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満福寺 (養父市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
満福寺
所在地 兵庫県養父市十二所724番地
位置 北緯35度22分53.7秒 東経134度45分41.3秒 / 北緯35.381583度 東経134.761472度 / 35.381583; 134.761472座標: 北緯35度22分53.7秒 東経134度45分41.3秒 / 北緯35.381583度 東経134.761472度 / 35.381583; 134.761472
山号 新宮山
宗旨 高野山真言宗
本尊 千手観音
創建年 (伝)天平年間(729年-749年)
開基 (伝)行基
中興 (伝)空海(弘法大師)
正式名 新宮山 本浄院 満福寺
別称 但馬の高野山
札所等 但馬三十三観音霊場第7番札所
文化財 宝篋印塔、満福寺塔(市指定文化財)
公式サイト 但馬の高野山・満福寺
法人番号 6140005010330 ウィキデータを編集
満福寺の位置(兵庫県内)
満福寺
満福寺
満福寺 (兵庫県)
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満福寺(まんぷくじ)は兵庫県養父市にある真言宗仏教寺院。山号は新宮山(しんぐうさん)、院号は本浄院(ほんじょういん)、新宮山 本浄院 満福寺と号する。本尊は千手観音但馬の高野山と称される[1]

歴史

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伝承によれば、天平年間(729年-749年)に、行基但馬国を訪れて、この地に寺院を建立したという。その後、弘仁年間(810年-824年)に、空海(弘法大師)が来錫し、綜藝種智院の教義に則り真言密教の道場を開いたとされる[2]

しかし地名が「十二所(江戸時代は十二所村)」とあることからも、かつては「熊野十二所権現」が奉られ、中世に但馬における熊野信仰の一拠点として開基された可能性があり、現在も本尊の安置されている観音堂の横に「熊野権現」が奉られている。

天正年間に、豊臣秀吉の但馬侵攻で兵火に遭い伽藍が焼失するまでは、十七坊を有する大寺院であったとされる。江戸期には学徳兼備で但馬の弘法大師と呼ばれた弘元上人が住職を務め[2]幕末には、のちに但馬聖人と称される池田草庵が、幼少のころ修行した寺院としても知られる。現在は周辺に遊歩道なども整備されている。

所蔵文書

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  • 『新宮山大蔵書』約3000冊
  • 『新宮山満福寺田地付帳』文明18年(1486年
  • 『新宮山満福寺記』弘鳳上人識、弘化2年(1845年)4月18日
  • 『中院流傳授目録併聞書・弘補』弘元上人筆

境内

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  • 古墳(5世紀)- 本浄院観音堂の真下部分
  • 仁王門
  • 本堂:(客殿)嘉永元年(1848年)焼失 - 嘉永5年(1852年)再建
  • 観音堂:明暦元年(1655年)再建 - 文政8年(1825年)再々建
  • 本坊
  • 駐車場:境内に40台分。無料。

文化財

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養父市指定文化財
  • 宝篋印塔 - 康永2年(1343年)建立
  • 満福寺塔
  • 『柿本人麻呂像』 一幅(平成26年1月27日指定)- 紙本墨画(軸装)式部卿法眼蛇足十世平潔明
  • 『不動明王像』 一幅(平成26年1月27日指定)- 絹本着彩(額装)
  • 『愛染明王像』 一幅(平成26年1月27日指定)- 絹本着彩(額装)
貴重品

交通アクセス

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鉄道
道路
  • 一般道:
  • 高速道路:

但馬三十三観音霊場

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前後の札所
  • 第五番・観音寺 - 兵庫県豊岡市日高町観音寺
  • 第六番・明禅寺 - 兵庫県豊岡市日高町森山
  • 第七番・満福寺 - 兵庫県養父市十二所
  • 第八番・神光寺 - 兵庫県養父市上野
  • 第九番・泉光寺 - 兵庫県養父市大薮

脚注

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  1. ^ 『但馬高野 満福寺・真言宗の教えと陽明学』明楽弘信著、平成28年
  2. ^ a b 『但馬高野 満福寺・池田草庵の実像』明楽弘信著、平成25年

参考文献

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  • 『但馬高野 満福寺・池田草庵の実像』明楽弘信著、平成25年
  • 『但馬高野 満福寺・真言宗の教えと陽明学』明楽弘信著、平成28年
  • 『西の高野山 満福寺・満福寺の歴史のまとめ』明楽弘信著、平成30年(2018年
  • 『維馨傳書(いけいでんしょ)』
  • 現地説明板

周辺

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外部リンク

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