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パナソニックショップ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

パナソニックショップとは、パナソニック(旧松下電器産業)ほかパナソニックグループ(旧松下グループ)各社の製品を取次・販売する特約店(電器店)の通称である。1957年、日本最初の系列電器店(街の電器屋さん)ネットワークとして発足した。当初は松下電器産業(現パナソニック)製品のみを扱う「ナショナルショップ」と他社製品も同時に扱う「ナショナル店会」とに二分されていた。以後、今日まで国内最大の地域電器店ネットワークである。地域電器店の業界団体全国電機商業組合連合会」加盟店の7〜8割を占める。特にパナソニックのお膝元というべき近畿地方においては圧倒的に強い。

なお、このような製品提案から販売・アフターサービスを一貫して行う販売店や、メーカー100%出資代理店より仕入れる手法は高度成長期を支えた流通形態であり、同様の販売店は日本国内の家電流通販売店舗数の9割を占める[1]

概要

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量販店が大量に安く売ることをセールスポイントとしているのに対し、パナソニックショップ(街のでんきやさん)は「アフターサービスの良さ・きめ細かさ」をセールスポイントにしているので、「家電のホームドクター」として電球蛍光灯[注 1] の交換といった軽工事にも幅広く気軽に応じてくれる(「お役に立ち隊宣言」)。また「パナソニック修理技術認定店(旧・パナサービス工房 後述)」として他店購入製品やパナソニック以外の他社製品修理も取り扱う(有料)。この意味を込め、パナソニックショップは1998年から「あなたの街のでんきやさん」を全国共通キャッチフレーズとしている。さらに複数のパナソニック関連企業や優良業者との取引が活発な店は、各種リフォームの相談にも応じる(多くの店舗はパナホーム取次店)。また地方の一部には、雑貨店・酒店・CDDVD・BDソフト販売店を同じ敷地で経営している店舗も存在する[注 2]。また来店客が休憩所としても使えるよう茶菓を置いてある店舗もある。

顧客より修理の依頼を受けたパナソニック製品の補修用性能部品供給はパナソニックショップ所在地を管轄する最寄りのパナソニック テクニカルサービス(PTSE)各支社が行っている。簡単な故障の修理は自店で交換部品を仕入れて修理可能な場合が多いが、重度の場合はパナソニック修理相談窓口へ返送される場合もある。

パナソニック公式サイトの「ナショナル・パナソニックのお店ホームページ」から、全国約2万店という細かい販売網を持つ旧松下電器特約店を都道府県単位で検索できたが、2006年11月15日をもって閉鎖され、のちに「スーパーパナソニックショップ」と呼ばれる優良店のみを掲載したサイトにリニューアルされた。

各店のスタッフは通常、旬のパナソニック商品名が書かれたスタッフジャンパーを着用して店頭接客や顧客宅訪問にあたっている。スタッフジャンパーはPCMC=パナソニックコンシューマーマーケティングLE社より販促助成品として有償支給。「お役に立ち隊宣言」「VIERA」などバージョンが複数あり、公式スポンサーとなっている五輪バージョンもある。さらに「TVハウス」認定店にはその旨が書かれた黄色地のスタッフジャンパーも支給される(→詳細は後述参照)。

住宅用火災警報機については、ユーザーからの要望に応じ顧客宅までスタッフが出向いて取り付け工事を行うが、その際の出張代発生の有無は店舗により異なる。なお店頭で購入してユーザー自身で持ち帰り、ユーザー自身で取り付ける場合は商品代のみで出張代は発生しない。

パナソニックショップ各店のうち、後述の「スーパーパナソニックショップ」認定店にはパナソニック特選品カタログに加え、全国各地の観光地・名産品、さらに旅行等の場面で使用が想定されるパナソニック製品を取り上げた「パナライフクラブ(年4回発行・季刊)」や、全国各地のパナソニックショップが行っている主なサービスやユーザーの声を紹介した「リフォームパル」が置かれており、顧客への宅配が行われるほか、来店客が持ち帰ることも可能。

発注元店舗(パナソニックショップ)への商品配送は基本的にパナソニックロジスティクスより委託を受けた運送業者が行っている。パナソニック以外の他社製品配送は別の卸業者が各地域毎に運送会社へ委託。カタログ・チラシ類をパナソニックショップ各店へ配布する際は、PCMC(パナソニックコンシューマーマーケティング)営業担当者が営業車で各店舗を巡回して直接届ける場合もあれば、運送業者へ委託しメール便で配布される場合もある。

パナソニック関連チラシのみならず、各放送局や放送関連団体発行の地デジガイドやBSデジタル・スカパー等の月間番組ガイドも置かれており、来店客が自由に持ち帰ることが可能。さらにパナソニックはAV機器における五輪公式スポンサーである事から、五輪開催期間中はその日程表&TV各局五輪放送予定表もパナソニックショップ各店に置かれる(来店客持ち帰り可)。

さらに(通常のお客様用カタログに掲載されていない各種消耗品・工事部品やそれら注文の際の問い合わせ先も掲載されている)「パナソニックセールスマンカタログ(年4回発行)」も置かれており(パナソニック製AV機器&白物家電・各種消耗品用とウェルネス商品=パナソニック電工製品用の2種類ある)、スタッフは顧客宅訪問時にそれを携帯して顧客からの各種依頼へ迅速に対応出来るようにしている(来店客が自由に閲覧する事も可能だが店内のみに限定され、部外者の外部持ち出しは禁止。また営業車のダッシュボードにもセールスマンカタログを常備)。

