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「リトアニア」の版間の差分

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'''リトアニア共和国'''(リトアニアきょうわこく)、通称'''リトアニア'''は、[[ヨーロッパ]]北東部の[[共和制]][[国家]]である。[[バルト海]]東岸に南北に並ぶ[[バルト三国]]の一つであり、北に[[ラトビア]]、東に[[ベラルーシ]]、南に[[ポーランド]]、南西に[[ロシア]]([[カリーニングラード州]])と国境を接し、西は[[バルト海]]に面している。首都は[[ヴィリニュス]]。
'''リトアニア共和国'''(リトアニアきょうわこく、{{lang-lt|Lietuvos Respublika}})、通称'''リトアニア'''({{lang-lt|Lietuva}})は、[[ヨーロッパ]]北東部の[[共和制]][[国家]]である。[[バルト海]]東岸に南北に並ぶ[[バルト三国]]の一つであり、北に[[ラトビア]]、東に[[ベラルーシ]]、南に[[ポーランド]]、南西に[[ロシア]]([[カリーニングラード州]])と国境を接し、西は[[バルト海]]に面している。首都は[[ヴィリニュス]]。


[[20世紀]]半ばから[[ソビエト連邦]]に併合されその[[ソビエト連邦構成共和国|連構成共和国]]となっていたが、[[1990年]]に独立を回復し、[[2004年]][[5月1日]]に[[欧州連合]]に加盟し
[[13世紀]]以降リトアニアは[[リトアニア大公国|大公国]]として認知され、[[16世紀]]半ばからは[[ポーランド王国]]と[[ルブリン合同|合同]]した。その後国家は衰退し、[[18世紀]]には3度にわたり国土が隣国に[[ポーランド分割|分割]]されて国家は消滅、現在のリトアニアにあたる地域の多くは[[ロシア帝国]]の領土となった。[[第一次世界大戦]]後の[[1918年]]にリトアニア共和国として独立。[[1940年]]に[[ソビエト連邦]](ソ連)の侵略を受け、さら[[1941年]]には[[ナチス・ドイツ]]からも侵略されている。その後は[[ソビエト連邦構成共和国|構成共和国]]の一つとなっていたが、[[1990年]]に[[リトアニア独立革命|独立を回復]]し、再びリトアニア共和国となった。[[2004年]]からは[[欧州連合]] (EU) に加盟している

[[冷戦時代]]はソ連の一部であったため政治的に[[東ヨーロッパ|東欧]]に含められてきたが、[[リトアニア独立革命|独立回復]]や[[ソ連崩壊]]を経て、その地理的文化的位置づけから東欧とは異なる[[中央ヨーロッパ|中欧]]または中欧のうち過去に東欧であった地域の[[中東欧]]として再び分類されるようになっている。また、[[国際連合]]の分類では東欧ではなく[[北ヨーロッパ|北欧]]に含まれるほか、日本外務省においては中・東欧課ではなく西欧課の管轄となっている。


== 国名 ==
== 国名 ==
正式名称は、''Lietuvos Respublika'' (<small>トアニア語: </small>リェトゥヴォス・レスプブリカ) 。通称は、''Lietuva'' ('''トゥヴァ''')。
[[リトアニア語]]における正式名称は、 '''Lietuvos Respublika''' (リトゥヴォス・レスプブリカ) 。通称 '''Lietuva''' (リトゥヴァ)、略称は LR


公式の英語表記は、''Republic of Lithuania''。通称は、''Lithuania''(リスエイニア)。
公式の[[英語]]表記は、 '''Republic of Lithuania''' 。通称 '''Lithuania''' (リスエイニア)。


日本語の表記は「'''リトアニア共和国'''」で、通称「'''リトアニア'''」。一部「リトワニア」、「リスアニア」<ref>例えば、{{Cite book|和書 |last = ティフ |first = フェリクス編著 |translator = 阪東宏 |year = 2006 |title = ポーランドのユダヤ人:歴史・文化・ホロコースト |publisher = みすず書房 |isbn = 9784622072317 |ref = ティフ編著, 2006}}</ref>、「リトアニヤ」<ref>例えば、[[小野寺百合子]]『バルト海のほとりにて:武官の妻の大東亜戦争』朝日文庫、1992年。ISBN 4022607138。</ref>という表記も見られる。
[[日本語]]の表記は「'''リトアニア共和国'''」で、通称「'''リトアニア'''」。一部「リトワニア」、「リスアニア」<ref>例えば、[[#ティフ編著, 2006|ティフ編著, 2006]].</ref>、「リトアニヤ」<ref>例えば、[[#小野寺, 1992|小野寺, 1992]].</ref>という表記も見られる。


[[ソビエト連邦]]構成共和国であった時代の国名は「[[リトアニア・ソビエト社会主義共和国]]」であった。
[[ソビエト連邦]][[ソビエト連邦構成共和国|構成共和国]]であった時代の国名は「[[リトアニア・ソビエト社会主義共和国]]」であった。


=== 由来 ===
[[ファイル:Lietuvos vardas. The first name of Lithuania in writing 1009.jpg|thumb|right|[[1009年]]の年代記に登場するリトアニアの国名]]
[[1009年]][[3月9日]]付け(正しくは[[2月14日]]であったとみられる)の年代記において "Lituae" と記されたのが、歴史上リトアニアの国名が登場する最初の例である<ref>[[#Baranauskas, 2009|Baranauskas, 2009]]. p. 28.</ref>。これは[[ラテン語]]による表記で、文法上は[[属格]]での表記であり、この[[主格]]は "Litua" となる<ref name="Baranauskas29">[[#Baranauskas, 2009|Baranauskas, 2009]]. p. 29.</ref>。当時 [v] の発音は "u" で表記されていたが、この「リトヴァ」という呼び方は現在でも[[ポーランド語]]をはじめとする[[スラヴ語派|スラヴ諸語]]において用いられている(Litwa または Litva と表記)<ref name="Baranauskas29"/>。

「[[共和国]]」に相当する "Respublika"(レスプブリカ)は、「公共のもの」を意味するラテン語の "res publica"(レス・プブリカ)に由来する。"res"(レス)には「物」や「財産」という意味、"publica"(プブリカ)は「公共の」という意味である。
== 歴史 ==
== 歴史 ==
{{main|リトアニアの歴史}}
{{main|リトアニアの歴史}}


=== 近代以前 ===
リトアニアが歴史的な文書に最初に登場するのは[[1009年]]である。[[13世紀]]には[[リトアニア大公国]]が生まれ、東ヨーロッパ一帯に領土を広げる大国となった。キリスト教化はのちに個人的な結びつきがきっかけで平和的に実現され、[[14世紀]]にはリトアニア大公[[ヴワディスワフ2世 (ポーランド王)|ヨガイラ]]がポーランド王を兼ねたため[[ポーランド・リトアニア合同]]を形成し、1569年以降はルブリン連合として合同し[[ポーランド・リトアニア共和国]](ジェチポスポリタ)が成立した。しかし、この国は[[1795年]]の第3次[[ポーランド分割]]によって[[ロシア帝国]]に併合された。
リトアニアが歴史的な文書に最初に登場するのは[[1009年]]である。[[13世紀]]には[[リトアニア大公国]]が生まれ、東ヨーロッパ一帯に領土を広げる大国となった。キリスト教化はのちに個人的な結びつきがきっかけで平和的に実現され、[[14世紀]]にはリトアニア大公[[ヴワディスワフ2世 (ポーランド王)|ヨガイラ]]がポーランド王を兼ねたため[[ポーランド・リトアニア合同]]を形成し、[[1569年]]以降は[[ルブリン連合]]として合同し[[ポーランド・リトアニア共和国]](ジェチポスポリタ)が成立した。しかし、この国は[[1795年]]の第3次[[ポーランド分割]]によって[[ロシア帝国]]に併合された。


=== リトアニア共和国として独立 ===
[[ロシア革命]]の余波が及んでいた[[1918年]]2月、ドイツの計画したミッテル・オイローパ構想(汎ヨーロッパ主義)の一環として、小さな版図であったが[[リトアニア王国]]が独立した。その後、[[第一次世界大戦]]でドイツが敗北すると、同年11月、リトアニア共和国となった。リトアニア共和国は、4世紀に渡る連合を解消し、ポーランド(リトアニア東部・南部地域)やドイツ(クライペダ地方)との領土問題で争いつづけた。[[1926年]]には[[独裁制]]に移行している。[[第二次世界大戦]]中の[[1940年]]、[[ソビエト連邦]]によって併合された。[[日本]]の在リトアニア・カウナス[[総領事館]]の[[杉原千畝]]が[[ユダヤ]]人を助けたのはこの頃である。
[[ロシア革命]]の余波が及んでいた[[1918年]]2月、ドイツの計画したミッテル・オイローパ構想(汎ヨーロッパ主義)の一環として、小さな版図であったが[[リトアニア王国]]が独立した。その後、[[第一次世界大戦]]でドイツが敗北すると、同年11月、リトアニア共和国となった。ただし現在の領土とは異なり、ヴィリニュス地域はポーランド領であったため、カウナスが臨時首都とされた。[[1926年]]には[[独裁制]]に移行している。


=== 第二次世界大戦 ===
[[1986年]]以降、[[ソビエト連邦]]の[[ミハイル・ゴルバチョフ|ゴルバチョフ書記長]]による[[ペレストロイカ]]を機に、国民運動[[サユディス]]が起こり、[[1990年]][[3月11日]]、初の非共産党員の最高会議議長・[[ヴィータウタス・ランズベルギス]]は旧ソ連を構成していた15共和国の中でもっとも早く、一方的に独立を宣言をした。国内に他民族(主にロシア人)が少なかったことが、国内意見の集約を容易にさせた側面があるとされる。独立回復後は、[[エストニア]]や[[ラトビア]]とは異なり、残留ロシア人に対しほぼ無条件で国籍をあたえた。その後、西欧諸国との結びつきを強めており、[[2004年]][[3月29日]]には[[北大西洋条約機構|NATO]]に加盟し、さらに[[5月1日]]には[[欧州連合]](EU)へ加盟した。
[[1939年]][[8月23日]]、[[独ソ不可侵条約]]追加条約によりリトアニアはソビエト連邦の影響下に置かれることとなり、[[1940年]]、ソ連軍が侵攻、リトアニアを占領した。なお、[[日本]]の在リトアニア・カウナス[[総領事館]]の[[杉原千畝]]が[[ユダヤ]]人を助けたのはこの頃である。


その後[[1941年]]にはドイツ軍がリトアニアに侵攻、占領したが、1944年からは再びソ連軍に占領され、そのまま[[リトアニア・ソビエト社会主義共和国]]としてソ連邦に編入された。
2009年5月17日、[[2009年リトアニア大統領選挙|大統領選]]が行われ、欧州連合の財政計画・予算担当欧州委員を務める[[ダリア・グリバウスカイテ]]元財務相が圧勝し、リトアニア初の女性大統領に選出された。


== 政治 ==
=== 独立回復へ ===
[[1986年]]以降、[[ソビエト連邦]]の[[ミハイル・ゴルバチョフ|ゴルバチョフ書記長]]による[[ペレストロイカ]]を機に、国民運動[[サユディス]]が起こり、[[1990年]][[3月11日]]、初の非共産党員の最高会議議長・[[ヴィータウタス・ランズベルギス]]は旧ソ連を構成していた15共和国の中でもっとも早く、一方的に独立回復を宣言をした。国内に他民族(主にロシア人)が少なかったことが、国内意見の集約を容易にさせた側面があるとされる。独立回復後は、[[エストニア]]や[[ラトビア]]とは異なり、残留ロシア人に対しほぼ無条件で国籍をあたえた。
{{main2|詳細は「[[:Category:リトアニアの政治|リトアニアの政治]]」を}}


[[州連合]]加盟であり、[[北大西洋条約機構|NATO]]に加盟している。一方で旧ソ連の[[ソビエト連邦構成共和国|連邦構成共和国]]でありながらも、[[独立国家共同体|CIS]]には加盟していない
その後、西との結びつきを強めており、[[2004年]][[3月29日]]には[[北大西洋条約機構]] (NATO) に加盟し、さらに[[5月1日]]には[[欧州連合]] (EU) へ加盟し


[[2009年]][[5月17日]]、[[2009年リトアニア大統領選挙|大統領選]]が行われ、欧州連合の財政計画・予算担当欧州委員を務める[[ダリア・グリバウスカイテ]]元財務相が圧勝し、リトアニア初の女性大統領に選出された。
[[大統領]]を国家[[元首]]とする[[共和制]][[国家]]であり、大統領は5年任期で[[直接選挙]]によって選ばれる。また[[外交]]や[[防衛]]方針の策定にも加わり、それらを指揮する職務も担う。また、大統領は、[[議会]]の承認を得て、[[首相]]や他の閣僚を任命する。他にも官僚や憲法裁判所の裁判官も任命する。
{{See also|リトアニアの統治者の一覧|リトアニアの首相}}


== 地理 ==
[[議会]]は「[[セイマス]]」(Seimas)と呼ばれる[[一院制]]であり、141議席を有し、4年任期で選挙により選ばれる。このうち71議席は[[小選挙区]][[直接選挙]]により、70議席は[[比例代表制]]により選出される。議会に議員を送り込むには、政党は少なくとも全投票の5%を、連立政党は7%を獲得しなければならない。
=== 地形 ===
[[ファイル:Lithuania-map.png|right|thumb|250px|リトアニアの地図]]
[[ファイル:LithuaniaPhysicalMap-Detailed.png|thumb|right|250px|リトアニアの地勢図]]
[[ファイル:Sand dunes Curonian.jpg|thumb|upright|ネリンガ砂丘]]
リトアニア共和国はヨーロッパの北東部に位置する、[[バルト三国]]の中でもっとも大きな国である。

西部は海と面しており、砂質の海岸がおよそ99km(61.5マイル)広がる。そのうちの38km(24マイル)が[[バルト海]]の外海に面しているが、これはバルト三国の中でも最も短い。残りの海岸線は[[クルシュー砂州]]により区切られているクルシュー潟に面している。主な[[不凍港]]は[[クライペダ]]港で、クルシュー潟の狭い入り口に位置している。このクルシュー潟は浅く、南に[[ロシア|ロシア連邦]][[カリーニングラード州]]まで続いている。国内最大の河川である[[ネマン川|ネムナス川]](ネマン川)とその支流は、国際運河ともなっている。

リトアニアの地形は、全体的になだらかで平坦であるが、これは[[氷河期|第4氷河期]]に形成された氷河がその後後退した際、標高差のあまりない、細長く伸びる尾根しか残さなかったためである<ref name="lorot11">パスカル・ロロ『バルト三国』礒見辰典訳、白水社、1991年。p.11。</ref>。このため小山や丘陵、平原がバルト地方の主な特色であるといえる<ref name="lorot11"/>。国内で標高の高い地域は西部の高台や東部の台地にある[[モレーン]]であるが、それでもリトアニアで最も高い地点([[アウクシュトヤス]] Aukštojas)の標高は292m(965フィート)しかない。

[[ヴィシュティーティス湖]]をはじめとする多くの湖や、また湿地帯があるのが特徴的である。また[[混交湿地林]]が国土の約33%を覆っている。

フランスの地理学者による算定によれば、ヨーロッパの地理的中心はリトアニアの首都ヴィリニュスの北数kmの地点になる。

[[植物地理学]]の観点からすると、リトアニアは中欧の特徴と東欧の特徴を合わせ持つ。また[[世界自然保護基金]] (WWF) によれば、リトアニアの領土は中欧混交林地域 (PA0412) とサルマタイ混交林地域 (PA0436) の2つの[[エコリージョン]]に分けられる<ref>"[http://www.worldwildlife.org/wildworld/profiles/terrestrial_pa.html Ecoregions]." WWF US. 2010年11月15日閲覧.</ref>。

