森秀行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
森秀行
Hideyuki-Mori20100321.jpg
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府大阪市東住吉区
生年月日 (1959-03-12) 1959年3月12日(58歳)
所属団体 日本中央競馬会
初免許年 1993年(同年開業)
経歴
テンプレートを表示

森 秀行(もり ひでゆき、1959年3月12日[1] - )は日本中央競馬会 (JRA) 栗東トレーニングセンター所属の調教師

調教助手を経て1993年より開業。1990年代半ばより盛んとなった日本馬の国外遠征を牽引した調教師のひとりであり[2]、1995年にはフジヤマケンザン香港国際カップに優勝し、日本馬36年ぶりの国外重賞勝利を達成。1998年にはシーキングザパールがフランスのモーリス・ド・ゲスト賞に優勝し、日本調教馬として初めてヨーロッパG1競走制覇を達成した。また1999年から2000年にはアグネスワールドがフランスのアベイ・ド・ロンシャン賞とイギリスのジュライカップに優勝している。ほか日本国内でレガシーワールドによるジャパンカップ(1993年)、エアシャカールによる皐月賞菊花賞(2000年)、キャプテントゥーレによる皐月賞(2008年)制覇がある。受賞歴はJRA賞優秀技術調教師3回、同最多勝利調教師2回、同最高勝率調教師1回。

経歴[編集]

生い立ち[編集]

1959年、大阪府大阪市東住吉区に生まれる[3]。実家は印刷所を営んでいたが、のち経営不振となり両親が離婚[3]大阪電気通信大学高校に進学した森は、在学中から様々なアルバイトを経験した[3]。このころ、スポーツ新聞の記事で競走馬の調教師の羽振りの良さを知り、高校卒業後、雑誌に掲載されていた優駿牧場の研修生募集広告に応じて北海道へ移り、同場の牧夫となった[3]。1年半勤務したのち、日本最大の牧場である社台ファームの千歳分場に移る[3]。社台ファームでは「馬で得た資金を馬だけに再投資すること」を学んだとしている[3]

社台ファーム勤務中に日本中央競馬会の調教助手試験に合格し、1981年春より栗東トレーニングセンター所属・戸山為夫厩舎の一員となった[3]。戸山は管理馬に対するハードトレーニングで知られ、また坂路調教をいち早く取り入れた調教師でもあった[3]。戸山は森に対し「先駆者になれ、パイオニアになれ、ただし、パイオニアは失敗したら必ず叩かれる。そのことだけは覚悟しろ」と再三言い含められていたという[4]。なお、1992年には坂路調教で厳しく鍛えられたミホノブルボンが皐月賞と東京優駿(日本ダービー)を制覇。森は同馬について、戸山の「ノウハウへの信念と、並外れた情熱から誕生した」と評している[3]

調教師時代[編集]

1993年3月、通算5度目の受験で調教師免許を取得[4]。同年5月に師の戸山が肝不全で死去し、9月より戸山の管理馬を引き継ぐ形で厩舎を開業した[5]。11月には旧戸山厩舎所属のレガシーワールドジャパンカップを制覇。開業から2カ月でGI競走初勝利を挙げた[6]

戸山厩舎から馬を引き継いだ際には、合理性の重視により旧関係者との軋轢も生んだ。故障休養中のミホノブルボンについて「走るか走らないか分からない馬を預かるわけにはいきません」と引き継ぎを拒否したと伝えられ[7]、また、引き継いだ各馬からは、いずれも戸山が重用してきた弟子であり、森のかつての同僚である小島貞博小谷内秀夫を降ろした[8]。この降板劇は情実を重んじる関係者から批判を集め[3]、戸山の妻もまた「森が自分で入れた馬については、誰を乗せようと文句を言う筋合いはありません。でも、レガシーワールドについても、フジヤマケンザンドージマムテキにしても、みんな戸山が連れてきた馬です。従来通り、小島や小谷内を乗せて欲しかった」と不満を吐露している[8]。こうした声に対し森は「僕がそうしたのは、馬はあくまで馬主のものだということ。調教師のものじゃないんです。馬が僕のところへきたのも馬主の意志だし、違う騎手に乗せてくれとも馬主から言われた。僕はそれに従ったまでです」と反論している[3]