2011年6月からはパナソニックショップ検索サイト内において、パナソニックショップ及びパナソニックフェアのテレビCM動画配信を開始した(「チャンネルパナソニック」へリンク)。

アンテナ関連工事について

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アンテナ線・分配器・ブースター等のTV受信関連部品は全てのパナソニックショップでパナソニック純正品のみが販売供給されているとは限らず、マスプロ電工日本アンテナDXアンテナ等の他社製品を取り扱う店舗も多い[注 3][注 4]。パナソニックの生産体制の縮小により、純正品を在庫所有していない場合が増えたためである。

パナソニックを含む国内大手電機メーカー各社は2009年3月までにFMおよびアナログVHF用の屋外アンテナ生産より撤退し、それ以降は地デジ対応UHFアンテナ及び110度CS・BSアンテナ本体のみを生産している(分波器・分配器・ブースターなどのアンテナ周辺部品生産は2013年限りで終了)[注 5]

このためパナソニックセールスマンカタログの2009年春号より、「アンテナおよび周辺部品」項には屋外用VHF・FMアンテナが非掲載となっている。

2012年秋冬号以降のセールスマンカタログには、地デジ対応UHFアンテナ、110度CS・BSアンテナ、ブースター等の属品のみが掲載されている[注 6]

パナソニックセールスマンカタログに、一部DXアンテナ製品が掲載されていた時期がある。

地デジ&110度CS・BSデジタルチューナーや共同受信用大型アンテナもパナソニックが生産から撤退しており、他社製品を提案される。

よって、アンテナ設備を更新する場合、UHFアンテナ及び110度CS・BSアンテナ・ブースターはパナソニック製でも、マスト・屋根馬又はサイドベース・ステーワイヤー・VHF/FMアンテナ等の周辺部品はパナソニック以外の他社製品が使用される[注 7]

なお国内大手電機メーカの中で最後まで自社ブランドアンテナの販売を続けていたパナソニックは、2015年3月限りで自社ブランドアンテナの生産(DXアンテナからのOEM供給)を終了。現在「Panasonic」ブランドアンテナは在庫・展示品限りとなっており、ビエラカタログは2015年夏号よりパナソニックブランドアンテナ掲載を廃止した。

パナソニックが生産から撤退、および生産体制を以前より縮小した一部の製品について

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生産から撤退、および生産体制が縮小された一部製品についてはパナソニック以外の他社製品を仕入れることで対応している。

  • 石油燃焼機器(暖房機器および給湯機) - 2005年3月をもって製造から撤退
コロナ製品の取り扱いが多い。
現在はオール電化関連商品の販売に力点を置いているため、ガステーブルや石油・ガス給湯機の販売を積極的に行っているパナソニックショップは少なくなってきた。
  • ブラウン管TV用TV台 - 2007年8月、ブラウン管TVと同時に生産終了。現在の薄型テレビ共用台はハヤミ工産(「TIMEZ」ブランド)製品を主に販売。
  • 二槽式洗濯機(現在も生産中の製品はNA-W40G2のみ)や電気暖房機器 - 生産体制の縮小
品種の少なさからパナソニック製以外の他社製品を取り扱う店舗もある。
富士通製品の取り扱いが多い。パナソニックショップで注文する場合は「Let's Note」シリーズも含め取り寄せとなる店舗がほとんどである。
普及型(フルオートタイプ)の生産はSL-J8を最後に2004年をもって終了した。このため、普及型レコードプレーヤーをパナソニックショップで購入したい場合は他社製品(オーム電機DENONなど)が供給される。
  • 防水ラジオ - SL-PH660を最後に2011年限りで生産終了
ソニー東芝エルイートレーディングオーム電機小泉成器製品を主に販売。

ビデオテープ・オーディオカセットテープについても、ヘッドクリーナー・クリーニングテープ・ヘッド消磁器・クリーニングキット・レコードクリーナーも含め生産体制を縮小しており、パナソニックショップで販売される記録媒体の主力はDVD-RAMDVD-RDVD-RWSDメモリーカードなどに移っている。ビデオカセット・オーディオカセット・ヘッドクリーナー類もこれまで通りパナソニックショップで購入出来るが、供給されるのはパナソニック社外製品が主体となり、CD・DVDレンズクリーナーも含め取り寄せとなる店舗がほとんどである。

単体ステレオコンポもパナソニック(Technicsブランド)を含む国内大手メーカーが2004年頃までに生産よりほぼ撤退し、現在の主力は(ビエラリンクなどに対応した)デジタル放送ホームシアターシステムに移っている。

歴史

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起源は太平洋戦争前の1935年に松下幸之助が始めた「連盟店」制度に遡る[2]

戦後、松下幸之助が他社系列の小売店を一軒一軒自らの足で訪ね歩き、松下製品を是非販売してもらえるよう店主達に依頼したことに始まる。この時幸之助が説いた経営理念は「水道哲学」と「共存共栄」であった。

