認知度が無かった頃は3部作でテーマを合わせていたが、この頃になると一つ一つの公演を特別なものにしようとして統一感が無くなっている<ref name="study">{{Cite book2|df=ja|chapter=ラーメンズ第14回公演 Study|title=演劇ぶっく|author=石本真樹|volume=2004年6月号|publisher=演劇ぶっく社|pages=40~41}}</ref>。

=== 2005年~2007年 ===
1年ぶりの本公演で結成10年目の全国ツアーとなった第15回公演「ALICE」は、11都市63ステージのチケットが即完売した<ref name="alice">{{Cite book2|df=ja|chapter=ラーメンズ第15回公演 アリス|title=演劇ぶっく|author=石本真樹|volume=2005年4月号|publisher=演劇ぶっく社|pages=38~39}}</ref><ref name="repubis">{{Cite book2|df=ja|chapter=演劇か、お笑いか。決めるのはあなた ラーメンズ|title=レプリークBis|author=徳永京子|volume=2005年7月号|publisher=阪急コミュニケーションズ|pages=83~87}}</ref>。初見の観客向けにあえて敷居を下げたコントも採用され、「バニー部」はキャラクター性が強く台本がほとんど無いようなものであった
<ref name="repubis"/>。

2007年の第16回公演「TEXT」では、小林自身がロジカル、方程式と表現するコントが実際に観客に受け入れられるかが不安で、初日はまるで答え合わせのような心持ちであった<ref name="text">{{Cite book2|df=ja|chapter=クリエイトする俳優たち [ラーメンズ] TEXT 小林賢太郎・片桐仁|title=演劇ぶっく|author=石本真樹|volume=2007年6月号|publisher=演劇ぶっく社|pages=10~13}}</ref>。「TEXT」というタイトルが先に決まっていたが、当初言葉にこだわった公演になる予定はなかった<ref name="text"/>。タイトルに引き寄せられるように普段バカにされがちな駄洒落でスゴいコントを作りたいという思いが芽生え、1本目の50音ポスターのネタでは実際にポスターを購入し、2本目の同音異義語のネタでは調査に時間をかけネタを作っていった<ref name="text"/>。結成当時から思い描いていた削ぎ落したスタイルに試行錯誤の末にたどり着き、小林は「ラーメンズ」というものを提示できた自負があった<ref name="text"/>。小林はソロ活動やユニット公演を経て手数や武器が増えたと感じており、2時間でコントが6本とひとつひとつが長いコントを成立させ、取材を担当した石本真樹は「見事な言葉遊びの連続」と評した<ref name="text"/>。

演劇ぶっくが開催する読者投票による2007年のランキングでは、作品部門の5位にTEXTがランクインしている<ref name="enbu20084sakuhin">{{Cite book2|df=ja|chapter=作品チャート|title=演劇ぶっく|author=石本真樹|volume=2008年4月号|publisher=演劇ぶっく社|pages=8}}</ref>。投票理由について日本語表現の巧みさに驚いた声や、作り込まれた台本を評価する声があった<ref name="enbu20084sakuhin"/>。個人でも俳優部門で小林が1位、4位に片桐がランクインしており、小林の脚本、片桐のキャラクターパワーに称賛が集まっている<ref>{{Cite book2|df=ja|chapter=読者が選ぶえんぶチャート2007 俳優チャート|title=演劇ぶっく|author=石本真樹|volume=2008年4月号|publisher=演劇ぶっく社|pages=10~11}}</ref>。

=== 2009年~2020年 ===
第17回公演「TOWER」は「TEXT」から2年という間隔が空いていることもあり、開演時には私語がピたっと止まるほど、客席の緊張感がすごかったと片桐は振り返っている<ref name="enbu20096">{{Cite book2|df=ja|chapter=CLOSE-UP STAGE 小林賢太郎×片桐仁|title=演劇ぶっく|author=石本真樹|volume=2009年6月号|publisher=演劇ぶっく社|pages=46~47}}</ref>。小林としてはラーメンズ以外の作品を作り続けていたので、2年も時間が空いた感覚がなかった<ref name="enbu20096"/>。「TOWER」という公演名には、お笑いとしても演劇としてもあらゆる角度から成立し、なおかつ大きなものを作りたいという思いが込められている<ref name="enbu20096"/>。

冒頭のコントは1分間直立不動し「二人がラーメンズ」と言わんばかりのもので、あやとりを用いたコントではあえて面白い瞬間を見せないという手法もとった<ref name="enbu20098"/>。「名は体を表す」はコントでありながら一つの話題について話し合い続け、「透明人間」と同様の漫才としても成立する構成となっている<ref name="enbu20098"/>。日毎に改善点を話し合いまるで育っていく公演のようで、小林はラーメンズの全17公演で一番好きかもしれないとインタビューで答えている<ref name="enbu20096"/><ref name="enbu20098">{{Cite book2|df=ja|chapter=表紙の人 小林賢太郎・片桐仁|title=演劇ぶっく|author=石本真樹|volume=2009年8月号|publisher=演劇ぶっく社|pages=4~9}}</ref>。

小林は「TOWER」公演から1年後のインタビューで、「観客の知識や期待のハードルが上がっており、ラーメンズは来るべき位置に来ている。」と答えている
<ref>{{Cite book2|df=ja|chapter=[LIVE POTSUNEN2010] SPOT 小林賢太郎|title=演劇ぶっく|author=石本真樹|volume=2010年6月号|publisher=演劇ぶっく社|pages=28~31}}</ref>。その後7年間ラーメンズとしての活動が無く、2016年の[[小林賢太郎テレビ|小林賢太郎テレビ8]]において2009年ぶりに二人の共演が実現した<ref name="bros20160604">{{Cite book2|df=ja|chapter=特集:「小林賢太郎テレビ8」|title=テレビブロス|author=石本真樹|volume=2016年6月4日号|publisher=東京ニュース通信社|pages=51~58}}</ref>。また、2016年7月27日より行われた小林演出のコント公演「[[カジャラ]]」にも片桐が出演したことで、舞台上での共演を果たした<ref>{{Cite book2|df=ja|chapter=「小林賢太郎テレビ8」特集vol.2|title=テレビブロス|author=石本真樹|volume=2016年6月18日号|publisher=東京ニュース通信社|pages=10~11}}</ref><ref>{{Cite web2|df=ja|title=小林賢太郎の新作コント公演「カジャラ」第1弾に片桐仁|url=https://natalie.mu/owarai/news/187249|publisher=お笑いナタリー|date=2016-05-16|accessdate=2024-01-11}}</ref>。
片桐は解散を否定しラーメンズのライブ活動について意欲を示していたが、小林はテレビで活動する普通のお笑いコンビと違うことや、脚本・演出家と主演俳優のような関係になっていることを挙げ、TOWER以前の公演でも間隔が2年以上空いたことがあるので特別なことではないと強調した<ref name="bunshun20150917"/><ref name="bros20160604"/>。

2017年1月1日、ソフト化されていたコント100本が[[YouTube]]上で公開された<ref name="anex2017">{{Cite web|和書|title=「ラーメンズ」コント100本を動画公開!広告収入で災害復興支援|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/01/01/kiji/20170101s00041000170000c.html|publisher=Sponichi Annex|date=2017年1月1日|accessdate=2024年1月31日}}</ref>。関係者の同意のもとに行われており、広告収入は[[日本赤十字社]]を通して災害支援に使われることが報告されている<ref name="anex2017"/>。

2020年12月1日、11月16日をもって小林賢太郎が芸能活動を引退したことが発表された<ref name="sanspo">{{Cite web|和書|title=ラーメンズ小林、引退の理由は「足が悪くパフォーマンスに無理が…」|url=https://www.sanspo.com/article/20201201-VKF2B2YZ3FINVP7BSEAA75A4HQ/|publisher=サンスポ|date=2020年12月1日|accessdate=2024年1月31日}}</ref>。理由の一つに足を悪くしたことでパフォーマンスに影響が出ていることを挙げており、4~5年前から考慮してのことだった<ref name="sanspo"/>。活動初期から交流があった[[おぎやはぎ]]や[[エレキコミック]]はラジオでニュースに触れながら思い出を話し、[[鬼龍院翔]]、[[梶裕貴]]、[[RAM RIDER]]らもTwitterでコメントを寄せた<ref>{{Cite web|和書|title=おぎやはぎ、芸能界引退の小林賢太郎に期待 演出家として「どんどん名前を聞くことになる」|url=https://www.oricon.co.jp/news/2178416/full/|publisher=ORICON NEWS|date=2020年12月4日|accessdate=2024年1月31日}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=片桐仁、相方・小林賢太郎の芸能界引退「1年前に聞いていた」 エレキコミックと思い出トーク|url=https://www.oricon.co.jp/news/2178465/full/|publisher=ORICON NEWS|date=2020年12月6日|accessdate=2024年1月31日}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=鬼龍院翔、引退小林賢太郎から「影響受け過ぎてて」|url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202012020000143.html|publisher=日刊スポーツ|date=2020年12月2日|accessdate=2024年1月31日}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=ラーメンズ・小林賢太郎「芸能界引退」各界に衝撃広がる 梶裕貴「自分が理想とする表現の、ひとつの究極形」|url=https://www.j-cast.com/2020/12/01400060.html?p=all|publisher=J-CAST ニュース|date=2020年12月1日|accessdate=2024年1月31日}}</ref>。


== 芸風 ==
== 芸風 ==
=== ネタ作り ===
{{出典の明記|section=1|date=2011年6月}}
小林のネタ書きは1日3時間ほどで、細かい部分は立ち稽古で擦り合わせていた<ref name="neppu">{{Cite book2|df=ja|chapter=「『生涯求楽』でやっていきたい」編集部インタビュー|title=熱風|volume=2003年1月号|publisher=スタジオジブリ社|pages=39~43}}</ref>。まず人間同士の関係を考えており、その関係にどんなキャラクターを当てはめたら面白いかアイディアを出している<ref name="">{{Cite book2|df=ja|chapter=笑いの生まれる日常|title=AXIS|volume=2002年4・5月号|publisher=アクシス|pages=39}}</ref>。小林のネタ作成のマニュアルのひとつに「舞台が立体である」という考えがあり、机上で会話劇を作っていると横関係になりがちだが、一度できたコントを視点を変えて修正を行っている<ref name="hihyo20019"/>。
* 主に[[舞台]]で活動。[[テレビ番組]]は過去に『爆笑オンエアバトル』(NHK総合)・『[[完売劇場]]』([[テレビ朝日]])などに出演していたが、近年は舞台公演を中心としている。小林は「自分がやりたいことだけやりたい。そのためには舞台が1番。評価もすぐわかる。そこがいい」「自分の目の届く範囲でやりたいんです」と語っている。

* ラーメンズのコントは、しばしばお笑いと[[演劇]]の中間に[[カテゴリ|カテゴライズ]]される。公演は6~10本程度のコントで構成されており、上演時間は約1時間半ほどである。また、他のお笑い芸人のようにシチュエーションにあった舞台装置(セット)を用意することはなく、舞台公演における空間や美術はシンプルで、モノトーンの衣装と裸足を基本とする。小道具を使わず、物事を[[パントマイム]]で表現するのが特徴(衣装を身に着けることはある)。
小林から見ると片桐は台詞覚えが得意であるが、他方で台本がないと上手くパフォーマンスが発揮できず、そんな片桐を活かすため作りこまれたコントのスタイルが確立した<ref name="hihyomogi"/><ref name="hihyo20019"/>。一方、片桐の瞬発的な変顔や声が武器であることから、あえて台本でも「変な動き」と抽象的に書くこともある<ref name="qj20014"/>。また、片桐は漫画のキャラクターのような存在感を持っており、言いづらい台詞を嫌な感じにさせない演技ができることから、片桐のセリフ部分に担当させることがある<ref name="hihyomogi"/>。
* [[エレキコミック]]の[[やついいちろう]]によれば、大学の落研に所属していた頃のラーメンズは毒舌漫才を得意とするグループだったという<ref>やついいちろう『それこそ青春というやつなのだろうな』([[PARCO出版]]) 94ページ</ref>。本格的にプロとして活動してからは[[コント]]のみに専念している。「爆笑だけがおもしろいわけじゃない」として幅広くコントを追求しており、[[脚本]]を手がける小林はコントの[[世界観]]について、「自分たちのコントは[[日常生活|日常]]の中の非日常ではなく、'''非日常の中の日常'''。コントに出てくる人物にとっては当たり前のこと」と語っている。そのため「[[漫才#ボケとツッコミ|ツッコミ]]」「[[ボケ (漫才)|ボケ]]」といった役割がないコントが多く、「バカ二人」(小林談)というスタンスを保っている。

* 小林は、[[声帯模写]]・[[形態模写]]([[パントマイム]]も含む)・[[奇術|手品]]が得意で、コントの中で取り入れることも多い。
作品であると同時に商品だという意識を持っており、最初期を除いて体型やダメな部分を笑い人が傷つくような表現を避けている<ref name="neppu"/><ref name="hihyomogi"/>。男同士の会話劇なので下ネタが出ることもあるが、親子連れで見に来ている観客を想定すると下ネタはやり辛く、ディズニーランドのような嘘で構成したい思いを持っていた<ref name="kudokan"/>。また、時事ネタは作品の寿命が縮まるため基本的に取り入れていない<ref>{{Cite book2|df=ja|chapter=新時代はこいつらが熱くする HAPPY NEW COMER 2003 ラーメンズ|title=sabra|author=GUNROCK MAEDA|volume=2003年1月23日号|publisher=小学館|pages=58}}</ref>。定番化したギャグも、初見と常連の観客の間で予備知識の差で感じ方が変わってしまうため採用していない<ref name="compo"/>。
* ラーメンズのコントには「歌」が入ることが多い。歌の幅は広く、シンプルな音に不思議な歌詞を載せるものから[[替え歌]]、[[ラップ]]に至るまで、様々な音楽が取り入れられている。コント全てが歌で占められているものもある。

* 異国人に扮した設定で行うコントも多く見られる。[[文学]]作品をもじったコントや、[[アカデミー|アカデミック]]な言葉など、観客側にある程度の知識が要求されるネタも多い<ref name=netashutten/> 。特に2001年1月13日に放送された爆笑オンエアバトルで行った「日本語学校イタリア編」は当時『'''千葉!滋賀!佐賀!'''』として[[Adobe Flash|Flash]]化され、インターネットミーム現象を起こした<ref>{{Cite web|和書|title=「Flash」終了目前、SNSで別れを惜しむ声 「名作コンテンツがごっそり消える」「一つの時代の終焉」|url=https://nlab.itmedia.co.jp/research/articles/30271/|website=ねとらぼ調査隊|date=2020-06-17|accessdate=2020-12-01|language=ja|first=© ITmedia|last=Inc}}</ref>。
ラーメンズの作品に歌ネタが多い理由について、劇中の二人が揃って歌うのはリアルではないが、練習をしていた突飛な事実を仄めかせることができるので、ラーメンズが表現している「非日常の中の日常」を生きている人物の世界観を出すのに便利な道具として歌ネタを用いている<ref name="compo">{{Cite book2|df=ja|chapter=コント職人ーラーメンズはなぜテレビに出ないのか?|title=Composite|author=竹井晶子|volume=2000年12月号|publisher=報雅堂|pages=59}}</ref>。
* 「ドーデスと言う男」「ネイノーさん」「ホコサキ」などに代表される奇人キャラを扱うコントや、「怪傑ギリジン」「路上のギリジン」「タカシと父さん」「現代片桐概論」などに代表される、一人だけが良く喋り動くがもう一人はほとんどセリフを話すこともなく静止しているだけの形式のコントも多々ある(小林は「やってはいけないことではないのに、誰もやっていないこと」と称する)<ref name=netashutten/>。