=== 気候 ===
[[海洋性気候]]から[[大陸性気候]]まで及び、湿度は高い。夏も冬も比較的穏やかである。気温は西部と東部でやや異なり、海岸部(西部)は涼しい夏と余り冷え込まない冬があるのに対し、内陸部(東部)は寒暖の差が激しい。平均気温は、海岸部では1月が-2.5度で7月が16度、ヴィリニュスでは1月が-6度で7月が16度である。夏は日中20度程度、夜間は14度程度であり、ときに30度や35度にも達する。冬はとても寒く、ほとんどの場合-20度を下回る。最も寒い冬には、海岸部で-34度、内陸の東部では-43度にまで至る。

[[ファイル:Puckoriu-atodanga-1.jpg|thumb|left|[[ヴィリニュス]]近郊プーチュコレイの[[露頭]]]]

年間平均降水量は、海岸部で800ミリ、[[ジェマイティヤ|ジェマイティヤ地方]]高地で900ミリ、リトアニア東部では600ミリである。雪は毎年10月から4月にかけて降る。9月や5月などは[[霰]]や[[雹]]が降ることもある。激しい嵐は東部ではあまり起こらないが、海岸部では頻繁に起こる。

バルト地域における気温に関する記録は、古いものでは250年前にまでさかのぼる。そのデータによれば、18世紀後半は暖かな気候であり、また19世紀は比較的涼しい気候であった。20世紀になると再び暖かくなり、1930年代には最も暖かくなったが、その後1960年代まではやや涼しい気候が続いた。その後は温暖化の傾向が続いている<ref>{{cite web|url=http://www.baltex-research.eu/BACC/events/goteborg/Poster_2_1.pdf |title=Assessment of Climate Change for the Baltic Sea Basin - The BACC Project - 22–23 May 2006, Göteborg, Sweden |format=PDF |date= |accessdate=2010年4月25日}}</ref>。

2002年には、森林および泥炭地における火災が原因で[[旱魃]](干ばつ)も起きている<ref>{{cite web|url=http://adsabs.harvard.edu/abs/2003HESS....7..423S |title=Effects of 2002 drought in Lithuania |publisher=Adsabs.harvard.edu |date= |accessdate=2010年4月25日}}</ref>。2006年夏には、他の北欧諸国と同様リトアニアでも熱波に見舞われた。

なお、記録されている月別の最高・最低気温は以下の通りである<ref>{{cite web|url=http://www.meteo.lt/ |title=Records of Lithuanian climate |publisher=www.meteo.lt |date= |accessdate=2010年4月25日}}</ref>。

{| {{subst:wikitable}}
|-
| colspan="13" style="height:25px; background:#e7eef1;"| <div class="center">'''リトアニアにおける最高・最低気温 (°C)'''</div>
|- style="background:#e7eef1;"
| style="width:110px; "| <div class="center" class="style2">月</div>
| style="width:55px; "| <div class="center">1月</div>
| style="width:55px; "| <div class="center">2月</div>
| style="width:55px; "| <div class="center">3月</div>
| style="width:55px; "| <div class="center">4月</div>
| style="width:55px; "| <div class="center">5月</div>
| style="width:55px; "| <div class="center">6月</div>
| style="width:52px; "| <div class="center">7月</div>
| style="width:55px; "| <div class="center">8月</div>
| style="width:51px; "| <div class="center">9月</div>
| style="width:55px; "| <div class="center">10月</div>
| style="width:55px; "| <div class="center">11月</div>
| style="width:64px; "| <div class="center">12月</div>
|-
| style="width:110px; background:#e7eef1;"| <div class="center" class="style2">最高気温</div>
| style="width:55px; background:#ffbb70;"| <div class="center">+12.6 </div>
| style="width:55px; background:#ffa264;"| <div class="center">+16.5</div>
| style="width:55px; background:#fd7339;"| <div class="center">+21.8</div>
| style="width:55px; background:#fc5425;"| <div class="center">+28.8</div>
| style="width:55px; background:#fc2a25;"| <div class="center">+34</div>
| style="width:55px; background:#fc2a25;"| <div class="center">+35</div>
| style="width:52px; background:#fd0009;"| <div class="center">+37.5</div>
| style="width:55px; background:#fd0009;"| <div class="center">+36</div>
| style="width:51px; background:#fc2a25;"| <div class="center">+32</div>
| style="width:55px; background:#fd7339;"| <div class="center">+26</div>
| style="width:55px; background:#ffa264;"| <div class="center">+18</div>
| style="width:64px; background:#ffbb70;"| <div class="center">+15.6</div>
|-
| style="width:110px; background:#e7eef1;"| <div class="center" class="style2">最低気温</div>
| style="background:#0a427e;"| <div class="center"><span style="color:white;">-40.5</span></div>
| style="background:#0a427e;"| <div class="center"><span style="color:white;">-42.9</span></div>
| style="background:#2467b4;"| <div class="center"><span style="color:white;">-37.5</span></div>
| style="background:#6289cb;"| <div class="center"><span style="color:white;">-23.0</span></div>
| style="background:#96b8e8;"| <div class="center"><span style="color:gray;">-6.8</span></div>
| style="background:#d6e4f7;"| <div class="center">-2.8</div>
| style="background:#feffb9;"| <div class="center">+0.9</div>
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| style="background:#96b8e8;"| <div class="center"><span style="color:gray;">-19.5</span></div>
| style="background:#6289cb;"| <div class="center"><span style="color:white;">-23</span></div>
| style="background:#0a427e;"| <div class="center"><span style="color:white;">-34</span></div>
|}


== 地方行政区分 ==
== 地方行政区分 ==
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=== 行政区分 ===
=== 行政区分 ===
{{Image label begin|image=Apskritis of Lithuania.png|width={{{width|500}}}|float={{{float|right}}}}}
[[ファイル:Municipalities in Lithuania.png|right|thumb|300px|リトアニアの地方行政区分。]]
{{Image label small|x=0.49|y=0.62|scale={{{width|500}}}|text=[[ファイル:Alytus County COA.png|15px]]<br>[[アリートゥス県]]}}
{{Image label small|x=0.50|y=0.41|scale={{{width|500}}}|text=[[ファイル:Kaunas County COA.png|15px]]<br>[[カウナス県]]}}
{{Image label small|x=0.09|y=0.21|scale={{{width|500}}}|text=[[ファイル:Klaipeda County COA.png|15px]]<br>[[クライペダ県]]}}
{{Image label small|x=0.34|y=0.50|scale={{{width|500}}}|text=[[ファイル:Marijampole County COA.png|15px]]<br>[[マリヤーンポレ県]]}}
{{Image label small|x=0.57|y=0.15|scale={{{width|500}}}|text=[[ファイル:Panevezys County COA.png|15px]]<br>[[パネヴェジース県]]}}
{{Image label small|x=0.37|y=0.16|scale={{{width|500}}}|text=[[ファイル:Siauliai County COA.png|15px]]<br>[[シャウレイ県]]}}
{{Image label small|x=0.24|y=0.32|scale={{{width|500}}}|text=[[ファイル:Taurage County COA.png|15px]]<br>[[タウラゲ県]]}}
{{Image label small|x=0.20|y=0.14|scale={{{width|500}}}|text=[[ファイル:Telsiai County COA.png|15px]]<br>[[テルシェイ県]]}}
{{Image label small|x=0.76|y=0.27|scale={{{width|500}}}|text=[[ファイル:Utena County COA.png|15px]]<br>[[ウテナ県]]}}
{{Image label small|x=0.65|y=0.48|scale={{{width|500}}}|text=[[ファイル:Vilnius County COA.png|15px]]<br>[[ヴィリニュス県]]}}


{{Image label small|x=-0.010|y=0.250|scale={{{width|500}}}|text=''[[バルト海|<span style="color: #3399cc;">バルト海</span>]]''}}
行政区分は10の県 (''apskritis'') に分けられており、それぞれに県庁所在地の名前が付けられている。さらに県は全部で60の地方自治体に分割される。


{{Image label small|x=0.750|y=0.060|scale={{{width|500}}}|text=''[[ラトビア|<span style="color: grey;">ラトヴィア</span>]]''}}
これらの行政上の区分は[[1994年]]に行われた。
{{Image label small|x=0.900|y=0.500|scale={{{width|500}}}|text=''[[ベラルーシ|<span style="color: grey;">ベラルーシ</span>]]''}}
{{Image label small|x=0.300|y=0.700|scale={{{width|500}}}|text=''[[ポーランド|<span style="color: grey;">ポーランド</span>]]''}}
{{Image label small|x=0.10|y=0.48|scale={{{width|500}}}|text=''[[ロシア|<span style="color: grey;">ロシア</span>]]<br />[[カリーニングラード州|<span style="color: grey;">(カリーニングラード州)</span>]]''}}
{{Image label end}}
現在の地方行政区画は1994年より適用されており、2000年には欧州連合加盟条件を満たすために修正が施されている。リトアニアは3段階の行政区画がある。まず、10の'''県'''({{lang-lt|apskritis}}、複数形: {{lang|lt|apskritys}})が設置されており、その下に60の'''基礎自治体'''({{lang-lt|savivaldybė}}、複数形: {{lang|lt|savivaldybės}})が設置されている。さらにその下には500以上の'''区'''({{lang-lt|seniūnija}}、複数形: {{lang|lt|seniūnijos}})が設置されている。


==== 県 ====
* [[ファイル:Alytus County COA.gif|20px]][[アリートゥス県]] <small>''{{lang|lt|Alytaus apskritis}}''</small> (県庁所在地:[[アリートゥス]])
県の名称には、それぞれ県庁所在地の都市の名前が付けられている。県は、中央政府が任命した県知事({{lang-lt|apskrities viršininkas}})が統括する。県知事は、地方自治体がリトアニアの憲法や法令に忠実であることを保証する。また、県は自治体が国の法令、綱領、政策を履行しているかどうかを監督する<ref name=county>{{lt icon}} [http://www3.lrs.lt/pls/inter3/dokpaieska.showdoc_l?p_id=270541 Lietuvos Respublikos apskrities valdymo įstatymas]. [[セイマス]]データベース. 1994年12月15日. Law no. I-707. 2006年6月3日閲覧.</ref>。県の機能は限られたものでしかなく、そのため、現在は10ある県の数を減らし、文化的区分にもとづく4つの新たな県を設置する案<ref>{{lt icon}} Žilvytis Bernardas Šaknys. [http://www3.lrs.lt/pls/inter/w5_show?p_r=2231&p_d=21329 Lietuvos Respublikos administracinio teritorinio suskirstymo perspektyvos: etnografiniai kultūriniai regionai]. [[セイマス]]民族文化保護協議会. 2002年12月12日. 2006年6月4日閲覧.</ref>や、10万人以上の都市を中心とした5つの県を設置する案<ref>{{lt icon}} Antanas Tyla. [http://www3.lrs.lt/pls/inter/w5_show?p_r=2231&p_d=21323 Pastabos dėl Apskričių valdymo reformos koncepcijos]. [[セイマス]]民族文化保護協議会. 2001年5月16日. 2006年6月4日閲覧.</ref>も出ている。
* [[ファイル:Vilnius County COA.gif|20px]][[ヴィリニュス県]] <small>''{{lang|lt|Vilniaus apskritis}}''</small> (県庁所在地:[[ヴィリニュス]])

* [[ファイル:Utena County COA.gif|20px]][[ウテナ県]] <small>''{{lang|lt|Utenos apskritis}}''</small> (県庁所在地:[[ウテナ (リトアニア)|ウテナ]])
==== 基礎自治体 ====
* [[ファイル:Kaunas County COA.gif|20px]][[カウナス県]] <small>''{{lang|lt|Kauno apskritis}}''</small> (県庁所在地:[[カウナス]])
基礎自治体はリトアニアの中でももっとも重要な行政区画である。中には歴史的に'''地区自治体'''と呼ばれるものもあり、そうした自治体は単に'''地区'''とも呼ばれる。他方'''都市自治体'''と称する自治体もあり、単に'''市'''とも呼ばれる。それぞれの自治体には選挙で選ばれた執行機関がある。過去には自治体の選挙は3年に1度行われていたが、現在では4年に一度行われている。自治体議会は市長を選出し、各区の区長を任命する。市長や区長を[[直接選挙]]する案も出ているが、そのためには憲法の改正が必要となる<ref>{{lt icon}} Justinas Vanagas. [http://www.delfi.lt/news/daily/lithuania/article.php?id=7418983 Seimo prioritetai šią sesiją – tiesioginiai mero rinkimai, gyventojų nuosavybė ir euras]. Delfi.lt. 2005年9月5日. 2006年6月3日閲覧.</ref>。
* [[ファイル:LIT okręg kłajpedzki COA.svg|20px]][[クライペダ県]] <small>''{{lang|lt|Klaipėdos apskritis}}''</small> (県庁所在地:[[クライペダ]])

* [[ファイル:Siauliai County COA.gif|20px]][[シャウレイ県]] <small>''{{lang|lt|Šiaulių apskritis}}''</small> (県庁所在地:[[シャウレイ]])
==== 区 ====
* [[ファイル:Taurage County COA.gif|20px]][[タウラゲ県]] <small>''{{lang|lt|Tauragės apskritis}}''</small> (県庁所在地:[[タウラゲ]])
国内全体で500以上設置されている区は、リトアニアで最小の行政区画であり、国政レベルでは何の機能も果たすものではない。区は各家庭に対して必要な公共サービスを提供する。例えば、農村部では区が出生や死亡を登記する。社会福祉の面でももっとも重要な役割をはたすのが区で、貧困下にいる人や家庭を把握し、生活手当を分配、さらに他の福祉金も準備する<ref name=elderates>{{lt icon}} [http://www3.lrs.lt/pls/inter2/dokpaieska.showdoc_l?p_id=146527 Lietuvos Respublikos vietos savivaldos įstatymo pakeitimo įstatymas], [[セイマス]]データベース. 2000年10月12日. Law no. VIII-2018. 2006年6月3日閲覧.</ref>。区は、農村部の問題に対する改善策を地元から提起できる立場にあるが、しかし区には実際の権限がなく注目をあつめることもほとんどない、と指摘されている<ref>{{lt icon}} Indrė Makaraitytė. [http://www.delfi.lt/archive/article.php?id=5663231 Europos Sąjungos pinigai kaimo neišgelbės]. Atgimimas. Delfi.lt. 2004年12月16日. 2006年6月4日閲覧.</ref>。
* [[ファイル:Telsiai County COA.png|20px]][[テルシェイ県]] <small>''{{lang|lt|Telšių apskritis}}''</small> (県庁所在地:[[テルシェイ]])
* [[ファイル:Panevezys County COA.gif|20px]][[パネヴェジース県]] <small>''{{lang|lt|Panevėžio apskritis}}''</small> (県庁所在地:[[パネヴェジース]])
* [[ファイル:Marijampole County COA.gif|20px]][[マリヤーンポレ県]] <small>''{{lang|lt|Marijampolės apskritis}}''</small> (県庁所在地:[[マリヤーンポレ]])


