風穴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

風穴(ふうけつ、かざあな、英語名:wind cave)とは、洞窟の内外で生じる気温差や気圧差によりの流れが生じ、洞口(洞窟の開口部、出入り口)を通じて体感的に速い大気循環がある洞窟の一形態である。

呼称[編集]

風穴は「ふうけつ」とか「かざあな」とか読んだりするが、どちらでも間違いではない。近年頃までは一般的に「かざあな」と呼ばれていたが、明治期になり蚕種貯蔵風穴が全国各地に多数造られ「ふうけつ」の語が広く定着した。ただ、地域によっては明治期以降も「かざあな」を使っている地名もある。地域によっては伝聞などから「かざあな」と「ふうけつ」を形状や用途の違いで区別している場合もあるが、全国的に見れば統一的に定義づけて区別することは適切ではない[1]

『カルスト-その環境と人びととのかかわり』では「人の入ることのできない小規模のものを「かざあな」、洞穴となっているものを「ふうけつ」とも区分する[2]。」とあるが、根拠不明でおそらくある地域での伝聞と思われる。現に滋賀県の河内風穴(かわちのかざあな)など全国的にこの定義にあてはまらない例が多数存在する[1]

概要[編集]

風穴は比較的新しい時代の火山岩溶岩台地、等)が広がる地域に見られる。このタイプの世界の大規模な風穴としては、ウインドケーブ国立公園の洞穴(アメリカ合衆国サウスダコタ州)がある。日本では富士山麓周辺に多く存在し、著名なものとして万野風穴富岳風穴がある。石灰岩カルスト地形、等)の鍾乳洞が原因の風穴もあり、これは秋芳洞グヌン・ムル国立公園のウィンドケイブ(東南アジアボルネオ島北部)があげられる。開口節理(割れ目が開いたもの)は大雪山周辺などにも風穴は多く認められ、凍結・融解によって岩が割れる現象などにより風穴は発生する。ここでは、風穴に起因する永久凍土の報告がある。

また、地中の空洞が、高低差のある複数の開口部で地表と結ばれている場合にも風穴現象が起きやすい。冬場、空洞内で比重が軽い温かく空気が上方の温風穴から吹き出し、その分、冷たい外気が下方の冷風穴から吸い込まれる。日光が射さない空洞内の空気と岩盤は温度が上がりにくいため、になっても冷気が漏れ出る仕組みである。自然の洞窟だけでなく、金沢城石垣のような人工空洞でも起きる[3]

実際には日本の風穴は、溶岩トンネルによる風穴は富士山山麓や秋田駒ヶ岳寒風山鳥海山の猿穴、北八ヶ岳神鍋山雲仙岳などのごく一部で指摘されているにすぎない。日本の風穴の大半は、崖錐が崩落した岩屑や、岩塊斜面などの堆積物の隙間からできているものがほとんどである。『日本の風穴』ではこれを「崖錐型風穴」と名付けている[1]

夏期に下方で冷風が吹き出す「冷風穴」がある一方、冬期には「冷風穴」が風の吸い込み口になり、山の上方で煙突のように温風が吹き出すことがある。これを「温風穴」という。冬期には冷風穴から冷えた外気が吸い込まれ、冷風穴に近い風穴内の岩石が著しく冷却される。その蓄熱によって春から夏までの岩石の低温が維持され、そのため冷風穴から冷たい風が吹き出すと考えられる[1]

風穴植物[編集]

風穴周辺には、風穴がつくる低温環境によって寒冷な植生帯に生育する植物が出現することがある。 風穴の植物が初めて記載されたのは牧野富太郎や、三好学による長走風穴によるものが最初で、そこでは標高200m程度のコナラミズナラの林の中にコケモモゴゼンタチバナオオタカネバラなどの高山から亜高山帯の植物群落が見られる。三好の調査により1926年には「長走風穴高山植物群落」として、富士山麓に次ぐ国指定天然記念物となった。また、福島県の中山風穴ではオオタカネバラやアイズシモツケベニバナイチヤクソウなどからなる、やや規模が大きい植物群落があり、1964年に「中山風穴地特殊植物群落」として国指定天然記念物に挙げられている。風穴植物が天然記念物になっているのはこの2ヶ所のみである。これらは、氷河期の植物のレフュージア(逃避地)という見解もある[1]

利用[編集]

稲核風穴では江戸中期の宝永年間(1704年-1711年)に風穴を利用した漬物小屋を造って漬物保存に利用していた。漬物は松本城主に献上されていたと言われる[1]

開口部が大きく有名な風穴は、一部で観光名所になっている。日本では夏場でも付近が涼しいことから山地の住民に知られるようになった小さな風穴が全国に点在している。これらは野菜漬物などの保管用に加えて、明治時代養蚕に使うの卵の保存に使用された。風穴の上に建てられた「風穴小屋」は全国に少なくとも280カ所程度あった。風穴小屋は電気冷蔵庫が普及した大正中期以降、ほとんどは使われなくなったが、種子や酒などの保存用に再建・新設された例もある。風穴の研究者や愛好者が集まる全国サミットが開かれているほか、その研究成果をまとめた『日本の風穴-冷涼のしくみと産業・観光への活用』(古今書院)が2015年に刊行された[3]