* その作風から、しばしば[[シティボーイズ]]と比較される。小林はシティボーイズを大好きと語っており<ref>[[広告批評]] 2003年9月号 130-141ページ(小林賢太郎インタビュー)</ref>、また舞台「[[泥棒役者]]」のインタビューの際、[[きたろう]]の「俺たちの影響を受けているという感じがうれしい」というコメントに対し、片桐は「完全に影響されている」と返している。
=== 舞台構成 ===
* 小林は「コントは生き物だ」と述べている。緻密に練られた脚本が特徴である一方で[[即興|アドリブ]]も多々あり、[[地方]]公演の時は地元ネタを演じるなど、[[観客]]を大切に考えている面が見受けられる(不思議の国のニポン など)<ref name=netashutten>出典:「小林賢太郎戯曲集―home FLAT news」([[幻冬舎]]、2002年1月)、「文庫版 小林賢太郎戯曲集―椿・鯨・雀」(幻冬舎、2007年8月)、「小林賢太郎戯曲集―CHERRY BLOSSOM FRONT345・ATOM・CLASSIC」(幻冬舎、2007年9月)、[[富山大学]]人間発達科学部紀要 177-187ページ([[国立国会図書館]]で閲覧可能)、語文 第百二十五輯「ラーメンズ・小林賢太郎の『コント』について ―ラーメンズとその他のお笑い芸人の『コント』における台詞の比較-」([[日本大学]]国文学会、90-102ページ 国立国会図書館で閲覧可能)</ref>。
まず、身体だけで作り出せる笑いを追求しようと、シンプルな舞台美術や衣装からスタートしている<ref name="neppu"/>。第3回公演になると、舞台上は背景に無地の布が張られ、小道具も箱だけの最小限の要素だけで構成された<ref name="neppu"/><ref name="bijutu200011"/>。舞台や衣装に目立つ部分があると脚本が弱くても成立してしまうという、小林の自分自身の追い詰めかたが表れている<ref name="hihyomogi"/>。また、無地の衣装を纏うと匿名性が高くなることによって、観客それぞれにとって身近な生活のリアリティを想像させるのを狙っている<ref name="hihyo20019"/>。小林にとって箱は中身が見えないものの象徴であり、Tシャツやポスターに使われるキャッチコピーの'''THE BOX FILLED WITH LAUGH.'''は、文法的には正しくないが「箱は笑いで埋め尽くされた」を意味している<ref name="flat">{{Cite book2|df=ja|chapter=ラーメンズ第6回公演 FLAT|title=演劇ぶっく|author=石本真樹|volume=2000年8月号|publisher=演劇ぶっく社|pages=46~47}}</ref>。
* 同世代の芸人である[[バナナマン]]のコントにも影響を受けており、片桐は「バナナマンがいなかったらラーメンズを解散していた」と発言している<ref>[[テレビブロス]] 2014年2月15日号</ref> 。ちなみにバナナマンとは「genico」、「[[君の席]]」というユニットを組んだ事がある。

=== お笑いと演劇の間 ===
小林はラーメンズを「笑いの要素の強い演劇的パフォーマンス」と称し、あえて「お笑い」という枠に自分達を嵌め込まなかった<ref name="ongaku20009"/>。ボケとツッコミがあるという固定観念から外れて、笑わせるためにはどのような方法があるだろうか考え、ゼロからラーメンズのスタイルを作っていった<ref name="nikkei20029">{{Cite book2|df=ja|chapter=ラーメンズ お笑いと演劇の間で人気急上昇中のヘンな2人|title=日経エンタテインメント!|author=田部井徹|volume=2002年9月号|publisher=日経BP社|pages=148~149}}</ref>。一人が全く喋らないコントなどで新しいお笑いと言われたこともあるが、「他の人はどうしてここに手をつけてないんだろう?」と本人たちは普通にやっているつもりで、自分達が作ったルールの中で1番になれると思っていた<ref name="hihyo20019"/><ref name="nikkei20029"/>。

片桐はラーメンズ以外の芝居にも参加する中で求められるものがストーリーだと感じ、翻ってラーメンズに求められるものはやっぱりお笑いなのではないかと感じていた<ref name="hihyomogi">{{Cite book2|df=ja|chapter=脳科学流ラーメンズ進化論 茂木健一郎×ラーメンズ|title=広告批評|volume=2007年12月号|publisher=マドラ出版|pages=1~20}}</ref>。それを受けて小林は、それは目的の話であり、一般的なお笑いのイメージにはやっぱりラーメンズはいないんじゃないかと返答している<ref name="hihyomogi"/>。

== 作品構造 ==
一般的なコントは冒頭に状況説明や登場人物の紹介があるが、省略しているラーメンズのコントを岡崎太威は「いきなりサビが始まるかのよう」と表現している<ref name="bijutu200011"/>。インタビューで小林は「ジグソーパズルが最後に嵌まる気持ちよさを味わってほしい」と答えており、物語の全容が見えてこない構成も意図したものである<ref name="bijutu200011"/>。小林は、人物がいて関係性があり、キャラクターが会話すれば自然に発生するラーメンズの笑いの作用を、科学より数学や物理に近いとし、100を越えるラーメンズのコントのなかで、20本は他者が演じても面白く成立するマスターピースになったと自信を持っている<ref name="cut20024"/><ref>{{Cite book2|df=ja|chapter=読者が選ぶえんぶチャート2010 俳優チャート1位 小林賢太郎|title=演劇ぶっく|author=石本真樹|volume=2011年4月号|publisher=演劇ぶっく社|pages=10~13}}</ref>。

=== 現代片桐概論 ===
「現代片桐概論」は、架空の生物である「カタギリ」の教材用模型に扮した片桐が、直立不動で黙ったまま進んでいくコントである<ref name="2005iyama116">[[#井山 2005|井山 2005]] 116頁</ref><ref name="hihyo20019"/>。架空の生物学を真面目に講義する教員役の小林が、[[あるあるネタ]]のように所作や話し方をリアルに演じる落差がコントの魅力になっている<ref name="2005iyama116"/><ref name="2005iyama117">[[#井山 2005|井山 2005]] 117頁</ref>。元々はシアターDのオールスターライブ用に作られたネタで、片桐のパフォーマンスに納得していなかった小林の「じゃあ何もさせなければいいじゃないか」という思惑が反映されている<ref name="ishida"/>。

[[井山弘幸]]が大学の講義で片桐概論を扱った際、実際にカタギリという生物が存在すると勘違いしてしまった学生がいた<ref name="2007iyama158">[[#井山 2007|井山 2007]] 158頁</ref>。そのことから、架空の生物について書かれたとネタ晴らしをせず、学術書の体裁を崩さない[[鼻行類]]との類似点を指摘している<ref name="2007iyama158"/>。

=== 読書対決 ===
「読書対決」はそれぞれが朗読する本の面白さを競っているが、いつの間にか本の内容から逸脱しエスカレートしていくというネタである<ref name="2005iyama121">[[#井山 2005|井山 2005]] 121頁</ref><ref name="2005iyama122">[[#井山 2005|井山 2005]] 122頁</ref>。「[[ロミオとジュリエット]]」と「[[鼻 (芥川龍之介)|鼻]]」の対決では、「あなたはどうしてロミオなの?」という有名なセリフに「ああ鼻、どうして前についているの?」と返し、最後は「ミミオとハナエット」ともじり耳鼻科の由来だと勝ち誇る、シュールな性質が強いオチとなっている<ref name="2005iyama122"/><ref name="2005iyama123">[[#井山 2005|井山 2005]] 123頁</ref><ref name="2005iyama124">[[#井山 2005|井山 2005]] 124頁</ref>。

=== 日本語学校 ===
「日本語学校」は、とある語学学校の教師役の小林のセリフを生徒役の片桐が復唱するコントで、フランス編やイタリア編などシリーズ化されている<ref name="2005iyama125">[[#井山 2005|井山 2005]] 125頁</ref>。
アフリカ人がでたらめな日本語を学ぶニュースを見たことに加え、小林が[[ヤン・シュヴァンクマイエル]]に会いにチェコを訪れた際に、電車内で外国人が「日本語」という本を持ち「コレハリンゴデスカ」と練習していた光景から着想を得ている<ref name="ishida"/>。

歴史上の単語が語感が似たものに置き換わっていく言葉遊びのような「日本語学校アメリカン」から、普通の会話をいかにも意味ありげに朗読することによって、不穏な空気を演出しているフランス編とシリーズの中でも幅がある<ref name="2005iyama126">[[#井山 2005|井山 2005]] 126頁</ref><ref name="2005iyama127">[[#井山 2005|井山 2005]] 127頁</ref><ref>[[#井山 2007|井山 2007]] 41頁</ref>。イタリア編では都道府県名をイタリア語風に読み上げたり、組み合わせて奇妙な言葉を生み出しており、[[アスキーアート]]キャラを用いた[[FLASHアニメーション|動画化]]によって人気コンテンツになっていた<ref>{{Cite web|和書|title=「令和で見るとは」懐かし“千葉滋賀佐賀”“ヒョギフ大統領” ラーメンズ小林賢太郎引退でトレンドに|url=https://www.chunichi.co.jp/article/163831|publisher=中日スポーツ|date=2020年12月2日|accessdate=2024年1月30日}}</ref>。

インディーズで発売された「日本語学校」のCDはプレミアがつくほどの貴重さで、新しいバージョンを追加し「[[ラーメンズの新日本語学校]]」として新たに発売された<ref>{{Cite book2|df=ja|chapter=People 片桐仁|title=an・an|volume=2006年9月20日号|publisher=マガジンハウス|pages=142}}</ref>。

=== できるかな ===
「できるかな」は[[NHK教育テレビジョン|NHK教育]]の[[できるかな]]を[[パロディ]]にしたコントで、本来は喋らない[[高見のっぽ|ノッポさん]]が過激な発言をするという内容になっている<ref name="ohta">{{Cite web|和書|title=太田光、小林賢太郎氏解任のネタを解説「『できるかな』の“偽善性”を茶化す」|url=https://www.sanspo.com/article/20210725-5A2DKGZX2RG5TH3FJXOEIA7NIA/|publisher=サンスポ|date=2021年7月25日|accessdate=2024年1月30日}}</ref>。ラーメンズのコントスタイルを決定づけた作品であり、初の単独ライブの開催へ踏み切るきっかけになった一本である<ref name="qj20014"/>。小林は、業界独特の価値観を外側から観察して面白いと感じた部分をコントにしただけであり、業界を皮肉っているつもりはなかった<ref name="qj20014"/>。

[[2020年東京オリンピック]]開催直前に、コント中の「ユダヤ人大量虐殺ごっこ」という[[ホロコースト]]をネタにしたセリフが問題視され、小林が五輪開閉会式ディレクターを解任された原因となった<ref>{{Cite web|和書|title=五輪開閉会式ディレクターの小林賢太郎氏を解任 組織委|url=https://www.asahi.com/articles/ASP7Q3QBZP7QUTIL00N.html|publisher=朝日新聞デジタル|date=2021年7月22日|accessdate=2024年1月30日}}</ref>。小林は謝罪コメントの中で、浅はかな方法だったと非を認めており、片桐も意識が低かったと謝罪コメントを出している<ref>{{Cite web|和書|title=小林賢太郎氏コメント全文 開閉会式ディレクター解任|url=https://www.asahi.com/articles/ASP7Q431ZP7QUTIL01K.html|publisher=朝日新聞デジタル|date=2021年7月22日|accessdate=2024年1月30日}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=過去コント巡り「深くお詫び」 元ラーメンズ片桐仁さん|url=https://www.asahi.com/articles/ASP7R038BP7QUCVL00S.html|publisher=朝日新聞デジタル|date=2021年7月23日|accessdate=2024年1月30日}}</ref>。

[[太田光]]は解任は止む無しとしながらも、「できるかな」という番組の偽善性を茶化すためのセリフだったと解説を付け加えている<ref name="ohta"/>。

== 評価・影響 ==
ラーメンズが[[シティボーイズ]]や[[イッセー尾形]]への尊敬を公言していることから、デザイナーの伊藤弘や[[高橋幸宏]]はその影響について論評している<ref name="dacapo"/><ref name="hihyomogi"/><ref name="hihyo6nin">{{Cite book2|df=ja|chapter=6人のクリエイターが語るラーメンズの魅力|title=広告批評|volume=2003年9月号|publisher=マドラ出版|pages=108~117}}</ref>。伊藤は、スタイリッシュでお笑いと演劇の間で分類が難しいスタイルは、シティボーイズや[[ラジカル・ガジベリビンバ・システム]]の影響を感じながらも、ラーメンズにはテーマ性を強く感じていない<ref name="hihyo6nin"/>。むしろ、ラーメンズの作品はディテールの断片を組み上げているのが特徴で、初期は粗削りな部分が残されていたが、作品を重ねるごとに完成形がきれいな形になっていったと変遷を述べている<ref name="hihyo6nin"/>。「news」公演を観劇していた高橋も同様にシティボーイズやラジカル・ガジベリビンバ・システムの影響を感じており、関西芸人のようなスピード感やボケと突っ込みの定型も感じないが、関西のお笑いに対するアンチではなく本質は「意味のないバカバカしさ」としている<ref name="hihyo6nin"/>。

DJの[[Fantastic Plastic Machine|田中知之]]は、見る者に知的さを要求するシティボーイズやイッセー尾形との類似性を語りながら、分からない人を突き放す排他性が無く嚙み砕いている姿勢を評価している<ref name="hihyo6nin"/>。一方、アドリブの天才として[[松本人志]]の名前を挙げて論評しており、計算されたスタイルのラーメンズを対極に置いている<ref name="hihyo6nin"/>。

ラーメンズのキャラクターの薄さも指摘されることが多く、伊藤は「現代片桐概論」で片桐が背負われているシーンを例に挙げ、まるで人形のようだと表現している<ref name="hihyo6nin"/>。高橋は[[スネークマンショー]]と比較し、[[小林克也]]や[[伊武雅刀]]のキャラが立っているのに対し、濃い風貌の片桐でさえ薄く感じるほどラーメンズは顔が見えないと評した<ref name="hihyo6nin"/>。田中は、シティボーイズとの違いに匿名性を挙げ、コントの中でラッパーや落語家に扮してもどういう人かはっきりせず、それゆえ知らない人が見ても面白いところが魅力だとしている<ref name="hihyo6nin"/>。

[[宮藤官九郎]]はシンプルで完成された台本なのにどこか不完全な部分があり、翌日の公演では変化があると思わせてくれるところが好きだと小林との対談で答えている<ref name="kudokan">{{Cite book2|df=ja|chapter=対談 方法論がまるっきり反対みたい 宮藤官九郎×小林賢太郎|title=広告批評|volume=2003年9月号|publisher=マドラ出版|pages=66~77}}</ref>。[[菊地成孔]]はラーメンズの堅実な音楽の使い方を評価し、文学や演劇の観点からみても[[ファインアート]]として成立していると言及している<ref name="tukuru100">[[#つくるひと 2002|つくるひと 2002]] 100頁</ref><ref name="tukuru115">[[#つくるひと 2002|つくるひと 2002]] 115頁</ref>。

自身の短編映像である[[短篇キネマ 百色眼鏡|百式眼鏡]]で小林と共演した[[椎名林檎]]や、小林賢太郎テレビに出演した[[壇蜜]]、[[大泉洋]]はラーメンズのファンを公言している<ref name="hihyo6nin"/><ref name="bros20171202">{{Cite book2|df=ja|chapter=巻末特集:「小林賢太郎テレビ9」小林賢太郎×大森南朋×壇蜜|title=テレビブロス|author=石本真樹|volume=2017年12月2日号|publisher=東京ニュース通信社|pages=99~105}}</ref><ref name="bros20160604"/>。ラッパーの[[KREVA]]はラーメンズを高く評価し、コントのセリフをサンプリングし[[magic number (KICK THE CAN CREWのアルバム)|楽曲]]のCMに二人を起用している<ref name="hihyo6nin"/>。ラーメンズの作品を「計算していないように見せかけて、計算している部分」と「計算していなかったけど、計算したかのように振る舞っているところ」で構成されていると表現し、コント中で披露したラップの韻の踏み方に同じ言葉を使うアーティストとして刺激を受けている<ref name="hihyo6nin"/>。

[[ますだおかだ]]の[[増田英彦]]は、普通のお笑いコンビだったら15秒に1度は笑いのポイントを作るがラーメンズは1分に1回の少なさでも成立しており、それを受け入れている観客を育てていることも合わせて評価している<ref name="onair8">[[#オンエア 2000|オンエア 2000]] 8~12頁</ref>。桧山珠美は観客がラーメンズの一挙手一投足に集中し客席の笑いの引きが早い様を見て、サッカーのサポーターが12人目の選手と言われるように観客は3人目のラーメンズなのではないかと表現した<ref name="galac">{{Cite book2|df=ja|chapter=旬顔 小林賢太郎|title=GALAC|author=桧山珠美|volume=2009年4月号|publisher=KADOKAWA|pages=6~8}}</ref>。

[[ロングコートダディ]]の堂前透や[[ダウ90000]]の[[蓮見翔]]は、学生時代に見たラーメンズの映像に影響を受けたと語っている<ref>{{Cite web|和書|title=ロングコートダディ堂前が“好きな子”から借りたラーメンズのDVD【あなたは誰に憧れ芸人に?④】|url=https://magazine.fany.lol/40402/|publisher=FANY Magazine|date=2022年4月15日|accessdate=2024年1月30日}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=ダウ90000蓮見翔のおすすめネタ動画|url=https://natalie.mu/owarai/column/440514|publisher=お笑いナタリー|date=2021年8月13日|accessdate=2024年1月31日}}</ref>。[[男性ブランコ]]は浦井、平井共にラーメンズファンであることを公言しており、大学生の頃に「TOWER」を観劇している<ref name="dansei">{{Cite web|和書|title=男性ブランコが語る、面白い先輩に見つけてもらえた喜びとラーメンズ初体験|url=https://natalie.mu/owarai/column/499819|author=狩野有理|publisher=お笑いナタリー|date=2022年12月1日|accessdate=2024年1月30日}}</ref>。生で目にした舞台構成に注目し、自分たちの単独ライブで再現しようとしていた<ref name="dansei"/>。