=== 文化的区分 ===
=== 文化的区分 ===
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* [[スヴァルキヤ]] <small>''{{lang|lt|Suvalkija}}''</small> - 南西部
* [[スヴァルキヤ]] <small>''{{lang|lt|Suvalkija}}''</small> - 南西部
* [[小リトアニア]] <small>''{{lang|lt|Mažoji Lietuva}}''</small> - 沿海部
* [[小リトアニア]] <small>''{{lang|lt|Mažoji Lietuva}}''</small> - 沿海部
: 小リトアニアには現在の[[ロシア]]・[[カリーニングラード州]]も含まれる。また今日リトアニア領となっている地域はクライペダ地方({{lang|lt|Klaipėdos kraštas}})ともいわれる。かつての[[リトアニア大公国]]の領土外であり、[[プロシア語]]を話す[[プルーセン|プロイセン人]]の居住区であった。
: 小リトアニアには現在の[[ロシア]]・[[カリーニングラード州]]も多く含まれる。また今日リトアニア領となっている地域はクライペダ地方({{lang|lt|Klaipėdos kraštas}})ともいわれる。かつての[[リトアニア大公国]]の領土外であり、[[プロシア語]]を話す[[プルーセン|プロイセン人]]の居住区であった。現在ではジェマイティヤに含まれる場合も多い


=== 主要都市 ===
=== 主要都市 ===
{{main|リトアニアの都市の一覧}}
{{main|リトアニアの都市の一覧}}
{|class="infobox" style="text-align:center; width:97%; margin-right:10px; font-size:90%"
{| class="wikitable"
!width="30px"| !!都市!!県!!人口(2008)
|-
|-
! style="text-align:center;" colspan="11"|[[リトアニアの都市の一覧]]<ref>[http://db1.stat.gov.lt/statbank/selectvarval/saveselections.asp?MainTable=M3010210&PLanguage=1&TableStyle=&Buttons=&PXSId=3239&IQY=&TC=&ST=ST&rvar0=&rvar1=&rvar2=&rvar3=&rvar4=&rvar5=&rvar6=&rvar7=&rvar8=&rvar9=&rvar10=&rvar11=&rvar12=&rvar13=&rvar14= Population at the beginning of the year by town/city]. リトアニア統計局. 2010年11月21日閲覧.</ref>
| align="center"| '''1'''
| align="left"|[[ファイル:Grand Coat of arms of Vilnius.png|15px]] '''[[ヴィリニュス]]'''
| align="center"|[[ヴィリニュス県]]
| align="right"|544,206
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|-
| align="center"| '''2'''
| align="left"|[[ファイル:Kaunas city COA.png|15px]] '''[[カウナス]]'''
| align="center"|[[カウナス県]]
| align="right"|355,586
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|-
!rowspan=23 width:150|[[ファイル:Vilnius - Rotušės aikštė.jpg|135px|ヴィリニュス]]<br />[[ヴィリニュス]]<br />
| align="center"| '''3'''
[[ファイル:Kaunas_alexotas.JPG|135px|カウナス]]<br />[[カウナス]]<br />
| align="left"|[[ファイル:Coat of arms of Klaipeda (Lithuania).png|15px]] '''[[クライペダ]]'''
| align="center"|[[クライペダ]]
[[ファイル:Lithuania Klaipeda 1.jpg|135px|クライペダ]]<br />[[クライペダ]]<br />
[[ファイル:Siauliainakti7.jpg|135px|シャウレイ]]<br />[[シャウレイ]]<br />
| align="right"|184,657
[[ファイル:Panevėžys001.JPG|135px|パネヴェジース]]<br />[[パネヴェジース]]<br />
! style="text-align:center; background:#f5f5f5;"|
! style="text-align:center; background:#f5f5f5;"|[[リトアニアの都市の一覧|都市名]]
! style="text-align:center; background:#f5f5f5;"|[[リトアニアの地方行政区画|県]]
! style="text-align:center; background:#f5f5f5;"|[[リトアニアの都市の一覧|人口]]<br /><small>(2010年)</small>
!rowspan=23 width:150|[[ファイル:Alytus ziema.jpg|border|135px|アリートゥス]]<br />[[アリートゥス]]<br />
[[ファイル:Marijampole-Culture-palace.jpg|135px|マリヤーンポレ]]<br />[[マリヤーンポレ]]<br />
[[ファイル:Mazeikiu savivaldybe.jpg|135px|マジェイケイ]]<br />[[マジェイケイ]]<br />
[[ファイル:Jonava.jpg|135px|ヨナヴァ]]<br />[[ヨナヴァ]]<br />
[[ファイル:Utenainwinter.jpg|135px|ウテナ]]<br />[[ウテナ (リトアニア)|ウテナ]]<br />
|-
|-
| style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|1||align=left|'''[[ファイル:Grand Coat of arms of Vilnius.png|15px]] [[ヴィリニュス]]'''|| [[ヴィリニュス県]] ||548,835
| align="center"| '''4'''
| align="left"|[[ファイル:Siauliai city COA.gif|15px]] '''[[シャウレイ]]'''
| align="center"|[[シャウレイ県]]
| align="right"|127,059
|-
|-
| style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|2||align=left|'''[[ファイル:Kaunas city COA.png|15px]] [[カウナス]]'''|| [[カウナス県]] ||348,624
| align="center"| '''5'''
| align="left"|[[ファイル:Panevezys city COA.gif|15px]] '''[[パネヴェジース]]'''
| align="center"|[[パネヴェジース県]]
| align="right"|113,653
|-
|-
| style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|3||align=left|'''[[ファイル:Coat of arms of Klaipeda (Lithuania).png|15px]] [[クライペダ]]'''|| [[クライペダ県]] ||182,752
| align="center"| '''6'''
| align="left"|[[ファイル:Alytus city COA.gif|15px]] '''[[アリートゥス]]'''
| align="center"|[[アリートゥス県]]
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|-
| style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|4||align=left|'''[[ファイル:Siauliai city COA.gif|15px]] [[シャウレイ]]'''|| [[シャウレイ県]] ||125,453
| align="center"| '''7'''
| align="left"|[[ファイル:Marijampole COA.gif|15px]] '''[[マリヤーンポレ]]'''
| align="center"|[[マリヤーンポレ県]]
| align="right"|47,010
|-
|-
| style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|5||align=left|'''[[ファイル:Panevezys city COA.gif|15px]] [[パネヴェジース]]'''|| [[パネヴェジース県]] ||111,959
| align="center"| '''8'''
| align="left"|[[ファイル:Mazeikiai COA.gif|15px]] '''[[マジェイケイ]]'''
| align="center"|[[テルシェイ県]]
| align="right"|40,572
|-
|-
| style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|6||align=left|'''[[ファイル:Alytus city COA.gif|15px]] [[アリートゥス]]'''|| [[アリートゥス県]] ||66,841
| align="center"| '''9'''
| align="left"|[[ファイル:Jonava COA.gif|15px]] '''[[ヨナヴァ]]'''
| align="center"|[[カウナス県]]
| align="right"|34,446
|-
|-
| style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|7||align=left|'''[[ファイル:Marijampole COA.gif|15px]] [[マリヤーンポレ]]'''|| [[マリヤーンポレ県]] ||46,256
| align="center"| '''10'''
|-
| align="left"|[[ファイル:Utena COA.gif|15px]] '''[[ウテナ (リトアニア)|ウテナ]]'''
| style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|8||align=left|'''[[ファイル:Mazeikiai COA.gif|15px]] [[マジェイケイ]]'''|| [[テルシェイ県]] ||40,172
| align="center"|[[ウテナ県]]
|-
| align="right"|32,572
| style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|9||align=left|'''[[ファイル:Coat of arms of Jonava (Lithuania).svg|15px]] [[ヨナヴァ]]'''|| [[カウナス県]] ||34,056
|-
| style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|10||align=left|'''[[ファイル:Utena COA.gif|15px]] [[ウテナ (リトアニア)|ウテナ]]'''|| [[ウテナ県]] ||31,943
|-
| style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|11||align=left|'''[[ファイル:Kedainiai COA.gif|15px]] [[ケダイネイ]]'''|| [[カウナス県]] ||30,663
|-
| style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|12||align=left|'''[[ファイル:Telsiai COA.gif|15px]] [[テルシェイ]]'''|| [[テルシェイ県]] ||29,764
|-
| style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|13||align=left|'''[[ファイル:Visaginas coat of arms.png|15px]] [[ヴィサギナス]]'''|| [[ウテナ県]] ||28,048
|-
| style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|14||align=left|'''[[ファイル:Taurage COA.gif|15px]] [[タウラゲ]]'''|| [[タウラゲ県]] ||27,500
|-
| style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|15||align=left|'''[[ファイル:Ukmerge COA.gif|15px]] [[ウクメルゲ]]'''|| [[ヴィリニュス県]] ||26,970
|-
| style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|16||align=left|'''[[ファイル:Plunge COA.gif|15px]] [[プルンゲ]]'''|| [[テルシェイ県]] ||23,063
|-
| style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|17||align=left|'''[[ファイル:Kretinga COA.gif|15px]] [[クレティンガ]]'''|| [[クライペダ県]] ||21,171
|-
| style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|18||align=left|'''[[ファイル:Silute COA.gif|15px]] [[シルテ]]'''|| [[クライペダ県]] ||20,813
|-
| style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|19||align=left|'''[[ファイル:Radviliskis COA.gif|15px]] [[ラドヴィリシュキス]]'''|| [[シャウレイ県]] ||19,185
|-
| style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|20||align=left|'''[[ファイル:Coat of arms of Palanga (Lithuania).svg|15px]] [[パランガ]]'''|| [[クライペダ県]] ||17,645
|}
|}


== 地理 ==
== 政治 ==
{{See also|リトアニアの統治者の一覧|リトアニアの首相}}
[[ファイル:Lithuania-map.png|right|thumb|250px|リトアニア共和国の地図。]]
[[ファイル:2009 m. Respublikos Prezidento rinkimai Dalia grybauskaitė 00.jpg|thumb|right|[[ダリア・グリバウスカイテ]]大統領(2009年7月12日就任)]]
リトアニア共和国は[[バルト三国]]の中でもっとも大きな国である。
1990年3月11日の独立回復宣言以来、リトアニアは[[共和制]][[国家]]として民主主義の伝統を維持してきた。1992年10月25日には独立回復後初めて[[1992年リトアニア議会選挙|議会選挙]]が行われたが、同日行われた国民投票では、投票者の56.75%がリトアニア共和国憲法の制定を支持している<ref name=referenda>{{lt icon}} [http://www3.lrs.lt/docs2/QKVXRGNF.DOC Nuo 1991 m. iki šiol paskelbtų referendumų rezultatai]. [[セイマス]]. 2006年6月4日閲覧.</ref>。憲法に関しては、とりわけ大統領の権限について激しく議論がなされ、1992年5月23日に行われた大統領制に関する国民投票では有権者の41%が[[リトアニアの統治者の一覧|大統領職]]の復活を支持していた<ref name=referenda/>。結果、[[半大統領制]]が導入されるに至った<ref>Lina Kulikauskienė, Lietuvos Respublikos Konstitucija (Constitution of Lithuania), Native History, CD, 2002. ISBN 9986-9216-7-8</ref>。


大統領はリトアニアの国家元首とされ、5年任期で[[直接選挙]]によって選ばれ、最大で2期10年まで務めることができる。大統領職は儀礼的なものにすぎないが、しかし[[外交]]や[[防衛]]方針の策定に加わり、それらを指揮する役割を果たす。大統領は、[[セイマス]](議会)の承認を得て[[リトアニアの首相|首相]]を任命し、首相が指名した他の閣僚も任命する。また他にも官僚や裁判官についても、大統領が任命する。
およそ100kmの砂の海岸が広がり、その内の38kmが[[バルト海]]に面している。主な[[不凍港]]は[[クライペダ]]港で、[[クルシュー砂州]]の狭い入り口にある。その浅瀬は[[カリーニングラード]]に向かって南に広がっている。国内最大の河川である[[ニャムナス川]](ネマン川)とその支流は、国際運河ともなっている。


[[セイマス]] (Semias) と呼ばれる議会は一院制で、議席数は141で、4年任期で選挙により選ばれる。このうち71議席は[[小選挙区]][[直接選挙]]により、70議席は全国区の[[比例代表制]]により選出される。議会に議員を送り込むには、政党は少なくとも全投票の5%を、連立政党は7%を獲得しなければならない。
国土は、[[氷堆石]]による丘を除けば、なだらかに平坦である。丘は西と東の方で高台となっており、最も高い地点でも292mしかない。[[ヴィスティティス湖]]など多くの湖と低湿地帯があり、[[混交湿地林]]が国土の約30%を覆っている。


リトアニア憲法裁判所 (Konstitucinis Teismas) の裁判官は任期9年で、大統領が3名、セイマス議長が3名、最高裁判所長官が3名を指名する。
=== 気候 ===

[[海洋性気候]]と[[大陸性気候]]の中間であり、湿度が高い。気候は西部と東部で多少異なり、西部は涼しい夏と余り冷え込まない冬があるのに対し、東部は寒暖の差が激しい。
2004年より[[欧州連合]] (EU) 加盟国であり、同年には[[北大西洋条約機構]] (NATO) にも加盟している。他方で、旧ソ連の[[ソビエト連邦構成共和国|連邦構成共和国]]でありながらも、[[独立国家共同体|CIS]]には加盟していない。

== 軍事 ==
[[ファイル:LT KASP mokymai.jpg|thumb|130px|right|リトアニア国防義勇軍の兵士]]
リトアニアの軍隊は、約15,000名の兵士によって結成されており、うち2,400名は非戦闘員である<ref>[http://www.kam.lt/en/human_resource_policy_1062/facts_and_figures.html Personnel size in 1998-2009] ''Ministry of National Defence''</ref>。またその他10万人の志願兵がいる。2008年9月までは徴兵制が採られていた<ref name="Ministry of National Defence, Lithuania">{{cite news |url=http://www.kam.lt/index.php/en/168627/ |title= Compulsory basic military service discontinued |publisher=Ministry of National Defence}}</ref>。2004年以降、リトアニアは[[北大西洋条約機構]] (NATO) に加盟している。また、[[アフガニスタン]]への軍隊派遣も行っている。

リトアニアの国防制度は、国家安全保障戦略に示されている概念「総合的で絶対的な防衛」にもとづいている。リトアニアにおける防衛政策は、リトアニア社会に通常防衛の準備をさせ、リトアニアが西欧の安全保障・防衛機構に統合していくことを目的とする。国防省は戦闘部隊、捜索救難、諜報機関を管轄する<ref name="WB">{{cite web|url=http://www.kam.lt/EasyAdmin/sys/files/BK-En1.pdf |title=White Paper Lithuanian defence policy |language=リトアニア語 |publisher=Kam.lt |date= |accessdate=2010年4月25日}}</ref>。リトアニアに設置されている軍種は以下の通り。
* [[ファイル:Land_forces_emblem.jpg|25px]] 陸軍 (Sausumos pajėgų)
* [[ファイル:Air_force_emblem.jpg|25px]] 空軍 (Karinių oro pajėgų)
* [[ファイル:Naval_force_emblem.jpg|25px]] 海軍 (Karinių jūrų pajėgų)
* [[ファイル:SOJ.jpg|25px]] 特殊作戦部隊 (Specialiųjų operacijų pajėgų)
* [[ファイル:KASP1.jpg|25px]] 国防義勇軍 (Savanorių pajėgos)

