イーザーローン

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紋章 地図
Stadtwappen der Stadt Iserlohn.png Lage der Stadt Iserlohn in Deutschland.png
基本情報
連邦州: ノルトライン=ヴェストファーレン州
行政管区: アルンスベルク行政管区
郡: メルキシャー郡
緯度経度: 北緯51度23分
東経07度40分
標高: 海抜 106 - 494 m
面積: 125.51 km²
人口:

93,799人(2012年12月31日現在) [1]

人口密度: 747 人/km²
郵便番号: 58636–58644
市外局番: 02371 (Iserlohn)

02374 (Iserlohn-Letmathe)
02304 (Schwerte,Iserlohn-Hennen)
02352 (Altena,parts of Iserlohn-Kesbern)
02378 (Fröndenberg- Langschede, Iserlohn-Drüpplingsen)

ナンバープレート: MK,
IS(1974年まで)
LS(1979年まで)
自治体コード: 05 9 62 024
自治体の構成: 5 市区
ウェブサイト: http://www.iserlohn.de/
市長: ペーター・パウル・アーレンス (Peter Paul Ahrens)
郡内の位置
Iserlohn in MK.svg

イーザーローン (Iserlohn[íːzərlóːn]) は、ドイツ連邦共和国ノルトライン=ヴェストファーレン州にある、人口約9万5000人の都市。メルキシャー郡 (de:Märkischer Kreisに属する。イザーローンイゼルローンなどとも表記される。

地名は古高ドイツ語Isen-Lôh (鉄の森)に由来し、18世紀から19世紀にかけては金属生産・加工業で栄えた。ザウアーラント地方 (de:Sauerland最大の都市である。

地理[編集]

イーザーローンの眺め

イーザーローンは、ザウアーラントの北西部にある。州都デュッセルドルフの東約70km、ドルトムントの南東約25km、郡都リューデンシャイト (de:Lüdenscheidの北約25kmに位置する。

南北18.5 km、東西10.7kmと南北に長い市域を持ち、その北端をルール川が流れる。南部には、ルール川の支流であるレンネ川 (de:Lenneが流れている。市域の大部分は森林に覆われている。

市域はルール河畔(海抜106m)からカスベルン地区の Rüssenberg(海抜494m)まで起伏に富み、岩山や洞窟が多くある。イーザーローンの中心市街の海抜はおよそ 250m である。

歴史[編集]

中世[編集]

バウエルンキルヒェ教会

この町で最も古い建物は、「農民教会」Bauernkirche の異名を持つパンクラティウス教会である。この教会は985年頃に建てられたと推測されている。

1059年には修道院の文書でイーザーローンにあたると思われる集落が記載され、1124年には教会財産の台帳に Yslo という地名が見られるが、現在のイーザーローンの町の歴史を確実にさかのぼることができるのは、1150年に Lon の名で文書上に現れてからである。1237年に、マルク伯によって、イーザーローンに都市権が与えられた。

近代[編集]

1750年のイーザーローン
1867年のイーザーローン

18世紀に入ると、イーザーローンは製鉄業によって経済的な発展を遂げ、ヴェストファーレン有数の都市となった。

イーザーローンは早い時期に発展した工業都市であるため、初期の労働運動の中心地のひとつでもあった。1840年には金属工場で最初のストライキが行われており、1868年には全ドイツ労働者協会 (de:Allgemeiner Deutscher Arbeitervereinの地方組織が作られた。1848年1849年のドイツ革命(1848年革命)でも、こうした背景のために革命派の勢力が強く、1849年5月にはイーザーローンの反乱 (de:Iserlohner Aufstand von 1849と呼ばれる事態となる。

19世紀の半ばには、イーザーローンの産業は頭打ちとなった。金属加工工場が依拠していた水力が限界に達したこと、また大規模な工業の中心がイーザーローン西方にあたるルール地方に移ってしまったためである。鉄道の主要路線から外れたことも影響を及ぼした。

1830年代、ベルリンコブレンツを結ぶテレグラフ(腕木通信)の幹線 (de:Preußischer optischer Telegrafが引かれ、イーザーローンには通信所が設けられた。20年ほどでテレグラフは電信の発達により遅れた技術となったが、1909年には通信所に隣接して展望塔としてダンツ塔が建設された。ダンツ塔は町のランドマークとなった。