落語界では元々お笑い芸人を志していた落語家の[[立川吉笑]]は椿・鯨・雀をDVDで見て衝撃を受けており、後に15回公演「ALICE」を劇場で観劇している<ref name="japan">{{Cite|和書|author=立川吉笑|title=現在落語論|page=201|date=2015|publisher=[[毎日新聞出版]]|isbn=978-4620323459|}}</ref>。2000年3月の第2回オンエアバトルチャンピオン大会で特別賞を授与した[[立川談志]]は、イリュージョンを扱う芸人にラーメンズの名を挙げ「芸術に一番近い」と表した<ref name="ishida"/><ref>『読売新聞』2002年6月5日 大阪夕刊15頁「古典の談志、創作の三枝 認め合う二人が落語会 8日、大阪・なんば花月」</ref><ref>『朝日新聞』2002年2月19日 夕刊16頁「シュールな笑いで快走 「芸術的コント」のラーメンズ」</ref>。

コントのネタ台本そのままが戯曲として成立することから、「小林賢太郎戯曲集」として出版されている<ref name="spa">{{Cite book2|df=ja|chapter=今週の革新 File.05 ラーメンズ|title=Spa!|volume=2002年2月12日号|publisher=扶桑社|pages=9}}</ref>。戯曲集の出版はお笑い芸人で初めてであり、複数の出版社の競争もあった<ref name="spa"/>。小林賢太郎戯曲集を読んだ劇作家の[[飯島早苗]]は、演劇的とはいえコント台本であり、ラーメンズの作品となれば勝手に期待値が上がると身構えながらも、歴史上の有名人物を外国人風に連呼するネタの「日本語学校アメリカン」を例に挙げ、文章を読んでいるだけで面白いと感じ理屈では説明できない本能的な笑いと評した<ref>{{Cite book2|df=ja|chapter=せりふの広場 笑いは手ごわい|title=せりふの時代|author=飯島早苗|volume=2007年5月号|publisher=小学館|pages=160~161}}</ref>。

== ユニット公演 ==
=== チョコレイトハンター ===
{{See also|チョコレイトハンター}}
1999年2月に小林、豊本明長、オークラの3名で行ったコントユニット「[[チョコレイトハンター]]」が思うように上手くいかず、それぞれの相方を加えリベンジとして再結成された新制チョコレイトハンターにラーメンズとして参加している<ref name="okura158">[[#オークラ 2021|オークラ 2021]] 158頁</ref><ref name="okura185">[[#オークラ 2021|オークラ 2021]] 185頁</ref><ref name="okura186">[[#オークラ 2021|オークラ 2021]] 186頁</ref>。ネタ作りを担当する小林、オークラが忙しくなってきた時期ということもあり、小林は「今世紀最後にして最低のアイドル芸人」というキャッチコピーで、遊びの要素があるユニットコントだということを演出した<ref name="okura186"/>。コンセプト通りに2000年12月をもって解散した<ref name="okura187">[[#オークラ 2021|オークラ 2021]] 187頁</ref>。

=== setagaya genico ===
1998年頃から[[バナナマン]]とラーメンズの交流が始まり、設楽の提案により「genico」というコントユニットが結成された<ref name="okura184">[[#オークラ 2021|オークラ 2021]] 184頁</ref>。公演が行われた2000年10月当時のバナナマン、ラーメンズは東京のライブシーンで際立つ2組であり、芸人仲間やお笑いファンから注目が集まっていた<ref name="okura183">[[#オークラ 2021|オークラ 2021]] 183頁</ref>。ネタ担当の設楽、小林、作家として参加していたオークラの3名の話し合いによりネタ作りが進められたが、お互い譲れない部分もあり結果として先輩である設楽が主導権を握ることになり、オークラは出来上がったコントについて「ラーメンズがバナナマンの世界観に参加したようだった」と振り返っている<ref name="okura184"/><ref name="okura185">[[#オークラ 2021|オークラ 2021]] 185頁</ref>。

小林はバナナマンのライブを見て「自分達にはできない」と称賛しており、楽屋で積極的に話しかけにいっていたこともあって、合同ライブができて光栄と語っている<ref >{{Cite book2|df=ja|chapter=「新しい笑いを作る注目コンビの合同ライブ」|title=東京ウォーカー|author=富田陽美|volume=2000年10月3日号|publisher=KADOKAWA|pages=16}}</ref>。

=== 君の席 ===
{{See also|君の席}}
[[君の席]]は、2000年に放送を開始したコント番組・[[ウラ日テレ]]において共演していたバナナマン、[[おぎやはぎ]]、ラーメンズの3組により結成されたコントユニットである<ref name="okura189">[[#オークラ 2021|オークラ 2021]] 189頁</ref><ref name="okura191">[[#オークラ 2021|オークラ 2021]] 191頁</ref>。番組制作を担当していた[[日本テレビ放送網|日テレ]]の安島隆、オークラも演出に携わり、[[泉谷しげる]]の楽曲からユニットに「[[君の席]]」という名前が付けられた<ref name="okura190">[[#オークラ 2021|オークラ 2021]] 190頁</ref><ref name="okura191"/>。ライブは2002年3月2日、3日に行われたが、ラーメンズは1カ月前の1月27日に第10回単独公演の「雀」が終わったばかりで、更に3月12日から特別公演、3月29日から第11回単独公演の「CHERRY BLOSSOM FRONT345」が控えており、ラーメンズが非常に忙しかったこともあり小林はネタ作りに参加せず設楽とオークラが担当した<ref name="okura192"/><ref name="okura193"/><ref name="okura194"/>。

=== KKP ===
{{See also|小林賢太郎プロデュース公演}}
演劇的な作品を作りたいという小林の意思により、2000年8月から立ち上げられた[[小林賢太郎プロデュース公演]]に片桐が参加している<ref>{{Cite book2|df=ja|chapter=特集 舞台エンタテイメントはどこへ向かうのだろうか? 小林賢太郎|title=Cut|author=平井伊郁子|volume=2002年9月号|publisher=ロッキング・オン|pages=88~89}}</ref>。片桐は1作目の[[good day house]]、2作目の[[Sweet7]]、3作目の[[Paper Runner]]の3作品に看板役者として出演した<ref>{{Cite book2|df=ja|chapter=Stage! Pick up! 今週の演劇|title=東京ウォーカー|volume=2002年8月27日号|publisher=KADOKAWA|pages=150}}</ref><ref>{{Cite book2|df=ja|chapter=小林賢太郎プロデュース公演 Sweet7|title=演劇ぶっく|author=石本真樹|volume=2003年10月号|publisher=演劇ぶっく社|pages=18~19}}</ref><ref>{{Cite book2|df=ja|chapter=PAPER RUNNNER 小林賢太郎×西寺郷太|title=演劇ぶっく|author=石本真樹|volume=2004年8月号|publisher=演劇ぶっく社|pages=52~53}}</ref>。

=== GOLDEN BALLS LIVE ===
KKPはラーメンズが演劇寄りと評されることから、「コント寄りの演劇」を作ってみようというアイディアにより立ち上げられた<ref name="golden">{{Cite book2|df=ja|chapter=小林賢太郎 『Rahmens presents Golden Balls Live』|title=Look at star!|author=Toru Tabei|volume=2005年10月号|publisher=学研パブリッシング|pages=48~49}}</ref>。一方、コント寄りの演劇と、演劇よりのコントの間を考えた際に生まれたのが、Rahmens Presents GOLDEN BALLS LIVEである<ref name="golden"/>。主催のラーメンズに加え、[[久ヶ沢徹]]、[[西田征史]]、[[野間口徹]]らが参加し大人数のコントが披露された<ref name="golden"/>。セット美術は片桐が担当している<ref>{{Cite book2|df=ja|chapter=Golden Balls Live 稽古場潜入レポート!!|title=演劇ぶっく|author=石本真樹|volume=2005年10月号|publisher=演劇ぶっく社|pages=22~23}}</ref>。

== 美術・音楽 ==
[[File:Rahmens-tower.jpg|thumb|第17回公演「TOWER」のポスター]]
活動初期のポスターやチラシは小林がデザインをしていたが、第5回公演の「home」からクリエイティブディレクターである[[水野学]]のgood design companyが制作に参加している<ref name="design">[[#デザイン 2013|デザイン 2013]] 28~31頁</ref>。水野とラーメンズの二人は多摩美の同期であり、在学中は会えば話すぐらいの関係であった<ref name="design"/>。水野が社会人3年目に第1回公演「箱式」を観劇する機会があり、終演後のアンケートのDM希望欄に「作る」と書いたことがきっかけで仕事を通してラーメンズと関わることになった<ref name="design"/><ref name="mizuno44">[[#水野 2018|水野 2018]] 44~45頁</ref>。

水野はデザイン会社ドラフトに勤めていた時に、「ブランドの10年後、20年後を考えなければダメだ」と教えられており、その方針に沿ってラーメンズをブランディングした<ref name="design"/>。劇場を中心に活動し露出が少ないラーメンズということもあり、ポスターには極力二人の顔を使っていない<ref name="mizuno42">[[#水野 2018|水野 2018]] 42~43頁</ref>。ファンからはチラシに顔が欲しいという要望もあったが、まだ露出には早いということで椿、鯨、雀の3公演のポスターでは下部に二人の顔が見切れる形で配置した<ref name="design"/>。

「ファンであることを自信に思える、ポスターを持っていたくなる」をコンセプトに、チラシも宣伝用ではなく公演に来た人に渡すものになっていった<ref name="mizuno42"/><ref name="kktv7">{{Cite book2|df=ja|chapter=考察特集 『小林賢太郎テレビ7 ~知らなくていい世界~』 小林賢太郎|title=別冊+act|author=石本真樹|volume=2015年5月号|publisher=ワニブックス|pages=64~66}}</ref>。初期から予算不足を補うために、期限切れのフィルムを使用するなど工夫がされている<ref name="mizuno36">[[#水野 2018|水野 2018]] 36頁</ref>。「STUDY」での鉛筆柄に角がカットされている加工や、[[鏡の国のアリス]]の連想から[[鏡文字]]を使用した「ALICE」のポスターは広告としては意味を成さないが、ラーメンズの作品の一部として成立している<ref name="design"/><ref name="mizuno37">[[#水野 2018|水野 2018]] 37頁</ref>。

小林のほとんどの公演で関わる舞台監督の野口毅は「NEWS」から、[[徳澤青弦]]は2001年の「鯨」から音楽を担当している<ref name="enbutokuzawa">{{Cite book2|df=ja|chapter=特集 全方向から見せます [Kentaro Kobayashi Solo Performance Lice Potsunen 2008]Drop|title=演劇ぶっく|author=石本真樹|volume=2008年6月号|publisher=演劇ぶっく社|pages=18~23}}</ref>。鯨では、チェロを使いたいという小林の要望に答えて全編チェロで作曲したが、徳澤の「チェロだけではないですよ」というアピールから、ラーメンズのその後の公演でも製作に携わっている<ref name="enbutokuzawa"/>。[[伊賀大介]]は[[椎名林檎]]の映像作品・[[短篇キネマ 百色眼鏡|百色眼鏡]]で小林と一緒に仕事をした縁から、「アリス」のスタイリストを担当した<ref>{{Cite book2|df=ja|chapter=KENTARO KOBAYASHI LIVE POTSUNEN 2006 「○ maru」小林賢太郎・伊賀大介|title=演劇ぶっく|author=石本真樹|volume=2006年6月号|publisher=演劇ぶっく社|pages=30~31}}</ref>。大学時代の同級生である[[ニイルセン]]は、1999年から舞台美術でラーメンズの公演に関わっている<ref>{{Cite web|和書|title=経歴|url=http://filmdesignworks.com/member/nielsen.html|publisher=filmdesignworks|accessdate=2024年1月30日}}</ref>。


== エピソード ==
== テレビについて ==
ラーメンズはメディアでの露出を避けており、小林はテレビが苦手な理由に、一方向的なメディアということを挙げている<ref name="fujin">{{Cite book2|df=ja|chapter=「旬の人 ラーメンズ」|title=婦人公論|author=石本真樹|volume=2001年3月22日号|publisher=中央公論新社|pages=17}}</ref>。片桐から見ても、「なんでも自分でやりたくなってしまう」小林の意図と製作側の演出がぶつかりイライラしてしまい、方向性とのズレや浮いている感覚を抱え、地に足をつけてやれる場所にいたいという思いからテレビでの仕事を断っていった<ref name="qj20014"/><ref name="kktv7"/>。ライブであればスタッフを最小人数に抑えることができ、反応がダイレクトなところも良し悪し含めて好きなところとして、舞台ならお金を払ってでも見たい観客と、生にこだわるラーメンズとの相互関係が成り立つと小林は自己分析している<ref name="qj20014"/><ref name="fujin"/>。またメディアでの露出があると舞台上で役が見えにくくなることから、自分を前面に出すことを避ける意図もあった<ref name="qj20014"/>。片桐からすると小林は演技もできる器用な人間なのでもっとテレビに出てもいいと感じていたが、小林は「台本があるものじゃないと勝負できない」、「ラーメンズの脚本が面白いだけで自分単体は面白くない」とインタビューでは答えている<ref name="qj20014"/><ref name="nikkei20001"/><ref>{{Cite book2|df=ja|chapter=ラーメンズは品質のいい商品です 水野学|title=広告批評|author=島森路子|volume=2003年9月号|publisher=マドラ出版|pages=102~103}}</ref>。
* お互いにいたるところで相方を褒めちぎっている<ref>[[広告批評]] 2003年9月号 128ページ、134ページ など。</ref>。
* 業界関係者のファンも多い。ミュージシャンの[[KREVA]]はファンを公言しており、ラーメンズの声を[[サンプリング]]した楽曲がある。[[KICK THE CAN CREW]]のライブにゲストとして招かれたこともある。小林個人では「[[国民的行事 (曲)|国民的行事]]」のPVへ出演している<ref>広告批評 2003年9月号 111-112ページ</ref>。他に、[[椎名林檎]]<ref>広告批評 2003年9月号 113ページ</ref>、[[高橋幸宏]]もラーメンズのファンであることを話している<ref>広告批評 2003年9月号 114-115ページ</ref>。また、[[声優]]の[[林原めぐみ]]が[[雑誌]]の企画で片桐と対談し、ラーメンズのファンであると語っている。その模様は[[単行本]]にも収録されている<ref>『林原めぐみの愛たくて逢いたくて…ファイナルシーズン』([[角川書店]])66-75ページ</ref>。
* [[スタイリスト]]は[[伊賀大介]]。小林が[[短編映画]]『[[短篇キネマ 百色眼鏡|百色眼鏡]]』へ出演したのをきっかけに知り合ったという<ref>広告批評 2003年9月号 66ページ</ref>。
* [[ポスター]]などの[[グラフィックデザイン|デザイン]]は"good design company"の[[水野学]]が手がけている。彼も[[多摩美術大学]]の出身で、ラーメンズの2人とは学生時代からの知り合い<ref>広告批評 2003年9月号 102-103ページ、広告批評 2006年8月号 9ページ</ref>。
* 小林・片桐・やついいちろうの3人は、かつて同じ[[アルバイト]]([[警備員]])をしていた<ref>『新刊展望』(日販発行)2006年5月号 8ページ</ref>。
*ライブの最後の挨拶で小林が観客に対してウソの告知をしたりドッキリを仕掛けたりする(例:実際は降っていないのに、外は大雨なので気をつけて帰るように、など)。「CHERRY BLOSSOM FRONT345」内で解散ドッキリを行った際に、その本格さから泣き出すファンも存在(はける際に小林がドッキリであることをバラした)。
* どちらも[[眼鏡]]をかけていることがあるが、小林は[[伊達眼鏡]]である。