また、5,400名からなる国境警備隊は内務省の管轄下に置かれ、[[国境]]の保護、[[パスポート]]および[[関税]]の管理を担当する。また、海軍と共同で[[密輸]]や[[麻薬]]取引などを取り締まる。


== 経済 ==
== 経済 ==
[[ファイル:Euro accession.svg|thumb|upright|EU圏内のリトアニア]]
リトアニアを含めた[[バルト三国]]の貿易相手は、ほとんど[[ロシア]]である(2006年、輸出の12.7%、輸入の24.4%が対ロシアだった)。[[1998年]]のロシアの経済危機で落ち込んだ時期もあったが、回復しつつある。[[2001年]]の失業率は12.5%と高く、また国内の消費も低かったが、それらも好転してきた。[[2005年]]2月の失業率は6.1%である。

[[国際連合|国連]]の分類によれば、リトアニアは平均所得の高い国に位置づけられており、鉄道、空港、4車線の高速道路などの近代的なインフラが整備されている。しかしそれでもリトアニアの所得水準は[[欧州連合]] (EU) に[[2004年]]の拡大前から加盟していた国よりも低く、[[ユーロスタット]]のデータによれば、リトアニアの1人あたりの[[国内総生産|GDP]]([[購買力平価]]ベース)はEU加盟27か国平均の61%にとどまる(2008年)<ref>{{cite web|url=http://epp.eurostat.ec.europa.eu/cache/ITY_PUBLIC/2-25062009-BP/EN/2-25062009-BP-EN.PDF|title=GDP per capita in PPS|publisher=Eurostat|accessdate=2010年11月17日}}</ref>。こうした低所得が要因となり、2004年のEU加盟時には所得の高い国への移住が増加した。

EU加盟直前の[[2003年]]、リトアニアの経済成長率はEU加盟国および加盟候補国の中で最も高く、第3四半期には8.8%に達した。その後2004年にEUに加盟し、2004年には7.4%、[[2005年]]7.8%、[[2006年]]7.8%、[[2007年]]8.9%、[[2008年]]第1四半期には7.0%の[[国内総生産|GDP]]成長率を記録した<ref>Department of Statistics to the Government of the Republic of Lithuania. "[http://www.stat.gov.lt/lt/catalog/download_release/?id=2247&download=1&doc=1480 National Accounts of Lithuania 2006]." p. 20.</ref>。

公式データによれば、EU加盟は、海外からの発注の増加や観光業への後押しといった経済成長をもたらしている。現行通貨である[[リタス]]は[[2004年]][[6月28日]]より[[欧州為替相場メカニズム|ERM II]]の対象通貨となっており、1[[ユーロ]]=3.45280リタスで固定されている<ref>[http://www.lb.lt/home/default.asp Lietuvos Bankas]</ref>。またリトアニアは2014年1月1日を目標にユーロへ移行する予定である。

リトアニアの貿易は多くがEU圏内で行われており、2009年は輸出の64.2%、輸入の59.1%が対EU諸国であった。その他の国では、[[ロシア]]が最も高く(輸出13.2%、輸入29.9%)、次いで[[ベラルーシ]](輸出4.7%、輸入1.7%)、[[アメリカ合衆国]](輸出2.9%、輸入1.1%)、[[ウクライナ]](輸出3.0%、輸入0.9%)となっている<ref>[http://www.stat.gov.lt/en/pages/view/?id=2644 Exports, imports by country]. リトアニア統計局ホームページ. 2010年6月30日. 2010年11月17日閲覧。</ref>。

2001年には[[世界貿易機関]] (WTO) の一員ともなった。国有企業、特にエネルギー部門におけるそれの大規模な民営化が開始されており、現在も進行中である。

リトアニアの経済構造は知識集約型経済へと少しずつ着実に移行してきており、とりわけ[[生物工学|バイオテクノロジー]]や[[レーザー]]産業が特にさかんで、バルト三国におけるバイオテクノロジーの製造はリトアニアに集中している。また[[メカトロニクス]](機械電子工学)や[[情報技術]] (IT) 産業も今後のリトアニア経済が目指す方向として期待されている。

失業率は近年上昇傾向にあり、2010年第2四半期の失業率は18.3%である<ref>"[http://www.stat.gov.lt/en/news/view/?id=8310&PHPSESSID=3bf8251ceac47435c3f6a7c4fe6f3a38 Changes in the Unemployment Rate in II Quarter 2010: The Unemployment Rate in II Quarter 2010 Reached 18.3 Per Cent.]" リトアニア統計局ホームページ. 2010年8月24日. 2010年11月17日閲覧。</ref>。また、1日1ドル([[貧困線]])以下で暮らしている人の数は国民の2%にも満たない<ref>[http://www.who.int/quantifying_ehimpacts/national/countryprofile/lithuania.pdf Country Profiles of Environmental Burden of Disease: Lithuania]. [[世界貿易機関|WTO]]. 2009年. 2010年11月17日閲覧。</ref>。


[[エコノミスト・インテリジェンス・ユニット]]による[[クオリティ・オブ・ライフ インデックス|クオリティ・オブ・ライフ・インデックス]](生活の質指数)は、バルト三国の中で最も高い。
[[2003年]]、リトアニアは[[欧州連合|EU]]圏内の国で最も高い経済成長率(第3四半期で8.8%)を記録した。西欧諸国との貿易を拡大し、[[世界貿易機関]](WTO)の一員ともなった。[[2004年]]に欧州連合(EU)に加盟。国有企業、特にエネルギー部門におけるそれの大規模な民営化が開始されており、現在も進行中である。


リトアニアでは[[累進課税]]政策よりも一律課税政策が多く採られている。[[2007年]]には[[所得税|個人所得税]]は24%に減税され、さらに[[2009年]]1月には21%に減税された。このうち6%は健康保険に当てられている。また[[法人税]]は15%で、2010年1月1日からは中小企業向けに5%の法人税が導入されている。政府はハイテク産業や付加価値商品に対する投資への優遇政策を行っている。[[消費税]]は21%である。
現行通貨である[[リタス]]は[[2002年]][[2月2日]]より[[欧州為替相場メカニズム]]に組み込まれており、対[[ユーロ]]での変動幅が制限されている。将来的にはユーロへの移行が目指されている。


リトアニアは鉱物資源に全く恵まれていない。唯一採掘されているのは[[原油]]であるが、2002年時点の採掘量は43万トンにまる<!-- 日本国と同水準 -->。近年は[[天然ガス]]の採掘も有望視されている。
リトアニアは鉱物資源に全く恵まれていない。唯一採掘されているのは[[原油]]であるが、2002年時点の採掘量は43万トンにとどまる。近年は[[天然ガス]]の採掘も有望視されている。


== 国民 ==
== 国民 ==
=== 民族構成 ===
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{{bar box
|title=民族構成(リトアニア)
|title=民族構成(リトアニア)
195行目: 329行目:
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{{bar percent|不明|grey|3.7}}
}}
}}
民族構成を見てみると、人口の 83.45 % が、[[リトアニア人]]{{enlink|Lithuanians}}である。少数派として、[[ポーランド人]](6.74 %)、[[ロシア人]](6.31 %)、[[ベラルーシ人]](1.23 %)、[[ウクライナ人]](0.65 %)などがいる<ref>The Statistical Office of Estonia, Central Statistical Bureau of Latvia and Statistics Lithuania eds. ''2000 Round of Population and Housing Censuses in Estonia, Latvia and Lithuania.'' Vilnius: Statistics Lithuania, 2003. p.26. ISBN 9955588705</ref>。
民族構成を見てみると、人口の83.1% が、[[リトアニア人]]である。少数派として、[[ポーランド人]](6.0%)、[[ロシア人]](4.8 %)、[[ベラルーシ人]](1.1%)、[[ウクライナ人]](0.6%)などがいる<ref name="population-eth">"[http://db1.stat.gov.lt/statbank/selectvarval/saveselections.asp?MainTable=M3010215&PLanguage=1&TableStyle=&Buttons=&PXSId=3236&IQY=&TC=&ST=ST&rvar0=&rvar1=&rvar2=&rvar3=&rvar4=&rvar5=&rvar6=&rvar7=&rvar8=&rvar9=&rvar10=&rvar11=&rvar12=&rvar13=&rvar14= At the beginning of the year by ethnicities]." リトアニア統計局. 2010年11月30日閲覧.</ref>。


また、中世にヨーロッパ各地から[[ユダヤ人]]を受け入れたために、リトアニアの都市部にはユダヤ人が多く、その中でも特にヴィリニュスはユダヤ人らから「北のエルサレム」と呼ばれるほど<ref>"The Third Congress of Litvaks." ''The Baltic Times.'' 3-9 Sep. 2009.</ref>多くのユダヤ人が住んでいた。18世紀末の時点で約25万人のユダヤ人がかつての[[リトアニア大公国]]の土地に住んでいた<ref>Rūstis Kamuntavičius. ''Development of Lithuanian State and Society: Lietuvos valstybės ir visuomenės raida''. Kaunas: Vytautas Magnus University, 2006. p.55.</ref>。しかし、[[第二次世界大戦]]中の[[ナチス・ドイツ]]と、その後のソ連支配の時代の弾圧によりユダヤ人人口は大きく減少した<ref>畑中幸子、ヴィルギリウス・ユオザス・チェパイティス『リトアニア:民族の苦悩と栄光』中央公論新社、2006年。pp.74-88。</ref>。
また、中世にヨーロッパ各地から[[ユダヤ人]]を受け入れたために、リトアニアの都市部にはユダヤ人が多く、その中でも特にヴィリニュスはユダヤ人らから「北のエルサレム」と呼ばれるほど<ref>"The Third Congress of Litvaks." ''The Baltic Times.'' 3-9 Sep. 2009.</ref>多くのユダヤ人が住んでいた。18世紀末の時点で約25万人のユダヤ人がかつての[[リトアニア大公国]]の土地に住んでいた<ref>Rūstis Kamuntavičius. ''Development of Lithuanian State and Society: Lietuvos valstybės ir visuomenės raida''. Kaunas: Vytautas Magnus University, 2006. p.55.</ref>。しかし、[[第二次世界大戦]]中の[[ナチス・ドイツ]]と、その後のソ連支配の時代の弾圧によりユダヤ人人口は大きく減少した<ref>畑中幸子、ヴィルギリウス・ユオザス・チェパイティス『リトアニア:民族の苦悩と栄光』中央公論新社、2006年。pp.74-88。</ref>。


=== 年齢構成 ===
[[国の自殺率順リスト]]から見ても明らかなように、リトアニアの[[自殺]]率は世界で最も高い。(最近の自殺率はベラルーシが最も高くなってる){{要出典範囲|[[自殺]]率が世界ワースト1となったことを受け、市内のあちらこちらに自殺防止の広告が貼ってある。}}
2009年の概算によると、年齢構成は以下の通りとなっている<ref>{{cite web | url=https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/lh.html | publisher=CIA World Factbook | title=Europe: Lithuania | accessdate=2009年11月12日}}</ref>。
* 0-14歳 - 14.2% (男性258,423人、女性245,115人)
* 15-64歳 - 69.6% (男性1,214,743人、女性1,261,413人)
* 65歳以上 - 16.2% (男性198,714人、女性376,771人)
平均年齢は39.3歳(男性36.8歳、女性41.9歳)である<ref>{{cite web | url=https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/fields/2177.html | publisher=CIA World Factbook | title=Field Listing: Median age | accessdate=2009年11月12日}}</ref>。


=== 言語 ===
=== 言語 ===
リトアニア語は、[[ラトビア語]]と共に現存している2つの[[インド・ヨーロッパ語族]][[バルト語派]]の1つであり、リトアニアの[[公用語]]にもなっている。2001年国勢調査によると母国語話者の内訳はリトアニア語84%、ロシア語8.2%、ポーランド語5.8%である。人口の60%ア語を流暢に話すこができる。
リトアニア語は、[[ラトビア語]]と共に現存している2つの[[インド・ヨーロッパ語族]][[バルト語派]]の1つであり、リトアニアの[[公用語]]にもなっている。2001年国勢調査によると母国語話者の内訳は[[リトアニア語]]82.0%、[[ロシア語]]8.0%、[[ポーランド語]]5.6%、[[ベラルーシ語]]0.5%、[[ウクライナ語]]0.2%、[[マ語]]0.1%、[[ラトビア語]]0.1%、なってい<ref>[http://www.stat.gov.lt/en/pages/view/?id=1763 Population by ethnicity and mother tongue]." リトアニア統計局. 2001年調査. 2010年11月30日閲覧.</ref>

{{要出典範囲|また、少数民族により[[ロシア語]]、[[ポーランド語]]、[[ベラルーシ語]]、[[カライム語]]なども話されている。}}
母語以外の言語としては、人口の85.4%がロシア語を話すことができ、そのほか24.0%が英語、14.5%がリトアニア語、12.5%がポーランド語、11.6%がドイツ語を話すことができる<ref>"[http://www.stat.gov.lt/en/pages/view/?id=1738 Population by foreign languages which they know by county and municipality]." リトアニア統計局. 2001年調査. 2010年11月30日閲覧.</ref>。


=== 宗教 ===
=== 宗教 ===
220行目: 366行目:


その後[[ロシア帝国]]支配下ではカトリックの弾圧が行われ、また[[ソビエト連邦|ソ連]]に支配されると宗教そのものが否定されるに至った。リトアニアが独立を回復してからは信仰が再び認められるようになり、現在ではヨーロッパでも有数のカトリックの国として知られている。
その後[[ロシア帝国]]支配下ではカトリックの弾圧が行われ、また[[ソビエト連邦|ソ連]]に支配されると宗教そのものが否定されるに至った。リトアニアが独立を回復してからは信仰が再び認められるようになり、現在ではヨーロッパでも有数のカトリックの国として知られている。

[[2001年]]に行われたリトアニア統計局による調査によれば、各宗派別の人口統計は以下のとおりとなっている<ref name="stat">[http://www.stat.gov.lt/uploads/docs/2002_11_07.pdf Romos katalikų daugiausia]. {{lt icon}} Department of Statistics to the Government of the Republic of Lithuania. 2002年11月7日. 2009年8月21日閲覧.; [http://www.stat.gov.lt/en/pages/view/?id=1734 Population by Religious Confession]. {{en icon}} Department of Statistics to the Government of the Republic of Lithuania. 2005年12月1日. 2009年8月21日閲覧.</ref>。
{| class="wikitable" style="margin:0 auto"
|+ 各宗派別の人口統計
! 宗教・宗派 !! 人口
! colspan=2 | %
|-
| [[カトリック教会|ローマ・カトリック教会]]
| align=right | 2,752,447
| align=right | 79.00
| <div style="width:275.2447px;height:16px;background:#9999ff">
|-
| [[正教会]]
| align=right | 141,821
| align=right | 4.07
| <div style="width:14.1821px;height:16px;background:#9999ff">
|-
| 正教[[古儀式派]]
| align=right | 27,073
| align=right | 0.78
| <div style="width:2.7073px;height:16px;background:#9999ff">
|-
| [[ルーテル教会]]
| align=right | 19,637
| align=right | 0.56
| <div style="width:1.9637px;height:16px;background:#9999ff">
|-
| [[改革派教会]]
| align=right | 7,082
| align=right | 0.20
| <div style="width:0.7082px;height:16px;background:#9999ff">
|-
| [[エホバの証人]]
| align=right | 3,512
| align=right | 0.10
| <div style="width:0.3512px;height:16px;background:#9999ff">
|-
| [[イスラム教]][[スンナ派]]
| align=right | 2,860
| align=right | 0.08
| <div style="width:0.2860px;height:16px;background:#9999ff">
|-
| ゴスペル教会
| align=right | 2,207
| align=right | 0.06
| <div style="width:0.2207px;height:16px;background:#9999ff">
|-
| [[ペンテコステ派|ペンテコステ教会]]
| align=right | 1,307
| align=right | 0.04
| <div style="width:0.1307px;height:16px;background:#9999ff">
|-
| [[ユダヤ教]]
| align=right | 1,272
| align=right | 0.04
| <div style="width:0.1272px;height:16px;background:#9999ff">
|-
| [[バルト人]]信仰(多神教信仰)
| align=right | 1,270
| align=right | 0.04
| <div style="width:0.1270px;height:16px;background:#9999ff">
|-
| [[バプテスト教会]]ほか
| align=right | 1,249
| align=right | 0.04
| <div style="width:0.1249px;height:16px;background:#9999ff">
|-
| その他
| align=right | 4,701
| align=right | 0.13
| <div style="width:0.4701px;height:16px;background:#9999ff">
|-
| なし([[無宗教]])
| align=right | 331,087
| align=right | 9.50
| <div style="width:33.1087px;height:16px;background:#9999ff">
|-
| 無回答
| align=right | 186,447
| align=right | 5.35
| <div style="width:18.6447px;height:16px;background:#9999ff">
|-
! 合計
! align=right | 3,483,972
! align=right | 100.00
!
|}