2年目の1994年には管理馬房数の3倍に当たる年間30勝を挙げ[3]、勝率では1割9分2厘を記録しJRA賞最高勝率調教師と同優秀技術調教師の2部門を受賞した[9]。重賞勝利はひとつのみだったが、勝利を求めてどこへでも馬を送り込む積極性は新しい調教師像として注目された[9]。この年12月にはフジヤマケンザンを香港国際カップへ出走させ[10]、国外遠征の第一歩を踏み出している。翌1995年5月には、「勇気ある挑戦」あるいは「無謀」と賛否両論のなかアメリカのケンタッキーダービースキーキャプテンを出走させた[6](結果は14着[10])。12月にはフジヤマケンザンが前年敗れた香港国際カップに優勝し、日本馬として36年ぶりの国外重賞、国際グレード競走としては初めての勝利を挙げた[11]。森は「自分にとっても、日本の競馬界にとっても意義深い勝利だったと思う」「これからもどんどん出ていきますよ」と語った[11]

1997年には佐々木晶三厩舎から移籍してきたシーキングザパールNHKマイルカップを制し、中央のGI競走で2勝目を挙げる。同馬は翌1998年8月にフランスのG1競走モーリス・ド・ゲスト賞に出走。逃げきりでこれを制し、日本調教馬として初のヨーロッパG1競走制覇を成し遂げた。栗東と似た調教コースを備えるイギリスのニューマーケットで調整してからフランス入りさせるという独自の調整を行っての勝利であった[12]。この勝利はフランスのみならずイギリスの競馬紙でも「日本の牝馬が歴史を作る」と大きく報じられた[13]。さらにこの翌週には森と同じく意欲的に国外遠征を行っていた藤沢和雄厩舎のタイキシャトルが、やはりフランスのG1競走ジャック・ル・マロワ賞に優勝。両馬を取材していた作家・谷川直子はのちに「日本の海外遠征史に残るゴールデンウィーク、黄金の8日間であった」とこれを評している[14]

1999年にはアグネスワールドがフランスのアベイ・ド・ロンシャン賞を制覇[15]。さらに2000年にはイギリスのジュライカップにも優勝し、日本馬としてイギリスのG1競走を初制覇した[16]。森厩舎のこれまでの遠征では、旧戸山厩舎の最後の1頭であったドージマムテキが常に帯同しており、同馬もまた「陰の功労馬」という存在であった[17]。また、2000年には日本国内でもエアシャカールが皐月賞と菊花賞に優勝し、森にクラシックタイトルをもたらした。

2001年にはノボトゥルーフェブラリーステークスノボジャック地方交流GIとして新設されたJBCスプリントに優勝。年間では中央54勝・地方16勝の計70勝を挙げてJRA賞最多勝利調教師および優秀技術調教師を7年ぶりに受賞した[18]スターキングマンで地方交流GI・東京大賞典を制した2003年にはJRA賞優秀技術調教師賞を、2006年には年間63勝(中央48勝・地方15勝)の成績で最多勝利調教師および優秀技術調教師となった。2008年にはかつての管理馬エアトゥーレの仔・キャプテントゥーレで皐月賞に優勝し、7年ぶりのJRAGI(JpnI)勝利を挙げた[19]

人物[編集]

中央、地方、国外を問わず、機会のあるレースには積極的に出走させる調教師である。開業当初から、「ゆくゆくは関東へ行くような気軽な感覚で遠征をしてみたい」と意欲を語り、香港で勝利を挙げた頃には「中央競馬の枠組みの中で戦っている限り、それは定められた総賞金というひとつの山を何百人かの調教師で奪い合っているにすぎない。しかしその枠組みから外に飛び出していけば、"山"はひとつではない。力さえあれば賞金の上限はそれこそ無限に近くなる」と、賞金という面から捉えた国際化論を唱えた[11]。またシーキングザパールでモーリス・ド・ゲスト賞を制したときには「自分は調教師だし、調教を軽視するわけじゃないけど、いくら調教のレベルが素晴らしくても、未勝利馬ばかり集められたらどうにもならない。だから、いかにいい馬をもらえるか。そうするためには馬主さんへのアピールが必要になってくる。勝ち鞍をあげてアピールするか、賞金を上げてアピールするか。僕は賞金でアピールしたいし、もう一つ、海外のGIに勝ってアピールしたかった」と語っている[20]。また自著の中では、英仏での勝利によりシャトル種牡馬としての需要も生まれたアグネスワールドを例に引き、「アグネスワールドクラスの馬になったら、調教師は種馬としての評価を上げることを考えなければならない」、「もちろん、馬主のなかには海外遠征を嫌がる人もいる。海外に行ったら、調教師だけでなく、馬主だって赤字になる。でも、種牡馬としての価値が上がったら一番得をするのは馬主なのだ。それを考えたら、私はどんどん海外に行くべきだと思う」との持論を述べている[21]