=== 爆笑オンエアバトル ===
=== オンエアバトル ===
[[NHK新人演芸大賞]]の決勝に残ったことでディレクターの目に止まり、新しく始まる[[爆笑オンエアバトル]]のネタ見せに誘われたことから番組初回から出演している<ref name="bunshun20150917"/><ref name="tvlife5">[[#TV LIFE 2010|TV LIFE 2010]] 5頁</ref>。その初回放送で、後に高得点の基準となる500kbを達成したのがラーメンズだった<ref name="tvlife5"/>。ネタの面白さが評価される番組において、特に注目が集まっていたのがラーメンズであり、暗転のタイミングを細かくリハーサルしていたことが製作陣の印象に残っている<ref name="nikkei20001"/><ref name="tvlife25"/>{{Efn|1999年のオンエアは、3月27日、5月1日、6月19日、9月4日、10月2日、12月11日<ref name="tvlife25">[[#TV LIFE 2010|TV LIFE 2010]] 25頁</ref>。2000年は、4月8日、7月29日、10月14日、11月4日<ref name="tvlife26">[[#TV LIFE 2010|TV LIFE 2010]] 26頁</ref>、2001年は1月13日、4月21日、6月23日である<ref name="tvlife26"/><ref name="tvlife30">[[#TV LIFE 2010|TV LIFE 2010]] 30頁</ref>。}}。
* 『爆笑オンエアバトル』には、第1回目から出演し、『現代片桐概論』のネタを披露。1位通過及び、番組内における高評価の代名詞である'''「オーバー500」を初めて記録'''した。その後もオンエア経験を重ね、同番組のチャンピオン大会の第1回と第2回の予選に参加した。第2回のチャンピオン大会では本選に出場し、最終決戦には進出できなかったが、特別審査員の[[立川談志]]から、審査員特別賞を受賞している。この時は201KBだった<ref name=onairbattle>『爆笑オンエアバトル 10→11』([[学研ホールディングス|GAKKEN]]) 24-53ページ</ref>。15回目の挑戦で『心理テスト』のネタで2度目の「オーバー500」を獲得。しかし、その後16回目の挑戦では413KBの好記録だったが6位オフエア、17回目の挑戦(最後の挑戦)では221KB(自己最低KB)と初の連敗を記録したが、17回の挑戦のうち13回の[[オンエア]]を獲得。オンエア率は約7割6分となり、'''[[爆笑オンエアバトル#プラチナバトラー&ゴールドバトラー|ゴールドバトラー]]に認定'''された。これらの記録から、2008年の番組公式ホームページ内の『オンバト名勝負百選』というコーナーで「爆笑オンバト初期の立役者といえば、漫才の[[ますだおかだ]]とコントのラーメンズと言える」と番組[[プロデューサー]]から評された。また、『爆笑オンエアバトル』の最終回ではこの2組が「爆笑オンエアバトルのレジェンド」と紹介された<ref name=onairbattle/><ref>爆笑オンエアバトル公式本第1巻ではますだおかだとラーメンズの対談が収録されており、2002年の正月スペシャルではこの2組が合同コントを行っている</ref>。
* 2001年1月13日に放送された「日本語学校イタリア編」で講師役がイタリア語なまりで日本の都道府県名を順に読み上げるフラッシュ動画を用いたコントのネタで「千葉滋賀佐賀」「ヒョギフ大統領の貴重」などが令和のネット(Twitter)上でトレンド入りするなど注目を浴びている。
* オフエア4回のうち3回がボール1個差か2個差の僅差である<ref>289KBで初のオフエアとなった回では[[ますだおかだ]]が番組史上初のパーフェクトを達成している</ref>。
* 通常回においては2002年1月12日放送分が最後の出場となったが、その後2008年12月30日放送分の爆笑オンエアバトル10周年企画「ヒーローたちの伝説ネタSP」で約7年振りに2人揃って番組に出演し、インタビューに答えていた。また同回では2001年6月23日放送分において披露したネタ「心理テスト」もフルで流されていた。


1998年の[[爆笑オンエアバトル チャンピオン大会|第1回チャンピオン大会]]では順位にこだわることなく、片桐が動かない「教材用片桐」のネタを披露し、予選で4位になり決勝の3枠に残ることができなかった<ref name="onair68">[[#オンエア 2000|オンエア 2000]] 68頁</ref><ref name="onair69">[[#オンエア 2000|オンエア 2000]] 69頁</ref>。第2回チャンピオン大会では決勝に進出するも9位に終わったが、[[立川談志]]により審査員特別賞が与えられた<ref name="tvlife25"/>。
== ライブ ==
=== 本公演 ===
第5・6・7回は英文字三部作、第8・9・10回は漢字三部作。初期は非常に短期間の間に新作公演を発表。尚、第7回公演「news」は、ラーメンズ初の全国ツアーである。


オンエアバトルで代表作である「日本語学校」を披露したところ、視聴者からの苦情が相次いだことがあった<ref name="nikkei20001">{{Cite book2|df=ja|chapter=ラーメンズ アート系お笑い芸人はコントで勝負|title=日経エンタテインメント!|volume=2000年1月号|publisher=日経BP社|pages=6~8}}</ref>。外国人を演じる二人が日本語の教科書を読んでいる様が、麻薬密売を題材にしていると勘違いされてしまったことが原因である<ref name="nikkei20001"/>。番組は差別的な発言もしていないし放送コードにも引っ掛からないと苦情を突っぱねたことがネットで話題になった<ref name="nikkei20001"/>。
特別公演「零の箱式」では、客演として[[西田征史]]・[[室岡悟]]・三宅信太郎の3人が複数のコントに参加している。


=== 笑いの巣 ===
第11回公演「CHERRY BLOSSOM FRONT345」は3,4,5月に桜前線と共に公演されたことが名前の由来である。
[[たりないふたり]]の仕掛け人である安島隆との出会いにより、日本テレビのネット番組である「笑いの巣」に参加している<ref name="ajima92">[[#安島 2023|安島 2023]] 92頁</ref><ref>{{Cite web|和書|title=「たりないふたり」仕掛け人・安島隆「コンプレックスこそが、人生の武器になる」 書籍化決めた“若林の言葉”【はじめに公開】|url=https://www.oricon.co.jp/news/2300052/full/|publisher=お笑いナタリー|date=2023年10月25日|accessdate=2024年1月31日}}</ref>。タッグを組めるような面白い若手芸人を探していた安島は、ラーメンズが出演していたシアターDのライブを偶然訪れた<ref name="ajima92"/><ref name="ajima93">[[#安島 2023|安島 2023]] 93頁</ref>。独特の存在感と劇場の空気を一瞬で変える力に虜になった安島は、ライブ終了後すぐに楽屋を訪ね挨拶を交わしている<ref name="ajima93"/><ref>[[#安島 2023|安島 2023]] 94頁</ref>。


出演決定後の初打ち合わせの席で、小林は当時のネット回線の弱さを考慮した静止画に癖のある歌を付けた歌ネタを提案している<ref>[[#安島 2023|安島 2023]] 95頁</ref><ref name="ajima96">[[#安島 2023|安島 2023]] 96頁</ref>。策略が上手くハマったことにより、ラーメンズの歌ネタ作品は番組終了まで視聴者投票で1位を獲得し続けた<ref name="ajima96"/>。その後、装いを新たにした地上波のコント番組である[[ウラ日テレ]]にも引き続き出演した<ref>[[#安島 2023|安島 2023]] 97頁</ref>。
第17回公演「TOWER」において42000人を超える観客を動員し、これはお笑い単独ライブで最も多い。また、公演箇所が13箇所と最多であった。


== 単独公演 ==
演目タイトルはのちに発売された「小林賢太郎戯曲集」と異なるものもあるが、ここではDVD・VHSのエンドロールにあるものを表記する。
* 第1回公演「箱式」(1998年6月27日-6月28日)
* 第1回公演「箱式」(1998年6月27日~28日、シアターD)
* 第2回公演「箱式第二集」(1998年11月28日-11月29日)
* 第2回公演「箱式第二集」(1998年11月28日~29日、シアターD)
* 第3回公演「箱よさらば。」(1999年5月28日-5月30日)
*第3回公演「箱よさらば。」 (1999年5月28日~30日、シアターD)
* 第4回公演「完全立方体{{~}}PERFECT CUBE{{~}}」(1999年9月3日-9月5日)
*第4回公演「完全立方体~Perfect Cube~ (1999年9月3日~5日、シアターD)
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<div class="NavHead" style="text-align: left;">第5回公演「home」(2000年1月28日-1月30日)</div>
<div class="NavHead" style="text-align: left;">*第5回公演「home」(2000年1月28日~1月30日、シアターサンモール)</div>
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<div class="NavContent" style="text-align: left;">
作・演出 - 小林賢太郎<br>舞台監督 - YANO Jr.
* 無用途人間
<br>音響 - 寺澤信
* 読書対決
<br>照明 - 濱田祐子・松元智美
* 映画マニアの部屋(映画好きの二人)
<br>アシスタント - 豊田竜太
* 縄跳び部
<br>美術 - NIELSEN
* ファン
<br>衣装 - 田名網恭子
* 100万円
<br>デザイン - グッドデザインカンパニー・箱印図案工房
* 漫画家と担当
<br>製作 - 須山裕之
* 無類人間
</div></div>
</div></div>
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<div class="NavHead" style="text-align: left;">第6回公演「FLAT(2000年5月2日-5月14日)</div>
<div class="NavHead" style="text-align: left;">*第6回公演「FLAT (2000年5月2日~5月14日)</div>
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*東京公演 (2000年5月3日~5月5日、シアターサンモール)  
* 初男
*横浜公演 (2000年5月14日、はまぎんホール ヴィアマーレ)
* 埋蔵金
作・演出 - 小林賢太郎<br>舞台監督 - 小林勇
* 海豹
<br>音響 - 寺澤信
* アレグレット
<br>照明 - 濱田祐子・松元智美
* ドーデスという男
<br>アシスタント - 豊田竜太
* 新橋駅をご利用のみなさん
<br>美術 - NIELSEN
* お引っ越し
<br>衣装 - 田名網恭子
* 棒
<br>音楽 - 坪根孝とRTNT楽団
* 透明人間
<br>デザイン - グッドデザインカンパニー・箱印図案工房
* プーチンとマーチン
<br>製作 - 須山裕之
</div></div>
</div></div>
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<div class="NavHead" style="text-align: left;">第7回公演「news」(2000年8月2日-9月2日)</div>
<div class="NavHead" style="text-align: left;">*第7回公演「news」(2000年8月2日~9月2日)</div>
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<div class="NavContent" style="text-align: left;">
*札幌公演 (2000年8月2日~8月3日、[[BLOCH|ルネッサンス・マリアテアトロ]])  
* 私の言葉が見えますか
*福岡公演 (2000年8月12日~8月13日、スカラエスパシオ)
* 読書対決 news篇
*埼玉公演 (2000年8月17日~8月18日、[[彩の国さいたま芸術劇場]]小ホール)  
* バッハ
*大阪公演 (2000年8月21日~8月22日、[[近鉄劇場|近鉄小劇場]])
* 雪男
*東京公演 (2000年8月31日~9月2日、シアタートラム)
* 私の言葉が見えますか(弱気)
作・演出 - 小林賢太郎<br>舞台監督 - 野口毅・小林丈人
* 王様
<br>音響 - 寺澤信
* big news
<br>照明 - 濱田祐子・松元智美
* 英語で話そう
<br>アシスタント - 豊田竜太
* 私の言葉が見えますか(完結)
<br>美術 - NIELSEN
<br>衣装 - 田名網恭子
<br>音楽 - 坪根孝とRTNT楽団
<br>デザイン - グッドデザインカンパニー・箱印図案工房
<br>製作 - 須山裕之
</div></div>
</div></div>
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<div class="NavHead" style="text-align: left;">第8回公演「椿」(2001年1月29日-2月16日)</div>
<div class="NavHead" style="text-align: left;">*第8回公演「椿」(2001年1月29日~2月16日)</div>
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<div class="NavContent" style="text-align: left;">
*東京公演 (2001年1月29日~2月4日、シアターサンモール)
* 時間電話
*大阪公演 (2001年2月15日~2月16日、梅田ヒートビート)
* 心理テスト
作・演出 - 小林賢太郎<br>舞台監督 - 野口毅・小林丈人
* ドラマチックカウント
<br>音響 - 寺澤信
* インタビュー
<br>照明 - 大迫浩二・松元智美
* 心の中の男
<br>アシスタント - 豊田竜太
* 高橋
<br>美術 - NIELSEN
* 斜めの日(斜めになった日)
<br>衣装 - 田名網恭子
* 日本語学校アメリカン
<br>音楽 - 坪根孝とRTNT楽団
* 悪魔が来たりてなんかいう
<br>デザイン - グッドデザインカンパニー・箱印図案工房
<br>製作 - 須山裕之
</div></div>
</div></div>
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<div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;">
<div class="NavHead" style="text-align: left;">第9回公演「鯨」(2001年6月1日-7月8日)</div>
<div class="NavHead" style="text-align: left;">*第9回公演「鯨」(2001年6月1日~7月8日)</div>
<div class="NavContent" style="text-align: left;">
<div class="NavContent" style="text-align: left;">
*福岡公演 (2001年6月1日~6月2日、スカラエスパシオ)
* ことわざ仙人
*仙台公演 (2001年6月5日~6月6日、[[仙台市泉文化創造センター|イズミティ21小ホール]])  
* 超能力
*札幌公演 (2001年6月15日~6月16日、テレコムホール)
* バースデー
*名古屋公演 (2001年6月20日~6月21日、[[愛知県芸術劇場]]小ホール)
* 壷バカ
*大阪公演 (2001年6月23日~6月24日、近鉄小劇場)
* 絵かき歌
*東京公演 (2001年6月28日~7月1日、[[スペース・ゼロ|全労済ホール・スペースゼロ]])
* count
*横浜公演 (2001年7月8日、横浜市教育会館小ホール)  
* アカミー賞
作・演出 - 小林賢太郎<br>舞台監督 - 福田智之・野口毅・加藤保浩
* 器用で不器用な男と不器用で器用な男の話
<br>音響 - 寺澤信
<br>照明 - 大迫浩二・岩崎美緒・松元智美
<br>アシスタント - 豊田竜太
<br>美術 - NIELSEN
<br>衣装 - 田名網恭子
<br>音楽- 坪根孝とRTNT楽団
<br>デザイン - グッドデザインカンパニー
<br>製作 - 須山裕之
</div></div>
</div></div>
<div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;">
<div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;">
<div class="NavHead" style="text-align: left;">特別公演「零の箱式」(2001年8月27日-9月12日)</div>
<div class="NavHead" style="text-align: left;">*特別公演「零の箱式~ヨリヌキ初期作品集~」(2001年8月27日~9月12日)</div>
<div class="NavContent" style="text-align: left;">
<div class="NavContent" style="text-align: left;">
*東京公演 (2001年8月27日~9月2日、シアターサンモール)
* 現代片桐概論
*大阪公演 (2001年9月11日~9月12日、近鉄小劇場)
* 文庫本
* タカシと父さん
* 釣りの朝
* かわいそうなピンクの子犬コロチンの物語
* 片桐教習所
* 日本語学校(フランス篇)
* 小さな会社
</div></div>
</div></div>
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<div class="NavHead" style="text-align: left;">第10回公演「雀」(2001年12月28日-2002年1月27日)</div>
<div class="NavHead" style="text-align: left;">*第10回公演「雀」(2001年12月28日~2002年1月27日)</div>
<div class="NavContent" style="text-align: left;">
<div class="NavContent" style="text-align: left;">
*大阪公演 (2001年12月28日~12月30日、近鉄小劇場)
* お時間様
*東京公演 (2002年1月21日~1月27日、[[本多劇場]])
* 音遊
作・演出 - 小林賢太郎<br>舞台監督 - 海老沢栄
* プレオープン
<br>音響 - 寺澤信
* 許して下さい
<br>照明 - 大迫浩二・松元智美
* 人類創世
<br>アシスタント - 豊田竜太
* ネイノーさん
<br>美術 - NIELSEN
* 男女の気持ち
<br>衣装 - 田名網恭子
* 雀
<br>音楽 - 徳澤青弦
<br>デザイン - グッドデザインカンパニー
<br>製作 - 須山裕之
</div></div>
</div></div>
* 超特別公演「RMS1」(2002年3月12日-3月14日)
* 超特別公演「RMS1」(2002年3月12日~3月14日、本多劇場)
<div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;">
<div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;">
<div class="NavHead" style="text-align: left;">第11回公演「CHERRY BLOSSOM FRONT345」(2002年3月29日-5月12日)</div>
<div class="NavHead" style="text-align: left;">*第11回公演「CHERRY BLOSSOM FRONT345」(2002年3月29日~5月12日)</div>
<div class="NavContent" style="text-align: left;">
<div class="NavContent" style="text-align: left;">
*大阪公演 (2002年3月29日~4月1日、近鉄小劇場)
* 本人不在
*東京公演 (2002年4月15日~4月21日、本多劇場)
* エアメールの嘘
*札幌公演 (2002年5月3日~5月4日、[[北海道立道民活動センター|かでる2・7]])
* レストランそれぞれ
*福岡公演 (2002年5月9日~5月12日、[[ソラリアステージ|西鉄ホール]])  
* 怪傑ギリジン
作・演出 - 小林賢太郎<br>舞台監督 - 野口毅・宇野圭一
* 小説家らしき存在
<br>音響 - 寺澤信
* マーチンとプーチン2
<br>証明 - 大迫浩二・松元智美
* 蒲田の行進曲
<br>アシスタント - 豊田竜太・山田祐香
<br>美術 - NIELSEN
<br>衣装 - 田名網恭子
<br>音楽 - 徳澤青弦
<br>デザイン - グッドデザインカンパニー・箱印図案工房
<br>製作 - 須山裕之
</div></div>
</div></div>
<div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;">
<div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;">
<div class="NavHead" style="text-align: left;">第12回公演「ATOM」(2002年12月25日-2003年1月12日)</div>
<div class="NavHead" style="text-align: left;">*第12回公演「ATOM」(2002年12月25日~2003年1月12日)</div>
<div class="NavContent" style="text-align: left;">
<div class="NavContent" style="text-align: left;">
*大阪公演 (2002年12月25日~12月29日、近鉄小劇場)
* 上下関係
*東京公演 (2003年1月4日~1月12日、シアターサンモール)
* 新噺
作・演出 - 小林賢太郎<br>舞台監督 - 野口毅
* アトム
<br>音響 - 寺澤信
* 路上のギリジン
<br>照明 - 大迫浩二・松元智美
* 採集
<br>アシスタント - 豊田竜太・山田祐香
* アトムより
<br>美術 - NIELSEN
<br>音楽 - 徳澤青弦
<br>デザイン - グッドデザインカンパニー
<br>製作 - 須山裕之
<br>協力 - [[講談社]][[ヤングマガジンアッパーズ]]編集部
</div></div>
</div></div>
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<div class="NavHead" style="text-align: left;">第13回公演「CLASSIC」(2003年3月12日-4月6日)</div>
<div class="NavHead" style="text-align: left;">*第13回公演「CLASSIC」(2003年3月12日~4月6日)</div>
<div class="NavContent" style="text-align: left;">
<div class="NavContent" style="text-align: left;">
*大阪公演 (2003年3月12日~3月16日、近鉄小劇場)
* ベルボーイのホテル旅館化計画
*東京公演 (2003年3月24日~4月6日、本多劇場)
* マリコマリオ
作・演出 - 小林賢太郎<br>舞台監督 - 野口毅・宇野圭一
* 受験
<br>舞台監督助手 - 相田剛志
* ダメ人間
<br>音響 - 寺澤信
* マニアな二人 (DVD未収録)
<br>照明 - 大迫浩二・岩崎美緒
* ギリジンツーリスト
<br>アシスタント - 豊田竜太
* バニーボーイ
<br>美術 - NIELSEN・唐澤明日香・小林賢太郎
* 1313
<br>音楽 - 徳澤青弦
* 帝王閣ホテル応援歌
<br>演出補 - 山田祐香
<br>デザイン - グッドデザインカンパニー
<br>製作 - 須山裕之
</div></div>
</div></div>
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<div class="NavHead" style="text-align: left;">第14回公演「STUDY」(2003年12月26日-2004年2月26日)</div>
<div class="NavHead" style="text-align: left;">*第14回公演「STUDY」(2003年12月26日~2004年2月26日)</div>
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<div class="NavContent" style="text-align: left;">
*大阪公演 (2003年12月26日~12月30日、近鉄小劇場)
* study
*東京公演 (2004年1月3日~1月12日、本多劇場)
* ホコサキ
*福岡公演 (2004年1月31日~2月2日、西鉄ホール)
* QA
*札幌公演 (2004年2月13日~2月14日、[[道新ホール]])
* 科学の子
*東京公演 (2004年2月22日~2月26日、[[ル テアトル銀座 by PARCO|ル・テアトル銀座]])
* 地球の歩き方
作・演出 - 小林賢太郎<br>舞台監督 - 野口毅・埋橋真理
* いろいろマン
<br>音響 - 寺澤信
* 金部
<br>照明 - 大迫浩二・板谷静男
<br>アシスタント - 豊田竜太
<br>小道具製作 - NIELSEN
<br>音楽 - 徳澤青弦
<br>演出補 - 山田祐香
<br>デザイン - グッドデザインカンパニー
<br>製作 - 須山裕之
</div></div>
</div></div>
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<div class="NavHead" style="text-align: left;">第15回公演「ALICE」(2005年1月18日-4月24日)</div>
<div class="NavHead" style="text-align: left;">*第15回公演「ALICE」(2005年1月18日~4月24日)</div>
<div class="NavContent" style="text-align: left;">
<div class="NavContent" style="text-align: left;">
*東京公演 (2005年1月18日~1月30日、本多劇場)
* モーフィング
*札幌公演 (2005年2月4日~2月6日、道新ホール)
* 後藤を待ちながら
*神戸公演 (2005年2月10日~2月13日、[[新神戸オリエンタルシティ|新神戸オリエンタル劇場]])
* 風と桶に関する幾つかの考察
*福岡公演 (2005年2月17日~2月20日、西鉄ホール)
* バニー部
*新潟公演 (2005年2月28日~3月1日、[[長岡リリックホール]]・シアター)
* 甲殻類のワルツ
*仙台公演 (2005年3月8日~3月9日、[[仙台市青年文化センター]]・シアターホール)
* イモムシ
*盛岡公演 (2005年3月10日~3月11日、[[盛岡劇場]]メインホール)
* 不思議の国のニポン
*長崎公演 (2005年3月18日~3月19日、長崎チトセピアホール)
*松山公演 (2005年3月21日、[[松山市民会館]]・中ホール)
*名古屋公演 (2005年3月30日~4月1日、[[名古屋市芸術創造センター]])
*京都公演 (2005年4月3日~4月4日、京都府立文化芸術会館)
*東京公演 (2005年4月11日~4月24日、本多劇場)
作・演出 - 小林賢太郎<br>舞台監督 - 野口毅・海老沢栄・埋橋真理・宇野圭一・川上大二郎
<br>音響 - 丸山真由美・矢島理恵
<br>照明 - 大迫浩二・吉村俊弘・高橋登志江
<br>アシスタント - 豊田竜太
<br>小道具製作 - NIELSEN
<br>音楽 - 徳澤青弦
<br>衣装 - 若林ケイジ・小島謙一(nought)・伊賀大介
<br>演出補 - 山田祐香
<br>デザイン - グッドデザインカンパニー
<br>製作 - 須山裕之
</div></div>
</div></div>
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<div class="NavHead" style="text-align: left;">第16回公演「TEXT」(2007年2月1日-4月1日)</div>
<div class="NavHead" style="text-align: left;">*第16回公演「TEXT」(2007年2月1日~4月1日)</div>
<div class="NavContent" style="text-align: left;">
<div class="NavContent" style="text-align: left;">
*東京公演 (2007年2月1日~2月10日、[[天王洲 銀河劇場]])
* 50 on 5
*神戸公演 (2007年2月21日~2月28日、新神戸オリエンタル劇場)
* 同音異義の交錯
*福岡公演 (2007年3月2日~3月7日、西鉄ホール)
* 不透明な会話
*東京公演 (2007年3月13日~3月25日、[[東京グローブ座]])
* 条例
*札幌公演 (2007年3月28日~4月1日、かでるホール)
* スーパージョッキー
作・演出 - 小林賢太郎<br>舞台監督 - 野口毅・網倉直樹・埋橋真理
* 銀河鉄道の夜のような夜
<br>音響 - 丸山真由美・眞澤則子
<br>照明 - 大迫浩二・吉村俊弘
<br>アシスタント - 川尻恵太
<br>小道具製作 - ちばあけみ
<br>音楽 - 徳澤青弦
<br>衣装 - 若林ケイジ・伊賀大介
<br>演出補 - 山田祐香
<br>デザイン - グッドデザインカンパニー
<br>製作 - 須山裕之
</div></div>
</div></div>
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<div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;">
<div class="NavHead" style="text-align: left;">第17回公演「TOWER」(2009年4月1日-6月28日)</div>
<div class="NavHead" style="text-align: left;">*第17回公演「TOWER」(2009年4月1日~6月28日)</div>
<div class="NavContent" style="text-align: left;">
<div class="NavContent" style="text-align: left;">
*東京公演 (2009年4月1日〜4月12日、本多劇場)
* タワーズ1
*名古屋公演 (2009年4月15日〜4月16日、アートピアホール)
* シャンパンタワーとあやとりとロールケーキ
*大阪公演 (2009年4月20日〜4月22日、サンケイホールブリーゼ)
* 名は体を表す
*京都公演 (2009年4月24日〜4月26日、京都府立文化芸術会館)
* ハイウエスト
*神戸公演 (2009年4月29日〜5月2日、新神戸オリエンタル劇場)
* やめさせないと
*新潟公演 (2009年5月4日〜5月6日、[[新潟市民芸術文化会館|りゅーとぴあ劇場]])
* 五重塔
*高松公演 (2009年5月8日〜5月9日、アルファあなぶきホール・小ホール)
* タワーズ2
*広島公演 (2009年5月11日〜5月14日、[[アステールプラザ]]中ホール)
*山口公演 (2009年5月16日〜5月17日、[[山口情報芸術センター]])
*札幌公演 (2009年5月21日〜5月24日、道新ホール)
*仙台公演 (2009年5月26日〜5月28日、仙台市青年文化センター)
*福岡公演 (2009年6月1日〜6月7日、西鉄ホール)
*長崎公演 (2009年6月9日〜6月10日、チトセピアホール)
*東京公演 (2009年6月15日〜6月28日、東京グローブ座)
</div></div>
</div></div>