=== 教育 ===
=== 教育 ===
{{main|リトアニアの教育}}

==== 初等・中等教育 ====
==== 初等・中等教育 ====
リトアニアでは、464,638人の生徒が初等・中等教育(7〜16歳児が対象)を受けている([[2008年|2008]]-[[2005年|09年]])。これらの教育は[[リトアニア語]]で行われるものが多く、全体の92.4%(429,335名、2008-09年)の生徒がリトアニア語で学ぶ。その他の言語で学ぶ生徒の割合は、[[ロシア語]]が4.2%(19,676名、2008-09年)、[[ポーランド語]]が3.2%(15,064名)と続く。ほかにも、伝統的に[[ベラルーシ語]]で教育を行う学校が1校あるほか、近年[[フランス語]]で行う学校も1校設立された。英語による学校も1校存在する<ref name=edu08>[http://www.stat.gov.lt/en/catalog/download_release/?id=3319&download=1&doc=1582 Education 2008]. リトアニア共和国統計局. 2009年7月11日閲覧.</ref>。
リトアニアでは、464,638人の生徒が初等・中等教育(7〜16歳児が対象)を受けている([[2008年|2008]]-[[2005年|09年]])。これらの教育は[[リトアニア語]]で行われるものが多く、全体の92.4%(429,335名、2008-09年)の生徒がリトアニア語で学ぶ。その他の言語で学ぶ生徒の割合は、[[ロシア語]]が4.2%(19,676名、2008-09年)、[[ポーランド語]]が3.2%(15,064名)と続く。ほかにも、伝統的に[[ベラルーシ語]]で教育を行う学校が1校あるほか、近年[[フランス語]]で行う学校も1校設立された。英語による学校も1校存在する<ref name=edu08>[http://www.stat.gov.lt/en/catalog/download_release/?id=3319&download=1&doc=1582 Education 2008]. リトアニア共和国統計局. 2009年7月11日閲覧.</ref>。
229行目: 464行目:
==== 高等教育 ====
==== 高等教育 ====
{{main|リトアニアの大学の一覧}}
{{main|リトアニアの大学の一覧}}
主な高等教育機関としては[[大学]]などが挙げられ、約144,300人の学生が国内に22ある大学に在籍している(2007年9月現在)<ref name=stat08>[http://www.stat.gov.lt/uploads/pdf/1_LSM_2008.pdf Lietuvos Statistikos Metraštis 2008 / Statistical Yearbook of Lithuania 2008.] Statistics Lithuania</ref>。[[ヴィリニュス大学]]({{enlink|Vilnius University|VU|p=off}}、[[1579年]]設立)、[[カウナス工科大学]](KTU、[[1922年]])、[[カウナス医科大学]]({{enlink|Kaunas University of Medicine|KMU|p=off}}、1922年)、[[ヴィータウタス・マグヌス大学]]({{enlink|Vytautas Magnus University|VDU|p=off}}、1922年)などがその代表例である。
主な高等教育機関としては[[大学]]などが挙げられ、約144,300人の学生が国内に22ある大学に在籍している(2007年9月現在)<ref name=stat08>[http://www.stat.gov.lt/uploads/pdf/1_LSM_2008.pdf Lietuvos Statistikos Metraštis 2008 / Statistical Yearbook of Lithuania 2008.] Statistics Lithuania</ref>。[[ヴィリニュス大学]](VU、[[1579年]]設立)、[[カウナス工科大学]](KTU、[[1922年]])、[[カウナス医科大学]](KMU、1922年)、[[ヴィータウタス・マグヌス大学]](VDU、1922年)などがその代表例である。


大学・短大では[[経営学]]を学ぶ者が最も多く、次いで[[教育学]]、[[工学]]、[[法学]]、[[保健|保健学]]、[[社会学]]・[[行動科学]]、[[建築学]]、[[計算機科学|コンピュータ]]と続く。近年経営学を学ぶ学生数が急増しており、[[2004年]]の学生数は[[2000年]]の約3倍となった<ref name=fandf>[http://www.smm.lt/en/stofedu/docs/Education_in_Lithuania_Facts_and_Figures_2006.pdf Education in Lithuania Facts and Figures 2006] リトアニア共和国文部科学省. 2009年4月16日閲覧.</ref>。
大学・短大では[[経営学]]を学ぶ者が最も多く、次いで[[教育学]]、[[工学]]、[[法学]]、[[保健|保健学]]、[[社会学]]・[[行動科学]]、[[建築学]]、[[計算機科学|コンピュータ]]と続く。近年経営学を学ぶ学生数が急増しており、[[2004年]]の学生数は[[2000年]]の約3倍となった<ref name=fandf>[http://www.smm.lt/en/stofedu/docs/Education_in_Lithuania_Facts_and_Figures_2006.pdf Education in Lithuania Facts and Figures 2006] リトアニア共和国文部科学省. 2009年4月16日閲覧.</ref>。
237行目: 472行目:
留学生が占める割合は非常に少なく、全体の約0.4%にすぎない。そのうち約6割はヨーロッパ諸国からの留学生で<ref name=fandf />、とりわけベラルーシからの留学生が特に多い<ref name=stat08 />。アジアからの留学生は約3割となっている<ref name=fandf />。
留学生が占める割合は非常に少なく、全体の約0.4%にすぎない。そのうち約6割はヨーロッパ諸国からの留学生で<ref name=fandf />、とりわけベラルーシからの留学生が特に多い<ref name=stat08 />。アジアからの留学生は約3割となっている<ref name=fandf />。


== 文化 ==
== 生活・文化 ==
<!-- ''詳細は[[リトアニアの文化]]を参照'' -->
<!-- ''詳細は[[リトアニアの文化]]を参照'' -->


=== 住居 ===
=== 住居 ===
かつてリトアニア人は農民層に多かったが、現在では多くが都市に進出しており、大半がアパートで暮らしている。国民の 59 % がアパートに住んでおり、次いで 32 % が一戸建て住宅、9 % が半一戸建て住宅に住む<ref>["Most Latvians, Lithuanians and Estonians lived in flats in 2007."] The Baltic Course. 2009年6月29日. 2009年6月29日閲覧.</ref>。
かつてリトアニア人は農民層に多かったが、現在では多くが都市に進出しており、大半がアパートで暮らしている。国民の 59 % がアパートに住んでおり、次いで 32 % が一戸建て住宅、9 % が半一戸建て住宅に住む<ref>Most Latvians, Lithuanians and Estonians lived in flats in 2007. The Baltic Course. 2009年6月29日. 2009年6月29日閲覧.</ref>。


=== 食文化 ===
=== 食文化 ===
{{Main|リトアニア料理}}
[[シャコティス]]という伝統的な[[ケーキ]]が有名。
[[シャコティス]]という伝統的な[[ケーキ]]が有名。

また、[[トラカイ]]に住む[[カライ派]]の人々は、[[食肉|肉]]の[[ペイストリー|ペストリー]]の一種でキビナイ<ref>キビナイに関しては、日本のメディアでも取り上げられたことがある。[http://www.tv-asahi.co.jp/train/contents/russia_belarus_lithuania_latvia_estonia/1011.html テレビ朝日『世界の車窓から』第7695回(トラカイ城)]. 2008年10月11日放送.</ref>と呼ばれる伝統的な[[料理]]を作る。


=== 文学 ===
=== 文学 ===
[[ファイル:Mazvydo katekizmas.jpg|thumb|left|150px|初めて印刷されたリトアニア語による本(マルティナス・マジュヴィーダス著)]]
{{Main|リトアニア文学}}

中世、リトアニアにおける文学の多くは当時の学術言語であった[[ラテン語]]で書かれた。[[リトアニアの統治者の一覧|リトアニア王]][[ミンダウガス]]による勅令はその一例である。また、[[ゲディミナス]]大公の手紙もリトアニアにおけるラテン語で書かれた重要な著作物の例である。

[[16世紀]]になると[[リトアニア語]]による著作が登場する。1547年、マルティナス・マジュヴィーダス (Martynas Mažvydas) がリトアニア語で『平易な語による[[カテキズム|教理問答]]』 (Catechismusa Prasty Szadei) を編纂し発行した。これがリトアニア語による本の印刷の始まりである。その後ミカロユス・ダウクシャ (Mikalojus Daukša) が教理問答を引き継いでいる。

16世紀から17世紀におけるリトアニア文学は主に宗教に関するものだったが、その後[[啓蒙時代]]になると[[クリスティヨナス・ドネライティス]] (Kristijonas Donelaitis) が登場し、それまでの宗教中心のリトアニア文学を変えた。彼の著した「春の喜び」「夏の働き」「秋の幸」「冬の不安」の四篇からなる『一年』は国民的叙事詩であり、リトアニアの創作文学の礎を築くものであった<ref name=INST>Institute of Lithuanian Scientific Society.[http://anthology.lms.lt/ Lithuanian Classic Literature]. 2009年2月16日閲覧.</ref>。

[[19世紀]]前半のリトアニア文学は[[古典主義]]、[[感情主義]]、[[ロマン主義]]の特徴が合わさったものであった。当時の代表的作家としては、アンタナス・ストラズダス (Antanas Strazdas) 、ディオニザス・ポシュカ (Dionizas Poška) 、シルヴェストラス・ヴァリウーナス (Silvestras Valiūnas) 、マイロニス (Maironis) 、シモナス・スタネヴィチュース (Simonas Stanevičius) 、シモナス・ダウカンタス (Simonas Daukantas) 、アンタナス・バラナウスカス (Antanas Baranauskas) などが挙げられる<ref name=INST/>。ロシア帝政下にあったリトアニアではリトアニア語による印刷物の発行が禁じられており、そのため本を密輸する地下運動([[クニーグネシェイ]] Knygnešiai)が行われるようになった。

20世紀リトアニア文学の代表的作家としては、ユオザス・トゥマス=ヴァイジュガンタス (Juozas Tumas-Vaižgantas) 、アンタナス・ヴィエヌオリス (Antanas Vienuolis) 、ベルナルダス・ブラズジョニス (Bernardas Brazdžionis) 、ヴィータウタス・マチェルニス (Vytautas Mačernis) などが挙げられる。


=== 音楽 ===
=== 音楽 ===
{{節stub}}
{{Main|リトアニアの音楽}}


=== 美術 ===
=== 美術 ===
[[ファイル:LithuanianNationalMuseum.jpg|thumb|[[リトアニア国立博物館]]]]
{{Main|リトアニアの美術}}
[[1933年]]に設立された[[リトアニア美術館]]は、美術作品の保護・展示を行うリトアニア最大の施設である<ref>[http://www.ldm.lt/LDM/History_LAM_en.htm History of the Lithuanian Art Museum]. Lithuanian Art Museum. 2008年10月10日閲覧.</ref>。その他、重要な施設としては[[パランガ琥珀博物館]]があげられる。

リトアニアで最も有名な画家としては[[ミカロユス・チュルリョーニス]]([[1875年]] - [[1911年]])があげられる。彼は作曲家としても知られている。[[カウナス]]の[[国立チュルリョーニス美術館]]には彼の作品が多く展示されている。

2011年には新たに[[ヴィリニュス・グッゲンハイム・エルミタージュ美術館]]が設立される予定である。これはアメリカ・ニューヨークの[[グッゲンハイム美術館]]とロシア・サンクトペテルブルクの[[エルミタージュ美術館]]によって共同設立される<ref name=BLOO>{{cite web|publisher=Bloomberg News|url=http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=newsarchive&sid=aB1F5bbX10VM|title=Zaha Hadid to Design Planned Museum in Lithuania|accessdate=2008年5月24日}}</ref>。


=== 世界遺産 ===
=== 世界遺産 ===
リトアニア国内には、[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[世界遺産]]リストに登録された[[文化遺産 (世界遺産)|文化遺産]]が4件存在する。詳細は、[[リトアニアの世界遺産]]を参照
{{Main|リトアニアの世界遺産}}
リトアニア国内には、[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[世界遺産]]リストに登録された[[文化遺産 (世界遺産)|文化遺産]]が4件存在する。


<gallery>
<gallery>
Image:VilniusOldTown014.jpg|[[ヴィリニュス]]歴史地区 - (1994年、文化遺産)
ファイル:VilniusOldTown014.jpg|[[ヴィリニュス]]歴史地区 - (1994年、文化遺産)
Image:Kurische Nehung Hafen von Nidden.jpg|[[クルシュー砂州]] - (2000年、文化遺産)
ファイル:Kurische Nehung Hafen von Nidden.jpg|[[クルシュー砂州]] - (2000年、文化遺産)
Image:Lithuania Kierniów mounds2.jpg|[[ケルナヴェの考古遺跡]](ケルナヴェ文化保護区) - (2004年、文化遺産)
ファイル:Lithuania Kierniów mounds2.jpg|[[ケルナヴェの考古遺跡]](ケルナヴェ文化保護区) - (2004年、文化遺産)
Image:Hammerfest Meridianstein.jpg|[[シュトルーヴェの測地弧]] - (2005年、文化遺産)
ファイル:Hammerfest Meridianstein.jpg|[[シュトルーヴェの測地弧]] - (2005年、文化遺産)
</gallery>
</gallery>


=== 祝祭日 ===
=== スポーツ ===
[[ファイル:Monument to basketball.jpg|thumb|upright|バスケットボール・リトアニア代表を称える記念碑([[ヴィリニュス|ヴィリニュス市]]シエメンス・アリーナ)]]