消費者に低価格かつ高品質の製品を提供する為には是非ともあなた方の協力が必要だ。その代わり、我々(松下)は決してあなた方を裏切らない。だから、どうか我々(松下)と一緒に頑張って共に儲けようではないか。

—幸之助が小売店の店主達に訴えた言葉

しかしこの方法ではさすがに時間と手間がかかりすぎるということでのちに問屋・代理店網を組織し、それらを通じ松下製品販売に好意的な小売店を松下系列店として組織化。やがて今日のパナソニックショップの前身となる「ナショナルショップ」網が形成されていった。生家が貧乏であるが故に小学校も満足に出ていない苦労人という境遇であるにもかかわらず、持ち前の粘り強さを武器に社長の幸之助自ら訪ね歩いては「我が松下の製品を一緒に売ろう」と誘う姿勢は多くの店主達に共感を呼び起こし、これが今日における最大の地域電器店網を築く原動力となっていった。

発足当初は松下製品のみを扱う「ナショナルショップ」と、松下製品に加え他社製品も扱う「ナショナル店会」とに二分されていた。後者は1993年を以て廃止。2008年の松下電器産業の社名変更に伴い、現在の「パナソニックショップ」に一本化されている。

ピーク時には「ナショナル店会」加盟店と併せて全国約5万店にまで成長していた。ナショナルショップのみでは最盛期の1980年代後半に約2万7000店あった。後継者難や量販店との競争激化などにより、2018年3月時点で約1万5000店に減少している。パナソニックの家電販売額に占める比率も、往時の6割から2割以下へ低下している。

とはいえ現在でも国内最大の地域電器店ネットワークとして有力な販路であるため、パナソニックは全国で店主に経営状況や今後に対する意向ついて聞く初の体系的調査を実施。その結果、後継者難を訴える声が多かったことから、有力店に近隣店舗を引き継いでもらうといった取り組みなどを進めている[2]。そのための支援マニュアルも策定した[3]

スーパーパナソニックショップ(SPS)

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2000年、当時社長の中村邦夫はパナソニック社内の「聖域無き構造改革」に取り組んだが、全国すべての旧ナショナルショップも例外なく大改革の対象となった。

1980年代後半以降、量販店の台頭で売上減のナショナルショップが続出し、さらに店主の高齢化(平均年齢60歳超)や後継者難などにより今後のデジタル化の波に乗り遅れてしまう店の急増が懸念された。さらにパナソニック側としても、今後全ての店の面倒を従来通り業績に関係無く「共存共栄」で販促支援することが難しい経営状態になっていた。

そこでパナソニックは中村邦夫を中心に2000年度より「平等から公平へ」をスローガンに掲げ、これまで松下幸之助が築き上げてきた「共存共栄」という従来の考え方を根本から180度転換。「時代の趨勢に適った情熱と意欲を燃やすスタッフのいる店には出来る限りの販促支援をしていくが、逆に現在の延長線上のまま改革の意欲なき店には辞めてもらう可能性も有り得る(自ら拡販などの改革努力をしない店は切り捨てる)」という方針に変更し、店の業績とは無関係に行われてきた無償販促支援やリベートを次々に廃止。全国のナショナルショップに対し、「このままでいて売上低迷で消える」か「生き残るために厳しい道を選ぶか」という2つの選択肢を選ばせた。

「生き残るための厳しい道」を自ら選んだ系列店に対しては、大改革に対応した、スタッフ向けの有料研修会「プロショップ道場」を開始[注 8]。「電話一本でどこのお宅へも駆けつける」という従来のサービスを完全否定し、「長年の付き合いと経験で得た各顧客のライフスタイル・家族構成・経済状況などに合った商品の提案を個別に行う」「(遠方在住の顧客は極力減らし)商圏は店舗から半径500m以内に絞り込む」という「地域密着型のエリアマーケティング手法」を指南。「向こう3年間で売上高1.5倍・利益2倍・各店商圏内販売シェア20%以上増加」を目標に掲げて系列電器店として生き残るためのノウハウを徹底的に鍛錬するために、これまでの松下グループ関係者の講師を廃止し、外部の人(就職活動・新社会人・マーケティング等の各種合同研修担当者や経営コンサルタント)を招聘。「やる気の無い店には辞めて貰う可能性も有り得る」というスローガンの下、これまでの身内の甘えを排除しスタッフ達を手厳しく濃縮指導する研修会となっている。時には講師から「眠い、意欲無きやつは出て行け!!」等という一喝が飛び、売上が伸びていない店のスタッフに対しては「やり方が悪い」等と手厳しく叱ることもある[4]

2002年8月、当時の専務で系列店統括も担当していた戸田一雄2002年8月、予定していた欧州海外旅行を中止し全国各地の店舗を自らの足で巡回して各店の状況を調査した。その結果「売上を増やそうと自ら前向きに努力する店と、顧客数および売上が伸び悩み開店休業状態になっている(=自ら増販・増客努力をせず松下側からの手厚い販促支援のみで商売を食いつないでいる)店とに二極化している」ことが判明した。