情報は<ref name="ishida"/><ref>{{Cite book2|df=ja|chapter=ラーメンズ全公演データ|title=広告批評|volume=2003年9月号|publisher=マドラ出版|pages=91}}</ref><ref>{{Cite|和書|author=小林賢太郎|title=小林賢太郎戯曲集―home FLAT news|page=174~175|date=2002|publisher=[[幻冬舎]]|isbn=978-4344001527|}}</ref><ref>{{Cite|和書|author=小林賢太郎|title=小林賢太郎戯曲集―椿・鯨・雀|page=190~191|date=2004|publisher=[[幻冬舎]]|isbn=978-4344006010|}}</ref><ref>{{Cite|和書|author=小林賢太郎|title=小林賢太郎戯曲集: CHERRY BLOSSOM FRONT 345 ATOM CLASSIC|page=196~197|date=2007|publisher=[[幻冬舎]]|isbn=978-4344013834|}}</ref><ref>{{Cite|和書|author=小林賢太郎|title=STUDY ALICE TEXT―小林賢太郎戯曲集|page=228~230|date=2009|publisher=[[幻冬舎]]|isbn=978-4344016590|}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=ラーメンズ第17回公演『TOWER』|url=https://www.ponycanyon.co.jp/visual/PCBE000012085|publisher=ponycanyon|accessdate=2024年1月31日}}</ref>による。
=== プロデュース公演 ===
* Rahmens presents Golden Balls Live(2005年8月3日-9月19日)
* [[小林賢太郎プロデュース公演|小林賢太郎プロデュース公演 (KKP)]] (コンビでの出演は「[[good day house]]」「[[Sweet7]]」のみ)
* [[カジャラ]] (コンビでの出演は「#1 『大人たるもの』」のみ)

=== その他の公演 ===
* ラーメンズ・テツ&トモ合同ライブ「源氏、博、丈太郎、歌」(1999年10月)
* [[チョコレイトハンター]] ([[東京03|アルファルファ]]、[[オークラ]]とのユニット)
* genico ([[バナナマン]]とのユニット)1st live 「Setagaya genico」(2000年10月3日-4日)
* ライヴ![[君の席]] ([[おぎやはぎ]]、[[バナナマン]]とのユニット)(2002年3月2日-3日)DVD化

=== 客演 ===
* 鈴木の大地([[劇団カムカムミニキーナ]])(1997年)
* ニッキーズ・パビリオン([[故林広志]] 作・演出)(2001年10月19日-21日)


== 出演 ==
== 出演 ==
情報は<ref name="ishida"/><ref>{{Cite web|和書|title=ラーメンズのTV出演情報|url=https://www.oricon.co.jp/prof/172959/tv/|publisher=ORICON NEWS|accessdate=2024年1月30日}}</ref>による。
'''コンビでの出演に限る'''

=== テレビ ===
=== テレビ ===
* [[ブレイクもの!]]([[フジテレビ]])
* [[ブレイクもの!]]([[フジテレビ]])
* [[お笑い向上委員会 笑わせろ!]]([[テレビ朝日]])
* [[新橋ミュージックホール]]([[読売テレビ]])
* [[新橋ミュージックホール]]([[読売テレビ]])
* [[バクマリヤ]](フジテレビ)
* 爆笑オンエアバトル (NHK総合) 戦績13勝4敗 最高512KB ゴールドバトラー認定
* [[爆笑オンエアバトル]] ([[NHK総合テレビジョン|NHK総合]])
** 第1回チャンピオン大会 予選4位敗退
* [[笑点]]([[日本テレビ放送網|日本テレビ]])
** 第2回チャンピオン大会 決勝9位(審査員特別賞受賞)
* [[真夜中の王国]]([[NHK衛星第2テレビジョン|NHK-BS]])
** 番組第1回目に出場して'''初の1位通過及びオーバー500を記録'''(1999年3月27日放送分、512KB)。
* [[笑いがいちばん]] (NHK総合)
* [[完売劇場]]([[テレビ朝日]])キャッチコピーは【芸術知能犯】
* [[ピタゴスイッチ]] (NHK) - コーナで不定期出演
* [[日テレ]](日本テレビ)レギュラー出演
* 笑いの巣([[日本テレビ放送網|本テビ]])
* [[完売劇場]](テレビギュラー出演
* [[ウラ日テレ]](日本テレビ)
* [[たけしの誰でもピカソ]]([[テレビ東京]]
* [[トップランナー]] (NHK総合)
* [[笑点]](日本テレビ)
* [[デジタル・スタジアム]] (NHK総合)
* [[POTSUNEN #小林賢太郎テレビ|小林賢太郎テレビ8]](NHK BSプレミアム) - 小林のソロ番組にコンビ名義で出演
* [[小林賢太郎テレビ|小林賢太郎テレビ8]]([[NHK BSプレミアム]])


=== 映画 ===
=== ネット番組 ===
* 笑いの巣(日本テレビ)
* [[小島淳二]] 『[[Jam Films#Jam Films 2|机上の空論]]』


'''映像作品'''
=== 映像作品 ===
[[小島淳二]]率いるteevee graphicsの映像作品である「VIDEO VICTIM」にラーメンズで参加している<ref>{{Cite book2|df=ja|chapter=小林賢太郎×小島淳二 インタビュー|title=Quick Japan|author=釣木文恵|volume=2005年6月号|publisher=太田出版|pages=138~139}}</ref>。映像内のコントであればラーメンズの良さが活きると小林はアピールしたことによりコラボが実現し、小林の字コンテや脚本を小島が絵コンテに起こして日本人の独特な文化をフォーマットにしていった<ref>{{Cite book2|df=ja|chapter=映画でもCMでもない新しい映像を 小島淳二|title=広告批評|author=島森路子|volume=2003年9月号|publisher=マドラ出版|pages=96~97}}</ref>。
* 『[[THE JAPANESE TRADITION 〜日本の形〜]]』

2004年公開のショートフィルム集「[[Jam Films#Jam Films 2|Jam Films2]]」の一編である「机上の空論」では、男女の恋愛のハウツー講座だけでなく実践編のドラマパートにも出演し、[[市川実日子]]、[[斉木しげる]]らと共演した<ref>{{Cite book2|df=ja|chapter=ラーメンズの映像作品集|title=広告批評|volume=2003年9月号|publisher=マドラ出版|pages=92~95}}</ref>。

* 「VIDEO VICTIM」
* 「VIDEO VICTIM2」
* 「[[THE JAPANESE TRADITION 〜日本の形〜]]」
* 「[[Jam Films#Jam Films 2|机上の空論]]」


=== CM ===
=== CM ===
* [[アップルジャパン]] [[Get a Mac]] - 役割は片桐がパソコン、小林がMac
* [[アップルジャパン]] - 2006年から展開された[[Apple]]による世界的な広告である[[Get a Mac]]にラーメンズが参加し、小林が[[Mac (コンピュータ)|Mac]]、片桐が一般的なパソコン役を演じた<ref name="hayamizu160">[[#速水 2023|速水 2023]] 160頁</ref>
* [[スタジオジブリ]] - もののけ姫のDVDのCMに出演し、映画館の係員に扮した<ref name="neppu"/>。
** Macとパソコン篇
** ウイルス篇
** iLife篇
** 年賀状篇
** 再起動篇
** 円グラフ篇
** セキュリティ篇
** ステップ篇
** iMovie篇
** オフィスの仲間篇
** 膨張篇
** 絵の練習篇
* [[スタジオジブリ]] 『[[もののけ姫]]』 DVD発売告知
* [[東芝]] 企業CM
* [[東芝]] 企業CM
* [[KICK THE CAN CREW]] 「[[magic number (KICK THE CAN CREWのアルバム)|magic number]]」
* [[KICK THE CAN CREW]] 「[[magic number (KICK THE CAN CREWのアルバム)|magic number]]」
'''ラジオCM'''
* [[リクルートホールディングス|リクルート]]
* [[マシェリ]]


=== ラジオ ===
=== ラジオ ===
* ラーメンズのコントの時間(1998年6月6日-27日) [[茨城放送]]
* [[赤坂お笑いD・O・J・O]]([[TBSラジオ]])- 七段を所得
* [[赤坂お笑いD・O・J・O]]([[TBSラジオ]])- 七段を所得


