聖子ちゃんカット

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Camera-photo Upload.svg 画像提供依頼:髪型がよく判るような画像の画像提供をお願いします。2015年12月

聖子ちゃんカット(せいこちゃんカット、当時は"ちゃん"を付けず「聖子カット」の方が一般的な呼び方)は、松田聖子がデビュー当時(1980年1981年の約2年間)にしていた髪型。日本の若い女性の間で流行した。

前髪で眉を隠すのが印象的で、肩下5〜10センチ程度のレイヤーの毛先をサイドは後ろ、バックは内側にゆるくカールさせたスタイル。

歴史[編集]

松田聖子がデビューする以前の1970年代末頃、女学生らが当時の最新鋭ファッションとして「段カット」や「サーファーカット」と呼ばれる髪型を取り入れ始めており、イギリス皇太子第2妃であるカミラ・パーカー・ボウルズもこのスタイルにしている。これらは当時、世界のセクシーシンボルとして人気であったファラ・フォーセットがしていた髪型が源流にあるとも云われる。1970年代後半、歌手の伊藤咲子などもこれに近い髪型だった。

松田にとっての起源については諸説あるが、1970年代中頃のオリビア・ニュートン=ジョンの髪型を模倣したのではという声が一般的である。 デビュー時やそれ以降もオリビアのアイドル性を参考にしたと思われる節は多岐に見られ、83年には自身のアルバムにおいてオリビアのアルバムジャケットオマージュしたりと、少なからず影響を感じさせる。

この髪型はデビュー前から既にやっていたそうで、松田出演のドラマ「おだいじに」やファーストシングル「裸足の季節」のジャケットなどで見られるスタイルがそれである。 その後、セカンドシングル「青い珊瑚礁」あたりから所謂「聖子カット」と呼ばれるスタイルが確立され、松田のトレードマークとなった。

当時のスタイリングに関しては、スタイリストがいた訳ではなく松田が通う美容室「ヘアーディメンション」(2017年4月に破産[1])四谷店でカットを行っていたという。松田は美容師・飯塚保佑と相談しながらこのスタイルを作りあげていった。つまり、事務所が仕向けた格好というよりはあくまで松田の自主的なイメージが先行したものと言える。

世間や芸能界の流行の真っ只中にあった聖子ちゃんカットだが、1981年末、翌年1月発売のシングル「赤いスイートピー」のミディアムテンポのイメージに合わせて、本人の思いつきでバッサリとショートヘアに切ってファンや世間を驚かせる。

松田のその後の髪型としては、82年がそのショートヘア、83年には当時まだ広まっていなかったストレートパーマをかけた髪型にしたり、日本では馴染みが無く80年代後半に大流行する事になるソバージュヘアにしたりと、常に流行を先取りしたスタイルに挑戦していた。

影響[編集]

1980年に松田がデビューするとその人気を発端に、一般女子や中高生の間で大流行した。この頃から「聖子カット」「聖子ちゃんカット」という名称が定着する。

82年にデビューした小泉今日子松本伊代堀ちえみ早見優ら「花の82年組」と呼ばれる人気アイドルたちも、皆こぞってこの聖子ちゃんカットでデビューするなど、アイドルの定番の髪型として定着していった。その1人、中森明菜も聖子ちゃんカットが少し伸びたレイヤーカットでデビューし、そのまま伸ばしてポニーテールスタイルなどになっていった。その後、82年に松田がパーマのかかったショートヘアに変えると後を追うように堀ちえみが82年末、小泉今日子が83年5月にショートヘアへとイメージチェンジを図り、続々とアイドル界にショートヘアが流行っていった。

84年頃になると、中森明菜のポニーテール(82年当時からしていた)、小泉今日子の大胆な刈り上げスタイル、斉藤由貴などのアイドルのデビューによって、彼女達の髪型を原型としたショートヘアやポニーテールなどが流行しだす一方、84年デビューの菊池桃子や松田の後輩である岡田有希子、85年デビューの中山美穂森口博子、86年デビューの西村知美など、聖子ちゃんカットのスタイルでデビューするアイドル達も根強くいた。

80年代後期にはアイドル界の混迷と共に徐々に廃れ始めたが、ピアニストの仲道郁代などは1990年代になってもこのスタイルを暫く保ち続けた。

2013年連続テレビ小説あまちゃん』では、天野春子(小泉今日子)の若年期を演じた有村架純が、当時の様子を表す一面として聖子ちゃんカットで登場している。

2016年には二階堂ふみが『ゴチ17』出演時に、更にきゃりーぱみゅぱみゅが自身のInstagram上でこの髪型を披露している。

脚注[編集]

  1. ^ 「聖子ちゃんカット」生んだ美容室が破産 東京商工リサーチ 産経新聞2017年4月19日