リトアニアで最も盛んなスポーツは[[バスケットボール]]である。国内にはプロ・リーグおよび教育リーグがあり、またナショナル・チームは[[ソウルオリンピック]]で男子代表が金メダルを獲得するなど数多くの世界大会で実績を残している。[[FIBAランキング]]でもリトアニアは2010年現在で男子世界5位となっており<ref>[http://www.fiba.com/pages/eng/fc/even/rank/p/openNodeIDs/943/selNodeID/943/rankMen.html FIBA Ranking for Men]. FIBA. 2010年11月21日閲覧.</ref>、17歳以下の部門では世界2位となっている<ref>[http://www.fiba.com/pages/eng/fc/even/rank/p/openNodeIDs/17814/selNodeID/17814/rankYouth.html FIBA Ranking for Boys]. FIBA. 2010年11月21日閲覧.</ref>。NBAプレーヤーも多く輩出しており、[[アルビダス・サボニス|アルヴィーダス・サボニス]]、[[シャルーナス・マルチルリョーニス|シャルーナス・マルチュリョニス]]、[[リナス・クレイザ]]、[[シャルーナス・ヤシケヴィチュース]]、[[ジードルーナス・イルガウスカス]]といったリトアニア代表選手がNBAやヨーロッパのリーグで活躍した。

プロ・[[アイスホッケー]][[アイスホッケー選手一覧|選手]]も人気で、[[ディフェンス (アイスホッケー)|ディフェンス]]の[[ダリウス・カスパライティス]]や[[フォワード (アイスホッケー)|右ウィング]]の[[ダイニウス・ズブルス]]などが[[NHL]]で活躍している。

[[パワーリフティング]]選手の[[ジードルーナス・サヴィツカス]]も有名である。彼は世界でも有数の選手で、世界で最も強い男にノミネートされたこともある。

世界でもトップクラスの[[円盤投|円盤投げ]]選手である[[ウィルギリウス・アレクナ]]もよく知られている。彼はオリンピック記録を有し、[[シドニーオリンピック|シドニー]]、[[アテネオリンピック|アテネ]]で金メダルを獲得している。また世界第2位の記録を保持している。

プロテニスプレーヤーの[[リチャルダス・ベランキス]]は[[男子プロテニス協会]] (ATP) ランキングで2010年11月15日現在世界119位につけており、これはリトアニア人としては最高位である<ref>[http://www.atpworldtour.com/Rankings/Singles.aspx Singles Rankings]. ATP World Tour. 2010年11月21日閲覧.</ref>。

他に、[[自転車競技]]選手の[[イグナタス・コノヴァロヴァス]]や総合格闘技の[[マリウス・ザロムスキー|マリウス・ザロムスキス]]も有名である。

=== 健康 ===
2009年におけるリトアニアの新生児の平均余命は、男性66歳、女性78歳であり、これは欧州連合の中でも最も男女差が大きく、また男性の平均余命は最も低いものである。2008年における新生児の死亡率は1,000人あたり5.9人となっている<ref>[http://www.stat.gov.lt/en/ Statistics Lithuania].</ref>。人口成長率は0.3%(2007年現在)。

リトアニアの自殺率はソ連からの独立回復期急激に上昇し、現在ではリトアニアは世界で最も自殺率の高い国の一つとなっている。しかし近年はその自殺率も低下傾向にあり、[[世界保健機関]] (WHO) によると、リトアニアの10万人あたりの自殺者数は1995年の時点で45.6人であったが、2000年には44.1人、2005年には38.6人、そして2007年には30.4人と推移しており、現在ではベラルーシの自殺率がリトアニアを上回る結果となっている(ベラルーシの自殺率は2003年の時点で10万人あたり35.1人)<ref>[http://www.who.int/mental_health/prevention/suicide/country_reports/en/index.html Country reports and charts available]. World Health Organization. 2009.</ref>。

リトアニアはまた、欧州連合の中で殺人発生率が最も高い<ref>{{cite web|url=http://www.delfi.lt/news/daily/crime/article.php?id=19885621 |title=More people are killed in Lithuania than anywhere in the EU |publisher=Delfi.lt |date= |accessdate=2010年4月25日}}</ref>。

== 祝祭日 ==
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{| class="wikitable"
! 日付 !! 日本語表記 !! 現地語表記 !! 備考
! 日付 !! 日本語表記 !! 現地語表記 !! 備考
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||[[1月1日]]||[[元日]]||Naujieji Metai||
|| [[1月1日]] || [[元日]] || Naujieji Metai ||
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||[[2月16日]]||独立記念日||Nepriklausomybės diena||[[ロシア帝国|帝政ロシア]]からの独立記念日
|| [[2月16日]] || リトアニア国家再建記念日 || Lietuvos valstybės atkūrimo diena || [[ロシア帝国]]からの独立記念日([[1918年]])
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||[[3月11日]]||独立回復記念日||Nepriklausomybės atkūrimo diena||[[ソビエト連邦|ソ連]]からの主権国家宣言日
|| [[3月11日]] || リトアニア独立回復記念日 ||nowrap| Lietuvos nepriklausomybės atkūrimo diena || [[ソビエト連邦|ソ連]]からの主権国家宣言日([[1990年]])
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|nowrap|(移動祝日)|| [[復活祭]](イースター) || Velykos || 3月22日から4月25日の間のいずれかの日曜日、およびその翌日の月曜日
||復活祭の前々日||[[聖日曜日]]||Verbų sekmadienis||
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|| [[5月1日]] ||nowrap| 国際労働者の日([[メーデー]]) || Tarptautinė darbininkų diena ||
||移動祝日||[[復活祭]]||Velykos||
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||復活祭の翌日||復活祭月曜日||||
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||[[5月1日]]||[[メーデー]]||Tarptautinė darbininkų diena||
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|| [[6月24日]] || 夏至祭([[洗礼者ヨハネ]]祭) || Rasos (Joninės) ||
||5月第1日曜日||[[母の日]]||Motinos diena||
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|| [[7月6日]] || [[建国記念日]] || Karaliaus Mindaugo karūnavimo diena || 初代リトアニア王[[ミンダウカス]]戴冠の日
||[[6月24日]]||[[洗礼者ヨハネ]]祭||Joninės (Rasos)||夏至祭
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|| [[8月15日]] || [[聖母被昇天]]祭 || Žolinė ||
||[[7月6日]]||[[建国記念日]]||Karaliaus Mindaugo karūnavimo diena||初代王[[ミンダウカス]]の戴冠式日
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||[[815日]]||[[聖母被昇天]]||Žolinė||
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== スポーツ ==
{{main2|詳細は「[[:Category:リトアニアのスポーツ|リトアニアのスポーツ]]」を}}
古くから[[バスケットボール]]が盛んであり、リトアニアで最も盛んなスポーツとなっている。ソ連時代では[[シャルーナス・マルチルリョーニス]]、[[アルビダス・サボニス]]ら中心選手を輩出し[[ソウルオリンピック]]で男子代表は金メダルを獲得するなど数多くの世界大会で実績を残している。マルチルリョーニス、サボニスは[[NBA]]にも所属した。


== 著名な出身者 ==
== 著名な出身者 ==
{{Main|リトアニア人の一覧}}
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== 参考文献 ==
* 『[[エンサイクロペディア・リトアニカ]]』


== 脚注 ==
== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
; 日本語文献
* {{Cite book|和書
| author = 小野寺百合子
| year = 1992
| title = バルト海のほとりにて:武官の妻の大東亜戦争
| publisher = 朝日新聞
| series = 朝日文庫
| isbn = 9784022607232
| ref = 小野寺, 1992}}
* {{Cite book|和書
| last = ティフ
| first = フェリクス編著
| translator = 阪東宏
| year = 2006
| title = ポーランドのユダヤ人:歴史・文化・ホロコースト
| publisher = みすず書房
| isbn = 9784622072317
| ref = ティフ編著, 2006}}
; 英語文献
* {{Cite journal
| last = Baranauskas
| first = Tomas
| title = On the Origin of the Name of Lithuania
| journal = Lituanus
| volume = 55
| issue = 3
| year = 2009
| pages = pp. 28-36
| issn = 0024-5089
| ref = Baranauskas, 2009}}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
* [[リトアニア関係記事の一覧]]
* [[リトアニア関係記事の一覧]]
* [[エンサイクロペディア・リトアニカ]]
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* [[リトアニアの通信]]
* [[リトアニアの通信]]
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[[ab:Литва]]
[[ab:Литва]]

2010年12月1日 (水) 03:49時点における版

リトアニア共和国
Lietuvos Respublika
リトアニアの国旗 リトアニアの国章
国旗 (国章)
国の標語:"Tautos jėga vienybėje"
"リトアニア語: 国家の力は統一に在り"
国歌国民賛歌
リトアニアの位置
公用語 リトアニア語
首都 ヴィリニュス
最大の都市 ヴィリニュス (人口 555,613 人(2008年現在))[1]
政府
大統領 ダリア・グリバウスカイテ
首相 アンドリウス・クビリウス
面積
総計 65,200km2120位
水面積率 極僅か
人口
総計(2008年 3,287,000人(126位
人口密度 55人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2008年 1,114億[2]リタス (Litas)
GDP(MER
合計(2008年473億[2]ドル(76位
1人あたり xxxドル
GDP(PPP
合計(2008年636億[2]ドル(74位
1人あたり 18,945[2]ドル
独立
 - 初めて文献に登場
 - ミンダウガス王戴冠
 - ルブリン合同
 - ポーランド・リトアニア分割
 - ロシア帝国からの独立宣言
 - 独立承認
 - 第1次ソビエト侵攻
 - 第2次ソビエト侵攻
 - 独立回復宣言

1009年2月14日
1253年7月6日
1569年7月1日
1795年10月24日

1918年2月16日

1920年7月20日
1940年6月15日
1944年
1990年3月11日
通貨 リタス (Litas)(LTL
時間帯 UTC+2 (DST:+3)
ISO 3166-1 LT / LTU
ccTLD .lt
国際電話番号 370

リトアニア共和国(リトアニアきょうわこく、リトアニア語: Lietuvos Respublika)、通称リトアニアリトアニア語: Lietuva)は、ヨーロッパ北東部の共和制国家である。バルト海東岸に南北に並ぶバルト三国の一つであり、北にラトビア、東にベラルーシ、南にポーランド、南西にロシアカリーニングラード州)と国境を接し、西はバルト海に面している。首都はヴィリニュス

13世紀以降リトアニアは大公国として認知され、16世紀半ばからはポーランド王国合同した。その後国家は衰退し、18世紀には3度にわたり国土が隣国に分割されて国家は消滅、現在のリトアニアにあたる地域の多くはロシア帝国の領土となった。第一次世界大戦後の1918年にリトアニア共和国として独立。1940年ソビエト連邦(ソ連)の侵略を受け、さらに1941年にはナチス・ドイツからも侵略されている。その後はソ連の構成共和国の一つとなっていたが、1990年独立を回復し、再びリトアニア共和国となった。2004年からは欧州連合 (EU) に加盟している。

冷戦時代はソ連の一部であったため政治的に東欧に含められてきたが、独立回復ソ連崩壊を経て、その地理的文化的位置づけから東欧とは異なる中欧または中欧のうち過去に東欧であった地域の中東欧として再び分類されるようになっている。また、国際連合の分類では東欧ではなく北欧に含まれるほか、日本外務省においては中・東欧課ではなく西欧課の管轄となっている。

国名

リトアニア語における正式名称は、 Lietuvos Respublika (リエトゥヴォス・レスプブリカ) 。通称 Lietuva (リエトゥヴァ)、略称は LR 。

公式の英語表記は、 Republic of Lithuania 。通称 Lithuania (リスエイニア)。

日本語の表記は「リトアニア共和国」で、通称「リトアニア」。一部「リトワニア」、「リスアニア」[3]、「リトアニヤ」[4]という表記も見られる。

ソビエト連邦構成共和国であった時代の国名は「リトアニア・ソビエト社会主義共和国」であった。

由来

1009年の年代記に登場するリトアニアの国名

1009年3月9日付け(正しくは2月14日であったとみられる)の年代記において "Lituae" と記されたのが、歴史上リトアニアの国名が登場する最初の例である[5]。これはラテン語による表記で、文法上は属格での表記であり、この主格は "Litua" となる[6]。当時 [v] の発音は "u" で表記されていたが、この「リトヴァ」という呼び方は現在でもポーランド語をはじめとするスラヴ諸語において用いられている(Litwa または Litva と表記)[6]

共和国」に相当する "Respublika"(レスプブリカ)は、「公共のもの」を意味するラテン語の "res publica"(レス・プブリカ)に由来する。"res"(レス)には「物」や「財産」という意味、"publica"(プブリカ)は「公共の」という意味である。

歴史

近代以前

リトアニアが歴史的な文書に最初に登場するのは1009年である。13世紀にはリトアニア大公国が生まれ、東ヨーロッパ一帯に領土を広げる大国となった。キリスト教化はのちに個人的な結びつきがきっかけで平和的に実現され、14世紀にはリトアニア大公ヨガイラがポーランド王を兼ねたためポーランド・リトアニア合同を形成し、1569年以降はルブリン連合として合同しポーランド・リトアニア共和国(ジェチポスポリタ)が成立した。しかし、この国は1795年の第3次ポーランド分割によってロシア帝国に併合された。

リトアニア共和国として独立

ロシア革命の余波が及んでいた1918年2月、ドイツの計画したミッテル・オイローパ構想(汎ヨーロッパ主義)の一環として、小さな版図であったがリトアニア王国が独立した。その後、第一次世界大戦でドイツが敗北すると、同年11月、リトアニア共和国となった。ただし現在の領土とは異なり、ヴィリニュス地域はポーランド領であったため、カウナスが臨時首都とされた。1926年には独裁制に移行している。

第二次世界大戦

1939年8月23日独ソ不可侵条約追加条約によりリトアニアはソビエト連邦の影響下に置かれることとなり、1940年、ソ連軍が侵攻、リトアニアを占領した。なお、日本の在リトアニア・カウナス総領事館杉原千畝ユダヤ人を助けたのはこの頃である。

その後1941年にはドイツ軍がリトアニアに侵攻、占領したが、1944年からは再びソ連軍に占領され、そのままリトアニア・ソビエト社会主義共和国としてソ連邦に編入された。

独立回復へ

1986年以降、ソビエト連邦ゴルバチョフ書記長によるペレストロイカを機に、国民運動サユディスが起こり、1990年3月11日、初の非共産党員の最高会議議長・ヴィータウタス・ランズベルギスは旧ソ連を構成していた15共和国の中でもっとも早く、一方的に独立回復を宣言をした。国内に他民族(主にロシア人)が少なかったことが、国内意見の集約を容易にさせた側面があるとされる。独立回復後は、エストニアラトビアとは異なり、残留ロシア人に対しほぼ無条件で国籍をあたえた。

その後、西欧諸国との結びつきを強めており、2004年3月29日には北大西洋条約機構 (NATO) に加盟し、さらに5月1日には欧州連合 (EU) へ加盟した。

2009年5月17日大統領選が行われ、欧州連合の財政計画・予算担当欧州委員を務めるダリア・グリバウスカイテ元財務相が圧勝し、リトアニア初の女性大統領に選出された。

地理

地形

リトアニアの地図
リトアニアの地勢図
ネリンガ砂丘

リトアニア共和国はヨーロッパの北東部に位置する、バルト三国の中でもっとも大きな国である。

西部は海と面しており、砂質の海岸がおよそ99km(61.5マイル)広がる。そのうちの38km(24マイル)がバルト海の外海に面しているが、これはバルト三国の中でも最も短い。残りの海岸線はクルシュー砂州により区切られているクルシュー潟に面している。主な不凍港クライペダ港で、クルシュー潟の狭い入り口に位置している。このクルシュー潟は浅く、南にロシア連邦カリーニングラード州まで続いている。国内最大の河川であるネムナス川(ネマン川)とその支流は、国際運河ともなっている。