== 作品 ==
=== 客演 ===
* 鈴木の大地([[劇団カムカムミニキーナ]])
<div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;">
* ニッキーズ・パビリオン([[故林広志]] 作・演出)
<div class="NavHead" style="text-align: left;">DVD</div>
<div class="NavContent" style="text-align: left;">
;本公演
※販売元は全て[[ポニーキャニオン]]。発売日順。
* 『Rahmens 0001 select』<ref group="注">2000~2001年までに発表されたコントの中から、一万人のファンから募った人気投票によりセレクトされたベスト10作品集。</ref>(2002年8月21日)
* 『The Box Set of Four Titles Rahmens』<ref group="注">第8回公演『椿』~第10回公演『雀』と特別公演『零の箱式』をDVD化し、収録した4本組DVD-BOX。</ref>(2002年9月29日)
* 『The Box Set of Four Titles Rahmens(2)』<ref group="注">第11回公演『CHERRY BLOSSOM FRONT 345』~第14回公演『STUDY』をDVD化し、収録した4本組DVD-BOX。</ref>(2004年12月15日)
* 第15回公演『ALICE』<ref group="注">それまでの作品は全てVHSかDVD-BOXでの発売のみに限られていたが、本作品からDVD単体で発売されるようになった(後に以前の作品も単体で発売されるようになる)。</ref>(2006年5月17日)
* 第5回公演『home』(2009年3月18日)
* 第16回公演『TEXT』<ref group="注">この公演以降は、blu-rayでも発売されている。</ref>(2009年4月1日)
* 第6回公演『FLAT』<ref group="注">編集上、複数の公演を繋いでいるため、あるコントの中で片桐がシーンによって眼鏡をかけていたりいなかったりする(プーチンとマーチンなど)。</ref>(2009年5月8日)
* 第7回公演『news』(2009年6月3日)
* 第8回公演『椿』(2009年7月1日)
* 第9回公演『鯨』(2009年7月1日)
* 第10回公演『雀』(2009年7月1日)
* 特別公演『零の箱式』<ref group="注">結成初期に披露していたコントの作品集。</ref>(2009年7月1日)
* 第11回公演『CHERRY BLOSSOM FRONT 345』(2009年10月21日)
* 第12回公演『ATOM』(2009年10月21日)
* 第13回公演『CLASSIC』<ref group="注">公演当日に行われていた6番目のコント「マニアな二人」はVHS・DVDには収録されておらず(後に発売された戯曲集も)、また収録されていないこと自体説明されていない(このコントは手品の種明かしや[[機動戦士ガンダム|ガンダム]]、[[プラモデル]]の[[マニア|マニアック]]な知識が織り込まれたものだった)。そのため同VHS・DVDは実際の公演より時間が短く、その代わりに「バニーボーイ」の別バージョンが[[収録]]されている。</ref>(2009年10月21日)
* 第14回公演『STUDY』(2009年10月21日)
* 第17回公演『TOWER』(2010年9月15日)

;その他の公演
* 『ライヴ!!君の席-SPECIAL SIX SEATS-』([[バップ]]、2003年5月21日)
* 小林賢太郎プロデュース公演『good day house』(ポニーキャニオン、2005年4月20日)
* 小林賢太郎プロデュース公演『PAPER RUNNER』(ポニーキャニオン、2005年4月20日)
* 小林賢太郎プロデュース公演『Sweet7』(ポニーキャニオン、2005年8月3日)
* Rahmens presents 『GOLDEN BALLS LIVE』NAMIKIBASHI Satellite mix(ポニーキャニオン、2008年3月19日)
* 小林賢太郎最新コント公演 カジャラ #1『大人たるもの』(ポニーキャニオン、2017年3月15日)

;その他
* 『爆笑オンエアバトル ラーメンズ』(ポニーキャニオン、2001年5月16日)
* 『笑いの巣PRESENTS 君の席1』(バップ、2001年6月21日)
* 『笑いの巣PRESENTS 君の席2』(バップ、2001年8月22日)
* 『笑いの巣PRESENTS 君の席3』(バップ、2001年10月24日)
* 『完売地下劇場 REVENGE Basement1 無源/Basement2 煩悩』(ポニーキャニオン、2005年8月18日)
* 『完売地下劇場 REVENGE Basement3 我流/Basement4 天命』(ポニーキャニオン、2005年10月19日)
* 『完売地下劇場 REVENGE Basement5 武感/Basement6 触界』(ポニーキャニオン、2005年12月22日)
* 『完売地下劇場 REVENGE Basement7 喜受/Basement8 渇愛』(ポニーキャニオン、2006年2月15日)
* 『完売地下劇場 REVENGE Basement9 奪取/Basement10 混迷』(ポニーキャニオン、2006年4月19日)
* 『THE JAPANESE TRADITION ~日本の形~』(アスミック・エース、2007年3月2日)
</div></div>


== 出版 ==
<div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;">
情報は<ref name="ishida"/><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.rahmens.net/otherworks.html |title=other works |accessdate=2024年1月31日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170103181926/http://www.rahmens.net/otherworks.html|archivedate=2017年1月3日}}</ref>による。
<div class="NavHead" style="text-align: left;">VHS</div>
* 『かるた?』(日本テレビ出版、2001年9月)
<div class="NavContent" style="text-align: left;">
;本公演
※第8回以降の販売元は全てポニーキャニオン。発売日順。
* 第6回公演『FLAT』(ポニーキャニオン、2000年8月19日)
* 第7回公演『news』<ref group="注">第5回公演「home」{{~}}第7回公演「news」までは全て販売会社が異なり、特に第7回公演「news」は他の公演とは違って版権が[[バップ]]にあったため、長らくこの三部作をDVDとして発売することは難しいとされていたが、2009年に第5-7回公演のすべてが[[ポニーキャニオン]]によりDVDで発売された。</ref>(バップ、2000年11月22日。現在絶版)
** 『news-NEWS』<ref group="注">第7回公演『news』の舞台裏を映像化したもの。2015年現在、DVD化はされていない。</ref>(バップ、2000年11月22日)
* 第5回公演『home』<ref group="注">本作品と第7回公演『news』のVHSは制作会社の都合上絶版となっている。その後、『news』と共に本作品は2009年3月にDVD発売されている。</ref>(オメガA.T.ミュージック、2001年3月7日。現在絶版)
* 第8回公演『椿』(2001年6月20日)
* 第9回公演『鯨』(2001年11月21日)
* 特別公演『零の箱式』(2001年12月19日)
* 第10回公演『雀』<ref group="注">本作品では[[映像編集|編集]]がおかしい部分が多々ある(具体的には、複数の[[カメラ]]で撮影した同じ[[シーン]]を連続して繋げてあったり、[[音声]]と映像があっていない等)。後に発売されたDVD-BOX内においても修正されていなかったが、2009年リリースの単品/レンタルDVDでようやく修正が施された。</ref>(2002年8月21日)
* 第11回公演『CHERRY BLOSSOM FRONT 345』(2003年2月19日)
* 第12回公演『ATOM』(2003年7月2日)
* 第13回公演『CLASSIC』(2003年12月3日)
* 第14回公演『STUDY』(2004年6月30日)

;その他
* 『ネタde笑辞典ライブ Vol.4』(日本コロムビア、1998年5月21日)
</div></div>

<div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;">
<div class="NavHead" style="text-align: left;">CD</div>
<div class="NavContent" style="text-align: left;">
* 『ラーメンズの日本語学校』(インディーズシングル・3000枚限定。現在絶版)
* 『[[ラーメンズの新日本語学校]]』<ref group="注">以前発売された『ラーメンズの日本語学校』に新録作品を加えて再発された。</ref>(ポニーキャニオン、2006年9月6日)
</div></div>

<div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;">
<div class="NavHead" style="text-align: left;">本</div>
<div class="NavContent" style="text-align: left;">
※個人名義のものは[[小林賢太郎#出版物|小林賢太郎の出版物]]、[[片桐仁#書籍|片桐仁の出版物]]を参照。
* 『かるた?』([[日本テレビ放送網]]、2001年9月。現在絶版)
* 『ラーメンズ つくるひとデコ(凸)』([[太田出版]]、2002年8月)
* 『ラーメンズ つくるひとデコ(凸)』([[太田出版]]、2002年8月)
* 『微妙ハンター』([[ぴあ]]、2003年3月。現在絶版
* 『微妙ハンター』([[ぴあ]]、2003年3月)
</div></div>


== 項目 ==
=== 雑誌 ===
*「ラーメンズのテアトルグラフィカ 平面画劇場」([[角川書店]])
* [[ニイルセン]] 多摩美術大学の同級生。舞台美術を担当
*「LIVING DESIGN」(リビングデザインセンター)
* [[徳澤青弦]] 第9回公演「鯨」以降で音楽を担当。「鯨」では公演最終日に舞台上で[[チェロ]]の生演奏(曲は[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ|バッハ]]の「[[無伴奏チェロ組曲]]第1番ト長調」より前奏曲)を行っている (この様子はVHSやDVDで見ることができる)。
*「ラーメンズの微妙ハンター」(ぴあ関西版)
*「[[Quick Japan]]」


== 脚注 ==
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}

=== 注釈 ===
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}
<references group="注" />


=== 出典 ===
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
{{Reflist|30em}}

== 参考文献 ==
=== 和書 ===
<!-- br -->* {{Cite book2|df=ja|author=オークラ|year=2021|title=自意識とコメディの日々|publisher=[[太田出版]]|isbn=978-4778317799 |ref=オークラ 2021}}
<!-- br -->* {{Cite book2|df=ja|author=安島 隆|year=2023|title=でも、たりなくてよかった たりないテレビ局員と人気芸人のお笑い25年゛もがき史″|publisher=[[KADOKAWA]]|isbn=978-4046063205 |ref=安島 2023}}
<!-- br -->* {{Cite book2|df=ja|author=デザインノート編集部|year=2013|title=デザインノート EXTRA good design company 水野学|publisher=[[誠文堂新光社]]|isbn=978-4416113714 |ref=デザイン 2013}}
**対談 小林賢太郎×水野学 「おもしろくて、うつくしい」最強のコンビ 構成・文 石本真樹 28~31頁
<!-- br -->* {{Cite book2|df=ja|author=水野 学|year=2018|title=アイデア特別編集 good design company 1998-2018|publisher=[[誠文堂新光社]]|isbn=978-4416718339 |ref=水野 2018}}
<!-- br -->* {{Cite book2|df=ja|author=NHK「爆笑オンエアバトル」番組制作グループ 編|year=2000|title=爆笑オンエアバトル|publisher=[[双葉社]]|isbn=978-4575291025 |ref=オンエア 2000}}
<!-- br -->* {{Cite book2|df=ja|author=お笑いTV LIFE編集部|year=2010|title=爆笑オンエアバトル(10→11)―1999→2010「史上最もシビアなお笑い番組」の11年をコンプリート!!|publisher=[[学研プラス]]|isbn=978-4056059113 |ref=TV LIFE 2010}}
<!-- br -->* {{Cite book2|df=ja|author=速水 健朗|year=2023|title=1973年に生まれて: 団塊ジュニア世代の半世紀|publisher=[[東京書籍]]|isbn=978-4487814688 |ref=速水 2023}}
<!-- br -->* {{Cite book2|df=ja|author=西条 昇|year=2007|title=お笑い芸人になる方法|publisher=[[青弓社]]|isbn=978-4787272317 |ref=西条 2007}}
<!-- br -->* {{Cite book2|df=ja|author=松尾 スズキ|year=2003|title=寝言サイズの断末魔|publisher=[[扶桑社]]|isbn=978-4787272317 |ref=松尾 2003}}
<!-- br -->* {{Cite book2|df=ja|author=やついいちろう|year=2019|title=それこそ青春というやつなのだろうな|publisher=[[パルコ]]|isbn=978-4865063042 |ref=やつい 2019}}
<!-- br -->* {{Cite book2|df=ja|author=井山弘幸|year=2005|title=お笑い進化論|publisher=[[青弓社]]|isbn=978-4787232434 |ref=井山 2005}}
<!-- br -->* {{Cite book2|df=ja|author=井山弘幸|year=2007|title=笑いの方程式|publisher=[[化学同人]]|isbn=978-4759813104 |ref=井山 2007}}
<!-- br -->* {{Cite book2|df=ja|year=2001|title=若手お笑いクロニクルGera|publisher=[[キネマ旬報社]]|isbn=978-4873765785 |ref=石田 2001}}
**巻頭ロングインタビュー ラーメンズ 文 石田伸也 2~15頁
<!-- br -->* {{Cite book2|df=ja|author=紙の笑い推進委員会|year=1999|title=お笑い界のニュータイプを探せ!|publisher=[[スタープレス]]|isbn=978-4921159009 |ref=紙の笑い 1999}}

=== 雑誌記事 ===
*『[[Quick Japan]]』([[太田出版]])
*『演劇ぶっく』(演劇ぶっく社)
*『[[テレビブロス]]』([[東京ニュース通信社]])
*『[[広告批評]]』(マドラ出版)
*『[[東京ウォーカー]]』([[KADOKAWA]])


== 外部リンク ==
* {{Wayback |url=http://www.rahmens.net/ |title=ラーメンズ公式サイト}}(閉鎖)
* {{YouTube|c=UCQ75mjyRYZbprTUwO5kP8ig|ラーメンズ公式}}
* [https://web.archive.org/web/20140622192644/http://www.twinkle-co.co.jp:80/talent/rahmens.html トゥインクル・コーポレーションによるプロフィール](削除)


{{爆笑オンエアバトルゴールドバトラー}}
{{爆笑オンエアバトルゴールドバトラー}}

2024年2月29日 (木) 09:54時点における版

ラーメンズ
メンバー 小林賢太郎
片桐仁
結成年 1996年
事務所 スタジオコンテナ(小林賢太郎)
トゥインクル・コーポレーション(片桐仁)
活動時期 1996年 - 2020年
出会い 多摩美術大学
芸種 コント
過去の代表番組 完売劇場
爆笑オンエアバトル
受賞歴
2000年 爆笑オンエアバトル第2回チャンピオン大会 審査員特別賞
テンプレートを表示
YouTube
チャンネル
ジャンル コント
登録者数 25.1万人
総再生回数 62,404,881回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2024年1月31日時点。
テンプレートを表示

ラーメンズは、小林賢太郎片桐仁によるコントグループ。多摩美術大学の同級生により在学中に結成され、「アート系」、「知的」、「演劇的」、「不条理」と形容されるコントで劇場を中心に活動した[1][2]。2020年に小林賢太郎が芸能活動を引退し活動を終了した[3]

メンバー

身長182cm、血液型A型。劇作家、演出家。パフォーマーとしても活動していた。趣味は手品、絵画。特技はパントマイム。
身長176cm、血液型B型。俳優、彫刻家としても活動している。趣味はプラモデル。特技は彫刻。

歴史

出会い

二人は多摩美術大学の版画科の同級生であり、小林賢太郎は木版画専攻、片桐仁はリトグラフを専攻していた[5]

小林は中学校の演劇大会で製作を担当し魅力にハマると、高校時代には演劇部に所属し芝居の前座でコントをしていた[6][7]。大学でもお笑いがやりたかった小林はお笑いについて友人に積極的に話しかけ、録画したお笑い番組を見せていく中で笑いのツボが一致したのが片桐だった[6][7]。片桐は元々演じることに興味はあったが、高校時代には勇気が出ずに演劇部に所属することはなかった[8]。当初お笑いに興味はなかったが、大学デビューで目立ちたかった片桐に「お笑いをやればモテる」という小林の言葉が刺さり、誘われる内にのめり込んでいった[9][10][6]。また両者ともに、絵が上手い学生ばかりという美大の環境で挫折を味わい、お笑いを自分たちの新しい表現手段として考えるようになっていった[10][9]

片桐は大学デビューに必死で、小林の目から見ても周りで一番面白い人間に写っていた[10][9]。引け目からキャラが強くクラスの人気者である片桐を誘えずにいた小林だったが、別の相方を探している内に自分にないものを持っている片桐が適任だという思いが強くなり、大学3年時にコンビ結成となった[9][10][11]。在学時の多摩美術大学にはお笑いサークルが存在せず、活動を停止していた落語研究会を復活させる形で落語をしない「オチケン」というサークルを自分たちで作っている[10][注釈 1]

1990年中頃に田辺エージェンシー主催の大学対抗のお笑い選手権が開催されており、4年次の第2回大会に出場を希望したが既に参加が締め切られていた[12][13]。事務所の担当者に審査対象外としてネタを見てもらったところ、冗談リーグという若手ライブに出演することになった[5][14][15]。その後事務所に所属することになり第3回大会に出場しているが、関東大会のベスト8で敗退している[16][注釈 2]

コンビ名

コンビ名は大学対抗戦に出場するためにとりあえずつけたもので、ある日小林がラーメン屋から電話をかけてきて「ラーメンズはどう?」と提案したことで決定した[5][18]。由来は後付けの適当なものであり、ファンからドイツ語のラーメンから来ているのではという質問に嘘で肯定したり、ラーメンの仕事が来るかもしれないという安易な理由もあった[18]。コンビとしての活動が定まるまでは頻繁にコンビ名を変えていて、一番最初に付けたコンビ名は大学の同級生であるニイルセンに便乗した「ニイルセンズ」というものであった[19]