また前段で森が語った賞金の「山」は日本国内の地方競馬も指したものであり[11]、こちらにおいてもGIを含む数々の勝利を挙げ、2011年には中央競馬所属の調教師としては空前の記録とみられる通算150勝を達成している[22]

成績[編集]

開催 勝利 出走 勝率 重賞勝利管理馬(勝利競走)
1993年 中央 5勝 32回 .156 レガシーワールドジャパンカップ
1994年 中央 30勝 156回 .192 インターシュプール(新潟記念
地方 0勝 1回 .000
国外 0勝 1回[10] .000
30勝 158回 .190
1995年 中央 36勝 182回 .198 スキーキャプテンきさらぎ賞
フジヤマケンザン中山記念七夕賞
ドージマムテキ京王杯オータムハンデキャップ
タニノクリエイト(神戸新聞杯
サンデーウェル(セントライト記念
地方 0勝 7回 .000
国外 1勝 5回[10] .200 フジヤマケンザン(香港国際カップ[10][注 1]
37勝 194回 .190
1996年 中央 12勝 171回 .070 フジヤマケンザン(金鯱賞
地方 4勝 26回 .000
国外 0勝 2回 .000
16勝 199回 .080
1997年 中央 26勝 181回 .144 シーキングザパールフラワーカップニュージーランドトロフィー4歳ステークスNHKマイルカップ
アグネスワールド函館3歳ステークス
地方 5勝 24回 .208 アグネスワールド(全日本3歳優駿[23]
国外
31勝 202回 .153
1998年 中央 23勝 187回 .123 シーキングザパール(シルクロードステークス
地方 5勝 21回 .238 キングオブサンデー(北海道3歳優駿[24]
国外 1勝 2回 .500 シーキングザパール(モーリス・ド・ゲスト賞[10]
29勝 213回 .136
1999年 中央 19勝 187回 .102 アグネスワールド(CBC賞
地方 12勝 30回 .400 スノーエンデバー群馬記念[25]佐賀記念[26]ブリーダーズゴールドカップ[27]日本テレビ盃[28]さくらんぼ記念[29]
国外 2勝 6回 .500 アグネスワールド(アベイ・ド・ロンシャン賞[10]
33勝 223回 .148
2000年 中央 22勝 213回 .103 エアシャカール皐月賞菊花賞
地方 8勝 38回 .211
国外 1勝 6回 .167 アグネスワールド(ジュライカップ[10]
31勝 257回 .121
2001年 中央 54勝 294回 .184 ノボトゥルー根岸ステークスフェブラリーステークス
エアトゥーレ阪神牝馬ステークス
地方 16勝 33回 .485 ノボジャック黒船賞[30]、群馬記念[31]北海道スプリントカップ[32]クラスターカップ[33]東京盃[34]JBCスプリント[35]
国外 0勝 2回 .000
70勝 329回 .213
2002年 中央 39勝 351回 .111 ヘルスウォール(チューリップ賞
地方 5勝 32回 .156 ノボジャック(群馬記念[36]
ノボトゥルー(とちぎマロニエカップ[37]兵庫ゴールドトロフィー[38]
国外 0勝 3回 .000
44勝 386回 .114
2003年 中央 39勝 329回 .1119 ウインマーベラス京都ジャンプステークス小倉サマージャンプ阪神ジャンプステークス京都ハイジャンプ
地方 6勝 14回 .429 ノボジャック(黒船賞[39]
ノボトゥルー(さきたま杯[40]
スターキングマン(日本テレビ盃[41]東京大賞典[42]
国外