そして2003年4月1日からは、約2万店近くある系列店の中から、「売上を増やし(業績を上げ)顧客へのサービス向上を図ろうと自ら前向きに努力する」収益性や成長力に優れた店舗のみを(全国約7,000店にまで絞り込んで)厳選・抽出し、選抜した店に対して優先的に販促支援する「スーパープロショップ(SPS、現:スーパーパナソニックショップ)」制度を立ち上げた。SPS加盟店になると、販売の数値目標や売上情報のパナソニック側との共有が課せられるが、販促支援やリベートが重点的に受けられ、SPS限定モデルの販売が可能になる。その代わり、「売り上げを常に増やし(SPS認定基準を上回る業績を上げ)、顧客へのサービス向上」に自ら努めなければならず、当初はSPS認定を受けても売り上げ低迷が長期化し改善の見込みがない店はその認定を取り消し、公式HPの店舗検索画面より削除するという手厳しい制度となっていた。さらに2012年からはSPS認定7000店のうち、リフォーム・太陽光発電エコキュートIHクッキングヒーターの普及・拡販に積極的な店舗を「ネットワーク&エコハウス(略称:N&E)」に指定。通常のSPSより販促面で優遇する措置を講じていた。

中村の没後、スーパーパナソニックショップ制度は終息したとみられ、2024年現在スーパーパナソニックショップ公式ホームページやスーパーパナソニックショップの店検索ページも削除され、店舗の看板からも「スーパーパナソニックショップ」の表示が消去されている。

看板および営業車のデザイン

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社名変更前

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発足当初は赤と白の塗り分けだったが、現在は青と白の塗り分けに改められた。ただし営業車は全ての店舗が青白のショップカラーであるとは限らず、(「Panasonic」ロゴは書かず)店名ロゴのみの表記だったり新車購入当時のまま無地で使用されている店も多い。個人経営小売店の営業車の塗装費用は、各地区の卸売り会社が各小売店に支払う場合が多かった。各店の看板はナショナルが赤あるいは朱地に白抜きで「National」と、パナソニックは青地に白抜きで「Panasonic」とそれぞれ表記。またシャッターにはかつてカラフルな絵が描かれていたが、のちに白地に青で「National/Panasonic+店名ロゴ・電話番号・営業時間・定休日」という表記が一般的となった。

マスコットキャラクターは「パナ坊」(1994年より採用、かつては「ナショナル坊や」)。営業車にこの「パナ坊」が描かれている店舗もある。ただし、パナソニックへのブランド統一を機にこの「パナ坊」公式使用は2010年3月31日をもって終了した(下述)。

社名変更後(「ナショナル」商標全廃に伴う系列店の動き)

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これまで中村邦夫社長(現:パナソニック相談役)が推進してきた構造改革「創生21計画」の総仕上げとして、松下は2008年9月30日限りで社名より創業者・松下幸之助の名前を外し、翌10月1日より松下電器産業株式会社から「パナソニック株式会社」へ社名を変更した。同時に今まで日本国内向け白物家電に使用してきた「ナショナル」ブランドも2009年度までに全廃し、「パナソニック」に一本化することが決定(2008年1月10日発表、同年6月26日の2008年度松下定例株主総会において正式決定)。これに伴い当系列店もナショナルショップから「パナソニックショップ」へ改称され、創業90年を経て旧来の松下幸之助色は社名・店名から完全に消滅した。

その第一段階として、当初は社名変更後の10月1日以降としていた旧松下製白物家電における「ナショナル」ブランド淘汰開始時期を前倒しし、2008年6月30日製造・出荷・発売分限りで旧来の「ナショナル」ブランド使用は完全終了。翌7月1日以降製造・出荷・発売分からの旧松下製白物家電は全て「パナソニック」ブランドを使用している。旧来の「ナショナル」商品は在庫・展示品限りで売り切れ次第、「パナソニック」ブランドに取って代わられる(パナソニックではグループ全社を挙げ過去に例の無い徹底した在庫管理の下、旧来の「ナショナル」製品在庫を1日でも早く完全に売り切る計画を推進中)。

さらに旧松下製白物家電カタログについては、表紙への「National」商標記載を2008年8月発行分を最後に終了。翌9月発行分以降は白物家電カタログの表紙記載商標を全て「Panasonic ideas for life」に変更している。シェーバーカタログについてはその先陣を切る形で、同年8月発行分より表紙商標を「Panasonic ideas for life」に変更。2009年春まで白物家電として最後まで「National」商標を表紙に記載し続けていた生ゴミ処理機カタログも同年5月発行分より「Panasonic ideas for life」に変更した。

また社名変更正式決定日である2008年6月26日以降、各小売店ではシャッター・看板・営業車より「National」の文字を外した新デザインへの変更作業を開始した。これも当初は10月1日以降とされていたが前倒しされた。