リトアニアの地形は、全体的になだらかで平坦であるが、これは第4氷河期に形成された氷河がその後後退した際、標高差のあまりない、細長く伸びる尾根しか残さなかったためである[7]。このため小山や丘陵、平原がバルト地方の主な特色であるといえる[7]。国内で標高の高い地域は西部の高台や東部の台地にあるモレーンであるが、それでもリトアニアで最も高い地点(アウクシュトヤス Aukštojas)の標高は292m(965フィート)しかない。

ヴィシュティーティス湖をはじめとする多くの湖や、また湿地帯があるのが特徴的である。また混交湿地林が国土の約33%を覆っている。

フランスの地理学者による算定によれば、ヨーロッパの地理的中心はリトアニアの首都ヴィリニュスの北数kmの地点になる。

植物地理学の観点からすると、リトアニアは中欧の特徴と東欧の特徴を合わせ持つ。また世界自然保護基金 (WWF) によれば、リトアニアの領土は中欧混交林地域 (PA0412) とサルマタイ混交林地域 (PA0436) の2つのエコリージョンに分けられる[8]

気候

海洋性気候から大陸性気候まで及び、湿度は高い。夏も冬も比較的穏やかである。気温は西部と東部でやや異なり、海岸部(西部)は涼しい夏と余り冷え込まない冬があるのに対し、内陸部(東部)は寒暖の差が激しい。平均気温は、海岸部では1月が-2.5度で7月が16度、ヴィリニュスでは1月が-6度で7月が16度である。夏は日中20度程度、夜間は14度程度であり、ときに30度や35度にも達する。冬はとても寒く、ほとんどの場合-20度を下回る。最も寒い冬には、海岸部で-34度、内陸の東部では-43度にまで至る。

ヴィリニュス近郊プーチュコレイの露頭

年間平均降水量は、海岸部で800ミリ、ジェマイティヤ地方高地で900ミリ、リトアニア東部では600ミリである。雪は毎年10月から4月にかけて降る。9月や5月などはが降ることもある。激しい嵐は東部ではあまり起こらないが、海岸部では頻繁に起こる。

バルト地域における気温に関する記録は、古いものでは250年前にまでさかのぼる。そのデータによれば、18世紀後半は暖かな気候であり、また19世紀は比較的涼しい気候であった。20世紀になると再び暖かくなり、1930年代には最も暖かくなったが、その後1960年代まではやや涼しい気候が続いた。その後は温暖化の傾向が続いている[9]

2002年には、森林および泥炭地における火災が原因で旱魃(干ばつ)も起きている[10]。2006年夏には、他の北欧諸国と同様リトアニアでも熱波に見舞われた。

なお、記録されている月別の最高・最低気温は以下の通りである[11]

リトアニアにおける最高・最低気温 (°C)
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
最高気温
+12.6
+16.5
+21.8
+28.8
+34
+35
+37.5
+36
+32
+26
+18
+15.6
最低気温
-40.5
-42.9
-37.5
-23.0
-6.8
-2.8
+0.9
-2.9
-6.3
-19.5
-23
-34

地方行政区分

行政区分

現在の地方行政区画は1994年より適用されており、2000年には欧州連合加盟条件を満たすために修正が施されている。リトアニアは3段階の行政区画がある。まず、10のリトアニア語: apskritis、複数形: apskritys)が設置されており、その下に60の基礎自治体リトアニア語: savivaldybė、複数形: savivaldybės)が設置されている。さらにその下には500以上のリトアニア語: seniūnija、複数形: seniūnijos)が設置されている。

県の名称には、それぞれ県庁所在地の都市の名前が付けられている。県は、中央政府が任命した県知事(リトアニア語: apskrities viršininkas)が統括する。県知事は、地方自治体がリトアニアの憲法や法令に忠実であることを保証する。また、県は自治体が国の法令、綱領、政策を履行しているかどうかを監督する[12]。県の機能は限られたものでしかなく、そのため、現在は10ある県の数を減らし、文化的区分にもとづく4つの新たな県を設置する案[13]や、10万人以上の都市を中心とした5つの県を設置する案[14]も出ている。

基礎自治体

基礎自治体はリトアニアの中でももっとも重要な行政区画である。中には歴史的に地区自治体と呼ばれるものもあり、そうした自治体は単に地区とも呼ばれる。他方都市自治体と称する自治体もあり、単にとも呼ばれる。それぞれの自治体には選挙で選ばれた執行機関がある。過去には自治体の選挙は3年に1度行われていたが、現在では4年に一度行われている。自治体議会は市長を選出し、各区の区長を任命する。市長や区長を直接選挙する案も出ているが、そのためには憲法の改正が必要となる[15]

国内全体で500以上設置されている区は、リトアニアで最小の行政区画であり、国政レベルでは何の機能も果たすものではない。区は各家庭に対して必要な公共サービスを提供する。例えば、農村部では区が出生や死亡を登記する。社会福祉の面でももっとも重要な役割をはたすのが区で、貧困下にいる人や家庭を把握し、生活手当を分配、さらに他の福祉金も準備する[16]。区は、農村部の問題に対する改善策を地元から提起できる立場にあるが、しかし区には実際の権限がなく注目をあつめることもほとんどない、と指摘されている[17]

文化的区分

文化的観点による区分。

なお、行政区分とは別に、文化的な観点から5つの地方に分けられる。

「高地」の意。アウクシュタイティヤで用いられていた言語がリトアニア語の基礎となった。
「低地」の意。ジェマイティヤで用いられていた言語は現在リトアニア語の一方言とされている。
小リトアニアには現在のロシアカリーニングラード州も多く含まれる。また今日リトアニア領となっている地域はクライペダ地方(Klaipėdos kraštas)ともいわれる。かつてのリトアニア大公国の領土外であり、プロシア語を話すプロイセン人の居住区であった。現在ではジェマイティヤに含まれる場合も多い。

主要都市

リトアニアの都市の一覧[18]
ヴィリニュス
ヴィリニュス

カウナス
カウナス
クライペダ
クライペダ
シャウレイ
シャウレイ
パネヴェジース
パネヴェジース

都市名 人口
(2010年)
アリートゥス
アリートゥス

マリヤーンポレ
マリヤーンポレ
マジェイケイ
マジェイケイ
ヨナヴァ
ヨナヴァ
ウテナ
ウテナ

1 ヴィリニュス ヴィリニュス県 548,835
2 カウナス カウナス県 348,624
3 クライペダ クライペダ県 182,752
4 シャウレイ シャウレイ県 125,453
5 パネヴェジース パネヴェジース県 111,959
6 アリートゥス アリートゥス県 66,841
7 マリヤーンポレ マリヤーンポレ県 46,256
8 マジェイケイ テルシェイ県 40,172
9 ヨナヴァ カウナス県 34,056
10 ウテナ ウテナ県 31,943
11 ケダイネイ カウナス県 30,663
12 テルシェイ テルシェイ県 29,764
13 ヴィサギナス ウテナ県 28,048
14 タウラゲ タウラゲ県 27,500
15 ウクメルゲ ヴィリニュス県 26,970
16 プルンゲ テルシェイ県 23,063
17 クレティンガ クライペダ県 21,171
18 シルテ クライペダ県 20,813
19 ラドヴィリシュキス シャウレイ県 19,185
20 パランガ クライペダ県 17,645

政治

ダリア・グリバウスカイテ大統領(2009年7月12日就任)

1990年3月11日の独立回復宣言以来、リトアニアは共和制国家として民主主義の伝統を維持してきた。1992年10月25日には独立回復後初めて議会選挙が行われたが、同日行われた国民投票では、投票者の56.75%がリトアニア共和国憲法の制定を支持している[19]。憲法に関しては、とりわけ大統領の権限について激しく議論がなされ、1992年5月23日に行われた大統領制に関する国民投票では有権者の41%が大統領職の復活を支持していた[19]。結果、半大統領制が導入されるに至った[20]

大統領はリトアニアの国家元首とされ、5年任期で直接選挙によって選ばれ、最大で2期10年まで務めることができる。大統領職は儀礼的なものにすぎないが、しかし外交防衛方針の策定に加わり、それらを指揮する役割を果たす。大統領は、セイマス(議会)の承認を得て首相を任命し、首相が指名した他の閣僚も任命する。また他にも官僚や裁判官についても、大統領が任命する。

セイマス (Semias) と呼ばれる議会は一院制で、議席数は141で、4年任期で選挙により選ばれる。このうち71議席は小選挙区直接選挙により、70議席は全国区の比例代表制により選出される。議会に議員を送り込むには、政党は少なくとも全投票の5%を、連立政党は7%を獲得しなければならない。

リトアニア憲法裁判所 (Konstitucinis Teismas) の裁判官は任期9年で、大統領が3名、セイマス議長が3名、最高裁判所長官が3名を指名する。

2004年より欧州連合 (EU) 加盟国であり、同年には北大西洋条約機構 (NATO) にも加盟している。他方で、旧ソ連の連邦構成共和国でありながらも、CISには加盟していない。

軍事

リトアニア国防義勇軍の兵士

リトアニアの軍隊は、約15,000名の兵士によって結成されており、うち2,400名は非戦闘員である[21]。またその他10万人の志願兵がいる。2008年9月までは徴兵制が採られていた[22]。2004年以降、リトアニアは北大西洋条約機構 (NATO) に加盟している。また、アフガニスタンへの軍隊派遣も行っている。

リトアニアの国防制度は、国家安全保障戦略に示されている概念「総合的で絶対的な防衛」にもとづいている。リトアニアにおける防衛政策は、リトアニア社会に通常防衛の準備をさせ、リトアニアが西欧の安全保障・防衛機構に統合していくことを目的とする。国防省は戦闘部隊、捜索救難、諜報機関を管轄する[23]。リトアニアに設置されている軍種は以下の通り。

  • 陸軍 (Sausumos pajėgų)
  • 空軍 (Karinių oro pajėgų)
  • 海軍 (Karinių jūrų pajėgų)
  • 特殊作戦部隊 (Specialiųjų operacijų pajėgų)
  • 国防義勇軍 (Savanorių pajėgos)

また、5,400名からなる国境警備隊は内務省の管轄下に置かれ、国境の保護、パスポートおよび関税の管理を担当する。また、海軍と共同で密輸麻薬取引などを取り締まる。

経済

EU圏内のリトアニア

国連の分類によれば、リトアニアは平均所得の高い国に位置づけられており、鉄道、空港、4車線の高速道路などの近代的なインフラが整備されている。しかしそれでもリトアニアの所得水準は欧州連合 (EU) に2004年の拡大前から加盟していた国よりも低く、ユーロスタットのデータによれば、リトアニアの1人あたりのGDP購買力平価ベース)はEU加盟27か国平均の61%にとどまる(2008年)[24]。こうした低所得が要因となり、2004年のEU加盟時には所得の高い国への移住が増加した。

EU加盟直前の2003年、リトアニアの経済成長率はEU加盟国および加盟候補国の中で最も高く、第3四半期には8.8%に達した。その後2004年にEUに加盟し、2004年には7.4%、2005年7.8%、2006年7.8%、2007年8.9%、2008年第1四半期には7.0%のGDP成長率を記録した[25]

公式データによれば、EU加盟は、海外からの発注の増加や観光業への後押しといった経済成長をもたらしている。現行通貨であるリタス2004年6月28日よりERM IIの対象通貨となっており、1ユーロ=3.45280リタスで固定されている[26]。またリトアニアは2014年1月1日を目標にユーロへ移行する予定である。

リトアニアの貿易は多くがEU圏内で行われており、2009年は輸出の64.2%、輸入の59.1%が対EU諸国であった。その他の国では、ロシアが最も高く(輸出13.2%、輸入29.9%)、次いでベラルーシ(輸出4.7%、輸入1.7%)、アメリカ合衆国(輸出2.9%、輸入1.1%)、ウクライナ(輸出3.0%、輸入0.9%)となっている[27]

2001年には世界貿易機関 (WTO) の一員ともなった。国有企業、特にエネルギー部門におけるそれの大規模な民営化が開始されており、現在も進行中である。

リトアニアの経済構造は知識集約型経済へと少しずつ着実に移行してきており、とりわけバイオテクノロジーレーザー産業が特にさかんで、バルト三国におけるバイオテクノロジーの製造はリトアニアに集中している。またメカトロニクス(機械電子工学)や情報技術 (IT) 産業も今後のリトアニア経済が目指す方向として期待されている。

失業率は近年上昇傾向にあり、2010年第2四半期の失業率は18.3%である[28]。また、1日1ドル(貧困線)以下で暮らしている人の数は国民の2%にも満たない[29]

エコノミスト・インテリジェンス・ユニットによるクオリティ・オブ・ライフ・インデックス(生活の質指数)は、バルト三国の中で最も高い。

リトアニアでは累進課税政策よりも一律課税政策が多く採られている。2007年には個人所得税は24%に減税され、さらに2009年1月には21%に減税された。このうち6%は健康保険に当てられている。また法人税は15%で、2010年1月1日からは中小企業向けに5%の法人税が導入されている。政府はハイテク産業や付加価値商品に対する投資への優遇政策を行っている。消費税は21%である。

リトアニアは鉱物資源に全く恵まれていない。唯一採掘されているのは原油であるが、2002年時点の採掘量は43万トンにとどまる。近年は天然ガスの採掘も有望視されている。

国民

民族構成

民族構成(リトアニア)
リトアニア人
  
83.1%
ポーランド人
  
6.0%
ロシア人
  
4.8%
ベラルーシ人
  
1.1%
ウクライナ人
  
0.6%
ユダヤ人
  
0.1%
ラトビア人
  
0.1%
タタール人
  
0.1%
ドイツ人
  
0.1%
ロマ人
  
0.1%
その他
  
0.2%
不明
  
3.7%

民族構成を見てみると、人口の83.1% が、リトアニア人である。少数派として、ポーランド人(6.0%)、ロシア人(4.8 %)、ベラルーシ人(1.1%)、ウクライナ人(0.6%)などがいる[30]

また、中世にヨーロッパ各地からユダヤ人を受け入れたために、リトアニアの都市部にはユダヤ人が多く、その中でも特にヴィリニュスはユダヤ人らから「北のエルサレム」と呼ばれるほど[31]多くのユダヤ人が住んでいた。18世紀末の時点で約25万人のユダヤ人がかつてのリトアニア大公国の土地に住んでいた[32]。しかし、第二次世界大戦中のナチス・ドイツと、その後のソ連支配の時代の弾圧によりユダヤ人人口は大きく減少した[33]

年齢構成

2009年の概算によると、年齢構成は以下の通りとなっている[34]

  • 0-14歳 - 14.2% (男性258,423人、女性245,115人)
  • 15-64歳 - 69.6% (男性1,214,743人、女性1,261,413人)
  • 65歳以上 - 16.2% (男性198,714人、女性376,771人)

平均年齢は39.3歳(男性36.8歳、女性41.9歳)である[35]

言語

リトアニア語は、ラトビア語と共に現存している2つのインド・ヨーロッパ語族バルト語派の1つであり、リトアニアの公用語にもなっている。2001年国勢調査によると母国語話者の内訳はリトアニア語82.0%、ロシア語8.0%、ポーランド語5.6%、ベラルーシ語0.5%、ウクライナ語0.2%、ロマ語0.1%、ラトビア語0.1%、となっている[36]

母語以外の言語としては、人口の85.4%がロシア語を話すことができ、そのほか24.0%が英語、14.5%がリトアニア語、12.5%がポーランド語、11.6%がドイツ語を話すことができる[37]

