グレイ伯爵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
グレイ伯爵の紋章

グレイ伯爵グレー伯爵: Earl Grey)は、イギリス伯爵位。1800年の連合法によるグレートブリテン王国アイルランド王国の合同後に創設された連合王国貴族である。1806年に初代ハーウィックのグレイ男爵チャールズ・グレイ陸軍大将が叙位されたことに始まる。彼は1801年ノーサンバーランドにあるハーウィックのグレイ男爵Baron Grey of Howick, in the County of Northumberland)に叙されており、伯爵叙位の際にハーウィック子爵Viscount Howick; ハウイック/ホーウィック/ホウイック)にも叙されたため、グレイ伯爵にはこの二つの爵位(ともに連合王国貴族)が付属する。伯位の法定推定相続人儀礼称号としてハーウィック子爵と称する。

紅茶アールグレイは、イギリスの首相も務めた2代伯チャールズに由来する。またカナディアン・フットボール・リーグのプレーオフ優勝チームに与えられるグレイ・カップは、カナダの総督であった4代伯アルバートが寄贈したものである。

グレイ伯爵家の邸宅は、ノーサンバーランドにあるハーウィック・ホールHowick Hall)とファラドン・ホールFallodon Hall; ファロドン・ホール)である。

歴史[編集]

1746年1月11日ヘンリー・グレイ準男爵カウンティ・オブ・ノーサンバーランドにあるハーウィックの; of Howick in the County of Northumberland)の称号を与えられた。彼は初代タンカーヴィル伯爵英語版ジョン・グレイ英語版の兄サー・トマス・グレイの八世孫であり、1738年ノーサンバーランド州長官英語版を務めた。2代準男爵となったのは息子のヘンリーで、1754年から1768年まで庶民院議員となった。

2代グレイ準男爵の弟であったチャールズ英語版は軍人で、七年戦争アメリカ独立戦争フランス革命戦争で戦い、1796年には陸軍大将に任じられた。彼は1801年6月23日にハーウィックのグレイ男爵に、続いて1806年4月11日にグレイ伯爵およびハーウィック子爵に叙された。

2代伯となったのは初代伯の成人した最年長の息子のチャールズである。父親から相続した爵位に加え、1808年には未婚だった伯父のサー・ヘンリーからグレイ準男爵位も相続した。彼はホイッグ党の政治家で、1830年から1834年までイギリスの首相を務め、1832年の選挙法改正Reform Act 1832; 腐敗選挙区の廃止や有権者の拡大)や、奴隷制の廃止などといった治績を挙げた。

2代伯が死去すると、その成人した最年長の息子であるヘンリー英語版が襲爵した。彼もホイッグ党の政治家で、ジョン・ラッセル卿第1次内閣First Russell ministry)に陸軍・植民地大臣として入閣した。

3代伯には子供がなかったため、弟サー・チャールズ・グレイ英語版陸軍大将の息子であるアルバート英語版が伯位を相続した。彼は自由党(後に自由統一党; Liberal Unionist Party / リベラル・ユニオニスト)所属の政治家で、はじめ庶民院議員となり、襲爵によって貴族院に移った。1896年から1898年まで南ローデシア行政官(Administrator of Southern Rhodesia)を、1904年から1911年までカナダの総督を務めた。総督在職中の1907年には日本皇族である伏見宮貞愛親王カナダ訪問を手配した。

5代伯となったのは4代伯の長男のチャールズ英語版である。5代伯には男子がなかったため、爵位は3代伯やサー・チャールズ陸軍大将の弟のジョージ・グレイ海軍大将の玄孫であるリチャード英語版が相続した。彼が2013年現在のグレイ伯爵である。

グレイ準男爵(ハーウィックの) (1746年)[編集]

ハーウィックのグレイ男爵 (1801年)[編集]

グレイ伯爵 (1806年)[編集]