45勝 380回 .118
2004年 中央 34勝 290回 .117 シャドウスケイプ(根岸ステークス)
キーンランドスワン(シルクロードステークス)
シーキングザダイヤアーリントンカップ、ニュージーランドトロフィー)
トーセンダンディ(オールカマー
地方 7勝 61回 .115 シャドウスケイプ(クラスターカップ[43]
ノボトゥルー(とちぎマロニエカップ[44]
シーキングザダイヤ(兵庫ゴールドトロフィー[45]
国外 0勝 3回 .000
41勝 354回 .116
2005年 中央 40勝 322回 .124 キーンランドスワン(阪急杯
地方 13勝 84回 .155 アグネスジェダイサマーチャンピオン[46]、東京盃[47]
国外 0勝 9回 .000
53勝 415回 .128
2006年 中央 48勝 395回 .122 ステキシンスケクン(アーリントンカップ、京王杯オータムハンデキャップ
スウィフトカレント小倉記念
トーセンシャナオー(セントライト記念)
地方 15勝 60回 .250 アグネスジェダイ(さきたま杯[48]、北海道スプリントカップ[49]、クラスターカップ[50]
シーキングザダイヤ(日本テレビ盃[51]
国外 0勝 4回 .000
63勝 459回 .137
2007年 中央 21勝 348回 .060 キャプテントゥーレデイリー杯2歳ステークス
地方 7勝 46回 .152 アグネスジェダイ(北海道スプリントカップ[52]
シーキングザダイヤ(浦和記念[53]
国外 0勝 4回 .000
28勝 398回 .070
2008年 中央 25勝 368回 .068 キャプテントゥーレ(皐月賞
ビクトリーテツニー(カペラステークス
地方 10勝 67回 .149
国外
35勝 435回 .080
2009年 中央 22勝 321回 .069 ステラリード(函館2歳ステークス)
キャプテントゥーレ(朝日チャレンジカップ
地方 14勝 69回 .203 ゴールデンチケット(兵庫チャンピオンシップ[54]
国外
36勝 390回 .092
2010年 中央 26勝 325回 .080 キャプテントゥーレ(朝日チャレンジカップ)
地方 10勝 46回 .217 リアライズノユメ(エーデルワイス賞[55]兵庫ジュニアグランプリ[56]
国外
36勝 371回 .097
2011年 中央 14勝 284回 .049
地方 20勝 86回 .233 ドスライス(クラスターカップ[57]
国外
34勝 370回 .092
2012年 中央 16勝 323回 .050
地方 9勝 60回 .150
国外
25勝 383回 .065
2013年 中央 27勝 308回 .088
地方 5勝 32回 .156
国外
32勝 340回 .094
2014年 中央 27勝 335回 .081
地方 8勝 42回 .190
国外
35勝 377回 .093
2015年 中央 15勝 332回 .045
地方 9勝 48回 .188
国外
24勝 380回 .063
2016年 中央 22勝 362回 .061 ネロ(京阪杯[58]
地方 10勝 36回 .278
国外 0勝 2回 .000
32勝 400回 .080
  1. 出典:日本中央競馬会ホームページ・調教師名鑑「森秀行」。掲載されていない情報については個別に出典を付す。
  2. 競走名太字は国際G1、中央および地方競馬と統一されたGI・JpnI、国外の主催者独自格付けによるG1競走。
  3. 成績欄太字は中央競馬の表彰対象となった成績。