宗教

シャウレイ十字架の丘

リトアニアの宗教は現在ローマ・カトリックが大勢を占め、他の宗教は少数となっている。しかし歴史的には多くの宗教が信奉されてきた。もともと現在のリトアニアにあたる地域はバルト人の土地であり、彼らは独自の多神教信仰を持っていた。しかしその後キリスト教が徐々にリトアニアに入ってくるようになった。農民層が中心のリトアニア人にカトリックが浸透するのは16世紀頃と言われている[38]

中世のリトアニア大公国は現在のリトアニアのほかベラルーシウクライナの大半を含む広い領土を支配しており、主にスラヴ人が住んでいた東部地域では正教を信じる者も多くいた。また大公国ではそのほかイスラム教ユダヤ教の信仰なども広く認められてきた。

その後ロシア帝国支配下ではカトリックの弾圧が行われ、またソ連に支配されると宗教そのものが否定されるに至った。リトアニアが独立を回復してからは信仰が再び認められるようになり、現在ではヨーロッパでも有数のカトリックの国として知られている。

2001年に行われたリトアニア統計局による調査によれば、各宗派別の人口統計は以下のとおりとなっている[39]

各宗派別の人口統計
宗教・宗派 人口 %
ローマ・カトリック教会 2,752,447 79.00
正教会 141,821 4.07
正教古儀式派 27,073 0.78
ルーテル教会 19,637 0.56
改革派教会 7,082 0.20
エホバの証人 3,512 0.10
イスラム教スンナ派 2,860 0.08
ゴスペル教会 2,207 0.06
ペンテコステ教会 1,307 0.04
ユダヤ教 1,272 0.04
バルト人信仰(多神教信仰) 1,270 0.04
バプテスト教会ほか 1,249 0.04
その他 4,701 0.13
なし(無宗教 331,087 9.50
無回答 186,447 5.35
合計 3,483,972 100.00

教育

初等・中等教育

リトアニアでは、464,638人の生徒が初等・中等教育(7〜16歳児が対象)を受けている(2008-09年)。これらの教育はリトアニア語で行われるものが多く、全体の92.4%(429,335名、2008-09年)の生徒がリトアニア語で学ぶ。その他の言語で学ぶ生徒の割合は、ロシア語が4.2%(19,676名、2008-09年)、ポーランド語が3.2%(15,064名)と続く。ほかにも、伝統的にベラルーシ語で教育を行う学校が1校あるほか、近年フランス語で行う学校も1校設立された。英語による学校も1校存在する[40]

外国語教育で最も一般的なのは英語で、約407,700人が学んでいる(2008年-09年)[40]。次いでロシア語(約186,500人)、ドイツ語(約59,900人)、フランス語(約12,800人)と続く[40]

高等教育

主な高等教育機関としては大学などが挙げられ、約144,300人の学生が国内に22ある大学に在籍している(2007年9月現在)[41]ヴィリニュス大学(VU、1579年設立)、カウナス工科大学(KTU、1922年)、カウナス医科大学(KMU、1922年)、ヴィータウタス・マグヌス大学(VDU、1922年)などがその代表例である。

大学・短大では経営学を学ぶ者が最も多く、次いで教育学工学法学保健学社会学行動科学建築学コンピュータと続く。近年経営学を学ぶ学生数が急増しており、2004年の学生数は2000年の約3倍となった[42]

修士課程においても経営学を学ぶ学生が最も多く、次いで法学、教育学、工学、社会学・行動科学、保健学と続く[42]

留学生が占める割合は非常に少なく、全体の約0.4%にすぎない。そのうち約6割はヨーロッパ諸国からの留学生で[42]、とりわけベラルーシからの留学生が特に多い[41]。アジアからの留学生は約3割となっている[42]

生活・文化

住居

かつてリトアニア人は農民層に多かったが、現在では多くが都市に進出しており、大半がアパートで暮らしている。国民の 59 % がアパートに住んでおり、次いで 32 % が一戸建て住宅、9 % が半一戸建て住宅に住む[43]

食文化

シャコティスという伝統的なケーキが有名。

また、トラカイに住むカライ派の人々は、ペストリーの一種でキビナイ[44]と呼ばれる伝統的な料理を作る。

文学

初めて印刷されたリトアニア語による本(マルティナス・マジュヴィーダス著)

中世、リトアニアにおける文学の多くは当時の学術言語であったラテン語で書かれた。リトアニア王ミンダウガスによる勅令はその一例である。また、ゲディミナス大公の手紙もリトアニアにおけるラテン語で書かれた重要な著作物の例である。

16世紀になるとリトアニア語による著作が登場する。1547年、マルティナス・マジュヴィーダス (Martynas Mažvydas) がリトアニア語で『平易な語による教理問答』 (Catechismusa Prasty Szadei) を編纂し発行した。これがリトアニア語による本の印刷の始まりである。その後ミカロユス・ダウクシャ (Mikalojus Daukša) が教理問答を引き継いでいる。

16世紀から17世紀におけるリトアニア文学は主に宗教に関するものだったが、その後啓蒙時代になるとクリスティヨナス・ドネライティス (Kristijonas Donelaitis) が登場し、それまでの宗教中心のリトアニア文学を変えた。彼の著した「春の喜び」「夏の働き」「秋の幸」「冬の不安」の四篇からなる『一年』は国民的叙事詩であり、リトアニアの創作文学の礎を築くものであった[45]

19世紀前半のリトアニア文学は古典主義感情主義ロマン主義の特徴が合わさったものであった。当時の代表的作家としては、アンタナス・ストラズダス (Antanas Strazdas) 、ディオニザス・ポシュカ (Dionizas Poška) 、シルヴェストラス・ヴァリウーナス (Silvestras Valiūnas) 、マイロニス (Maironis) 、シモナス・スタネヴィチュース (Simonas Stanevičius) 、シモナス・ダウカンタス (Simonas Daukantas) 、アンタナス・バラナウスカス (Antanas Baranauskas) などが挙げられる[45]。ロシア帝政下にあったリトアニアではリトアニア語による印刷物の発行が禁じられており、そのため本を密輸する地下運動(クニーグネシェイ Knygnešiai)が行われるようになった。

20世紀リトアニア文学の代表的作家としては、ユオザス・トゥマス=ヴァイジュガンタス (Juozas Tumas-Vaižgantas) 、アンタナス・ヴィエヌオリス (Antanas Vienuolis) 、ベルナルダス・ブラズジョニス (Bernardas Brazdžionis) 、ヴィータウタス・マチェルニス (Vytautas Mačernis) などが挙げられる。

音楽

美術

ファイル:LithuanianNationalMuseum.jpg
リトアニア国立博物館

1933年に設立されたリトアニア美術館は、美術作品の保護・展示を行うリトアニア最大の施設である[46]。その他、重要な施設としてはパランガ琥珀博物館があげられる。

リトアニアで最も有名な画家としてはミカロユス・チュルリョーニス1875年 - 1911年)があげられる。彼は作曲家としても知られている。カウナス国立チュルリョーニス美術館には彼の作品が多く展示されている。

2011年には新たにヴィリニュス・グッゲンハイム・エルミタージュ美術館が設立される予定である。これはアメリカ・ニューヨークのグッゲンハイム美術館とロシア・サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館によって共同設立される[47]

世界遺産

リトアニア国内には、ユネスコ世界遺産リストに登録された文化遺産が4件存在する。

スポーツ

ファイル:Monument to basketball.jpg
バスケットボール・リトアニア代表を称える記念碑(ヴィリニュス市シエメンス・アリーナ)

リトアニアで最も盛んなスポーツはバスケットボールである。国内にはプロ・リーグおよび教育リーグがあり、またナショナル・チームはソウルオリンピックで男子代表が金メダルを獲得するなど数多くの世界大会で実績を残している。FIBAランキングでもリトアニアは2010年現在で男子世界5位となっており[48]、17歳以下の部門では世界2位となっている[49]。NBAプレーヤーも多く輩出しており、アルヴィーダス・サボニスシャルーナス・マルチュリョニスリナス・クレイザシャルーナス・ヤシケヴィチュースジードルーナス・イルガウスカスといったリトアニア代表選手がNBAやヨーロッパのリーグで活躍した。

プロ・アイスホッケー選手も人気で、ディフェンスダリウス・カスパライティス右ウィングダイニウス・ズブルスなどがNHLで活躍している。

パワーリフティング選手のジードルーナス・サヴィツカスも有名である。彼は世界でも有数の選手で、世界で最も強い男にノミネートされたこともある。

世界でもトップクラスの円盤投げ選手であるウィルギリウス・アレクナもよく知られている。彼はオリンピック記録を有し、シドニーアテネで金メダルを獲得している。また世界第2位の記録を保持している。

プロテニスプレーヤーのリチャルダス・ベランキス男子プロテニス協会 (ATP) ランキングで2010年11月15日現在世界119位につけており、これはリトアニア人としては最高位である[50]

他に、自転車競技選手のイグナタス・コノヴァロヴァスや総合格闘技のマリウス・ザロムスキスも有名である。

健康

2009年におけるリトアニアの新生児の平均余命は、男性66歳、女性78歳であり、これは欧州連合の中でも最も男女差が大きく、また男性の平均余命は最も低いものである。2008年における新生児の死亡率は1,000人あたり5.9人となっている[51]。人口成長率は0.3%(2007年現在)。

リトアニアの自殺率はソ連からの独立回復期急激に上昇し、現在ではリトアニアは世界で最も自殺率の高い国の一つとなっている。しかし近年はその自殺率も低下傾向にあり、世界保健機関 (WHO) によると、リトアニアの10万人あたりの自殺者数は1995年の時点で45.6人であったが、2000年には44.1人、2005年には38.6人、そして2007年には30.4人と推移しており、現在ではベラルーシの自殺率がリトアニアを上回る結果となっている(ベラルーシの自殺率は2003年の時点で10万人あたり35.1人)[52]

リトアニアはまた、欧州連合の中で殺人発生率が最も高い[53]

祝祭日

日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日 元日 Naujieji Metai
2月16日 リトアニア国家再建記念日 Lietuvos valstybės atkūrimo diena ロシア帝国からの独立記念日(1918年
3月11日 リトアニア独立回復記念日 Lietuvos nepriklausomybės atkūrimo diena ソ連からの主権国家宣言日(1990年
(移動祝日) 復活祭(イースター) Velykos 3月22日から4月25日の間のいずれかの日曜日、およびその翌日の月曜日
5月1日 国際労働者の日(メーデー Tarptautinė darbininkų diena
5月第1日曜日 母の日 Motinos diena
6月第1日曜日 父の日 Tėvo diena 2009年1月1日より施行
6月24日 夏至祭(洗礼者ヨハネ祭) Rasos (Joninės)
7月6日 建国記念日 Karaliaus Mindaugo karūnavimo diena 初代リトアニア王ミンダウカス戴冠の日
8月15日 聖母被昇天 Žolinė
11月1日 諸聖人の日 Visų Šventųjų diena
12月25日-26日 クリスマス Kalėdos

著名な出身者

脚注

  1. ^ Gyventojų skaičius Vilniaus apskrityje Lietuvos Statistikos Departamentas Vilniaus teritorinė statistikos valdyba. 2008年12月5日閲覧
  2. ^ a b c d IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1]
  3. ^ 例えば、ティフ編著, 2006.
  4. ^ 例えば、小野寺, 1992.
  5. ^ Baranauskas, 2009. p. 28.
  6. ^ a b Baranauskas, 2009. p. 29.
  7. ^ a b パスカル・ロロ『バルト三国』礒見辰典訳、白水社、1991年。p.11。
  8. ^ "Ecoregions." WWF US. 2010年11月15日閲覧.
  9. ^ Assessment of Climate Change for the Baltic Sea Basin - The BACC Project - 22–23 May 2006, Göteborg, Sweden” (PDF). 2010年4月25日閲覧。
  10. ^ Effects of 2002 drought in Lithuania”. Adsabs.harvard.edu. 2010年4月25日閲覧。
  11. ^ Records of Lithuanian climate”. www.meteo.lt. 2010年4月25日閲覧。
  12. ^ (リトアニア語) Lietuvos Respublikos apskrities valdymo įstatymas. セイマスデータベース. 1994年12月15日. Law no. I-707. 2006年6月3日閲覧.
  13. ^ (リトアニア語) Žilvytis Bernardas Šaknys. Lietuvos Respublikos administracinio teritorinio suskirstymo perspektyvos: etnografiniai kultūriniai regionai. セイマス民族文化保護協議会. 2002年12月12日. 2006年6月4日閲覧.
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  15. ^ (リトアニア語) Justinas Vanagas. Seimo prioritetai šią sesiją – tiesioginiai mero rinkimai, gyventojų nuosavybė ir euras. Delfi.lt. 2005年9月5日. 2006年6月3日閲覧.
  16. ^ (リトアニア語) Lietuvos Respublikos vietos savivaldos įstatymo pakeitimo įstatymas, セイマスデータベース. 2000年10月12日. Law no. VIII-2018. 2006年6月3日閲覧.
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  18. ^ Population at the beginning of the year by town/city. リトアニア統計局. 2010年11月21日閲覧.
  19. ^ a b (リトアニア語) Nuo 1991 m. iki šiol paskelbtų referendumų rezultatai. セイマス. 2006年6月4日閲覧.
  20. ^ Lina Kulikauskienė, Lietuvos Respublikos Konstitucija (Constitution of Lithuania), Native History, CD, 2002. ISBN 9986-9216-7-8
  21. ^ Personnel size in 1998-2009 Ministry of National Defence
  22. ^ “Compulsory basic military service discontinued”. Ministry of National Defence. http://www.kam.lt/index.php/en/168627/ 
  23. ^ White Paper Lithuanian defence policy” (リトアニア語). Kam.lt. 2010年4月25日閲覧。
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  28. ^ "Changes in the Unemployment Rate in II Quarter 2010: The Unemployment Rate in II Quarter 2010 Reached 18.3 Per Cent." リトアニア統計局ホームページ. 2010年8月24日. 2010年11月17日閲覧。
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  35. ^ Field Listing: Median age”. CIA World Factbook. 2009年11月12日閲覧。
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  43. ^ Most Latvians, Lithuanians and Estonians lived in flats in 2007. The Baltic Course. 2009年6月29日. 2009年6月29日閲覧.
  44. ^ キビナイに関しては、日本のメディアでも取り上げられたことがある。テレビ朝日『世界の車窓から』第7695回(トラカイ城). 2008年10月11日放送.
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  50. ^ Singles Rankings. ATP World Tour. 2010年11月21日閲覧.
  51. ^ Statistics Lithuania.
  52. ^ Country reports and charts available. World Health Organization. 2009.
  53. ^ More people are killed in Lithuania than anywhere in the EU”. Delfi.lt. 2010年4月25日閲覧。

参考文献

日本語文献
  • 小野寺百合子『バルト海のほとりにて:武官の妻の大東亜戦争』朝日新聞〈朝日文庫〉、1992年。ISBN 9784022607232 
  • ティフ, フェリクス編著 著、阪東宏 訳『ポーランドのユダヤ人:歴史・文化・ホロコースト』みすず書房、2006年。ISBN 9784622072317 
英語文献
  • Baranauskas, Tomas (2009). “On the Origin of the Name of Lithuania”. Lituanus 55 (3): pp. 28-36. ISSN 0024-5089. 

関連項目

外部リンク

政府
日本政府
観光

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