  • シャッターには青地に白抜きで「Panasonic」とのみ表記し、その下に店名ロゴ・電話番号・営業時間・定休日を表記する。
  • 店舗上部の看板の左側は「Panasonic」のみとなった。その右隣に灰色地に白抜き=丸ゴシック体で店名ロゴを表記する。後述「SPS=スーパーパナソニックショップ」認定店の場合はその上に「SPSのお店紹介サイト」と同一デザインの“お役立ちメニュー”アイコンを赤で表示[注 9]
  • 今まで店舗正面出入口の上部(2階部分)外壁に貼られていた「National」(赤または青)、「National/Panasonic」(青)、「ナショナルショップ」(青の「ナショ文字」書体)の切り抜き文字や「National shop」(赤または青)、「ナショナル店会の店」、「Panasonic携帯電話取扱店」などの看板も全て外され、上記「Panasonic」青看のみとなった。経費削減の観点から新たに「Panasonic」の切り抜き文字を以前と同一部分には貼らず、以前切り抜き文字が貼られていた部分は跡を消すためタイルを上貼りするか壁を塗り替えた。同時に「Panacc」・「TVハウス」・「パナサービス工房」、その他の各都道府県・ブロック別の店舗愛称(「ウィンベル」・「パナライフ」・「パナピット」等)看板も全て外され、下述の看板のみになった。それらの看板が取り付けられていた部分は跡を消すためタイルを上貼りした(のちに「N&Eハウス」へ新規認定された店舗では、かつて「National/Panasonic」ロゴ看板があった部分へ「ネットワーク&エコハウス」ロゴ看板を掲示)。
  • 上段に「National」下段に「Panasonic」と書かれた2段型看板については、「Panasonic」の位置を下段から上段へ変更し、下段には白地に黒文字で店舗名(店名ロゴ)を記載する(「SPS」認定店は店名の上隣に「eco ideas」のリーフ型緑ロゴと緑文字で「エコ活動宣言店」、青文字で「スーパーパナソニックショップ」と各々併記[注 10])。また、上部エリアに「National/Panasonic」下部エリアに「店舗名(店名ロゴ)」が書かれたタイプの看板については、上部エリアの「National/Panasonic」の部分が「Panasonic」に変更された。なおパナソニックショップサイトリニューアルとPCMC組織改編に伴い、2017年度からは(「Panasonic」看板下隣にある)白地看板については「SPS」(パナソニックショップサイト掲載店)及び「N&Eハウス」認定店であっても「(スーパーパナソニックショップ表記を省き)店名ロゴのみの表記」とする店舗が出始めている。
  • 営業車の場合、パトカー似の濃い青と白の塗り分けを基本とし、側・後面青部分には白抜き、フロント部分には白地に青抜きでそれぞれ「Panasonic」と表記。店名表記の場合、側面は左右扉(軽ワゴンの場合は最前席の左右扉)部分に各店独自ロゴという形で、後面は荷台呷り(軽ワゴンの場合は後面トランク扉)右側部分(「Panasonic」の右隣)に青地に白抜きのゴシック体という形でそれぞれ表記(以前は後面に「National Shop(+店名)」と書かれていたが、現在は全て「Panasonic(+店名)」に統一)。なおPCMCの営業車(主に「トヨタ・プロボックス」)はパナソニックショップの営業車と異なり、「Panasonic」の文字は車体に印字せずナショナルショップ時代から白一色である[注 11]
  • 店舗によっては新車への買い換えを機に車体への「Panasonic」ロゴ表記を廃止したり、既存の営業車についても「Panasonic」ロゴと店名ロゴを車体から削除して無地の状態に切り替える場合もある。

上記の作業はSPS認定店で最初に開始され、SPS認定店は2008年9月30日をもってデザインリニューアルを完了した。SPS非認定店の変更作業は後回しとなっていたため旧デザインの店も多く残り、SPS非認定で「パナソニック会」に加盟している店は2008年度中(2009年3月31日まで)に完了。SPSに認定されておらず、かつパナソニック会にも非加盟の小規模パナソニックショップについては2009年度中の完了を目標にリニューアル作業を進め、2010年春までに全てのパナソニック系列店における看板・シャッター・営業車デザインのリニューアルが完了した。

さらにパナソニックショップ以外でもパナソニック電工代理店(パナソニック電工製の部品を仕入れているリフォーム工事業者・ガス器具販売店・石油&ガス給湯機設置工事業者・住宅メーカーなど)の看板からも2009年度中に「National」や「松下電工」などの旧文字が看板より外され、「Panasonic」や「パナソニック電工代理店」などの表記に統一された。

上記作業に伴う看板掛け替えの工事・委託・製作費は全額パナソニック側が負担しており、これら社名変更関連費はパナソニックグループ全体で約300〜400億円と推定されている。

撤去された旧「National(ナショナル)」看板は全てパナソニックエコテクノロジーセンター等のリサイクル工場で分別・粉砕され、FRP増量剤や植木鉢等として再利用されている[5]

しかし、売り上げが大きく落ち込み、後継者難に苦しんでいた零細ナショナルショップは、パナソニックショップへの変更が認められず、旧来の「National」文字を外した後、「Panasonic」看板へ掛け替えないまま廃業する店舗やアトム電器などの独立系や家電量販店系へ鞍替えする店舗も出ている。

なお店舗正面に掲示する「Panasonic」ロゴ看板は(店舗の広さや外観により取り付け可能空間&取り付け方法に違いが生じるため)大きさが各店舗ごとに少しずつ異なる。そのため「各店舗ごとの受注生産(オーダーメード)」となっている(「N&Eハウス」認定店の場合、「Panasonic」ロゴ看板と「ネットワーク&エコハウス」ロゴ看板の大きさ比率が店舗により異なっており、「Panasonic」看板のほうが大きい店舗もあればその正反対の店舗もある)。

「SANYO」商標全廃、三洋系列店はパナソニックショップへ吸収統合

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パナソニックは2009年9月1日より、経営再建中の三洋電機をパナソニックの傘下とする方針を決め、同年12月に正式に子会社化した。