受賞[編集]

著書[編集]

脚註[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 格付けは香港G1・国際G2。

出典[編集]

  1. ^ 『優駿』1994年5月号、p.175
  2. ^ 『優駿』2013年9月号、p.59
  3. ^ a b c d e f g h i j k l 木村(1997)pp.213-220
  4. ^ a b 森(2003)pp.19-20
  5. ^ 森(2003)p.25
  6. ^ a b 『優駿』1997年11月号、p.44
  7. ^ 井口(2004)p.101
  8. ^ a b 井口(2004)pp.62-63
  9. ^ a b 『優駿』1995年2月号、p.21
  10. ^ a b c d e f g h 『優駿』2013年9月号、pp.62-64
  11. ^ a b c d 『優駿』1996年2月号、pp.35-39
  12. ^ 『優駿』1998年10月号、pp.44-46
  13. ^ 『優駿』1998年10月号、p.124
  14. ^ 『優駿』2013年9月号、p.15
  15. ^ 『優駿』1999年8月号、p.44
  16. ^ 『優駿』2000年8月号、p.44
  17. ^ 『優駿』2001年6月号、p.85
  18. ^ 『優駿』2002年2月号、p.68
  19. ^ 『優駿』2008年6月号、p.97
  20. ^ 『Number PLUS』p.133
  21. ^ 森(2003)p.193
  22. ^ 森秀行調教師、地方競馬150勝達成”. 中央競馬実況中継 競馬実況web (2011年7月13日). 2015年6月16日閲覧。
  23. ^ 全日本3歳優駿(G2)”. netkeiba.com. 2015年6月16日閲覧。
  24. ^ 第25回北海道3歳優駿(G3)”. netkeiba.com. 2015年6月16日閲覧。
  25. ^ 第10回群馬記念(G3)”. netkeiba.com. 2015年6月16日閲覧。
  26. ^ 第27回佐賀記念(G3)”. netkeiba.com. 2015年6月16日閲覧。
  27. ^ 第11回ブリーダーズゴールドカップ(G2))”. netkeiba.com. 2015年6月16日閲覧。
  28. ^ 第46回日本テレビ盃(G3)”. netkeiba.com. 2015年6月16日閲覧。
  29. ^ 第2回さくらんぼ記念(G3)”. netkeiba.com. 2015年6月16日閲覧。
  30. ^ 第4回黒船賞[指定交流(G3)]”. netkeiba.com. 2015年6月16日閲覧。
  31. ^ 第12回群馬記念(G3)”. netkeiba.com. 2015年6月16日閲覧。
  32. ^ 第5回北海道スプリントカップ(G3)”. netkeiba.com. 2015年6月16日閲覧。
  33. ^ 第6回クラスターカップ(G3)”. netkeiba.com. 2015年6月16日閲覧。
  34. ^ 第35回東京盃(G2)”. netkeiba.com. 2015年6月16日閲覧。
  35. ^ 第1回JBCスプリント(G1)”. netkeiba.com. 2015年6月16日閲覧。
  36. ^ 第13回群馬記念(G3)”. netkeiba.com. 2015年6月16日閲覧。
  37. ^ 第2回とちぎマロニエカップ(G3)”. netkeiba.com. 2015年6月16日閲覧。
  38. ^ 第2回兵庫ゴールドトロフィー(G3)”. netkeiba.com. 2015年6月16日閲覧。
  39. ^ 第6回黒船賞[指定交流(G3)]”. netkeiba.com. 2015年6月16日閲覧。
  40. ^ 第7回さきたま杯(G3)”. netkeiba.com. 2015年6月16日閲覧。
  41. ^ 第50回日本テレビ盃(G2)”. netkeiba.com. 2015年6月16日閲覧。
  42. ^ 第49回東京大賞典(G1)”. netkeiba.com. 2015年6月16日閲覧。
  43. ^ 第9回クラスターカップ(G3)”. netkeiba.com. 2015年6月16日閲覧。
  44. ^ 第4回とちぎマロニエ(G3)”. netkeiba.com. 2015年6月16日閲覧。
  45. ^ 第4回兵庫ゴールドトロフィー(G3)”. netkeiba.com. 2015年6月16日閲覧。
  46. ^ 第5回サマーチャンピオン(G3)”. netkeiba.com. 2015年6月16日閲覧。
  47. ^ 第39回東京盃(G2)”. netkeiba.com. 2015年6月16日閲覧。
  48. ^ 第10回さきたま杯[指定交流(G3)”. netkeiba.com. 2015年6月16日閲覧。
  49. ^ 第10回北海道スプリントカップ(G3)”. netkeiba.com. 2015年6月16日閲覧。
  50. ^ 第11回クラスターカップ(G3)”. netkeiba.com. 2015年6月16日閲覧。
  51. ^ 第53回日本テレビ盃(G2)”. netkeiba.com. 2015年6月16日閲覧。
  52. ^ 第11回北海道スプリントカップ(G3)”. netkeiba.com. 2015年6月16日閲覧。
  53. ^ 第28回彩の国浦和記念(G2)”. netkeiba.com. 2015年6月16日閲覧。
  54. ^ 第10回兵庫チャンピオンシップ(G2)”. netkeiba.com. 2015年6月16日閲覧。
  55. ^ 第13回エーデルワイス賞(G3)”. netkeiba.com. 2015年6月16日閲覧。
  56. ^ 第12回兵庫ジュニアグランプリ(G2)”. netkeiba.com. 2015年6月16日閲覧。
  57. ^ 第16回クラスターカップ(G3)”. netkeiba.com. 2015年6月16日閲覧。
  58. ^ 第22回シルクロードステークス(G3)”. netkeiba.com. 2017年1月31日閲覧。

参考文献[編集]

  • 木村幸治『調教師物語』(洋泉社、1997年)ISBN 978-4896912920
  • 『20世紀スポーツ最強伝説 (4) (Sports Graphic Number plus)』(文藝春秋、1999年)ISBN 978-4160081086
  • 森秀行『最強の競馬論』(講談社、2003年) ISBN 978-4061496576
  • 井口民樹『瀬戸際の勝負師 - 騎手たちはそのときをどう生きたか』(VIENT、2004年)ISBN 978-4768488836
  • 『優駿』(日本中央競馬会)各号

関連項目[編集]

外部リンク[編集]