定善寺
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門前(2011年3月) | |
所在地 | 宮崎県日向市財光寺7295 |
位置 | 北緯32度24分50.99秒 東経131度37分29.54秒 / 北緯32.4141639度 東経131.6248722度座標: 北緯32度24分50.99秒 東経131度37分29.54秒 / 北緯32.4141639度 東経131.6248722度 |
山号 | 日知屋山 |
宗旨 | 日蓮正宗 |
寺格 | 本山 |
創建年 | 建武2年(1335年)[1] |
法人番号 | 9350005002477 |
定善寺(じょうぜんじ)は、宮崎県日向市大字財光寺にある日蓮正宗の寺院。山号は日知屋山(ひちやざん)。日蓮正宗三本山のひとつで日向本山。元は郷門寺院。
日蓮正宗改宗に抵抗した檀家が離脱し近隣に日蓮宗本光寺を建立し本東寺より住職を迎えた。
起源と沿革
- 1331年(元弘元年) - 薩摩阿闍梨日叡により建立される。開基檀那は地元の領主である伊東氏[2][3]。
- 1486年(文明18年) - 保田妙本寺の僧侶日蔵により日向市大王谷に本建寺創建。
- 1957年(昭和32年)8月30日 - 日蓮正宗へ改宗。定善寺及び末寺の日向六ヶ寺の日蓮正宗帰一奉告法要が奉修される。
- 1977年(昭和52年)12月4日 - 現在の本堂が完成。本建寺を定善寺内に移転。
歴代住職
代 | 日号 | 阿闍梨号・院号 | 御遷化年月日 | 享年 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
初代 | 日叡 | 薩摩阿闍梨 | 応安2年8月5日 | ||
2代 | 日礼 | ||||
3代 | 日掟 | ||||
4代 | 日等 | ||||
5代 | 日維 | ||||
6代 | 日守 | ||||
7代 | 日学 | ||||
8代 | 日揚 | ||||
9代 | 日現 | ||||
10代 | 日定 | ||||
11代 | 日位 | ||||
12代 | 日慈 | ||||
13代 | 日満 | ||||
14代 | 日春 | ||||
15代 | 日明 | ||||
16代 | 日是 | ||||
17代 | 日泰 | ||||
18代 | 日正 | ||||
19代 | 日利 | ||||
20代 | 日常 | ||||
21代 | 日義 | ||||
22代 | 日宝 | ||||
23代 | 日啓 | ||||
24代 | 日貞 | ||||
25代 | 日玄 | ||||
26代 | 日厳 | ||||
27代 | 日由 | ||||
28代 | 日涌 | ||||
29代 | 日任 | ||||
30代 | 日仙 | ||||
31代 | 日護 | 大正14年12月9日 | 38歳 | ||
32代 | 日悦 | 観解院 | 昭和55年8月19日 | 83歳 | |
33代 | 道雄 | 日知屋阿闍梨 | 平成8年7月25日 | 85歳 | |
34代 | 栄尊 |
所在地
- 宮崎県日向市大字財光寺7295。
寺院の特徴
- 毎年、虫払い法要は御会式終了後に行われ、地元では「おまんだらさま」として親しまれ、テレビ中継が行われるほど有名である。
寺院周辺
- 日向市立財光寺小学校
- 日向財光寺郵便局
交通アクセス
その他
現存する『曽我物語』の最古のものであり、国の重要文化財の指定を受けている「曾我物語(真名本)」十巻は、天文15年(1546年)に定善寺の一僧侶であった四位日助によって親本から書き写されたものが、保田妙本寺の日我の元へ渡ったものである[4]。
脚注
- ^ 『日向市史通史編』 平成22年10月1日 P166より
- ^ 蓮華(昭和52年8月号)『本山定善寺』
- ^ 参照2は自山発行の為、根拠として信憑性に欠けます。ノートを参照して下さい。
- ^ 「「続・宮崎の謎」三又喬<59>日向版・曽我物語」、西日本新聞 朝刊、1992年4月26日、26頁。