荒船・東谷風穴蚕種貯蔵所跡群馬県)は世界遺産富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産である。

富士山山麓の富岳風穴西湖蝙蝠穴駒門風穴などの溶岩トンネルは、古くから観光用の洞窟として著名である。 北海道の遠軽や然別火山群、寒風山、秋田県湯沢の三関風穴、群馬県の荒船風穴、兵庫県の神鍋山、隠岐の岩倉、長崎県の雲仙岳では風穴がジオサイトになっており、ユニークな自然の価値が認められている。秋田県の長走風穴や宮城県の材木岩風穴、佐賀県永野の風穴などは避暑のための公園として整備されている。新潟県の山伏山風穴浜松市鷲沢風穴、香川県の高鉢山風穴などは、キャンプ場近辺のクールスポットとして注目されている。また、現在も実用的な冷蔵倉庫として利用されている風穴が各地にある。稲核風穴や、津南町の見倉の風穴、山梨県早口町久田子風穴兵庫県神鍋山風穴などはいずれも集落近傍の風穴で、種や野菜、漬物や果実の貯蔵に利用されている。長野県長和町では、1992年に農山漁村活性化集出荷施設として、風穴を生かした天然冷蔵倉庫が新設され、特産の蕎麦の実を保存している。また、特に施設はないが、上高地岳沢の「天然クーラー」や双六岳登山ルートの蒲田川左俣林道沿いの「お助け風」、後方羊蹄山の比羅夫コース2合目の「風穴」などは、夏の登山シーズン中に登山者へ涼を供している[1]

養蚕業への利用の歴史[編集]

江戸時代までは、大半の蚕の品種は春の孵化から6月末の産卵まで、1年に1度の飼育しかできなかった。当時は桑の芽吹きに合わせて卵を部屋の中で上下させたり、火鉢で暖めたり、冷たい所に置いたりして、慎重に温度管理を行い孵化の時期を桑の芽吹きに合わせて調節していた。長野県の南安曇地区では文久年間(1861年-1865年)既に風穴に蚕種を保存して孵化を遅らせる手法があったことが記録されている。慶応2年(1866年)輸出したものの、過剰になって日本に返されていた蚕種のうち前田風穴に保存しておいたものを、大遅霜で蚕が大被害を受けた際に取り出して飼育してみたところ一定量の繭を得ることができた。これが蚕種冷蔵の風穴利用の本格的な起源となったとされる。明治11年(1937年)には、風穴蚕種の製造が政府に許可され、風穴を利用した年間多回飼育が全国に広がっていった。しかし、風穴を利用した蚕種貯蔵は大正時代には減少し、昭和10年にはほぼゼロになった。これは大正3年に愛知県の小池弘三が開発した人工孵化技術が広がったためであった。これは、蚕種を塩酸に浸し越年状態に至った蚕種を強制的に孵化する技術であった。また、風穴は一般的に交通の不便な山中にあることが多く、明治時代から冷蔵庫の利用が考えられていた。既に明治41年には冷蔵庫で保存した蚕種と、風穴で保存した蚕種に大きな違いが無いことが研究されていた[1]

また、2011年3月11日に発生した東日本大震災では、各電力会社では計画停電が実施されたが、そのため貴重な蚕の系統を電力に頼らず冷凍保存する必要があった。そこで、前田風穴内にこれら蚕の保存が実施された[1]

主要な風穴[編集]

富岳風穴の入り口
日本
日本以外の地域

比喩表現[編集]

日本語では、「風が通り抜ける穴」の意から、別の物体が貫通することによって形成される物体上の穴を「風穴」と書いて「かざあな」と読む。 強力な刺突武器弾丸によって防具人体などといった物体に開けられる穴は比喩表現上、「風穴」と呼ばれ、そのような穴を開けることを「風穴を開ける」と言うことがある。また、より抽象的な用法として、古い悪習などの柔軟性に乏しく澱んだ空気のように閉じた価値観を、別の強力な価値観(新風)によって打ち破り無効化する、あるいは、固執を解きほぐして柔軟性あるものに変える、そのような行いを、空間が開いて通気の良くなった状態に喩えて「○○に風穴を開ける」と表現する。

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b c d e f g h i 『日本の風穴』、清水長正・澤田結基、古今書院、2015年
  2. ^ カルスト-その環境と人びととのかかわり-, p.296;大明堂, 1996
  3. ^ a b 清水長正:夏もひやひや風穴の不思議◇明治の養蚕支えた「天然の冷蔵庫」、全国に訪ねる◇『日本経済新聞』朝刊2017年6月15日(文化面)
  4. ^ 『信濃毎日新聞』2013年9月22日号
  5. ^ http://www.82bunka.or.jp/bunkazai/result.phpkword_txt=&map=1&bunkazai_area_01=20000&bunkazai_area_02=20217

関連項目[編集]