不退院

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不退院

不退院
所在地 愛知県西尾市上道目記町中屋敷11番地
位置 北緯34度50分3.3秒 東経137度2分20秒 / 北緯34.834250度 東経137.03889度 / 34.834250; 137.03889座標: 北緯34度50分3.3秒 東経137度2分20秒 / 北緯34.834250度 東経137.03889度 / 34.834250; 137.03889
山号 授法山
宗派 浄土宗西山深草派
本尊 阿弥陀如来
創建年 1401年(応永8年)
開山 悦山暢喜
開基 徳永小七郎義雄
正式名 授法山上衍寺不退院
札所等 三河十二本寺
法人番号 3180305006977 ウィキデータを編集
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不退院(ふたいいん)は、愛知県西尾市にある浄土宗西山深草派寺院。山号は授法山。授法山上衍寺(じゅほうざんじょうえんじ)不退院とも称する。

歴史[編集]

荒川義広・市場姫・鳥居忠吉らの墓を含むとされる墓石群。

応永8年(1401年)悦山暢喜上人を開山として、徳永城主・徳永小七郎義雄が一宇を草創したのが始まりである。悦山暢喜上人は応永初期に当国遊化の折、法蔵寺・龍芸(りゅうげい)上人の化導を受け弟子となった高僧である。応永18年(1411年)4月23日に義雄は入没し、当寺に葬られた。その後、不退院のある道目記では、15世紀後半から16世紀後半にかけて道目記の戦いが数度あった。道目記は地形的に豊かな米の産地で、地権争いが度々起きた。この戦いで戦死をした武将 [1]の墓が大将塚 [2]として祭られていた。またその戦いで戦死をした無名戦士の墓も不退院の墓所から少し離れたところに葬られている。その後、徳川家管轄の寺領となり、争いは無くなった。その功績を称えるために、不退院の屋敷から少し離れた場所に権現[3]さんが祭られ、[4]崇め尊ばれた。徳川家の影響が大になり、不退院の住職は、その後数代徳川の家臣の家柄の者が継ぐことになる。正親町天皇元亀3年(1572年)当山6世本翁意伯鳥居忠吉の子)が勅願によって参内して曼荼羅[5]を講筵し「上衍寺[6]」の勅額を賜った。 永禄10年(1567年)9月29日に入没した荒川城(八ツ面城)主荒川義広、及び文禄2年(1593年)5月2日に入没したその妻・市場姫徳川家康の異母妹)のも当寺にある。当山7世頓翁意傅の代、慶長7年(1602年徳川家康より寺領135寄進を受け、御朱印寺[7]として寺紋に三つ葉葵の紋を授かった。

所在地[編集]

愛知県西尾市上道目記町中屋敷11番地

交通手段[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 武将の名は荒川甲斐守義広ともいわれているが、不詳である。
  2. ^ 大将塚は、平成20年の農林水産省圃場整備事業で取り壊しとなった。
  3. ^ 権現 徳川家康の神号である「東照大権現」を指す。
  4. ^ 権現さんは、昭和22年の農地改革で取り壊しになった。
  5. ^ 浄土曼荼羅を指す。
  6. ^ は、円と同義、大乗仏教の信義である広く大衆(衆生)済度をする寺として。
  7. ^ 2023年の現在は朱印を休止している。御朱印

外部リンク[編集]