活動初期

活動初期は片桐がボケで小林がツッコミを担当する漫才スタイルで、差別ネタや下ネタも扱っていた[9][18]。 売れない時期はライブでもウケず、コンビ仲が悪い期間もあった[18]。1997年末のバナナマンとの出会いを通して、裏をかくような笑い場所や演技の巧みさに刺激を受けて、ラーメンズをもう少し頑張ってみようという気持ちになった[18]

オークラによると、漫才もやっていたスタイルが確立される前のラーメンズは印象が薄かったが、1998年3月のライブでスタイルを見つけたラーメンズの変貌ぶりにオークラは驚いており、「できるかな」のパロディコントをバナナマンを初めて見た時の衝撃と同等に語っている[20][21][22]。スタイルがコントになると「日本語学校」のネタなどでオーディションにも受かるようになっていき、ライブシーンでシュールなお笑いが流行すると赤坂お笑いD・O・J・Oで頭角を現し、毎月の事務所ライブでも目当ての観客で満員になっていった[18][23][24]

1998年6月末に第1回の単独公演「箱式」が行われた[25]シアターDの支配人であった矢野Jr.より片桐へ単独公演の打診があり、小林も前向きな姿勢を見せていたため開催はすぐに決まった[25]。小林は既に出来上がった10本のネタでライブに臨もうとしていたが、「単独公演用の新ネタを作るべき」という設楽統のアドバイスから全て新ネタで構成された[26]。1998年11月末に行われた第2回公演の「箱式第二集」では、第1回公演でウケが悪かったブラックな笑いの方向性を変え、客演の参加やSEを用いたコントもあった[25]

第3回公演の「箱よさらば」の頃には衣装替えなし、セットなしのスタイルの礎が固まっていき、他の芸人には見られないラーメンズ独特の世界観が確立されていった[25][27]。公演タイトルの箱はシアターDのことであり、当初から3回で終わりにする予定だったので「さらば」と冠して行われた[25]。しかし、公演を終えると物足りない感情があり、第4回公演でモヤモヤを解消するため「完全立方体」という公演名が付けられた[25]。第4回公演は2時間で計12本のコントを演じるオムニバスのような展開で、シアターDでの公演に満足した小林は翌日から新しいネタの執筆に取り掛かっている[25]

ラーメンズにとって1999年の爆笑オンエアバトルへの参加が転機となった[18]。ポイント上位の5組が放送されるオンエアバトルにおいて、7週の内6週で勝ち抜き毎月のようにテレビで露出すると、他事務所ライブや学園祭に呼ばれるようになり公演のチケットが売れるようになった[28][18]。第1回公演、第2回公演は知り合いへの手売りをしていなかったため、収容人数が100人のシアターDで3回公演合わせて200人程の動員だった[29]。オンエアバトル出演後の第3回公演は、チケットを求める客が行列になり立ち見客がでるほどになっていた[29]

2000年

ラーメンズの第2期である2000年には、舞台にこだわり3ヶ月に1回というハイペースで単独公演を敢行している[30][25][注釈 3]

第5回公演の「home」では300人規模の会場が埋まるか心配もあったが、 初めてチケットが即完売する売れ行きで全体で1500人の動員となった[25]。また、劇場が大きくなったことで、小さい表情の演技の修正や声の出し方の工夫がとられた[25]

2000年5月の第6回公演「FLAT」でもチケットはプレミアで即日完売し、追加公演も行われた[7][28]。小林が「重くて硬いものだった」と表現する「home」とは違い、肩の力を抜いてテーマを設定せず、パントマイムを多用するなど手数の多さを披露している[31][25]。また、ラーメンズにとって初めてビデオ化された公演となった[25]

2000年8月に行われた初の全国ツアー公演である第7回公演「news」では、札幌、福岡、埼玉、大阪、東京の5都市を訪れた[30][32]。地方で初めて観劇する人向けに、序盤に知名度のある「読書対決」のネタを採用している[32]。公演名は全国ツアーで東西南北を回ることから、それぞれの英単語の頭文字を取ったものである[25]。また、ポスターデザインの公演名に鳥が止まっていること、イメージカラーが青ということから、青い鳥になって幸せを各地に運ぼうという裏テーマがあった[25]。売れる前のラーメンズは三軒茶屋のシアタートラムでいつかやろうと意気込んでいたが、「news」の頃には立ち見不可のため入れない客もいるほどの人気になっていた[29]

2001年

前年の三作がアルファベット4文字だったので、2001年の三部作の公演タイトルは初期の「箱式」のような日本語に戻してみようと思い、インパクトのある漢字一文字で統一され、2音目に濁音が入ることが共通している[33][34]。また、椿、鯨、雀の共通点として日本的ということもあり、幕間の音楽に和風の音源を使用した[35]

第8回公演「椿」のテーマは潔さで、椿の花が落ちる儚さから感じるエロスも表現しようとしており、第9回公演「鯨」では一見強そうに見えるがどこか守りたくなる鯨の二面性を裏テーマにした[33][34]。ライターの石田伸也は「鯨」について評価が分かれる公演になったのは、会場が500人規模になり観客に伝わりづらくなったからではないかと理由を指摘している[25]。いつものラーメンズとは違ったとアンケートに書いた観客もいたが、森山裕之は公演時点で最高傑作だと表した[1]

「鯨」では観客動員が7500人にまで増加し、公演はビデオ化するのが当たり前になり販売チャートでも上位にランクインしていた[36][25]。2001年の7月には5年半続けていたバイトも退職し、ラーメンズの仕事だけで生活できるようになっている[37]。一方この頃のラーメンズは連載の仕事が増え始め、単独公演や特別公演の合間にユニットコントに参加する多忙ぶりで、「椿」のチラシの挨拶では「心身共に疲れた状態でネタを書き始めた」と小林自ら明かしており、オークラにも顔色が悪かったと心配されていた[25][10][38][39][40]

2001年8月から9月にかけて行われた「零の箱式~ヨリヌキ初期作品集~」では、第1回から4回までのコント集の中から厳選した作品が演じられた[41]。開催にあたって初期の作品を映像化したいポニーキャニオンからの依頼があり、著作権的に問題がある作品を除いて「現代片桐概論」、「たかしと父さん」、出世作である「日本語学校」などが選出された[25][41]

2002年~2004年

プロデュース公演などラーメンズとは別の活動を経て7ヶ月ぶりとなった第12回公演の「ATOM」は、改めてラーメンズと向き合ったものとなった[42]。初めて300人規模で公演を行ったシアターサンモールを劇場に選び、その時の公演がhomeとアルファベット4文字だったこと、初心に戻るのだからAから始まる単語を探し公演名はATOMに決まった[42]。単語には「これ以上分割できない最小単位」という意味があり、小林の目指す無駄が削ぎ落とされた二人の会話劇に一致するところもあった[42]

第12回公演からわずか2ヶ月の間隔で行われた第13回公演「CLASSIC」は、観劇したライターがお祭り騒ぎのようなライブと評するものであった[43]。小林が元々語感が好みだったCLASSICという単語を辞書で引くと、典型や定番といった意味があることを発見し、「脱典型を目指すラーメンズの典型を出す」という公演テーマが決定した[43]。前公演の「ATOM」がメッセージ性が強かったため、中身が何も無いような作品作りを目指した[43]。マジックとガンダムのオタクのコントはそれぞれの趣味が反映されており、ガンダム用語については片桐自身が用意した知識が用いられている[43]

「過去、最バカ」という製作メモがあった「CLASSIC」を経て、第14回公演「STUDY」では小林本人も不親切な作品だと認めるATOMのような思考するコントに再び挑戦している[43][44]。ラーメンズの認知度が無かった頃は3部作でテーマを合わせていたが、この頃になると一つ一つの公演を特別なものにしようとして統一感が無くなっている[45]

2005年~2007年

1年ぶりの本公演で結成10年目の全国ツアーとなった第15回公演「ALICE」は、11都市63ステージのチケットが即完売した[46][47]。初見の観客向けにあえて敷居を下げたコントも採用され、「バニー部」はキャラクター性が強く台本がほとんど無いようなものであった [47]

2007年の第16回公演「TEXT」では、小林自身がロジカル、方程式と表現するコントが実際に観客に受け入れられるかが不安で、初日はまるで答え合わせのような心持ちであった[48]。「TEXT」というタイトルが先に決まっていたが、当初言葉にこだわった公演になる予定はなかった[48]。タイトルに引き寄せられるように普段バカにされがちな駄洒落でスゴいコントを作りたいという思いが芽生え、1本目の50音ポスターのネタでは実際にポスターを購入し、2本目の同音異義語のネタでは調査に時間をかけネタを作っていった[48]。結成当時から思い描いていた削ぎ落したスタイルに試行錯誤の末にたどり着き、小林は「ラーメンズ」というものを提示できた自負があった[48]。小林はソロ活動やユニット公演を経て手数や武器が増えたと感じており、2時間でコントが6本とひとつひとつが長いコントを成立させ、取材を担当した石本真樹は「見事な言葉遊びの連続」と評した[48]

演劇ぶっくが開催する読者投票による2007年のランキングでは、作品部門の5位にTEXTがランクインしている[49]。投票理由について日本語表現の巧みさに驚いた声や、作り込まれた台本を評価する声があった[49]。個人でも俳優部門で小林が1位、4位に片桐がランクインしており、小林の脚本、片桐のキャラクターパワーに称賛が集まっている[50]

2009年~2020年

第17回公演「TOWER」は「TEXT」から2年という間隔が空いていることもあり、開演時には私語がピたっと止まるほど、客席の緊張感がすごかったと片桐は振り返っている[51]。小林としてはラーメンズ以外の作品を作り続けていたので、2年も時間が空いた感覚がなかった[51]。「TOWER」という公演名には、お笑いとしても演劇としてもあらゆる角度から成立し、なおかつ大きなものを作りたいという思いが込められている[51]

冒頭のコントは1分間直立不動し「二人がラーメンズ」と言わんばかりのもので、あやとりを用いたコントではあえて面白い瞬間を見せないという手法もとった[52]。「名は体を表す」はコントでありながら一つの話題について話し合い続け、「透明人間」と同様の漫才としても成立する構成となっている[52]。日毎に改善点を話し合いまるで育っていく公演のようで、小林はラーメンズの全17公演で一番好きかもしれないとインタビューで答えている[51][52]

小林は「TOWER」公演から1年後のインタビューで、「観客の知識や期待のハードルが上がっており、ラーメンズは来るべき位置に来ている。」と答えている [53]。その後7年間ラーメンズとしての活動が無く、2016年の小林賢太郎テレビ8において2009年ぶりに二人の共演が実現した[54]。また、2016年7月27日より行われた小林演出のコント公演「カジャラ」にも片桐が出演したことで、舞台上での共演を果たした[55][56]。 片桐は解散を否定しラーメンズのライブ活動について意欲を示していたが、小林はテレビで活動する普通のお笑いコンビと違うことや、脚本・演出家と主演俳優のような関係になっていることを挙げ、TOWER以前の公演でも間隔が2年以上空いたことがあるので特別なことではないと強調した[18][54]

2017年1月1日、ソフト化されていたコント100本がYouTube上で公開された[57]。関係者の同意のもとに行われており、広告収入は日本赤十字社を通して災害支援に使われることが報告されている[57]

2020年12月1日、11月16日をもって小林賢太郎が芸能活動を引退したことが発表された[58]。理由の一つに足を悪くしたことでパフォーマンスに影響が出ていることを挙げており、4~5年前から考慮してのことだった[58]。活動初期から交流があったおぎやはぎエレキコミックはラジオでニュースに触れながら思い出を話し、鬼龍院翔梶裕貴RAM RIDERらもTwitterでコメントを寄せた[59][60][61][62]

芸風

ネタ作り

小林のネタ書きは1日3時間ほどで、細かい部分は立ち稽古で擦り合わせていた[6]。まず人間同士の関係を考えており、その関係にどんなキャラクターを当てはめたら面白いかアイディアを出している[63]。小林のネタ作成のマニュアルのひとつに「舞台が立体である」という考えがあり、机上で会話劇を作っていると横関係になりがちだが、一度できたコントを視点を変えて修正を行っている[37]

小林から見ると片桐は台詞覚えが得意であるが、他方で台本がないと上手くパフォーマンスが発揮できず、そんな片桐を活かすため作りこまれたコントのスタイルが確立した[64][37]。一方、片桐の瞬発的な変顔や声が武器であることから、あえて台本でも「変な動き」と抽象的に書くこともある[10]。また、片桐は漫画のキャラクターのような存在感を持っており、言いづらい台詞を嫌な感じにさせない演技ができることから、片桐のセリフ部分に担当させることがある[64]

作品であると同時に商品だという意識を持っており、最初期を除いて体型やダメな部分を笑い人が傷つくような表現を避けている[6][64]。男同士の会話劇なので下ネタが出ることもあるが、親子連れで見に来ている観客を想定すると下ネタはやり辛く、ディズニーランドのような嘘で構成したい思いを持っていた[65]。また、時事ネタは作品の寿命が縮まるため基本的に取り入れていない[66]。定番化したギャグも、初見と常連の観客の間で予備知識の差で感じ方が変わってしまうため採用していない[67]

ラーメンズの作品に歌ネタが多い理由について、劇中の二人が揃って歌うのはリアルではないが、練習をしていた突飛な事実を仄めかせることができるので、ラーメンズが表現している「非日常の中の日常」を生きている人物の世界観を出すのに便利な道具として歌ネタを用いている[67]

舞台構成

まず、身体だけで作り出せる笑いを追求しようと、シンプルな舞台美術や衣装からスタートしている[6]。第3回公演になると、舞台上は背景に無地の布が張られ、小道具も箱だけの最小限の要素だけで構成された[6][5]。舞台や衣装に目立つ部分があると脚本が弱くても成立してしまうという、小林の自分自身の追い詰めかたが表れている[64]。また、無地の衣装を纏うと匿名性が高くなることによって、観客それぞれにとって身近な生活のリアリティを想像させるのを狙っている[37]。小林にとって箱は中身が見えないものの象徴であり、Tシャツやポスターに使われるキャッチコピーのTHE BOX FILLED WITH LAUGH.は、文法的には正しくないが「箱は笑いで埋め尽くされた」を意味している[31]

お笑いと演劇の間

小林はラーメンズを「笑いの要素の強い演劇的パフォーマンス」と称し、あえて「お笑い」という枠に自分達を嵌め込まなかった[9]。ボケとツッコミがあるという固定観念から外れて、笑わせるためにはどのような方法があるだろうか考え、ゼロからラーメンズのスタイルを作っていった[68]。一人が全く喋らないコントなどで新しいお笑いと言われたこともあるが、「他の人はどうしてここに手をつけてないんだろう?」と本人たちは普通にやっているつもりで、自分達が作ったルールの中で1番になれると思っていた[37][68]

片桐はラーメンズ以外の芝居にも参加する中で求められるものがストーリーだと感じ、翻ってラーメンズに求められるものはやっぱりお笑いなのではないかと感じていた[64]。それを受けて小林は、それは目的の話であり、一般的なお笑いのイメージにはやっぱりラーメンズはいないんじゃないかと返答している[64]

作品構造

一般的なコントは冒頭に状況説明や登場人物の紹介があるが、省略しているラーメンズのコントを岡崎太威は「いきなりサビが始まるかのよう」と表現している[5]。インタビューで小林は「ジグソーパズルが最後に嵌まる気持ちよさを味わってほしい」と答えており、物語の全容が見えてこない構成も意図したものである[5]。小林は、人物がいて関係性があり、キャラクターが会話すれば自然に発生するラーメンズの笑いの作用を、科学より数学や物理に近いとし、100を越えるラーメンズのコントのなかで、20本は他者が演じても面白く成立するマスターピースになったと自信を持っている[11][69]

現代片桐概論

「現代片桐概論」は、架空の生物である「カタギリ」の教材用模型に扮した片桐が、直立不動で黙ったまま進んでいくコントである[70][37]。架空の生物学を真面目に講義する教員役の小林が、あるあるネタのように所作や話し方をリアルに演じる落差がコントの魅力になっている[70][71]。元々はシアターDのオールスターライブ用に作られたネタで、片桐のパフォーマンスに納得していなかった小林の「じゃあ何もさせなければいいじゃないか」という思惑が反映されている[25]

井山弘幸が大学の講義で片桐概論を扱った際、実際にカタギリという生物が存在すると勘違いしてしまった学生がいた[72]。そのことから、架空の生物について書かれたとネタ晴らしをせず、学術書の体裁を崩さない鼻行類との類似点を指摘している[72]

読書対決

「読書対決」はそれぞれが朗読する本の面白さを競っているが、いつの間にか本の内容から逸脱しエスカレートしていくというネタである[73][74]。「ロミオとジュリエット」と「」の対決では、「あなたはどうしてロミオなの?」という有名なセリフに「ああ鼻、どうして前についているの?」と返し、最後は「ミミオとハナエット」ともじり耳鼻科の由来だと勝ち誇る、シュールな性質が強いオチとなっている[74][75][76]

