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(はく)は、爵位の1つ、もしくは、その爵位を有する者である。

漢語としては、5爵位(・伯・)の第3位にあたるが、いくつかのヨーロッパの爵位の翻訳にも使われる。

日本[編集]

中国[編集]

ヨーロッパ大陸[編集]

ヨーロッパ大陸の伯は、ラテン語Comesドイツ語Graf英語Count と呼ばれる。

イギリスの伯は Earl であるが、これは Count すなわち大陸の伯とは起源が異なり、Count とは次第に同一視されるようになったが呼び分けられる。

Comes[編集]

Comes は、「ともに行くもの」という意味 (con「ともに」+eo「行く」) のラテン語で、君主の随行員を意味した。やがて、フランク王国において主として都市1つを任される称号となった(都市伯)。同じ称号でも大きな領域を任されるduxよりも小振りであるため、duxを「」、comesを「伯」と訳して区別するが、フランク王国時代にはあまりこの序列は明確ではなかった。特に西フランクでは、非フランク人の部族長という意味合いのあった公が辺境に配置された(ブルターニュ公アキテーヌ公ノルマンディー公など)のに対し、中心部においてはパリ伯シャンパーニュ伯アンジュー伯などの都市伯が勢力を誇った。

Graf[編集]

ドイツでは、ComesGraf と呼ぶ。起源は同一の爵位である。これは Graf が主として都市を支配する文官であったことに由来する。Graf はギリシア語の Graph(書くもの。「グラフ」と同語源)に由来する。

東フランクでは都市伯の勢力はそれほど強くなく、全土におかれた部族大公が勢力を誇った。ただし、部族大公への監視役としておかれた宮中伯 (Pfalzgraf) や辺境防備のためにおかれた辺境伯 (Markgraf) は強力になった。

イギリス[編集]

イギリスEarl は、大陸の Comes = Graf とは本来別のものであり、英語では大陸の伯を Count と呼ぶ。

Earl1016年イングランドを支配下においたデーンカヌート大王が置いたもので、アングロ=サクソン七王国の主な王国の領域にあたる地域を任された大貴族の称号だった。最初に置かれた伯はノーサンブリアイースト・アングリアマーシアウェセックスで、どれも有力な王国だった地域である。

1066年ノルマン・コンクエストで、フランス風の封建制が導入されたが、伯に当たる爵位として Earl の名が引き続き用いられた。イングランドでは大陸の公に当たる爵位を置かなかったため、以後も長らく、Earl はイングランドで最高の地位であり続けた。

これが崩れるのは1337年のことで、王族の権威を高めるために、イングランド王エドワード3世が大陸と同様に最高爵位として Duke を新設し、重要な王族に与えた始めたのである。最初の公はコーンウォール公となったエドワード黒太子である。

その後、1385年1387年1440年が新設され、イングランドの五等爵が出そろった。

関連項目[編集]