庭田家

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庭田家
家紋
笹竜胆ささりんどう
本姓 宇多源氏
家祖 庭田経資
種別 公家羽林家
華族伯爵
出身地 山城国
主な根拠地 山城国
著名な人物 庭田嗣子
支流、分家 田向家公家
佐々木野家公家
大原家羽林家
綾小路家羽林家
凡例 / Category:日本の氏族

庭田家(にわたけ)は宇多源氏の流れを引く公家華族。公家としての家格は羽林家、華族としての家格は伯爵家。

歴史[編集]

左大臣源雅信の子孫経資正二位・権中納言。実父は藤原公直)(1241年 - 没年不明)を祖とする堂上源氏の一つ。綾小路家の祖信有正二位・権中納言)(1269年 - 1324年)は経資の弟に当たる。

鎌倉時代末期から南北朝時代庭田重資1306年 - 1389年)以降、権大納言極官とする。

代々の庭田家の女子は皇室及び伏見宮家に仕え、嗣子をもうけることとなる。南北朝時代の栄仁親王生母の資子崇光天皇后)、栄仁親王の孫である室町時代後花園天皇(現在の皇室の先祖)及び貞常親王旧皇族11宮家の先祖)生母の幸子貞成親王妃)、さらに後花園天皇の孫である後柏原天皇生母の朝子後土御門天皇后)は、何れも庭田家の出身である。

また、戦国時代には本願寺顕如の生母を出した事から、本願寺一向一揆)と諸大名の仲介役を行った事がある。江戸時代には大原家が分かれ出た。

家業は神楽江戸時代の家禄は350石。明治維新後は重直伯爵に叙せられた。

系図[編集]

幕末の領地[編集]

国立歴史民俗博物館の『旧高旧領取調帳データベース』より算出した幕末期の庭田家領は以下の通り。(4村・351石余)

  • 山城国乙訓郡石倉村のうち - 104石余
  • 山城国乙訓郡鶏冠井村のうち - 50石
  • 山城国乙訓郡奥海印寺村のうち - 50石
  • 山城国紀伊郡東九条村のうち - 147石余

脚注[編集]

  1. ^ 中山宣親の2男。
  2. ^ 本願寺10世証如正室、11世顕如生母。
  3. ^ 中山篤親の2男。
  4. ^ 葛岡仲賢の2男。
  5. ^ 中山愛親の9男。

参考文献[編集]