日本語学校

「日本語学校」は、とある語学学校の教師役の小林のセリフを生徒役の片桐が復唱するコントで、フランス編やイタリア編などシリーズ化されている[77]。 アフリカ人がでたらめな日本語を学ぶニュースを見たことに加え、小林がヤン・シュヴァンクマイエルに会いにチェコを訪れた際に、電車内で外国人が「日本語」という本を持ち「コレハリンゴデスカ」と練習していた光景から着想を得ている[25]

歴史上の単語が語感が似たものに置き換わっていく言葉遊びのような「日本語学校アメリカン」から、普通の会話をいかにも意味ありげに朗読することによって、不穏な空気を演出しているフランス編とシリーズの中でも幅がある[78][79][80]。イタリア編では都道府県名をイタリア語風に読み上げたり、組み合わせて奇妙な言葉を生み出しており、アスキーアートキャラを用いた動画化によって人気コンテンツになっていた[81]

インディーズで発売された「日本語学校」のCDはプレミアがつくほどの貴重さで、新しいバージョンを追加し「ラーメンズの新日本語学校」として新たに発売された[82]

できるかな

「できるかな」はNHK教育できるかなパロディにしたコントで、本来は喋らないノッポさんが過激な発言をするという内容になっている[83]。ラーメンズのコントスタイルを決定づけた作品であり、初の単独ライブの開催へ踏み切るきっかけになった一本である[10]。小林は、業界独特の価値観を外側から観察して面白いと感じた部分をコントにしただけであり、業界を皮肉っているつもりはなかった[10]

2020年東京オリンピック開催直前に、コント中の「ユダヤ人大量虐殺ごっこ」というホロコーストをネタにしたセリフが問題視され、小林が五輪開閉会式ディレクターを解任された原因となった[84]。小林は謝罪コメントの中で、浅はかな方法だったと非を認めており、片桐も意識が低かったと謝罪コメントを出している[85][86]

太田光は解任は止む無しとしながらも、「できるかな」という番組の偽善性を茶化すためのセリフだったと解説を付け加えている[83]

評価・影響

ラーメンズがシティボーイズイッセー尾形への尊敬を公言していることから、デザイナーの伊藤弘や高橋幸宏はその影響について論評している[28][64][87]。伊藤は、スタイリッシュでお笑いと演劇の間で分類が難しいスタイルは、シティボーイズやラジカル・ガジベリビンバ・システムの影響を感じながらも、ラーメンズにはテーマ性を強く感じていない[87]。むしろ、ラーメンズの作品はディテールの断片を組み上げているのが特徴で、初期は粗削りな部分が残されていたが、作品を重ねるごとに完成形がきれいな形になっていったと変遷を述べている[87]。「news」公演を観劇していた高橋も同様にシティボーイズやラジカル・ガジベリビンバ・システムの影響を感じており、関西芸人のようなスピード感やボケと突っ込みの定型も感じないが、関西のお笑いに対するアンチではなく本質は「意味のないバカバカしさ」としている[87]

DJの田中知之は、見る者に知的さを要求するシティボーイズやイッセー尾形との類似性を語りながら、分からない人を突き放す排他性が無く嚙み砕いている姿勢を評価している[87]。一方、アドリブの天才として松本人志の名前を挙げて論評しており、計算されたスタイルのラーメンズを対極に置いている[87]

ラーメンズのキャラクターの薄さも指摘されることが多く、伊藤は「現代片桐概論」で片桐が背負われているシーンを例に挙げ、まるで人形のようだと表現している[87]。高橋はスネークマンショーと比較し、小林克也伊武雅刀のキャラが立っているのに対し、濃い風貌の片桐でさえ薄く感じるほどラーメンズは顔が見えないと評した[87]。田中は、シティボーイズとの違いに匿名性を挙げ、コントの中でラッパーや落語家に扮してもどういう人かはっきりせず、それゆえ知らない人が見ても面白いところが魅力だとしている[87]

宮藤官九郎はシンプルで完成された台本なのにどこか不完全な部分があり、翌日の公演では変化があると思わせてくれるところが好きだと小林との対談で答えている[65]菊地成孔はラーメンズの堅実な音楽の使い方を評価し、文学や演劇の観点からみてもファインアートとして成立していると言及している[88][89]

自身の短編映像である百式眼鏡で小林と共演した椎名林檎や、小林賢太郎テレビに出演した壇蜜大泉洋はラーメンズのファンを公言している[87][90][54]。ラッパーのKREVAはラーメンズを高く評価し、コントのセリフをサンプリングし楽曲のCMに二人を起用している[87]。ラーメンズの作品を「計算していないように見せかけて、計算している部分」と「計算していなかったけど、計算したかのように振る舞っているところ」で構成されていると表現し、コント中で披露したラップの韻の踏み方に同じ言葉を使うアーティストとして刺激を受けている[87]

ますだおかだ増田英彦は、普通のお笑いコンビだったら15秒に1度は笑いのポイントを作るがラーメンズは1分に1回の少なさでも成立しており、それを受け入れている観客を育てていることも合わせて評価している[91]。桧山珠美は観客がラーメンズの一挙手一投足に集中し客席の笑いの引きが早い様を見て、サッカーのサポーターが12人目の選手と言われるように観客は3人目のラーメンズなのではないかと表現した[92]

ロングコートダディの堂前透やダウ90000蓮見翔は、学生時代に見たラーメンズの映像に影響を受けたと語っている[93][94]男性ブランコは浦井、平井共にラーメンズファンであることを公言しており、大学生の頃に「TOWER」を観劇している[95]。生で目にした舞台構成に注目し、自分たちの単独ライブで再現しようとしていた[95]

落語界では元々お笑い芸人を志していた落語家の立川吉笑は椿・鯨・雀をDVDで見て衝撃を受けており、後に15回公演「ALICE」を劇場で観劇している[96]。2000年3月の第2回オンエアバトルチャンピオン大会で特別賞を授与した立川談志は、イリュージョンを扱う芸人にラーメンズの名を挙げ「芸術に一番近い」と表した[25][97][98]

コントのネタ台本そのままが戯曲として成立することから、「小林賢太郎戯曲集」として出版されている[99]。戯曲集の出版はお笑い芸人で初めてであり、複数の出版社の競争もあった[99]。小林賢太郎戯曲集を読んだ劇作家の飯島早苗は、演劇的とはいえコント台本であり、ラーメンズの作品となれば勝手に期待値が上がると身構えながらも、歴史上の有名人物を外国人風に連呼するネタの「日本語学校アメリカン」を例に挙げ、文章を読んでいるだけで面白いと感じ理屈では説明できない本能的な笑いと評した[100]

ユニット公演

チョコレイトハンター

1999年2月に小林、豊本明長、オークラの3名で行ったコントユニット「チョコレイトハンター」が思うように上手くいかず、それぞれの相方を加えリベンジとして再結成された新制チョコレイトハンターにラーメンズとして参加している[101][102][103]。ネタ作りを担当する小林、オークラが忙しくなってきた時期ということもあり、小林は「今世紀最後にして最低のアイドル芸人」というキャッチコピーで、遊びの要素があるユニットコントだということを演出した[103]。コンセプト通りに2000年12月をもって解散した[104]

setagaya genico

1998年頃からバナナマンとラーメンズの交流が始まり、設楽の提案により「genico」というコントユニットが結成された[105]。公演が行われた2000年10月当時のバナナマン、ラーメンズは東京のライブシーンで際立つ2組であり、芸人仲間やお笑いファンから注目が集まっていた[106]。ネタ担当の設楽、小林、作家として参加していたオークラの3名の話し合いによりネタ作りが進められたが、お互い譲れない部分もあり結果として先輩である設楽が主導権を握ることになり、オークラは出来上がったコントについて「ラーメンズがバナナマンの世界観に参加したようだった」と振り返っている[105][102]

小林はバナナマンのライブを見て「自分達にはできない」と称賛しており、楽屋で積極的に話しかけにいっていたこともあって、合同ライブができて光栄と語っている[107]

君の席

君の席は、2000年に放送を開始したコント番組・ウラ日テレにおいて共演していたバナナマン、おぎやはぎ、ラーメンズの3組により結成されたコントユニットである[108][109]。番組制作を担当していた日テレの安島隆、オークラも演出に携わり、泉谷しげるの楽曲からユニットに「君の席」という名前が付けられた[110][109]。ライブは2002年3月2日、3日に行われたが、ラーメンズは1カ月前の1月27日に第10回単独公演の「雀」が終わったばかりで、更に3月12日から特別公演、3月29日から第11回単独公演の「CHERRY BLOSSOM FRONT345」が控えており、ラーメンズが非常に忙しかったこともあり小林はネタ作りに参加せず設楽とオークラが担当した[38][39][40]

KKP

演劇的な作品を作りたいという小林の意思により、2000年8月から立ち上げられた小林賢太郎プロデュース公演に片桐が参加している[111]。片桐は1作目のgood day house、2作目のSweet7、3作目のPaper Runnerの3作品に看板役者として出演した[112][113][114]

GOLDEN BALLS LIVE

KKPはラーメンズが演劇寄りと評されることから、「コント寄りの演劇」を作ってみようというアイディアにより立ち上げられた[115]。一方、コント寄りの演劇と、演劇よりのコントの間を考えた際に生まれたのが、Rahmens Presents GOLDEN BALLS LIVEである[115]。主催のラーメンズに加え、久ヶ沢徹西田征史野間口徹らが参加し大人数のコントが披露された[115]。セット美術は片桐が担当している[116]

美術・音楽

第17回公演「TOWER」のポスター

活動初期のポスターやチラシは小林がデザインをしていたが、第5回公演の「home」からクリエイティブディレクターである水野学のgood design companyが制作に参加している[117]。水野とラーメンズの二人は多摩美の同期であり、在学中は会えば話すぐらいの関係であった[117]。水野が社会人3年目に第1回公演「箱式」を観劇する機会があり、終演後のアンケートのDM希望欄に「作る」と書いたことがきっかけで仕事を通してラーメンズと関わることになった[117][118]

水野はデザイン会社ドラフトに勤めていた時に、「ブランドの10年後、20年後を考えなければダメだ」と教えられており、その方針に沿ってラーメンズをブランディングした[117]。劇場を中心に活動し露出が少ないラーメンズということもあり、ポスターには極力二人の顔を使っていない[2]。ファンからはチラシに顔が欲しいという要望もあったが、まだ露出には早いということで椿、鯨、雀の3公演のポスターでは下部に二人の顔が見切れる形で配置した[117]

「ファンであることを自信に思える、ポスターを持っていたくなる」をコンセプトに、チラシも宣伝用ではなく公演に来た人に渡すものになっていった[2][119]。初期から予算不足を補うために、期限切れのフィルムを使用するなど工夫がされている[120]。「STUDY」での鉛筆柄に角がカットされている加工や、鏡の国のアリスの連想から鏡文字を使用した「ALICE」のポスターは広告としては意味を成さないが、ラーメンズの作品の一部として成立している[117][121]

小林のほとんどの公演で関わる舞台監督の野口毅は「NEWS」から、徳澤青弦は2001年の「鯨」から音楽を担当している[122]。鯨では、チェロを使いたいという小林の要望に答えて全編チェロで作曲したが、徳澤の「チェロだけではないですよ」というアピールから、ラーメンズのその後の公演でも製作に携わっている[122]伊賀大介椎名林檎の映像作品・百色眼鏡で小林と一緒に仕事をした縁から、「アリス」のスタイリストを担当した[123]。大学時代の同級生であるニイルセンは、1999年から舞台美術でラーメンズの公演に関わっている[124]

テレビについて

ラーメンズはメディアでの露出を避けており、小林はテレビが苦手な理由に、一方向的なメディアということを挙げている[125]。片桐から見ても、「なんでも自分でやりたくなってしまう」小林の意図と製作側の演出がぶつかりイライラしてしまい、方向性とのズレや浮いている感覚を抱え、地に足をつけてやれる場所にいたいという思いからテレビでの仕事を断っていった[10][119]。ライブであればスタッフを最小人数に抑えることができ、反応がダイレクトなところも良し悪し含めて好きなところとして、舞台ならお金を払ってでも見たい観客と、生にこだわるラーメンズとの相互関係が成り立つと小林は自己分析している[10][125]。またメディアでの露出があると舞台上で役が見えにくくなることから、自分を前面に出すことを避ける意図もあった[10]。片桐からすると小林は演技もできる器用な人間なのでもっとテレビに出てもいいと感じていたが、小林は「台本があるものじゃないと勝負できない」、「ラーメンズの脚本が面白いだけで自分単体は面白くない」とインタビューでは答えている[10][126][127]

オンエアバトル

NHK新人演芸大賞の決勝に残ったことでディレクターの目に止まり、新しく始まる爆笑オンエアバトルのネタ見せに誘われたことから番組初回から出演している[18][128]。その初回放送で、後に高得点の基準となる500kbを達成したのがラーメンズだった[128]。ネタの面白さが評価される番組において、特に注目が集まっていたのがラーメンズであり、暗転のタイミングを細かくリハーサルしていたことが製作陣の印象に残っている[126][129][注釈 4]

1998年の第1回チャンピオン大会では順位にこだわることなく、片桐が動かない「教材用片桐」のネタを披露し、予選で4位になり決勝の3枠に残ることができなかった[132][133]。第2回チャンピオン大会では決勝に進出するも9位に終わったが、立川談志により審査員特別賞が与えられた[129]

オンエアバトルで代表作である「日本語学校」を披露したところ、視聴者からの苦情が相次いだことがあった[126]。外国人を演じる二人が日本語の教科書を読んでいる様が、麻薬密売を題材にしていると勘違いされてしまったことが原因である[126]。番組は差別的な発言もしていないし放送コードにも引っ掛からないと苦情を突っぱねたことがネットで話題になった[126]

笑いの巣

たりないふたりの仕掛け人である安島隆との出会いにより、日本テレビのネット番組である「笑いの巣」に参加している[134][135]。タッグを組めるような面白い若手芸人を探していた安島は、ラーメンズが出演していたシアターDのライブを偶然訪れた[134][136]。独特の存在感と劇場の空気を一瞬で変える力に虜になった安島は、ライブ終了後すぐに楽屋を訪ね挨拶を交わしている[136][137]

出演決定後の初打ち合わせの席で、小林は当時のネット回線の弱さを考慮した静止画に癖のある歌を付けた歌ネタを提案している[138][139]。策略が上手くハマったことにより、ラーメンズの歌ネタ作品は番組終了まで視聴者投票で1位を獲得し続けた[139]。その後、装いを新たにした地上波のコント番組であるウラ日テレにも引き続き出演した[140]

単独公演

  • 第1回公演「箱式」(1998年6月27日~28日、シアターD)
  • 第2回公演「箱式第二集」(1998年11月28日~29日、シアターD)
  • 第3回公演「箱よさらば。」 (1999年5月28日~30日、シアターD)
  • 第4回公演「完全立方体~Perfect Cube~」 (1999年9月3日~5日、シアターD)
  • 超特別公演「RMS1」(2002年3月12日~3月14日、本多劇場)

情報は[25][141][142][143][144][145][146]による。

出演

情報は[25][147]による。

テレビ

ネット番組

  • 笑いの巣(日本テレビ)

映像作品

小島淳二率いるteevee graphicsの映像作品である「VIDEO VICTIM」にラーメンズで参加している[148]。映像内のコントであればラーメンズの良さが活きると小林はアピールしたことによりコラボが実現し、小林の字コンテや脚本を小島が絵コンテに起こして日本人の独特な文化をフォーマットにしていった[149]

2004年公開のショートフィルム集「Jam Films2」の一編である「机上の空論」では、男女の恋愛のハウツー講座だけでなく実践編のドラマパートにも出演し、市川実日子斉木しげるらと共演した[150]

CM

ラジオ

客演

出版

情報は[25][152]による。

  • 『かるた?』(日本テレビ出版、2001年9月)
  • 『ラーメンズ つくるひとデコ(凸)』(太田出版、2002年8月)
  • 『微妙ハンター』(ぴあ、2003年3月)

雑誌連載

  • 「ラーメンズのテアトルグラフィカ 平面画劇場」(角川書店
  • 「LIVING DESIGN」(リビングデザインセンター)
  • 「ラーメンズの微妙ハンター」(ぴあ関西版)
  • Quick Japan

脚注

注釈

  1. ^ 復活ということにすれば落語研究会の部活をそのまま使えるというメリットもあった[10]
  2. ^ ラーメンズは既に大学を卒業していたが、やついは事務所が箔を付けるため卒業生も参加できるコンビ対抗の形式に変更したと推測している[17]
  3. ^ 小林が細かく分類すると第3回公演~第4回公演が第2期なので、第3期という見方もできる[25]
  4. ^ 1999年のオンエアは、3月27日、5月1日、6月19日、9月4日、10月2日、12月11日[129]。2000年は、4月8日、7月29日、10月14日、11月4日[130]、2001年は1月13日、4月21日、6月23日である[130][131]

出典

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参考文献

和書

雑誌記事