第二次世界大戦は、イーザーローンの市街には大きな破壊はもたらさなかった。1945年5月には空襲も行われたが、ドイツ降伏直前の時期のこの空襲での被害は大きなものではなかった。

現代[編集]

1953年からは周辺地域にNATO傘下のカナダ軍イギリス軍が駐留するようになり、ドイツ連邦軍の駐屯地が置かれて空軍の学校や病院が開設されるなど、軍事基地の町としても発達した。1990年代には軍事基地は閉鎖され、兵舎や軍人住宅は民間に転用された。

1975年、ノルトライン=ヴェストファーレン州の行政区画再編に伴い、それまで独立の都市であったイーザーローンと、周辺のレトマーテ (de:Letmathe、ヘンネン (de:Hennen、ズンメルン (de:Sümmern、カスベルン (de:Kesbern といった町とが併合され、メルキシャー郡(郡都・リューデンシャイト)に属する行政単位(ゲマインデ)としてのイーザーローンが設けられた。イーザーローンは、ザウアーラント地方の都市の中でも依然重要な位置を占めている。

産業[編集]

中世以来、イーザーローンの主要な産業は金属生産・加工・取引である。古くから武器や針金の製造が行われていたが、とくには重要な産品で、国際的な取引が行われた。19世紀初頭、イーザーローンはその南隣のアルテナ (de:Altenaとともに、ドイツにおける金属加工品の取引の中心であった。現在も、中規模の企業がほとんどとはいえ、金属の生産・加工・取引はこの町の特徴的な産業となっている。

この町のビール醸造工場も長い歴史を持つ。2003年、工場閉鎖の危機に際して、イーザーローンの町から買い手として3人が名乗りを上げ、Privatbrauerei Iserlohn としてこの工場を存続させた。

文化・観光[編集]

ダンツ塔(Danzturm
ダンツ塔は、旧市街の南の丘に建つ。1908年から1909年にかけて建設された展望塔であり、晴れた日にはドルトムントウンナ (de:Unnaハムまでの眺めることができる。塔の南には緑地が広がり、北にはイーザーローンの旧市街地が横たわる。塔の名前は、1905年5月に死去した教育者(イーザーローン名誉市民)エルンスト・ダンツ (de:Ernst Danzに因んでいる。
塔は、ベルリンコブレンツを結ぶテレグラフ(腕木通信)の43号送信所として1833年に建てられた建物の隣に建設された。塔の建設費用捻出のため、フォークフェスティバルやバザーなども行われた。1909年5月22日、この「テレグラフの丘」 Telegraphenberg で塔の開館式典が開かれ、市長も列席してスピーチを行った。イーザーローンのランドマークであり、地元のビールメーカーのロゴマークにも用いられている。塔は集会所や文化的行事の場としても用いられており、レストランも営業している。
この洞窟は、ハーゲンとイーザーローンを結ぶ鉄道建設工事中の1868年に発見された。入り口から360mが開放されており、多くの鍾乳石が観光客の目を楽しませている。

スポーツ[編集]

アイスホッケー[編集]

イーザーローンは、ドイツ・アイスホッケーリーガ(DEL)に属するイーザーローン・ルースタース (de:Iserlohn Roostersのホームタウンである。2000年にリーグに加入したこのチームは、資金に恵まれない状態から出発し、プレーオフを争う強豪チームに成長している。

もともとこの町には1958年に設立されたEC Deilinghofenというチームがあったが、1987年に破産。つづいてECDザウアーラントが1988年から1994年まで存続した。1994年にイーザーローナーECが設立され、Roosters として DELに加盟することとなった。

紋章[編集]

市章の中央、市壁の二つの塔の間に描かれているのは、この町の古い教会の守護聖人である聖パンクラティウス (Pancras of Romeである。下部の横帯の市松模様は、マルク伯の紋章に由来する。

姉妹都市[編集]

その他[編集]

田中芳樹の小説、銀河英雄伝説に登場する人工天体『イゼルローン要塞』の名称は イーザーローンから来ている。

引用[編集]

外部リンク[編集]