さらに2010年7月28日にはパナソニック電工及び(パナソニックグループの傘下に収めた)三洋電機を2011年3月末までにパナソニックの完全子会社化とする事が正式決定[注 12]。同時に「SANYO」ブランドは2012年3月31日を以て廃止[注 13] され、翌(2012年)4月1日からは「Panasonic」へ完全統一される[6]

これに伴い(2010年10月現在)全国に約1500店ある三洋系列店「スマイるNo.1ショップ」は2011年10月1日以降順次「パナソニックショップ」へと衣替えされ、翌2012年3月31日までに三洋系列店全店が「SANYO」の文字を外して「Panasonic」へ掛け替え(これによりパナソニックショップ店舗数は全国で約1万9千店に)。さらに「SANYO」ブランドによる新製品発表は2011年3月31日出荷分を以て終了し、翌2012年春までの1年間は「Panasonic」ブランドへの移行期間として在庫調整等に充てられる(「SANYO」製品は2011年4月1日以降「在庫・展示品限り」となり、完売次第店頭から姿を消す)。

(2010年10月23日土曜付、日本経済新聞1面及び10面記事にて報道)

これに先行する形で、三洋系列店には薄型テレビ冷蔵庫など、一部でパナソニック製品が供給され始めている。さらに一部地域・店舗は、これまでの「SANYO」から「Panasonic」への看板掛け替えを予定より半年前倒しで実施した。パナソニックショップ同様、「Panasonic」ロゴの下に「エコ活動宣言店&各店店名ロゴ」看板を二段掲示する店舗が大半だったが、2011年10月からは順次「スーパーパナソニックショップ」に新規認定された店舗の突き出し看板に「スーパーパナソニックショップ」表記が付加された。

また、売上低迷からパナソニックショップへの変更を認められなかった店や、変更基準を満たしていても自発的に変更を望まなかった店も少なからずあり、そのような店はナショナルショップ同様、廃業かアトム電器コスモスベリーズなどの独立系や家電量販店系などのフランチャイズ業態店への転換を選択することになる。

「テクニクス(Technics)」

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パナソニックは2010年10月20日、現在生産されている「テクニクス」ブランド製品(レコードプレーヤー及び周辺機器類)を同年秋を以て生産終了した。理由は「デジタルオーディオ機器の普及によりアナログプレーヤーの売り上げが減少し、部品調達も難しくなったため」としている。これによりパナソニックはレコードプレーヤー生産より完全撤退することとなった。

なお「テクニクス」ブランドは2015年より復活する旨が決まり、同年2月に「テクニクス」ブランドの高級オーディオ製品が発売され、レコードプレーヤー「Technics SL-1200シリーズ」も2016年に生産が再開された。

CM

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  • パナソニックCMでは(パナソニックショップ各店における実話を題材にした)「パナソニックのお店編」が複数本制作・放送されており、SPSサイト内と「チャンネルパナソニック」項でも(過去放送版を含め)動画配信中。加えてSPSサイト内には過去の「パナソニックのお店新聞広告」も掲載。
  • これまで制作・放映されてきたパナソニックCM「パナソニックショップ編」は各店エピソードを脚本化して俳優が店員&顧客役を演じる場合がほとんどだったが、2015年1月からはパナソニックショップのスタッフ&顧客本人が出演するCMも放映開始。茨城県牛久市にある「日栄電器」がその第一作目となった[7](新聞広告も同時制作。CM監督は旧ナショナルショップの日常を描いた映画「幸福のスイッチ」を手がけ、過去にパナソニック勤務とパナソニックショップ手伝いの経験がある安田真奈。参照記事:「パナソニックCM『パナソニックのお店「日栄電器編」』安田真奈監督インタビュー」)[注 14]
  • 夏と冬に全国一斉開催される「パナソニックフェア」はTV・ラジオで(スポットとしても含め)全国一斉にCM放送されると共に、新聞広告にも掲載されている(春と秋のパナソニックフェアはCM・新聞広告による告知非実施)[注 15]
  • なおパナソニックショップ&パナソニックフェア関連のCM料金は全てパナソニックとその子会社「パナソニックコンシューマーマーケティング」が負担しており、パナソニックショップ各店がCM料金を自己負担しての各店個別CM放送は実施されていない。また月〜金の朝(6時台又は7時台)に国内37の民放AM局(JRN加盟33局[注 16]NRN単独2局・独立2局)で放送されている15分枠のパナソニック提供ラジオ番組歌のない歌謡曲」では「夏と冬の全国共通パナソニックフェアCM」が流れるのみで、SPS認定各店を紹介するCM・コーナー(全国各地の歌なしMCが当該局の地元にあるSPS認定各店を取材する「お客様と店の間に〜それぞれの物語」ラジオ版)は(別冊特番も含め)放送されていない。
  • 2017年12月下旬には初の試みとして、「各都道府県のパナソニックショップ各店が2017年を締めくくる挨拶と、2018年に迎える『パナソニック創業100周年』に向けた商いの抱負を語るラジオCM」が放送された。

参考文献

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  • ソニーと松下〜21世紀を生き残るのはどちらだ!」(立石泰則著、講談社刊)
  • 「中村邦夫“幸之助神話”を壊した男」(森一夫著 日経ビジネス人文庫)
  • 「中村邦夫は松下電器をいかにして変えたか」(財部誠一PHP研究所刊)
  • 「The Panasonic Way〜松下電器“再生”の論理」(長田貴仁プレジデント社刊)
  • 「松下ウェイ〜内側から見た改革の真実」(フランシス・マキナニー著・沢崎冬日ダイヤモンド社刊)
  • 「松下グループの歴史と構造」(下谷政弘有斐閣刊)
  • 「なぜ松下は変われたか〜松下電器、再生への軌跡」(片山修祥伝社刊)
  • 「松下のデザイン戦略」(川島容子PHP研究所刊)
  • 「街の元気屋さん〜心がほろっと温まる"街のでんきやさん"の話」(「街を元気にするプロジェクト」著、PHP研究所刊。パナソニックショップサイト内「お客様と店の間に"それぞれの物語"」項を単行本化。2014年5月15日発売)
  • 「ニッポンの明かりのような店」(「街を元気にするプロジェクト」著、PHP研究所刊。2014年5月15日に発売された書籍の続編として2016年5月10日発売)

関連項目

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かつて加盟していた著名な店舗

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脚注

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注釈

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  1. ^ パルックプレミアLS」シリーズなどを製造しているパナソニック ライティング社NECライティング製の蛍光灯製造も請け負っているため、「ホタルック」や「ライフルック」シリーズなどのNEC製蛍光灯にはパナソニック製である事を示す「ME」の記号が書かれており、パナソニックショップの一部でもNEC「ホタルック」シリーズを販売している。
  2. ^ 本業の赤字補填手段としてクリーニング店チェーンとフランチャイズ契約を結んでその取次店を兼務する
  3. ^ 同業他社は組織再編やリストラなどでアンテナ生産より軒並み撤退したため、パナソニックは自社ブランドアンテナ販売を行う大手電機メーカーとしては国内唯一となった(製造はDXアンテナへ委託。「VIERA」カタログとセールスマンカタログに「Panasonic」ブランドアンテナを掲載する他、「パナソニックTV受信システムカタログ」も発行)。なお三洋系列店「スマイるNo.1ショップ」より衣替えしたパナソニックショップではパナソニック純正アンテナがほとんど販売されず、三洋系列店時代より引き続き(マスプロ電工日本アンテナDXアンテナなどの)他社製品が販売されている。
  4. ^ スカパー対応品の場合、かつてはチューナーのみならずアンテナも自社生産していた。現在の「スカパー!プレミアムサービス」ではチューナーの自社生産こそ続けているが(スカパープレミアムチューナーを現在製造している国内メーカーはパナソニックのみで、マスプロ電工へもOEM供給)、アンテナはマスプロ電工からの供給へと変わっている(CSコンバータを2系統、BS・110度CSデジタルコンバータを1系統搭載し、一つのアンテナでスカパーとBS・110度CSデジタル両方を受信可能)。なおスカパーは2014年5月31日限りで従来型標準画質放送を終了し、ハイビジョン画質放送へと完全移行した(アンテナは従来品を流用可能だが、従来型SDチューナーはHD契約への流用不可)。
  5. ^ 住宅を新築した場合、アンテナ本体取り付け工事は「足場が付いている工事期間中に施工住宅メーカーと提携している業者が行う」場合と「完成し引き渡し手続き完了後に施主の自己負担で行う(屋内アンテナ線・分配器・アンテナコンセントのみの施工とする)」場合の二通りある(以前の住宅に取り付けられていたアンテナがまだ使える場合、新築工事期間中は取り外したアンテナ本体を施主側で仮住まいに保管し、新築住宅の外観完成後に再度組み立てて屋根に上げる場合あり。ただしこの時のマスト・屋根馬・ステーワイヤーなどの周辺部品は新品を用いる)。
  6. ^ パナソニックはブースター・分波器・アンテナ線・周辺部品類の生産も2013年限りで撤退したため、(パナソニックショップへ供給される)これら製品も現在はマスプロ・日本アンテナ・DXアンテナ等の他社製品に変わっている(パナソニック製アンテナの現行モデルは「TA-DUF200」・「TA-14/20DU7」「TA-BCS45R2/RK2」のみで、全てDXアンテナのOEM)。
  7. ^ アナログ時代の屋外アンテナは横幅が大きく場所を取っていた(特にVHF及びUV共用アンテナは小型化が難しかったため分解して畳まれた状態で梱包され、現場到着後に開梱して組み立てる形だった)ため、設置可能場所が屋根上に限られる場合がほとんどだった。しかし地デジ化後はマストのみならずベランダ及び壁面にも取付可能で、かつ従来型(20素子)八木UHFアンテナ並の性能・利得が得られる(水平・垂直両偏波対応)小型&薄型UHFアンテナ「スカイウォーリー(パナソニックはTA-DUF200/DUF01)」が発売され、アンテナ工事の負担・費用軽減に貢献している(近年の家屋は総二階が主流となって屋根が急勾配化し転落事故の危険性が以前より高まってきたため、アンテナ設置場所は従来の屋根上からベランダや壁面へと移ってきている=ベランダ・壁面取付の場合は屋根上への取付で用いるステーワイヤー・ステー金具・ステーアンカー・ターンバックル・屋根馬が不要。衛星アンテナ同様マストとサイドベースさえあれば取付可能で、使う周辺部品を従来の屋根上設置より大幅に減らせる。さらにスカイウォーリーには壁面用取付金具・周辺部品・工具が付属されているモデルもある)。特にUHFアンテナは(従来の八木型・薄型スカイウォーリー共に)全て出荷時に本体組み立て済みなので、現場到着後はマストへの取付・ケーブル接続・方向調整・周辺部品取付のみで完了となり、アンテナ設置工事に要する時間はアナログ時代より大幅短縮されている。
  8. ^ 当時の「松下ライフエレクトロニクス(LEC)」及び「松下流通研修所(現:パナソニック マーケティングスクール)」が主催。原則非公開で行われ、パナソニックショップ後継者を育成する「松下幸之助商学院」とは別系統。社名を「パナソニック株式会社」へ変更した2008年10月1日より主催社は現在の「パナソニック コンシューマーマーケティングLE社」へ移管
  9. ^ 自宅を仮事務所とし店舗は出していない零細パナソニックショップでは「Panasonic」看板を掲示せず、営業車に印字された「Panasonic」と当該店名ロゴのみが店舗の場所を示す手がかりとなるケースも多い。
  10. ^ 2014年4月1日以降に愛称(通称名)を変更した店舗及び「スーパーパナソニックショップ(SPS)」へ新規認定された店舗及び新築・改築された店舗は「エコ活動宣言店」の表記を省略し、「スーパーパナソニックショップ+店名ロゴ」のみの表記へと改めた。
  11. ^ 本店の近隣地区などへ支店を展開している店舗の場合、営業車は(「Panasonic」ロゴと当該店の本店・支店名をそれぞれ車体に印字し)本店と支店とで(相互乗り入れや出張をさせず)別々の運用としている(本店から支店へ出向する従業員や店休日に本店のある地区へ戻る支店経営者の本店・支店相互間移動手段は、各人が所有する自家用車を用いる場合が多い)。
  12. ^ これにより三洋電機とパナソニック電工の株式はパナソニックの完全子会社化成立時を以て=2012年3月31日までに上場廃止。
  13. ^ 東南アジアなど、「SANYO」のブランドが広く支持されている地域では引き続き使用されているが、日本国内のブランドとしては廃止
  14. ^ パナソニックは発足当初から今日まで「系列電器店編CM」制作本数が国内電機メーカーの中で最も多い。さらにパナソニックフェアのTV・ラジオCM及び新聞広告は、今や国内大手電機メーカー唯一の存在となった。同業他社では日立が「日立チェーンストール編」CMを制作・放送しているが、パナソニックショップのような「全国各地にある日立チェーンストールの取り組み」は日立CMや「日立お店ナビ」項で一切紹介していない=かつて行われていた「日立ふれあい感謝デー」や「きになる日立の気になるフェア」全国共通CM放送は現在廃止。東芝三菱電機シャープソニーに至っては「自社系列電器店編CM」すら一切制作・放送しておらず、「各社系列電器店(東芝ストアー三菱電機ストアーソニーショップ)検索」項でも「全国各地にある系列電器店の取り組み」は一切紹介していない。
  15. ^ 「松下電器産業」時代(2008年3月31日まで)は、当時のナショナルショップキャラクター「パナ坊」がナショナル・パナソニックフェアのテレビCMに登場していた。
  16. ^ 大阪地区のJRN加盟局はMBSABCの2局あるが、「歌のない歌謡曲=歌なし」はMBSが放送している(「歌なし」は近畿の民放第一号であるMBSラジオから全国へ普及した番組であるため、ABCはJRN加盟局で唯一「歌なし」を放送していない)。また「歌なし」を放送している民放AM局は全て「当該地域で最初に開局」している。

出典

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  1. ^ 国内家電流通の適正なあり方に関する調査日本情報処理開発協会[リンク切れ]
  2. ^ a b 【パナソニック100年・次の成長を描く】歴史と向き合う(2)「店をやめろってのか」試される共存共栄『日経産業新聞』2018年3月27日(エレクトロニクス面)
  3. ^ パナソニック「街のでんきやさん」承継支援『日刊工業新聞』2017年7月31日1面トップ記事(2018年4月21日閲覧)
  4. ^ 2003年9月25日日経産業新聞P28「ルポルタージュ:第3部苦闘する販売王国(4)道場で系列店主しごく(甦るか松下)」
  5. ^ パナライフクラブ2009年夏号の巻末記事に掲載
  6. ^ 2010年5月7日、大坪文雄社長は同年3月期決算発表記者会見の席上「子会社である三洋電機の白物家電を将来統合する」と発表。
  7. ^ 日栄電器が行っている取り組みはSPSサイト「お客様と店の間に それぞれの物語 Vol.3」項と単行本「街の元気屋さん〜心がほろっと温まる“街の電器屋さん”の話」にて紹介。そのエピソードが今回初めてパナソニックCM「パナソニックのお店編」として、「実在するSPS認定店が行っている当該店独自の取り組みをありのままに紹介する」形で制作・放映される運びとなった。
  8. ^ 2008年6月9日付、SBS牧野克彦アナ公式ブログより
  9. ^ 2013年10月23日付、SBS牧野克彦アナ公式ブログより。